真夜中のリグレット ~あやかし骨董店と記憶の器~

naomikoryo

文字の大きさ
5 / 25

第五話『白磁の少女』

しおりを挟む
その日の午後は、珍しく来客もなく、月詠堂には穏やかな時間が流れていた。
時也がいつものように座卓で品物の手入れをしていると、からん、と乾いた音を立てて引き戸が開いた。

現れたのは、有栖川玲だった。

「やあ、月詠くん。近くまで来たから、君の自慢の『コレクション』を拝見したくてね」

彼は、高級な革靴で店の土間に立つと、悪びれもなく、まるで美術館を散策するかのように店内の品物を物色し始めた。
その姿は、この店の静謐な空気とはあまりに不釣り合いだった。
時也が強い警戒心を抱き、無言で彼を睨みつけていると、有栖川の目が、ふと店の奥の畳の間で膝を抱えて座っている小さな姿に留まった。
白磁の君だ。
常人には視えないはずの、おかっぱ頭の少女の姿を、有栖川ははっきりとその目に捉えていた。

時也の全身に、張り詰めた緊張が走る。

「……なるほど。素晴らしい」
有栖川は、うっとりと目を細めた。

「穢れを知らない、純粋な『寂しさ』そのものだ。まるで精巧なガラス細工のようだね。これほどの純度を持つ『ゴースト』は、滅多にお目にかかれるものじゃない。一級品だ」

彼は、白磁の君をアート作品のように値踏みすると、その本体である白磁の徳利に視線を移し、時也に向き直った。
そして、信じられない言葉を、平然と口にした。

「その徳利、僕に売ってくれないか? そうだな、言い値で買おう。僕の顧客に、こういう『純粋な悲劇』をコレクションしている大富豪がいてね。美術品として、最高の環境で、特注のガラスケースに入れて展示してくれるそうだよ。誰にも邪魔されず、永遠にその悲しみを保てる。彼女も、その方が幸せだろう?」

◆◇◆

「彼女は家族だ。売り物じゃない」

時也の声は、静かだったが、店の空気を凍てつかせるほど冷たく響いた。
傍らで聞いていた琥珀は扇子を持つ手を止め、奥で瞑想していた玄翁は固く目を閉じたまま、その眉間に深い皺を刻んだ。

「家族? 物が?」
有栖川は、心底おかしそうに喉を鳴らして笑った。

「いつまでも、そんな古臭いままごとを続けているつもりかい? まあ、いいさ。君が売らないなら、僕なりのやり方で『交渉』させてもらうだけだ」

彼はそう言うと、挑発的な笑みを浮かべて、嵐のように去っていった。

その不気味な予言は、数日後に現実のものとなった。
月詠堂に、区役所の文化財保護課の役人を名乗る、二人の男たちが現れたのだ。
彼らは、月詠堂が所蔵する品の中に、過去に盗難届が出された文化財が紛れている可能性がある、と高圧的に告げた。
そして、数ある品物の中から、まるで当たりをつけたかのように、白磁の徳利の来歴について執拗に問い詰め始めた。

有栖川の策略だ。時也はすぐに理解した。
彼は白磁の君の来歴をその能力で調べ上げ、元々所有していた武家の没落した子孫を探し出したのだ。
そして、金で唆し、「先祖代々の家宝が不当に奪われた」と行政に訴えさせたのだ。
法的に所有権を主張させ、月詠堂から合法的に徳利を差し押さえる。
それが彼の言っていた『交渉』だった。

◆◇◆

時也は、祖父が徳利を不当に得たわけではないと確信していた。
だが、祖父が蔵の中から彼女を見つけ出し、月詠堂に連れて帰ったのは随分と昔のことで、正式な譲渡書類などあるはずもなかった。
法律という人間社会のルールの上では、元所有者の子孫の主張が通れば、白磁の君を奪われてしまう可能性は、高かった。
追い詰められていく時也を、あやかしたちは固唾を飲んで見守っていた。

「…いっそのこと、あの子を連れてどこかへ逃げるかい?」
琥珀が、普段の軽口を忘れて、真剣な顔で言った。

「所有権など知るか! ワシらの手で、あの役人どもを叩き出してやれ!」
玄翁は、怒りでその巨体をわなわなと震わせている。

だが、一番の問題は、白磁の君自身に起きていた。
外部からの所有権の主張と、「自分は盗品なのかもしれない」という不安。
そして何より、「自分のせいで、主様が迷惑をこうむっている」という思い。
それらが、彼女の存在意義そのものを、根底から揺るがしていた。

顕現した姿が、陽炎のように透け、時折、ふっと消え入りそうになる。
彼女は、これ以上時也の重荷になるくらいなら、と、自らその存在を消してしまおうとさえしていた。

◆◇◆

その夜。
時也は、ほとんど消えかかっている白磁の君の前に、静かに座った。
そして、彼女の本体である白磁の徳利を、両手で優しく包み込むように手に取った。

「君の居場所は、どこかの美術館の、冷たいガラスケースの中じゃない。ここだ」

時也は、迷いのない声で、はっきりと語りかける。
そして、彼は彼女の記憶の奥深くへと、意識を潜らせた。
一人寂しく、誰にも看取られず、蔵の暗闇の中で死んでいった、元の持ち主の少女の記憶。
その絶望と孤独。
そして、数十年後。
蔵が解体される際に、埃をかぶった徳利を、時也の祖父が見つけ出した日の記憶。

『――可哀想に。お前はずっと、一人で寂しかったんだな』
祖父は、徳利に宿ったか細い魂に、そう語りかけた。
『これからは、お前は一人じゃない。ワシの家に来い。寂しい奴らが、たくさんいるからな』

時也は、その記憶を、想いを、今の白磁の君に、そして自分自身に、強く、強く言い聞かせた。

「あんたの『寂しい』って想いは、あんただけのものだ。誰にも渡すな。あんたが生きた証だ。そして、その寂しさを知っている俺たちが、これからもずっと、そばにいる」

時也の絶対的な肯定の想い。
それは、所有権だとか、法律だとか、金だとか、そんなものを全て超越した、魂と魂の約束だった。

その想いに呼応するように、消えかけていた白磁の君の姿が、ゆっくりと、しかし確実に輪郭を取り戻していく。

◆◇◆

後日。

再び月詠堂を訪れた役人たちの前で、時也は静かに語り始めた。

「この品は、法や金で量れるものではありません。これは、ここに在るべき魂なのです」

彼は、白磁の君の悲しい過去と、彼女が月詠堂の『家族』である理由を、ただ、静かに語って聞かせた。
その気迫と、時也の語る物語の持つ不思議な説得力に、役人たちはただ気圧され、何も言えずに引き下がっていった。
その背後のガラス戸の向こうに、面白くなさそうに舌打ちをする有栖川玲の姿が見えた気がした。

嵐が去った月詠堂。
時也の傍らで、白磁の君は、ただ黙って、しかし、これまでになくしっかりとした輪郭で座っている。
時也が淹れた温かいお茶の湯気を、彼女は嬉しそうに、小さな両手で包み込んでいた。

時也は、有栖川との戦いが、まだ始まったばかりであることを静かに悟るのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

人間嫌いの狐王に、契約妻として嫁いだら溺愛が止まりません

由香
ファンタジー
人間嫌いで知られる狐族の王・玄耀に、“契約上の妻”として嫁いだ少女・紗夜。 「感情は不要。契約が終われば離縁だ」 そう告げられたはずなのに、共に暮らすうち、冷酷な王は彼女だけに甘さを隠さなくなっていく。 やがて結ばれる“番”の契約、そして王妃宣言――。 契約結婚から始まる、人外王の溺愛が止まらない和風あやかし恋愛譚。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】あやかし団地 管理人見習い日誌

双月ねむる
キャラ文芸
就活全滅で「自分には社会性がない」と思い込む凛は、遠縁の親戚に紹介され、昭和レトロな巨大団地・さくらヶ丘第一団地の『管理人見習い』として住み込みで働くことに。しかしその団地には、中庭の「靴鳴らし」、エレベーター表示盤に棲む狐など、団地限定あやかし達が当たり前のように暮らしていた。 最初は逃げ腰の凛だったが、すねた空き部屋や、ベランダの風鈴が告げるSOSなど、人とあやかしのトラブルに巻き込まれながら、少しずつ『共同体』に関わる勇気を取り戻していく。

処理中です...