喪服の女と深夜のティールーム

naomikoryo

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第7話:ローズヒップと記憶の棺

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その日、ユキナはいつもと違う時間に月影庵の扉を開けた。

 午前11時。太陽の光が街路樹を照らし、葉の影が路地裏の壁に落ちている。
 ティールームの看板は出ていないが、扉の鍵は開いていた。

 ユキナはそっと入ると、奥で仕込み中のツキミが驚いた顔を向けた。

 「……ユキナさん? どうしたんですか、こんな時間に」

 「ごめんなさい、急に……でも、どうしても話したいことがあって」

 ツキミは戸惑いながらも「座っててください」と言い、茶葉の棚の前へ。
 香りが明るく、酸味のあるローズヒップを選び、ポットに湯を注いだ。

 「今のユキナさんには、この香りがちょうどいい気がしました」

 ユキナは、手帳を取り出してテーブルに広げる。
 中には、切り抜いた新聞記事、役所の情報、そしてある死亡届のコピーがあった。

 「ツキミさん……私、調べたんです。“シズカ”という名前の女性を」

 ツキミは、ローズヒップの紅茶を運びながら、息を呑んだ。

 

***

 

 数日前──ユキナは、自分を救ってくれた“あの夜”から、妙な違和感を拭えなかった。
 シズカの語る死は、どうしてあんなにも現実と重なるのか。
 どうして、彼女の予言のような言葉が、そのまま事件として起こるのか。

 好奇心──ではなく、責任感だった。
 あの夜、自分が“死ななかった”のは、シズカのおかげ。
 でもそれならば、彼女の正体を突き止めることが、自分にできる最初の恩返しだと思った。

 

 役所に、**「御影静(みかげ・しずか)」**という名の人物がいた。

 死亡届の提出日は、7年前の春。
 死亡原因は不明。ただ、備考欄に「全焼した民家から発見、身元は状況証拠による」とあった。

 「全焼……」
 ユキナはその言葉で、ある記憶を思い出した。

 ──ツキミの過去に、火事で親しい誰かを亡くしたという噂があったこと。

 その火事と、御影静という名前。
 そして、今も夜な夜な「喪服」で店に現れる女。
 繋がりは偶然にしては、あまりにも強すぎる。

 ユキナは、静の名前をSNSやネットアーカイブで検索し、かつての勤務先らしき病院にたどり着いた。
 そこには、かつて“緩和ケア専門の看護師”として勤務していた御影静の記録が残っていた。

 写真こそ残っていなかったが、経歴は整然としていた。
 7年前、火災によって死亡──その後、職員の間で「彼女はまだあの夜勤室にいる」と語られるようになったという匿名の書き込みさえも。

 

***

 

 「……これがその死亡届です。印鑑も、提出者の名前も本物です。
 だけど、ツキミさん。私、確信してる。あの人は、確かにこの“静”さんなんだと思う」

 テーブルの上に置かれた書類に、ツキミは震える指で触れる。

 「……見覚えが、あります。私……この名前、知ってる」

 その声は、胸の奥から無理やり絞り出すように、かすれていた。

 「私は……この“静さん”に紅茶を教わったんです。
 彼女は、余命宣告を受けた患者さんたちの心を癒すために、いつも自分でブレンドしたハーブティーを持っていて……その香りや色で、人の“最後の味覚”を大事にするような人だった。
 ──優しくて、でも芯が強くて、いつも誰かの“死”を怖がらずに見つめていた」

 ツキミの目から、一滴、涙がこぼれた。

 「彼女が死んだと聞いたとき、私は……信じられなかった。
 でも、もし生きてるなら、なぜ……なぜ、名乗らずに、喪服なんか着て……」

 「“死んだふり”をしたって、以前シズカさんが言ってました。
 きっと、誰かを守るためだって」

 ツキミは息を呑む。

 ──あの火事の直前、静が誰かと電話していた姿。
 焦ったように「これで全部終わる」と言った声。
 今なら、わかる。

 あの火事は、事故ではなかった。
 彼女は誰かの秘密、あるいは命を守るために“死んだこと”にした。

 そして──夜になると、喪服をまとって、死者として生きている。

 

***

 

 その夜。

 月影庵に、シズカは現れなかった。

 深夜0時を過ぎても、鈴は鳴らない。
 ツキミは紅茶を準備したまま、ただカウンターの奥でそのまま座っていた。

 「シズカさん……いえ、静さん。
 もし、あなたが今もこの世界のどこかで生きていて、
 “死者のふり”をして、誰かを救っているのだとしたら──」

 ツキミは、あの味を思い出していた。

 彼女がいつも淹れてくれた、甘くてすっぱくて、体の奥に染みるようなブレンドティー。

 ──ローズヒップと、リンデンと、少しだけペパーミント。

 その香りが、店に漂った気がした。

 彼女が、今もこの場所を見ている気がした。

 

 静の「死」は、確かに届出としては存在する。
 けれど、「記憶の棺」の中で、彼女はまだ生きている。

 そして、喪服のまま、語るべき“死”を抱えて、月影庵に現れ続けている。

 

***

 

 ツキミは最後に、冷めかけたカップの紅茶を見つめて言った。

 「今夜は……あなたのために淹れました。
 ローズヒップの香り、届いていますか?」

 返事はない。
 けれど、ガラスの外を吹き抜けた風が、
 まるで「ありがとう」と言っているようだった。
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