8 / 64
第2章:魔法のある日常
第2話:営業三課の地獄
しおりを挟む
午前9時45分。
朝会が終わったばかりの営業三課は、すでに火の海だった。
「神代さん、この案件の提案書、先方の意向とズレてるって。すぐ直しお願いできます?」
「あと、B社の新商品案内メール、今週中にまとめて一括送信してくれる? 既存顧客のフォローも忘れずにね」
「それと、午後イチの商談の前に、このサンプルを3部コピーしてセットしておいてくれる? 課長、来客応対で手が回らないって」
声、声、声。
上からも横からも、矢継ぎ早に飛んでくる指示の雨。
ミユキは資料を抱えたままPCに向かい、複数のファイルを切り替えながら、片手で後輩への指示を出す。もう何が優先順位なのか分からない。
(ああ、魔物の方が単純で分かりやすい……)
そう思ってしまう自分が、どこか悲しかった。
「神代くん、悪いんだけど、今日中にこのリスト全部整理してもらっていい? 課長から“君に任せれば安心だ”って言われてるからさ」
課長代理の井浦が机の上に分厚い紙束をドサリと置く。
安心って何? 信用って何? 人手不足ってつまり“お前がやれ”ってことだろうが。
「……承知しました」
声が出た自分を褒めてやりたい。
「さすがだなあ、神代くん。やっぱ頼れるよ」
笑顔のまま、彼は自席へと戻っていった。
後には、ミユキの机に積み上がる紙の山と、Outlookの予定表にぎっしり詰まった商談と資料作成の地雷原。
(私の魔力がどんどん削れていく気がする……)
いっそこのフロアに魔物でも出てくれたら、とふと思って、ハッと首を振る。
それは本当に洒落にならない。
正午。
昼休みのはずなのに、デスクから離れられなかった。
弁当を買いに行く暇もなく、机の引き出しに常備していたプロテインバーとコンビニの小さな味噌汁で空腹を誤魔化す。
「神代さん、さっきの会議資料、修正しておきました」
田村がそっとUSBを差し出してきた。
彼の顔にはまだ先週の“異変”の余韻が残っていた。あの日、ミユキの魔法で“救われた”彼。記憶の大半は忘れているはずだが、どこか態度が変わった。
「ありがとう。助かる」
「……あの、何か困ったことがあったら、手伝いますから」
「うん。そう言ってもらえるだけで、ちょっと救われるよ」
微笑むと、彼は照れたようにうなずいて自席へ戻った。
(私も、あの子も――“戦ってる”んだ)
会社という名の戦場で。
午後3時。
複合機の前で印刷待ちをしていたとき、それは起こった。
キュウウウン……と異様な駆動音。
出力口から紙が出てきた瞬間、ビリビリと指先に電流のような衝撃が走った。
「……なに、これ……」
ミユキは紙を手に取り、裏表を見た。
印刷内容は普通の商談資料だ。フォントも形式も、問題ない。
だが、用紙から何か“ざらざら”とした波動のようなものが滲んでいる。
(魔力汚染……?)
小さく呟いたその瞬間、背後の空気が変わった。
ピシィ、と空間にひびが入ったような音。
振り返ると、複合機の奥、蛍光灯の真下の空間が、うっすらと“歪んで”いた。
ほんの数秒。
他の社員たちは気づかず、会話を続け、歩き去っていく。
ミユキは素早く腰に忍ばせていたペンダント状の魔法核に触れた。
変身するにはまだ時間がかかる。ここで使うわけにはいかない。
目を凝らすと、歪みの奥に“人型の影”が立っているのが見えた。
ノイズのような存在。まるでコピー機から排出された紙に、自我が宿ったような……。
「……ペーパーフェイスか。最下級の魔物だけど、こういう環境には発生しやすい」
ユリの声が頭の中に響く。
「コピーされた情報に“人間の愚痴や憎しみ”が混ざると、稀に実体化する。
おそらくここは、毎日怒号と疲労が循環する最適な“魔の巣”だな」
「コピー機が異界のゲートとか……どんなブラックジョークよ……」
影がこちらを向いた。
顔は白紙。だが、紙がぐしゃりと歪んで笑っているように見えた。
(やるしかない)
ミユキは静かに深呼吸した。
両手を組んで軽く祈るようなポーズ――これは、非変身状態で行使可能な低出力魔法。
「……反転光(リフレクタライト)」
指先から小さな光が放たれ、複合機の裏手の影を弾いた。
ペーパーフェイスは歪んだ音と共に空間から弾かれ、煙のように消える。
その瞬間、周囲の空気が元に戻った。
プリンターが再びガチャガチャと音を立てて紙を吐き出す。
(ふぅ……ばれずに済んだ)
自席に戻ろうとしたとき、経理部の山吹ナナとすれ違った。
彼女はこちらをちらりと見て、何も言わずにそのまま通り過ぎた。
だが、ミユキの心臓は、一拍遅れて強く脈打った。
(今、見られた……?)
ナナも、かつての戦友だ。
彼女が“気づいていない”はずがない。
午後6時40分。
ようやく退社。疲労はピークだった。
スマホに目をやると、未読のメールが12件、LINEが9件。
ユリからのメッセージもある。
《コピー機の霊的浸食、進行中。社内結界の検討を。》
(は? 私、結界まで張るの?)
スーツの襟を直しながら夜風に当たると、頭が少しだけ冷えた。
思い出すのは、炎の剣を振るった朝の戦闘と、何事もなかったように始まる会議。
(これが、私の“日常”なんだな……)
エレベーターの鏡に映った自分の顔を見て、ふと笑った。
(魔物も仕事も、全部ぶった切って生きるって決めたんだ)
スーツのポケットに触れる。
そこにあるのは、再契約の証――光刃の核。
「明日もまた、戦場だね」
小さく呟いて、彼女はオフィス街の闇に溶け込んでいった。
朝会が終わったばかりの営業三課は、すでに火の海だった。
「神代さん、この案件の提案書、先方の意向とズレてるって。すぐ直しお願いできます?」
「あと、B社の新商品案内メール、今週中にまとめて一括送信してくれる? 既存顧客のフォローも忘れずにね」
「それと、午後イチの商談の前に、このサンプルを3部コピーしてセットしておいてくれる? 課長、来客応対で手が回らないって」
声、声、声。
上からも横からも、矢継ぎ早に飛んでくる指示の雨。
ミユキは資料を抱えたままPCに向かい、複数のファイルを切り替えながら、片手で後輩への指示を出す。もう何が優先順位なのか分からない。
(ああ、魔物の方が単純で分かりやすい……)
そう思ってしまう自分が、どこか悲しかった。
「神代くん、悪いんだけど、今日中にこのリスト全部整理してもらっていい? 課長から“君に任せれば安心だ”って言われてるからさ」
課長代理の井浦が机の上に分厚い紙束をドサリと置く。
安心って何? 信用って何? 人手不足ってつまり“お前がやれ”ってことだろうが。
「……承知しました」
声が出た自分を褒めてやりたい。
「さすがだなあ、神代くん。やっぱ頼れるよ」
笑顔のまま、彼は自席へと戻っていった。
後には、ミユキの机に積み上がる紙の山と、Outlookの予定表にぎっしり詰まった商談と資料作成の地雷原。
(私の魔力がどんどん削れていく気がする……)
いっそこのフロアに魔物でも出てくれたら、とふと思って、ハッと首を振る。
それは本当に洒落にならない。
正午。
昼休みのはずなのに、デスクから離れられなかった。
弁当を買いに行く暇もなく、机の引き出しに常備していたプロテインバーとコンビニの小さな味噌汁で空腹を誤魔化す。
「神代さん、さっきの会議資料、修正しておきました」
田村がそっとUSBを差し出してきた。
彼の顔にはまだ先週の“異変”の余韻が残っていた。あの日、ミユキの魔法で“救われた”彼。記憶の大半は忘れているはずだが、どこか態度が変わった。
「ありがとう。助かる」
「……あの、何か困ったことがあったら、手伝いますから」
「うん。そう言ってもらえるだけで、ちょっと救われるよ」
微笑むと、彼は照れたようにうなずいて自席へ戻った。
(私も、あの子も――“戦ってる”んだ)
会社という名の戦場で。
午後3時。
複合機の前で印刷待ちをしていたとき、それは起こった。
キュウウウン……と異様な駆動音。
出力口から紙が出てきた瞬間、ビリビリと指先に電流のような衝撃が走った。
「……なに、これ……」
ミユキは紙を手に取り、裏表を見た。
印刷内容は普通の商談資料だ。フォントも形式も、問題ない。
だが、用紙から何か“ざらざら”とした波動のようなものが滲んでいる。
(魔力汚染……?)
小さく呟いたその瞬間、背後の空気が変わった。
ピシィ、と空間にひびが入ったような音。
振り返ると、複合機の奥、蛍光灯の真下の空間が、うっすらと“歪んで”いた。
ほんの数秒。
他の社員たちは気づかず、会話を続け、歩き去っていく。
ミユキは素早く腰に忍ばせていたペンダント状の魔法核に触れた。
変身するにはまだ時間がかかる。ここで使うわけにはいかない。
目を凝らすと、歪みの奥に“人型の影”が立っているのが見えた。
ノイズのような存在。まるでコピー機から排出された紙に、自我が宿ったような……。
「……ペーパーフェイスか。最下級の魔物だけど、こういう環境には発生しやすい」
ユリの声が頭の中に響く。
「コピーされた情報に“人間の愚痴や憎しみ”が混ざると、稀に実体化する。
おそらくここは、毎日怒号と疲労が循環する最適な“魔の巣”だな」
「コピー機が異界のゲートとか……どんなブラックジョークよ……」
影がこちらを向いた。
顔は白紙。だが、紙がぐしゃりと歪んで笑っているように見えた。
(やるしかない)
ミユキは静かに深呼吸した。
両手を組んで軽く祈るようなポーズ――これは、非変身状態で行使可能な低出力魔法。
「……反転光(リフレクタライト)」
指先から小さな光が放たれ、複合機の裏手の影を弾いた。
ペーパーフェイスは歪んだ音と共に空間から弾かれ、煙のように消える。
その瞬間、周囲の空気が元に戻った。
プリンターが再びガチャガチャと音を立てて紙を吐き出す。
(ふぅ……ばれずに済んだ)
自席に戻ろうとしたとき、経理部の山吹ナナとすれ違った。
彼女はこちらをちらりと見て、何も言わずにそのまま通り過ぎた。
だが、ミユキの心臓は、一拍遅れて強く脈打った。
(今、見られた……?)
ナナも、かつての戦友だ。
彼女が“気づいていない”はずがない。
午後6時40分。
ようやく退社。疲労はピークだった。
スマホに目をやると、未読のメールが12件、LINEが9件。
ユリからのメッセージもある。
《コピー機の霊的浸食、進行中。社内結界の検討を。》
(は? 私、結界まで張るの?)
スーツの襟を直しながら夜風に当たると、頭が少しだけ冷えた。
思い出すのは、炎の剣を振るった朝の戦闘と、何事もなかったように始まる会議。
(これが、私の“日常”なんだな……)
エレベーターの鏡に映った自分の顔を見て、ふと笑った。
(魔物も仕事も、全部ぶった切って生きるって決めたんだ)
スーツのポケットに触れる。
そこにあるのは、再契約の証――光刃の核。
「明日もまた、戦場だね」
小さく呟いて、彼女はオフィス街の闇に溶け込んでいった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
Chivalry - 異国のサムライ達 -
稲田シンタロウ(SAN値ぜろ!)
ファンタジー
シヴァリー(Chivalry)、それは主に騎士道を指し、時に武士道としても使われる言葉である。騎士道と武士道、両者はどこか似ている。強い精神をその根底に感じる。だが、士道は魔法使いが支配する世界でも通用するのだろうか?
これは魔法というものが絶対的な価値を持つ理不尽な世界で、士道を歩んだ者達の物語であり、その中でもアランという男の生き様に主眼を置いた大器晩成なる物語である。(他サイトとの重複投稿です。また、画像は全て配布サイトの規約に従って使用しています)
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
Husband's secret (夫の秘密)
設楽理沙
ライト文芸
果たして・・
秘密などあったのだろうか!
むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ
10秒~30秒?
何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。
❦ イラストはAI生成画像 自作
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる