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第8話:『君が必要だ、ポンコツ神様』
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「こっちよ!」
福永こがねは、息を切らしながら走っていた。
背後から「お待ちください、こがねさん!」という恵比寿 光の情けない声が聞こえるが、振り返る余裕はない。
光は、神気のかすかな痕跡を追おうとしたが、町中に渦巻く疫病神の邪気が濃すぎて、コンパスの効かない航海のように、全く役に立たなかった。
頼れるのは、こがねの直感だけ。
あのグータラな神様が、一人になりたい時に、どこへ行くか。
こがねの足は、自然と町の外れへと向かっていた。
かつて、自分たちが夏祭りの夜に、無茶苦茶な花火を打ち上げた河川敷を越え、小さな丘を登る。
そこにあるのは、今はもう訪れる人もいない、廃れた小さな神社だった。
「本当に、こちらなのですか……?」
「ええ、多分ね」
この場所は、薄氷が何百年も封印されていた祠があった場所の、すぐ近くだ。
そして、こがねが夢で見た、あの病弱な少女が、おそらくは眠っている場所。
彼はきっと、自分の原点へ還ったのだ。
一人きり、誰にも迷惑をかけず、不幸にしないですむ、最も悲しい記憶の場所へ。
神社の鳥居をくぐり、荒れた境内を抜ける。
その裏手、木々に囲まれて、古い墓石が苔むして並んでいる一角があった。
そこに、彼はいた。
黒い着流し姿で、一つの小さな墓石の前に、ただ静かに佇んでいる。
銀灰色の髪が、木漏れ日の中で、きらきらと光を弾いていた。
その姿は、ひどく儚く、今にも消えてしまいそうだった。
「薄氷……!」
こがねが声をかけようとした瞬間、隣を走っていた光が「うわっ!」と奇妙な声を上げた。
見れば、彼の頭上から、ピンポイントでカラスのフンが落下し、見事に金髪を汚している。
「な、なんだこれは……!」
さらに一歩踏み出そうとした光は、足元の石につまずき、派手な音を立ててすっ転んだ。
薄氷が、自分の周囲に強力な不運のバリアを張っているのだ。
これ以上、誰も近づかせないという、強い拒絶の意志。
だが、こがねは、ためらわなかった。
泥濘に足を取られ、ぬかるみに足を取られながらも、一歩、また一歩と、バリアの中を進んでいく。
彼女は薄氷の依り代。
彼の不運は、こがねの身体をすり抜けていく。
「危ない、こがねさん!」
光の制止の声も聞かず、こがねは木の枝で頬に切り傷を作り、泥だらけになりながらも、ついに、薄氷の背後まで辿り着いた。
「……見つけたわよ、家出神様」
その声に、薄氷の肩が、びくりと震えた。
彼は、信じられないものを見るように、ゆっくりと振り返る。
そのサファイアの瞳が、驚きに見開かれていた。
なぜ、ここが。
なぜ、この不運の嵐の中を。
「……来るな」
絞り出すような、低い声。
「これ以上、我に関わると、不幸になるぞ」
その言葉に、こがねの中で、何かが弾け飛んだ。
「もうとっくに不幸よ!」
魂の叫びだった。
「あんたがいなくて、店は疫病神に乗っ取られてめちゃくちゃ! 町は病人だらけで、ゴーストタウン寸前! 私の心には、ぽっかり穴が空いて、寒くて仕方ないの! これ以上、どんな不幸があるって言うのよ!」
こがねは、一歩、薄氷ににじり寄る。
「あんたがいないと、ポテチが湿気るの! 子供たちが、神様のお兄ちゃんはどこに行ったんだって、泣いてるの! 私が! 私が、あんたに会いたいのよ!」
理屈じゃなかった。
計算も、損得もなかった。
ただ、溢れ出してくる想いを、そのままぶつけていた。
「あんたが貧乏神だろうが! 疫病神と間違われようが! そんなの、どうでもいい! 私にとっては、あんたは、ただの薄氷! ちょっと手のかかる、燃費の悪い、ポンコツの同居人なの! それだけなのよ! だから、帰るわよ!」
誰からも疎まれ、忌み嫌われ、遠ざけられてきた。
それが、貧乏神である自分の宿命だと、諦めていた。
そんな薄氷が、生まれて初めて。
一人の人間に、心の底から「必要だ」と、乞われていた。
薄氷の美しい瞳が、大きく、大きく見開かれる。
やがて、何百年も凍りついていた湖の氷が、春の陽光に溶かされていくように、その青い水面が、ゆっくりと潤んでいった。
「……なぜだ」
やっとのことで、薄氷が声を絞り出す。
「我は、そなたに、不幸しか与えられぬというのに」
その言葉を、こがねは一蹴した。
「うるさいっ!」
彼女は、薄氷の冷たい手を、ためらうことなく、力強く掴んだ。
「不幸かどうかは、私が決めるの!」
びくり、と薄氷の身体が震える。
掴んだ手は、氷のように冷たかった。
でも、こがねは、決してその手を離さなかった。
「帰るわよ、薄氷」
こがねは、彼の瞳をまっすぐに見つめて、言った。
「私たちの店に」
「……わたしたちの、みせ」
薄氷が、鸚鵡返しに呟く。
その言葉が、彼の心の最も柔らかい場所に、じんわりと染みていく。
彼は、まるで迷子になった子供のように、ただ、こくりと、小さく頷くことしかできなかった。
遠くで、カラスのフンと泥にまみれた福の神が、その光景を、ただ呆然と見つめていた。
今、二つの孤独だった魂が、確かに手を取り合ったのだ。
「さあ、行くわよ。あいつをぶん殴って、私たちの日常を取り返しに!」
こがねが、薄氷の冷たい手をぐっと引き、立ち上がる。
決戦の時は、もう、すぐそこまで迫っていた。
福永こがねは、息を切らしながら走っていた。
背後から「お待ちください、こがねさん!」という恵比寿 光の情けない声が聞こえるが、振り返る余裕はない。
光は、神気のかすかな痕跡を追おうとしたが、町中に渦巻く疫病神の邪気が濃すぎて、コンパスの効かない航海のように、全く役に立たなかった。
頼れるのは、こがねの直感だけ。
あのグータラな神様が、一人になりたい時に、どこへ行くか。
こがねの足は、自然と町の外れへと向かっていた。
かつて、自分たちが夏祭りの夜に、無茶苦茶な花火を打ち上げた河川敷を越え、小さな丘を登る。
そこにあるのは、今はもう訪れる人もいない、廃れた小さな神社だった。
「本当に、こちらなのですか……?」
「ええ、多分ね」
この場所は、薄氷が何百年も封印されていた祠があった場所の、すぐ近くだ。
そして、こがねが夢で見た、あの病弱な少女が、おそらくは眠っている場所。
彼はきっと、自分の原点へ還ったのだ。
一人きり、誰にも迷惑をかけず、不幸にしないですむ、最も悲しい記憶の場所へ。
神社の鳥居をくぐり、荒れた境内を抜ける。
その裏手、木々に囲まれて、古い墓石が苔むして並んでいる一角があった。
そこに、彼はいた。
黒い着流し姿で、一つの小さな墓石の前に、ただ静かに佇んでいる。
銀灰色の髪が、木漏れ日の中で、きらきらと光を弾いていた。
その姿は、ひどく儚く、今にも消えてしまいそうだった。
「薄氷……!」
こがねが声をかけようとした瞬間、隣を走っていた光が「うわっ!」と奇妙な声を上げた。
見れば、彼の頭上から、ピンポイントでカラスのフンが落下し、見事に金髪を汚している。
「な、なんだこれは……!」
さらに一歩踏み出そうとした光は、足元の石につまずき、派手な音を立ててすっ転んだ。
薄氷が、自分の周囲に強力な不運のバリアを張っているのだ。
これ以上、誰も近づかせないという、強い拒絶の意志。
だが、こがねは、ためらわなかった。
泥濘に足を取られ、ぬかるみに足を取られながらも、一歩、また一歩と、バリアの中を進んでいく。
彼女は薄氷の依り代。
彼の不運は、こがねの身体をすり抜けていく。
「危ない、こがねさん!」
光の制止の声も聞かず、こがねは木の枝で頬に切り傷を作り、泥だらけになりながらも、ついに、薄氷の背後まで辿り着いた。
「……見つけたわよ、家出神様」
その声に、薄氷の肩が、びくりと震えた。
彼は、信じられないものを見るように、ゆっくりと振り返る。
そのサファイアの瞳が、驚きに見開かれていた。
なぜ、ここが。
なぜ、この不運の嵐の中を。
「……来るな」
絞り出すような、低い声。
「これ以上、我に関わると、不幸になるぞ」
その言葉に、こがねの中で、何かが弾け飛んだ。
「もうとっくに不幸よ!」
魂の叫びだった。
「あんたがいなくて、店は疫病神に乗っ取られてめちゃくちゃ! 町は病人だらけで、ゴーストタウン寸前! 私の心には、ぽっかり穴が空いて、寒くて仕方ないの! これ以上、どんな不幸があるって言うのよ!」
こがねは、一歩、薄氷ににじり寄る。
「あんたがいないと、ポテチが湿気るの! 子供たちが、神様のお兄ちゃんはどこに行ったんだって、泣いてるの! 私が! 私が、あんたに会いたいのよ!」
理屈じゃなかった。
計算も、損得もなかった。
ただ、溢れ出してくる想いを、そのままぶつけていた。
「あんたが貧乏神だろうが! 疫病神と間違われようが! そんなの、どうでもいい! 私にとっては、あんたは、ただの薄氷! ちょっと手のかかる、燃費の悪い、ポンコツの同居人なの! それだけなのよ! だから、帰るわよ!」
誰からも疎まれ、忌み嫌われ、遠ざけられてきた。
それが、貧乏神である自分の宿命だと、諦めていた。
そんな薄氷が、生まれて初めて。
一人の人間に、心の底から「必要だ」と、乞われていた。
薄氷の美しい瞳が、大きく、大きく見開かれる。
やがて、何百年も凍りついていた湖の氷が、春の陽光に溶かされていくように、その青い水面が、ゆっくりと潤んでいった。
「……なぜだ」
やっとのことで、薄氷が声を絞り出す。
「我は、そなたに、不幸しか与えられぬというのに」
その言葉を、こがねは一蹴した。
「うるさいっ!」
彼女は、薄氷の冷たい手を、ためらうことなく、力強く掴んだ。
「不幸かどうかは、私が決めるの!」
びくり、と薄氷の身体が震える。
掴んだ手は、氷のように冷たかった。
でも、こがねは、決してその手を離さなかった。
「帰るわよ、薄氷」
こがねは、彼の瞳をまっすぐに見つめて、言った。
「私たちの店に」
「……わたしたちの、みせ」
薄氷が、鸚鵡返しに呟く。
その言葉が、彼の心の最も柔らかい場所に、じんわりと染みていく。
彼は、まるで迷子になった子供のように、ただ、こくりと、小さく頷くことしかできなかった。
遠くで、カラスのフンと泥にまみれた福の神が、その光景を、ただ呆然と見つめていた。
今、二つの孤独だった魂が、確かに手を取り合ったのだ。
「さあ、行くわよ。あいつをぶん殴って、私たちの日常を取り返しに!」
こがねが、薄氷の冷たい手をぐっと引き、立ち上がる。
決戦の時は、もう、すぐそこまで迫っていた。
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