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第5話:ミルクティーと愛した者たち
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ミルクティーの香りは、どうしてこんなにも「記憶」に似ているのだろう。
それは、子ども時代の午後のように、
恋人に淹れた朝のように、
あるいは、最期の別れに飲んだ一杯のように。
ツキミは、鍋で温めたミルクに茶葉をゆっくりと沈めながら、ふと思う。
シズカが店に来るようになって、確実に「この場所」が変わった。
彼女の語る“死”は、作り話には聞こえなかった。そして、誰もがその話に「関係がある」ように思えてくる。
偶然か、必然か──
その区別が曖昧になるほどに、ティールームには死者の気配が濃くなってきている。
今夜も0時を回ると、カラン……と鈴が鳴った。
現れたのは、ユキナ。
頬はほんの少し紅潮し、目元には疲労の影。そしてその背後から、もう一つの気配が続く。
黒い喪服。
いつものシズカだ。
だがツキミは気づいた。
──今夜のシズカの喪服は、少しだけ違っていた。
光沢のあるリボンの飾りが、いつもの襟元に足されている。黒の中に、ほんのわずかに浮かぶ銀の糸。
「こんばんは。今日はミルクティーを。甘く、優しく、でも、ほんの少しだけ苦味を残して」
「かしこまりました」
ツキミはふたりの分の紅茶を用意しながら、鍋の前で呼吸を整える。
今夜は、何かが“違う”。
そう感じていた。
カップをテーブルに置いた瞬間、ユキナがぽつりと呟いた。
「シズカさん……私、たぶん、今日刺されるかもしれません」
その言葉に、ツキミは茶さじを落としそうになった。
だが、シズカは驚く様子も見せず、ただ優雅にカップに口をつける。
「……どうしてそう思うの?」
「実は……先週、元彼が家に来たんです。別れて1年経ってるのに、いまだに合鍵を持ってて。合鍵を返せって言ってるのに、言い訳ばかりして返してくれない」
「警察には?」
「相談したけど、“実害がない限り動けない”って。でも、昨日の夜、うちの前に立ってたんです。2時間も。何もせずに。ただ、じっと」
その声は震えていた。
「今日、会社帰りに“君を許さない”ってメールが来ました。番号も変えてたのに、どうして知ってるのか……」
ツキミはすぐにスマホを取り出し、最寄りの警察署の番号を検索しようとした。
だが、シズカがすっと手を伸ばし、彼女の手をそっと止めた。
「大丈夫。今日は何も起きないわ」
「え……?」
「彼は、あなたを刺すつもりだった。でも──彼はもう、あなたを殺せない」
ユキナは言葉を失った。
「さっき、あなたがこのティールームに入った瞬間、彼はあなたの部屋に入った。だが、あなたの机の上には、あなたが書いた“遺書”が置かれていた」
「……え?」
「その遺書は偽物。でも、それを読んだ彼は、あなたの死を“自分のせいだ”と思い込み、自分を刺したわ」
ツキミはすぐにスマホを開いた。
ニュース速報が表示されている。
《○○区マンションで刺傷事件 男性、自宅で自らを刺し意識不明》
その場所──まさに、ユキナの住んでいるマンションの名が記されていた。
「……どうして……遺書なんて、私は書いてない……!」
「いいえ。あなたは“書いた”のよ、心の中で。あなたは彼の支配から逃れたいと、何度も思っていた。その想いが、形になったの。──言霊のように、強く、鋭く、相手に届いたの」
ユキナは唇を噛み、手で顔を覆った。
感情が、安堵と恐怖と後悔の渦となって胸を打つ。
「あなたは、もう自由よ。けれど、覚えていて」
シズカは静かに言う。
「あなたが彼に刺されなかったのは、偶然じゃない。あなたが“もう、愛していない”と強く決意したから」
──愛。
その言葉は、ミルクティーのように優しく、そして残酷だった。
***
店を出る前、ユキナはシズカに訊いた。
「ねえ、どうして私を助けたんですか? あなただって、私の罪を知ってるはずなのに」
「罪の重さと、生きる資格は、別よ。死は誰にでも訪れる。でも、生き直せるのは、“今を選ぶ者”だけ」
「……あなた、本当に人間ですか?」
「さあ、どうかしらね」
そう言って、シズカはカップを置いた。
琥珀色の液体が、底にわずかに残っている。
その残り香は、まるで“過去”を悼む涙のようだった。
***
夜が更け、ツキミがカウンターを拭いていると、シズカがぽつりと呟いた。
「あなた、最近よく“夢”を見るようになったでしょう?」
「……ええ、そうですね。妙にリアルで、昔のことを思い出すような夢です」
「それ、“誰か”が呼んでるのよ」
「誰か?」
「まだ、あなた自身も気づいていない死がある。その死が、あなたの紅茶を待ってる」
ツキミは、ふと手を止めた。
彼女自身の“死にまつわる記憶”──
まだ、明確には思い出せない。けれど、どこか奥底で疼くような何かがある。
「私の死……ですか?」
「いずれ、語る時がくる。その時、私は喪服を脱ぐことになるかもしれない」
そして、シズカは今日もまた、静かに闇へと溶けていった。
夜が、ひとつ、深くなった。
それは、子ども時代の午後のように、
恋人に淹れた朝のように、
あるいは、最期の別れに飲んだ一杯のように。
ツキミは、鍋で温めたミルクに茶葉をゆっくりと沈めながら、ふと思う。
シズカが店に来るようになって、確実に「この場所」が変わった。
彼女の語る“死”は、作り話には聞こえなかった。そして、誰もがその話に「関係がある」ように思えてくる。
偶然か、必然か──
その区別が曖昧になるほどに、ティールームには死者の気配が濃くなってきている。
今夜も0時を回ると、カラン……と鈴が鳴った。
現れたのは、ユキナ。
頬はほんの少し紅潮し、目元には疲労の影。そしてその背後から、もう一つの気配が続く。
黒い喪服。
いつものシズカだ。
だがツキミは気づいた。
──今夜のシズカの喪服は、少しだけ違っていた。
光沢のあるリボンの飾りが、いつもの襟元に足されている。黒の中に、ほんのわずかに浮かぶ銀の糸。
「こんばんは。今日はミルクティーを。甘く、優しく、でも、ほんの少しだけ苦味を残して」
「かしこまりました」
ツキミはふたりの分の紅茶を用意しながら、鍋の前で呼吸を整える。
今夜は、何かが“違う”。
そう感じていた。
カップをテーブルに置いた瞬間、ユキナがぽつりと呟いた。
「シズカさん……私、たぶん、今日刺されるかもしれません」
その言葉に、ツキミは茶さじを落としそうになった。
だが、シズカは驚く様子も見せず、ただ優雅にカップに口をつける。
「……どうしてそう思うの?」
「実は……先週、元彼が家に来たんです。別れて1年経ってるのに、いまだに合鍵を持ってて。合鍵を返せって言ってるのに、言い訳ばかりして返してくれない」
「警察には?」
「相談したけど、“実害がない限り動けない”って。でも、昨日の夜、うちの前に立ってたんです。2時間も。何もせずに。ただ、じっと」
その声は震えていた。
「今日、会社帰りに“君を許さない”ってメールが来ました。番号も変えてたのに、どうして知ってるのか……」
ツキミはすぐにスマホを取り出し、最寄りの警察署の番号を検索しようとした。
だが、シズカがすっと手を伸ばし、彼女の手をそっと止めた。
「大丈夫。今日は何も起きないわ」
「え……?」
「彼は、あなたを刺すつもりだった。でも──彼はもう、あなたを殺せない」
ユキナは言葉を失った。
「さっき、あなたがこのティールームに入った瞬間、彼はあなたの部屋に入った。だが、あなたの机の上には、あなたが書いた“遺書”が置かれていた」
「……え?」
「その遺書は偽物。でも、それを読んだ彼は、あなたの死を“自分のせいだ”と思い込み、自分を刺したわ」
ツキミはすぐにスマホを開いた。
ニュース速報が表示されている。
《○○区マンションで刺傷事件 男性、自宅で自らを刺し意識不明》
その場所──まさに、ユキナの住んでいるマンションの名が記されていた。
「……どうして……遺書なんて、私は書いてない……!」
「いいえ。あなたは“書いた”のよ、心の中で。あなたは彼の支配から逃れたいと、何度も思っていた。その想いが、形になったの。──言霊のように、強く、鋭く、相手に届いたの」
ユキナは唇を噛み、手で顔を覆った。
感情が、安堵と恐怖と後悔の渦となって胸を打つ。
「あなたは、もう自由よ。けれど、覚えていて」
シズカは静かに言う。
「あなたが彼に刺されなかったのは、偶然じゃない。あなたが“もう、愛していない”と強く決意したから」
──愛。
その言葉は、ミルクティーのように優しく、そして残酷だった。
***
店を出る前、ユキナはシズカに訊いた。
「ねえ、どうして私を助けたんですか? あなただって、私の罪を知ってるはずなのに」
「罪の重さと、生きる資格は、別よ。死は誰にでも訪れる。でも、生き直せるのは、“今を選ぶ者”だけ」
「……あなた、本当に人間ですか?」
「さあ、どうかしらね」
そう言って、シズカはカップを置いた。
琥珀色の液体が、底にわずかに残っている。
その残り香は、まるで“過去”を悼む涙のようだった。
***
夜が更け、ツキミがカウンターを拭いていると、シズカがぽつりと呟いた。
「あなた、最近よく“夢”を見るようになったでしょう?」
「……ええ、そうですね。妙にリアルで、昔のことを思い出すような夢です」
「それ、“誰か”が呼んでるのよ」
「誰か?」
「まだ、あなた自身も気づいていない死がある。その死が、あなたの紅茶を待ってる」
ツキミは、ふと手を止めた。
彼女自身の“死にまつわる記憶”──
まだ、明確には思い出せない。けれど、どこか奥底で疼くような何かがある。
「私の死……ですか?」
「いずれ、語る時がくる。その時、私は喪服を脱ぐことになるかもしれない」
そして、シズカは今日もまた、静かに闇へと溶けていった。
夜が、ひとつ、深くなった。
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