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第五話:巫女の休日と、見えない人形たち
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その日、鵺乃杜神社には、朝から小学生の集団がやってきた。
町の郊外にある小さな学校の、郷土学習。神社の歴史を学ぶという名目での遠足らしかった。
十数人の子どもたちと、引率の教師が二人。
境内の隅で、見慣れない観光用のパンフレットを広げているのは、教育委員会が作った「観光資源化」の成果らしい。
普段は霊感女子やネットのオカルト好きを呼び寄せるこの社にも、ついに表の光が当たり始めた、ということだろうか。
「すみませーん、今日のご案内をお願いしたいのですが……五寸釘さんで、よろしかったでしょうか……?」
社務所に現れた教師の声に、廊下の奥からのそりと現れた影。
黒髪に真っ白な顔。前髪でほとんど表情が見えないが、声の調子はいつも通り、間の抜けたような柔らかさだった。
「はぁ~い、わたくし、五寸釘零子と申しますぅ~。巫女のくせに人見知りぃ~ですが、よろしくおねがいしまぁす~……」
教師は一瞬たじろいだが、すぐに作り笑顔を取り戻した。
(変わった人ね……まぁ、田舎にはよくいるタイプか)
境内の案内は、思ったよりもスムーズに進んだ。
子どもたちは、零子の不思議な話し方や、境内の動植物のうんちくに興味津々だった。
何より、本人がまったく威圧感を与えず、むしろ妙に親しみやすい雰囲気を纏っている。
まるで子どもと同じ“世界”にいるような自然さだった。
「この木、どうして真っすぐじゃないの?」
境内の片隅、大きく曲がって成長した老木を見て、男の子が質問した。
「この木はね~、“人の念”を吸って曲がったのよぉ~」
「えぇ~、なんそれ! 怖い!」
「大丈夫よぉ~。怖い人の“怖い心”しか吸わないからぁ~。君たちのは甘くて美味しいの~♪」
「えっ、食べるの!?」
「ふふふぅ~。……でも、甘い呪いほど、根が深いのよ~」
一瞬、空気が変わった。
子どもたちは気づかない。
だが、引率の教師は、どこか冷や汗をかいていた。
(今、冗談に聞こえなかった)
◆
その後、子どもたちは各自で自由に境内を散策する時間となった。
問題が起きたのは、そのときだった。
一人の男の子――春斗(はると)が、ふと神社の裏手へ足を向けた。
誰もいない。
ざわざわと木の葉が鳴り、風が吹いていく。
すると、春斗の目に、奇妙なものが映った。
――木に、なにか刺さっている。
人形? 草? 違う。
藁だ。
藁でできた……小さな、ヒトガタ。
それが、何本もの五寸釘で、木に打ち付けられている。
何十、何百という数。
「……なに、これ」
目を凝らす。
すると、その“人形の森”の中で、誰かがこっちを見ていた。
白い顔。
黒い髪。
一本だけ、まっすぐに刺した釘を手にした女。
動けなかった。
声も出なかった。
――そのとき。
「だ~めぇ~」
零子の声が、背後から響いた。
ふわりと現れたその姿は、普段のふにゃふにゃした巫女姿ではなく、結界の衣を纏った“巫女の本気”だった。
高く結った髪。
白い装束。
目が、春斗を射抜くように光っていた。
「ここは“見ちゃいけない世界”なの。君が入るには、まだ早い」
「……」
「でも、君は見ちゃったんだねぇ……うーん……うーん……」
零子はしゃがみこんで、春斗と同じ目線になった。
「ねえ、春斗くん。誰かのこと、すごく怒ってたりしない?」
「……うん」
「そっかぁ……言葉にできない怒りってさ、心の奥で燃え続けるの。ちょうど、ここみたいに」
零子は、結界の奥をちらりと見る。
「でもね、怒りは、誰かを壊すためにあるんじゃなくて、“自分が壊れる前に叫ぶ”ためにあるんだよ」
「……叫んで、いいの?」
「いいよ。叫んで、泣いて、殴りたくなったら、私に手を貸して。ここなら、誰も君を責めないから」
春斗は、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「……お母さん、僕のこと、いらないって言った」
零子の目が、ふっと細くなる。
「それは、君のせいじゃない」
「でも、僕がいたから、離婚したって……」
「それでも、君はここにいる。君が“ここにいる”ことは、誰にも否定できない。……呪いたいって思ったこと、ある?」
「……ある」
「正直で、いい子」
零子は、ぽんと春斗の頭を撫でた。
「呪いたいと思った君を、私は責めない。ここは、そういう人のためにある場所だから」
そう言って、彼女は目を細めて微笑んだ。
「でもね、いつか分かるよ。呪いたい相手なんて、君の人生には、たいして意味ないってこと」
春斗は、涙をこらえて頷いた。
◆
境内に戻った春斗は、引率の教師にも、何も言わなかった。
零子も、「迷子になっただけですぅ~」と笑って誤魔化した。
けれど、その夜。
春斗は、母親の部屋の前に立って、小さくこう言った。
「……僕、怒ってるんだよ」
母親は最初驚いたが、やがて涙ぐみ、春斗を抱きしめた。
誰かが誰かを、呪いたくなるほど傷つけたとき。
その痛みの在処を、そっと指差してくれる誰かがいる。
それだけで、人は救われることもある。
五寸釘零子は、その夜、久々に冷えた甘酒を啜りながら、空を見上げていた。
カラクリが膝に乗って、尻尾を揺らしている。
「……春斗くん、見ちゃったねぇ……」
猫が「ふにゃ」と鳴いた。
「結界が少し緩んでる。誰かが……触れてる?」
夜の神社。
風が止む。
月が雲に隠れた瞬間、境内の奥――呪詛の森から、一体の藁人形が、自然に木から剥がれ落ちた。
誰が呪ったのか、わからない。
だがその形は、どこか、「巫女」の姿に似ていた。
(続く)
町の郊外にある小さな学校の、郷土学習。神社の歴史を学ぶという名目での遠足らしかった。
十数人の子どもたちと、引率の教師が二人。
境内の隅で、見慣れない観光用のパンフレットを広げているのは、教育委員会が作った「観光資源化」の成果らしい。
普段は霊感女子やネットのオカルト好きを呼び寄せるこの社にも、ついに表の光が当たり始めた、ということだろうか。
「すみませーん、今日のご案内をお願いしたいのですが……五寸釘さんで、よろしかったでしょうか……?」
社務所に現れた教師の声に、廊下の奥からのそりと現れた影。
黒髪に真っ白な顔。前髪でほとんど表情が見えないが、声の調子はいつも通り、間の抜けたような柔らかさだった。
「はぁ~い、わたくし、五寸釘零子と申しますぅ~。巫女のくせに人見知りぃ~ですが、よろしくおねがいしまぁす~……」
教師は一瞬たじろいだが、すぐに作り笑顔を取り戻した。
(変わった人ね……まぁ、田舎にはよくいるタイプか)
境内の案内は、思ったよりもスムーズに進んだ。
子どもたちは、零子の不思議な話し方や、境内の動植物のうんちくに興味津々だった。
何より、本人がまったく威圧感を与えず、むしろ妙に親しみやすい雰囲気を纏っている。
まるで子どもと同じ“世界”にいるような自然さだった。
「この木、どうして真っすぐじゃないの?」
境内の片隅、大きく曲がって成長した老木を見て、男の子が質問した。
「この木はね~、“人の念”を吸って曲がったのよぉ~」
「えぇ~、なんそれ! 怖い!」
「大丈夫よぉ~。怖い人の“怖い心”しか吸わないからぁ~。君たちのは甘くて美味しいの~♪」
「えっ、食べるの!?」
「ふふふぅ~。……でも、甘い呪いほど、根が深いのよ~」
一瞬、空気が変わった。
子どもたちは気づかない。
だが、引率の教師は、どこか冷や汗をかいていた。
(今、冗談に聞こえなかった)
◆
その後、子どもたちは各自で自由に境内を散策する時間となった。
問題が起きたのは、そのときだった。
一人の男の子――春斗(はると)が、ふと神社の裏手へ足を向けた。
誰もいない。
ざわざわと木の葉が鳴り、風が吹いていく。
すると、春斗の目に、奇妙なものが映った。
――木に、なにか刺さっている。
人形? 草? 違う。
藁だ。
藁でできた……小さな、ヒトガタ。
それが、何本もの五寸釘で、木に打ち付けられている。
何十、何百という数。
「……なに、これ」
目を凝らす。
すると、その“人形の森”の中で、誰かがこっちを見ていた。
白い顔。
黒い髪。
一本だけ、まっすぐに刺した釘を手にした女。
動けなかった。
声も出なかった。
――そのとき。
「だ~めぇ~」
零子の声が、背後から響いた。
ふわりと現れたその姿は、普段のふにゃふにゃした巫女姿ではなく、結界の衣を纏った“巫女の本気”だった。
高く結った髪。
白い装束。
目が、春斗を射抜くように光っていた。
「ここは“見ちゃいけない世界”なの。君が入るには、まだ早い」
「……」
「でも、君は見ちゃったんだねぇ……うーん……うーん……」
零子はしゃがみこんで、春斗と同じ目線になった。
「ねえ、春斗くん。誰かのこと、すごく怒ってたりしない?」
「……うん」
「そっかぁ……言葉にできない怒りってさ、心の奥で燃え続けるの。ちょうど、ここみたいに」
零子は、結界の奥をちらりと見る。
「でもね、怒りは、誰かを壊すためにあるんじゃなくて、“自分が壊れる前に叫ぶ”ためにあるんだよ」
「……叫んで、いいの?」
「いいよ。叫んで、泣いて、殴りたくなったら、私に手を貸して。ここなら、誰も君を責めないから」
春斗は、しばらく黙っていたが、やがてぽつりと口を開いた。
「……お母さん、僕のこと、いらないって言った」
零子の目が、ふっと細くなる。
「それは、君のせいじゃない」
「でも、僕がいたから、離婚したって……」
「それでも、君はここにいる。君が“ここにいる”ことは、誰にも否定できない。……呪いたいって思ったこと、ある?」
「……ある」
「正直で、いい子」
零子は、ぽんと春斗の頭を撫でた。
「呪いたいと思った君を、私は責めない。ここは、そういう人のためにある場所だから」
そう言って、彼女は目を細めて微笑んだ。
「でもね、いつか分かるよ。呪いたい相手なんて、君の人生には、たいして意味ないってこと」
春斗は、涙をこらえて頷いた。
◆
境内に戻った春斗は、引率の教師にも、何も言わなかった。
零子も、「迷子になっただけですぅ~」と笑って誤魔化した。
けれど、その夜。
春斗は、母親の部屋の前に立って、小さくこう言った。
「……僕、怒ってるんだよ」
母親は最初驚いたが、やがて涙ぐみ、春斗を抱きしめた。
誰かが誰かを、呪いたくなるほど傷つけたとき。
その痛みの在処を、そっと指差してくれる誰かがいる。
それだけで、人は救われることもある。
五寸釘零子は、その夜、久々に冷えた甘酒を啜りながら、空を見上げていた。
カラクリが膝に乗って、尻尾を揺らしている。
「……春斗くん、見ちゃったねぇ……」
猫が「ふにゃ」と鳴いた。
「結界が少し緩んでる。誰かが……触れてる?」
夜の神社。
風が止む。
月が雲に隠れた瞬間、境内の奥――呪詛の森から、一体の藁人形が、自然に木から剥がれ落ちた。
誰が呪ったのか、わからない。
だがその形は、どこか、「巫女」の姿に似ていた。
(続く)
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