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第七話:神社を焼いた女
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夜の結界に、ふたつの影が対峙していた。
一方は、五寸釘零子。
神社に棲む呪詛の器。
今や、“人”と“人外”の境界を越えて、呪いを受け入れ続ける者。
高く結った髪。
真白の装束。
手には黒い釘。
目は、燃えるように鋭い。
もう一方は、“かつての零子”。
前髪で顔を隠し、顔のない“影”。
彼女もまた、巫女装束に身を包み、手に赤い釘を握っている。
「ずいぶん、立派になったじゃない。零子」
低く、ねっとりとした声。
零子の口調に似ている。
だが、そこには深い嘲りと、痛ましい執着がこびりついていた。
「……あなたは、私じゃない」
「いいえ、私は“あなたそのもの”よ」
影の巫女が一歩近づく。
足音と共に、地面が腐食したように黒く染まっていく。
「十年前。お父さんを焼いたのは、誰?」
「……!」
「思い出した? あの日、あなたが願ったこと。
“もう、誰にも呪われたくない”“もう、誰も、私を巫女にしないで”って」
零子の指が、釘を強く握りしめる。
「……私が、火を出したの?」
「違うわ。あなたは“願った”だけ。火を点けたのは――私」
影の巫女が、藁人形を取り出す。
それは、五寸釘奏一の顔を模したものだった。
「お父さんは、あんたを“ただの娘”に戻そうとした。呪いを封じ、器としての記憶を消そうとした。
だから私は、それを拒んだ。私は“呪い”として、生きたかった」
零子の目が、苦悶に揺れる。
(あの夜、父が言っていた。
『戻れ、零子……お前は人間だ』――)
でも、あれは父にとっての願いであって、自分のものではなかった。
父は“呪いから救う”ことを選び、
影の零子は“呪いと共に生きる”ことを選び、
そして本物の零子は――選べなかった。
「あなたは、ここでずっと“他人の呪い”を引き受けてきた。
でも私は、自分の呪いを選ぶ。
私は、私のままで、世界を呪いたい。
零子、あんたが捨てた私の命を、返してもらうよ」
影の巫女が、赤い釘を振り上げる。
その背後で、呪詛の森がざわついた。
木々が軋み、
幹に打ち込まれた藁人形が、一斉に呻く。
まるで、神社そのものが警鐘を鳴らしているかのようだった。
零子は、前に出た。
「あなたが望んだものは、私も一度は求めた。
でも、もう違う。私は、“呪う存在”じゃない。“呪われてる人間の、最後の一歩”でいたいの」
「綺麗事だよ。そんなことしても、何も変わらない」
「変わるわよ。……だって、誰にも見つけてもらえなかった私を、
“見つけようとしてくれる人”が、この世に一人でもいたら、それで変わるの」
そう言って、零子は左手に人形を取り出す。
それは、影の零子自身の形をしたものだった。
「あなたを封じる。私自身の、影の呪いとして」
「ふざけんな……私を“封じる”? 私を殺す気か!」
「違う。あなたを、終わらせるの」
釘が、風を裂いた。
零子が、赤黒い鉄の五寸釘を、その人形に向けて――打ち込んだ。
――ギィンッッ!
不自然なほどに高く、鋭い金属音が響いた。
影の巫女の体が裂け、黒い霧となって吹き飛ぶ。
叫び声が、森全体を震わせる。
零子の足元に、裂けた結界の亀裂が走り、古木が一本、根元から崩れ落ちる。
◆
夜が明けた。
神社は、静寂を取り戻していた。
呪詛の森の一角――封印が強化された区域には、誰も入れない。
ただ、境内の空気が以前より澄んでいることに、巴は気づいていた。
社務所で、巴と零子が向き合う。
母は娘に訊いた。
「終わったの?」
「いいえ」
「……」
「呪いは、誰かが止めるまで続くもの。
私は、止める役でも、叶える役でもない。
ただ、その“途中”で、誰かと話すためにいるのよ」
巴は、そっと目を細めた。
「……それで、いいの?」
「うん。だって、私がそう決めたから」
風が、神社の庭を通り抜ける。
その風に、何かが混じっていた。
子どもの声。
女のすすり泣き。
男のうめき。
たくさんの、呪われた者たちの声。
それでも、零子の目は穏やかだった。
自分の呪いに、場所を与えた者だけが、
“誰かの呪い”に触れても、壊れずにいられる。
その夜、呪詛の森に打ち込まれていた無数の藁人形のうち、一本だけ、釘を抜かれた人形が、風に吹かれて落ちた。
それは、十年前に打ち込まれた、“五寸釘奏一”の人形だった。
(続く)
一方は、五寸釘零子。
神社に棲む呪詛の器。
今や、“人”と“人外”の境界を越えて、呪いを受け入れ続ける者。
高く結った髪。
真白の装束。
手には黒い釘。
目は、燃えるように鋭い。
もう一方は、“かつての零子”。
前髪で顔を隠し、顔のない“影”。
彼女もまた、巫女装束に身を包み、手に赤い釘を握っている。
「ずいぶん、立派になったじゃない。零子」
低く、ねっとりとした声。
零子の口調に似ている。
だが、そこには深い嘲りと、痛ましい執着がこびりついていた。
「……あなたは、私じゃない」
「いいえ、私は“あなたそのもの”よ」
影の巫女が一歩近づく。
足音と共に、地面が腐食したように黒く染まっていく。
「十年前。お父さんを焼いたのは、誰?」
「……!」
「思い出した? あの日、あなたが願ったこと。
“もう、誰にも呪われたくない”“もう、誰も、私を巫女にしないで”って」
零子の指が、釘を強く握りしめる。
「……私が、火を出したの?」
「違うわ。あなたは“願った”だけ。火を点けたのは――私」
影の巫女が、藁人形を取り出す。
それは、五寸釘奏一の顔を模したものだった。
「お父さんは、あんたを“ただの娘”に戻そうとした。呪いを封じ、器としての記憶を消そうとした。
だから私は、それを拒んだ。私は“呪い”として、生きたかった」
零子の目が、苦悶に揺れる。
(あの夜、父が言っていた。
『戻れ、零子……お前は人間だ』――)
でも、あれは父にとっての願いであって、自分のものではなかった。
父は“呪いから救う”ことを選び、
影の零子は“呪いと共に生きる”ことを選び、
そして本物の零子は――選べなかった。
「あなたは、ここでずっと“他人の呪い”を引き受けてきた。
でも私は、自分の呪いを選ぶ。
私は、私のままで、世界を呪いたい。
零子、あんたが捨てた私の命を、返してもらうよ」
影の巫女が、赤い釘を振り上げる。
その背後で、呪詛の森がざわついた。
木々が軋み、
幹に打ち込まれた藁人形が、一斉に呻く。
まるで、神社そのものが警鐘を鳴らしているかのようだった。
零子は、前に出た。
「あなたが望んだものは、私も一度は求めた。
でも、もう違う。私は、“呪う存在”じゃない。“呪われてる人間の、最後の一歩”でいたいの」
「綺麗事だよ。そんなことしても、何も変わらない」
「変わるわよ。……だって、誰にも見つけてもらえなかった私を、
“見つけようとしてくれる人”が、この世に一人でもいたら、それで変わるの」
そう言って、零子は左手に人形を取り出す。
それは、影の零子自身の形をしたものだった。
「あなたを封じる。私自身の、影の呪いとして」
「ふざけんな……私を“封じる”? 私を殺す気か!」
「違う。あなたを、終わらせるの」
釘が、風を裂いた。
零子が、赤黒い鉄の五寸釘を、その人形に向けて――打ち込んだ。
――ギィンッッ!
不自然なほどに高く、鋭い金属音が響いた。
影の巫女の体が裂け、黒い霧となって吹き飛ぶ。
叫び声が、森全体を震わせる。
零子の足元に、裂けた結界の亀裂が走り、古木が一本、根元から崩れ落ちる。
◆
夜が明けた。
神社は、静寂を取り戻していた。
呪詛の森の一角――封印が強化された区域には、誰も入れない。
ただ、境内の空気が以前より澄んでいることに、巴は気づいていた。
社務所で、巴と零子が向き合う。
母は娘に訊いた。
「終わったの?」
「いいえ」
「……」
「呪いは、誰かが止めるまで続くもの。
私は、止める役でも、叶える役でもない。
ただ、その“途中”で、誰かと話すためにいるのよ」
巴は、そっと目を細めた。
「……それで、いいの?」
「うん。だって、私がそう決めたから」
風が、神社の庭を通り抜ける。
その風に、何かが混じっていた。
子どもの声。
女のすすり泣き。
男のうめき。
たくさんの、呪われた者たちの声。
それでも、零子の目は穏やかだった。
自分の呪いに、場所を与えた者だけが、
“誰かの呪い”に触れても、壊れずにいられる。
その夜、呪詛の森に打ち込まれていた無数の藁人形のうち、一本だけ、釘を抜かれた人形が、風に吹かれて落ちた。
それは、十年前に打ち込まれた、“五寸釘奏一”の人形だった。
(続く)
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