私は死にたい

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私は死にたい

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 準備書面を書き終え、僕は革張りのハイバックの椅子にもたれてパソコンの画面をぼんやり見ている。小学生3年生の娘が自分の部屋に入った午後10時過ぎに始めて、書き終えたのは午前1時前だ。
 書斎の窓は開いている、昨夜までは眠りを妨げた熱気がその夜は僅かにひんやりとした空気へと変化していた。外部の空気はカーテンを膨らませ部屋に緩やかに流れ込んで来る。
 弁護士の業務内容は様々だが、訴訟に関して言えば、裁判所に提出する書面に依頼者の有利になることを書くことに尽きる。逆に言えば、客観的な事実であっても、それが依頼者の不利になるのであれば書かない選択をしなければならない。
 準備書面は様々な面から見られる事実を、依頼者の有利な面から見て書くのである。物事は近傍から見た場合と遠望した場合では異なる意味を持つ。前方から見た時と後方から見たときでもそうだし、物事の一部を詳細に見た時と全体を俯瞰した時でも同じだ。
 例えば、夫婦喧嘩を再現するとしても、どの場面を描くのかどこに視点を置くのかで見え方が変わってくる。非道な夫に見えることも、わがままな妻に見えることもどちらもある。
 虚偽を書くことは許されないが、事実をある程度脚色することは許されるのだ。準備書面を書く時には、依頼者に落ち度がなかったかのように、善良であるかのように、脚色される。その時、争っている相手は反射的に逆の性質を持つことになる。
 つまり、相手の落ち度、軽率さ、悪意を主張するのである。相手の事実のとらえ方が間違っているとか、虚偽の事実を書いているとか、相手を非難し主張を曖昧にすることを目指す。
 弁護士は他人の主張を書いているのだが、次第に自分が当事者であるかのようになる。書面に集中すればするほど、生活音が闇に隠れる深夜には、相手に対する激しい言葉が生産され、反復と再生産が繰り返され普段の冷静な自分は失われていく。
 書面を書き終えたばかりの僕はまだいつもの善良の父親を取り戻せていない。対立する関係、攻撃する論理が、熱く頭に残っているのだ。
 自分は他人を否定し貶める言葉を吐くために生まれたのではない。僕は考える。自分に弁護士は向いていない、他人と軋轢を生じないように生きてきた僕には他人の紛争の渦中に入る込む理由はない。年中他人と争う生活は嫌だ。精神をすり減らして生きていくのは嫌だ。
 
 僕はインターネットブラウザを起動させる。そして、検索画面で「私は死にたい」という単語を入力し検索する。頭に浮かんだ言葉を何となく入力したから、検索結果の画面の先に何かを求めたわけではなかった。
「私は死にたい」などの言葉が検索でヒットするとは思わなかったが、何千件かヒットした。日本人の多くが死にたがっているのか、死にたがっている人に注意喚起し自殺防止のために書かれているのか、数多くのページが存在した。
 モニター画面をそのままにして、僕は立ち上がり庭に面した窓を閉める。途端に空気の流れが止まり、書斎は澱んだ空間へと向っていった。今までかすかに僕の耳に届いていた遠い町の喧噪も聞こえなくなる。書斎は一層静かになった。僕は、机に戻り、パソコンの電源を落とそうとマウスに手を掛けたが、検索結果画面の「私は死にたい。誰かが殺してくれるのを毎日待っている」という文字が目に入った。その文言が妙に気になり、文字の上をクリックした。

 私は死にたい。誰かが殺してくれるのを毎日待っている。というタイトルが画面の上方に大きく表示された。それは、ページに飾りのないシンプルなブログだった。
 タイトルの下には、令和2年3月30日という日付とともに、「私はこうして2人の人間を救ったのに、まだ自分は救われていない」と書き出された文章があった。僕は、その一文を読んで、タイトルの「私は死にたい」という言葉と、「救われる」という言葉が矛盾して、宙づりにされたような不安感を覚えた。少しして、このブログの作者にとっては、「救い」が死ぬこと、殺されることに他ならないのだと、腑に落ちた。何故死にたいのか、死にたいなら自殺すれば良いだろう、他人が殺してくれるのを待つ必要はない。ましてや、他人を助ければ自分が殺してもらえると思えるのか、僕にはこの人物の精神構造が理解できなかった。そして、この人が持つ価値観、論理が如何なるものか興味を覚えた。
 僕は画面右端に並んだ記事の中から一番古い日付をクリックする。

令和元年2月10日

 私は治癒しない病気にかかっている。
 治癒しないと書いたが、直ぐに死ぬ病気ではない。悪性の腫瘍でもなければ白血病でもない。身体に問題があるのではなく、私は神経を病んでいる。神経の病気だと書くと、精神的な病を想像する人もいるだろうが、精神の病と神経の病は根本的に違う。時には、神経を病んだ結果精神に異常をきたす事例もあるから、峻別されることはないのかも知れないが。
 私の場合は、西洋医学の用語で言うと不定愁訴、東洋医学の用語で言うと未病、ということになろう。無理に病名を与えれば自律神経失調症か更年期障害ということになると思われる。
 もうかれこれ10年になるが、症状としては不眠、寝汗、倦怠感、喉の違和感、舌の痛み、そんな症状が続いている。むろん医師の治療は何度か受けてみた。神経内科や心療内科に通って睡眠導入剤を処方され、抗うつ剤をもらったりした。漢方が良いのではないかと知人に勧められ薬を煎じて習慣的に飲んだこともある。医食同源を信じて食事に注意を払ったり、不眠は枕のせいと考え何度も取り換えたり、生活習慣の面でも散歩したり運動したりした。しかし、私の症状は一向に改善されなかった。それどころか、5年前からは顔の左側、口元から瞼に掛けて頻繁に痙攣するようになったのだ。調べてみると片側顔面痙攣という病気のようで、徐々に痙攣の頻度は高まり、最近では顔の左半分が自分の肉体の感覚が薄くなっている。顔面の痙攣が不眠の症状と繋がっているのか不明だが不眠以上にやっかいな症状だ。人は自分の意志でコントロール可能な部分を自己と捉える。従って、意志に反する動きを続ける顔の左側半分は自分でない、と感じるのは必然なのだ。
 自律神経失調症も片側顔面痙攣にしろ、病名が判明していれば治療可能な筈だ。このブログの読者は思うかも知れないが、正しい認識ではない。
 片側顔面痙攣の原因は顔面に繋がる神経と血管がどこか接触していることが上げられるのが一般的だが、私の片側顔面痙攣は血管と神経の接触だけが原因ではない。何故なら、過去5年間の症状の変遷を鑑みると、原因をひとつに絞り込めないのだ。何日も症状が続いたり、完全に治まったり、午前中には出ずに午後に頻出したり、血管と神経の接触という理由では説明できないのだ。
 自律神経失調症についても、薬剤を飲み続ければ治ると断言する医者もいるし、漢方で自然治癒力を高めれば治癒すると言う人もいるし、座禅を組むストイックな生活をしばらく行えば症状は緩和されるとの話しもある。私はこれらの全てを実際に試してみたが、症状は全く改善されなかったのである。努力が足りない、色々考え過ぎだからひとつの方法に絞りなさい、と周辺のもの達からは言われたが、治らないものはどうしようもない。
 直近5年間の症状とその治療との経験から私はひとつの結論に達した。この世界で生き続けている間、私の病気は治らないだろう、いや病の拡大再生産が果てなく続くのだ。
 例えば、インフルエンザはインフルエンザウイルスが原因で発症するから、ウイルスを除去すれば病気は治る。つまり、病気の原因が一時的なものなら病気が治るという概念があり得る。しかし、病気の原因が日々の生活の中に存在するなら、その治癒は不可能に近い。私の場合、その環境(仕事、家族、地域社会、経済構造等々あらゆるもの)での日々の生活の中で発生しているものなのだ。原因が毎日更新されているのなら、病気が治癒しないのも必然であろう。環境そのものが病気発祥の原因であるのだから、治癒はあり得ないのだ。治癒には原因、つまり、自分と環境との関係を取り除かなければならないのだ。
 結局、自分を根本的に変化させるか、環境を変えるかが必要なのだ。しかし、自分を包む環境を変えるのは不可能である。例えば、仕事を変えるのは可能だろう。しかし、自分と直接関係のない大きな社会構造を変えるのは不可能だ。自分の環境は自分で選択できない。日本社会を変えることなどできやしない。個人の中に大きな社会構造は宿るから、私は自分の環境を変えることは出来ない。私は環境に囚われているのだ。
 自分の生活する環境を変えられないのなら、自分を変えるしかないが、これもまた不可能ごとである。私はもうすぐ60歳になる。この年齢になるまで比較的多くのことを学んできている。人は学べば学ぶほど、変化は難しくなる。子供の頃は頭の中には僅かなものしかないから、外部から多くのものを取り入れると人は変わり得る。少し年齢を重ねてもそれまでに大した知識も知恵もない人間であれば、外部との積極的な交わりによって変わることが出来る。しかし、豊富な経験で自己を確立してきた私は、もはや自分を変える状況にはないのだ。
 問題はシンプルだ。
 治らない病気の原因は、私という人間と環境との不況和にある。私は自分を変えることが出来ない。私は環境を変えられないし、環境が自立的に変わることもない。病気は原因を排除しなければ絶対に治ることはない。従って、私の病気が治るためには、私と環境との関係を終わらせなければならない。環境は終わらないから、私を終わらせるしかない。つまり、私が死ぬしか、この病気を治療する方法はない、という結論が導き出されるのだ。

                  2

 ここで、その日の記載は終わっていた。狂信的な人物の独りよがりの文章は気持ち悪い。しかし、論理性を失った頭で書かれた戯言だと断言できない微妙な雰囲気を僕は感じた。このまま眠ることは出来ない。
 次の日付をクリックする。
 
令和元年4月2日
 
 前回は、私の病気を根本的に治すには自分を終わらせることだ。つまり、死ぬことしか方法がない、という結論を書いたところで終わった。このように書くと、遊び半分の文章だ、神経の病ごときで死ぬ他はない、などの結論づけるのはおかしい、と読者は思われただろう。
 確かに、たかが病気で、と思われるのはやむを得ないが、病の苦しみは実感した者でないと分からない。神経の病は猶更、他人は理解できない。
 眠れないとか、喉がつまるとか、舌が痛いとか、顔面が痙攣するとか、我慢できる範囲だ。治すために死を考えるほどではない。と思う人がいても私は理解する。
 しかし、神経症状を我慢するのは容易ではない。眠れない夜がどれほど苦しいか、翌日に予定がなくても眠れないが、翌朝、休めない仕事がある時など、予定を考えれば考えるほど眠れなくなる。布団の中で明日は遅れてはいけない、眠れ眠れ、と言葉が頭を駆け回り、余計に眠りから遠ざかる。仰向けで布団をかぶり、横を向いたりうつぶせになったり、果てなくもがき苦しむのだ。眠れない夜は起きているに限る、人はそのうち眠りにつく、そんな開き直りも出来ない。深夜の暗い部屋で、自分の鼻息が聞こえる状況では、頭の中に気になった言葉や場面が次々に浮かび上がってくる。明け方まで眠れないときは諦めるしかない。これから寝たら起きられないと判断する時間まで起きているとどんな気持ちになるか。
 喉が詰まる症状も安易に考えることは出来ない。咳払いをすればとか、絡まっている痰を吐き出せばとか、言われることもあるが、どんな対策をとっても、次の瞬間にはまた喉が詰まるのだ。実際には喉は詰まっておらず、そんな感じを自分が持つだけかも知れない。詰まっていた痰を吐いても直ぐに喉が詰まるのは、詰まった感じを認識し続けるだけかも知れない。実際に詰まっていれば一時的には回復するが、喉が詰まった錯覚を感じ続ける方が、一時的にすら回復しない分だけ苦しい。
 言葉を上手く発せられないのは辛い。しかし、喋り辛いことが理由で、自分の言葉を制限されるのは更に苦しい。実際には違う言葉を使うつもりだったのに、自分の思いを表現する的確な言葉があったのに、と何度も後悔に悩むのだ。
 喉だけのせいだけではない。舌が痛いこと、顔面が痙攣していること、これらと相まって、自分の言葉を私は失っている。生活の中で自分の意思を他人に的確に伝えられないのは辛い。つまった喉から絞り出した言葉が、舌の痛みで変性し、顔面の痙攣がそれを他人の言葉に変えてしまうのだ。一体今の言葉は誰が喋ったのか、確かに自分が発した声だが、自分はそんなことを言いたかったのではない。
 顔面痙攣は私を他人の前で始終うつむく人間にしてしまった。別に顔面が痙攣していても堂々としていれば良い、と話す人もいるが、当人にとっては割り切れるものではない。人と喋っていても顔面が痙攣し始めると、不快にさせるのではないか、気持ち悪く思うのではないか、考え始めると怖くなる。さりげなく下を向いて、他人の視線が自分の顔に当たらないように避けるのだ。日常生活の中で、病気は私に、体力、気力を大いに使うことを強いる。他人との出会いが多かった日には、夕方家に帰るとリビングのソファーに身体を投げ出すのだ。
 日々の生活そのものが私に取っては苦役だ。眠れないままに浅い眠りから目を覚ました朝に、喉がつかえ、脱力感で体が覆われた時には、死んでしまった方がましだ、などと考えるのだ。そんな朝には、洗面所で顔を洗うとき鏡の奥で右側の顔面が他人のように不気味に笑っているのだ。いや、確かにそこには他人の顔が存在しているのである。私の方を、憐れんだ目で睨み、顔面を痙攣させて笑っているのだ。

令和元年4月3日

 言葉を自由に発することの出来ない人間はその分だけ自由を奪われている。何故なら、人は言葉で認識し言葉で表現するからだ。言葉が自由に操れないとき、人は自由の欠損を知ることになる。喋ることが出来なくても頭の中には言葉があるではないか、と思う人もいるだろう。確かに頭に言葉があれば認識は出来る。しかし、表現できないのであれば言葉の持つ効能の半分が使用可能なだけで、欠損していることに違いはない。しかも、他人との関係構築や維持という人の根本部分で障害があるのだ。
 私は私を制御できない。自由に眠ることも自由に話すことも出来ない。顔の半分は自分の意志とは無関係に生きている。
 もはや、私は人間と言えるのか。自分をコントロール出来ないし、他者との円滑なコミュニケーションを取り得ない。他者、社会と関係を構築できない人に存在意義はあるのか。
 日々苦しみながら、それでも人間として生存することに意味はあるのか。
 ベッドに縛り付けられて痛みを訴えることも出来ず、他人とコミュニケーションを取れない病人と、私はどこが違うのか。
 私は死ぬべきなのだ。
 私は死ぬことでしか自由を取り戻せないのだ。

令和元年5月3日
 
 前回、私は死ぬべきだという結論に至ったところまで書いた。
 結論が出た以上、さっさとその結論に従えば、つまり自殺すれば良いのである。
 前回のブログから1か月経過して、のうのうと生き延びているのは、出した結論が正しくないと読者は思うだろう。しかしそうではない。自分が自殺を実行しないのは、怖いからでも決意が弱いのでもない。死以外に何かしら解決法を見出したのでもない。
 私がこの歳まで守り続けた教義のために自殺出来ないのだ。
 私はカトリックである。洗礼も済ませた信仰者である。それが為に、私は自殺できないでいるのだ。カトリックの信者である私は自殺出来ない。教えに反する行為を実行することに恐怖を感じるのだ。
 日本人には知られていないが、カトリックには自殺は罪であるとの絶対的な教えがある。罪を犯したものは救済されない、つまり天国に行くことが出来ないのだ。寛容な神は悔い改めた人をお許しになるが、自殺は悔い改める機会を永遠に失わせる。最悪の行為なのだ。
 自殺が罪であることは聖書には記載がない。しかし、神学者アウグスティヌスやトマスアキナスがそれぞれその著書「神の国」「神学大全」で記述しており、これは古くからカトリックの教義になっている。その為、近年まで教会法によって、自殺者はそのミサも埋葬さえも禁止されていたのである。最近は、ミサや埋葬の禁止こそ教会法から削除されてはいるが、自殺が罪であることに変りはないのである。
 私はミサや埋葬に拘泥するものではないが、神が自分を救済しないのは困るのである。生まれてからずっとカトリックであったのに、永遠に地獄の業火で焼かれるのは我慢ならない。教会法がどうあれ、熱心なカトリックの私にとっては、神学者が自殺は罪であると解釈していた事実が重要なのである。
 私は、絶対に自殺は出来ない、この点を理解してもらえただろうか。自殺しても天国に行けるかも知れない、という可能性に私は賭けられないのである。天国は賭けではない。さいころを振って決まるものではない。
 私にとって、死ぬことは論理的な帰結であるが、自殺の拒否は信仰の真理なのだ。死ぬことが目的であるが自分では死ねない。私はどうするのか、自然死を待つのか。還暦を迎えていない私には自然死ははるかな未来だ。自分からわざと不健康な生活をしたり、重い伝染病を患っている人と接触して病気をもらうか考えたこともある。しかし、それでも確実に死ぬるか不確実であし、もし、かかる方法で死ねたとして、その死を神が自殺と判断する可能性も捨て切れなかった。また、今でさえ苦しいのに別の病気で長く苦しむのは受け入れがたい。

令和元年5月10日

 不定愁訴を抱えて毎日を送っていたとき、不意に光が射した。聖書の中の一節を思い出したのだ。
 マタイによる福音書の7章12節の言葉、「汝が欲することを人にしてあげなさい」である。これは黄金律(ゴールデンルール)とも呼ばれ、少しずつ表現が変わって聖書に何度か現れる言葉である。自分が欲することを、まず他人に与えなさい、そうすることで、他人があなたに同じものを与えるだろう、という教えとして私は理解している。すると、死にたいのに死ぬことが出来ない私は、他人を死に至らしめると自分に戻ってくる。自分の行為が自分に返ってきて誰かが自分を死に至らしめてくれる。それは聖書から導かれる真理である。
 しかし、他人を死に至らしめるとは、つまり他人を殺すことであるが、他人を殺すことも聖書の教義として禁じられている。従って、私は他人を殺すことで戒律を犯すことになる。それは私が望む天国から遠ざかることなのだ。絶対的な矛盾なのだ・・・。

令和元年5月20日

 数日間悩んでいた私に救いが訪れた。それは、一人で遅い朝食を食べていたときのことである。トーストを口に入れた瞬間に、私の頭に閃光が走った。殺人が禁止されているのは、まだ生きなければならない人、価値ある生を生きている人の、人生を終わらせることが許されないからだ。人生が充実していて活気にあふれた人、夢や希望に満ちていて人生を謳歌している人、神はそんな人たちを殺害することを禁じているのだ。しかし、逆に考えれば、人生に絶望している人、生きて行くのが苦痛である人、死にたいのに死ねない人、こんな人にとって死は救済なのだ。私のような人間がそうだ。私と同じように死にたいのに死ねない人(勇気がないせいか、宗教的な教義による制限かは別にして)、私がかような人の人生を終わらせるのは救済に違いないのだ。
 答えにたどり着いた私は、その日、久々に穏やかな空気を感じて一日を過ごせた。うまく喋ることの出来ない苛立ち、顔面が痙攣する憂鬱、全身の倦怠感、そんなものを私は忘れることが出来た。自分自身も周囲の環境もゆったりと穏やかに流れたのである。死にたいけれど死ねないでいる人を救済すれば、自分もまた救われるのだ。何と簡単でかつ美しい真理なのだろう。希望があればその分だけ人は絶望から遠ざかる。
 
令和元年5月28日

 私は、答えを見いだした幸福感に浸っていたが、数日経過して実現するために越えなければならない壁を知った。
 確かに答えは真理で美しかったが、いざ実行に移すとなると、殺すべき対象者を見つけることは困難だった。また、私が犯人だと知られない殺害方法を考える難しさを知った。理論と実践は天と地ほどの違いがある。
 自分が犯人だと警察に逮捕されたら、犯罪者として死ぬことになる。まだ死刑判決をもらえて死ねれば良いが、処刑されず牢獄で長々と生きる羽目になるのは御免だ。刑務所にいては私が死ぬ可能性は低くなるのだ。
 私が誰かを殺した時、疑惑を持たれない、捜査対象とならない、それが絶対条件なのだ。
 殺害対象者が発見できたとしても、殺害方法には詳細な計画が必要になる。
 まずは救済すべき人物を探すことだ。対象者が決まれば、おのずと殺害方法は見えてくることだろう。
 私は、死を求めている人を探し出すことを考えた。
 最初に思い付いたのが、末期がんで苦しむ人たちだ。末期がんで余命を告知されている人であれば、終末医療の病院に行けば見つけられる。終末期医療病院ならば見舞客の出入りも多く比較的容易に行動が可能である。
 しかし、末期がんの患者全員が死にたがっているかは定かではない。終末期を楽しもうと希望を持っている人も存在する。また、今のところ死ぬ予定がない私が、近々死ぬと確定している人を殺して救済と言えるのか、自分に返ってくる救済なのか、疑問だった。やはり、死ぬのが確実ではないのに、死を希求している人間でなければならない。私同様の境遇に置かれた人間をこの現実の生から救済しなければならいのである。
 そこで私は自殺願望者が集まるネットサイトを覗いてみた。
 ネットの中にはさまざまな戯言が満ちあふれている。学校で虐められているだの、職場で不当な扱いを受けているだの、長年付き合ってきた恋人に裏切られただの、本当にくだらない理由をあげて、直ぐにでも自殺するかのような書き込みがある。
 正直がっかりした。自殺する、つまり自ら死を選択する人間はもう少し、熟考し悩み抜く人間だと思っていたからだ。彼らの発言は軽薄だ。あまりにも簡単に死を選んでいる。無論ネットの匿名の書き込みが全て本物だと信じてはいないが、それにしても死を選択するにしては理由が愚かだ。
 自殺願望者の他愛のない書き込みから探しても、私が救うべき人間は見つけるのは困難だと思った。私は自殺願望者を対象とすることを断念した。
 本当に難しいものである。死にたいのに死ねない人は社会には溢れている筈なのに、具体的に見つけ出すのは容易ではなかった。

令和元年6月10日

 先週末仕事の後で、学生の飲み会に誘われた。4回生のゼミを担当している私に彼らから声が掛かった。彼らは全員が入学して4年目を迎えそれなりの勉強を積んだ学生であるが、その言動は知性を備えた大人とは言い難い。飲み会で語られるのは、自分が立身出世してより多くの収入を得る方法、幸せな家庭を持つ方法、要約すると下世話な話題ばかりである。私が学生の頃には、友人と酒を飲み交わすと、世界はどうあるべきか、日本はどうあるべきか、人間は、自分は、どうあるべきか、そんなようなことを議論したものだ。20歳を過ぎた頃、社会と自分との関わりについて、深く悩んだ記憶がある。人は青年の頃に人生観・世界観を観念的に捉え、少しずつ現実と向き合い妥協しながら人として生きて行くのだと私は思っていた。それが、最近の学生は、社会に出る予備軍の時から、既に現実にどっぷり浸かっている。就職すること結婚すること家を建てること、身近な現実を常に意識して満足を得る為の選択を日々行っているのである。もしかしたら、私が教員を務める大学のレベルが低く、優れた大学では、豊かな学生達によって豊かな議論が日々繰り広げられているのかも知れないが。
 私に言わせれば、卑近な現実しか見ない人間には現実の本質は見えていない。
 本筋から逸れた。余計なことを書きすぎてしまった。
 話しを本題に戻そう。
 私の路は突然開けた。「自分がして欲しいことはまず他人に対して行わなければならない」と気づいてから10日ほどが経過した。季節は初夏を思わせる陽気になっていた。
 何時ものように、日曜日私は自宅近くの教会のミサに朝から出かけた。私が座る場所は決まっていて、隣にも同様にいつも同じ老婆が座っていた。その日は女性の姿が見えなかった。いつも一緒に来ている近所の人に聞くと、自宅で転んで怪我をしたらしく運悪く寝たきりになってしまったという話だった。彼女とはミサの前後に何度か話をしていたが、10年前に夫が死に子供もいないので一人暮らしをしている、動けなくなったら死にたいと思う、と話をしていた。
 これこそ神のお告げだ。私は悟った。私が救済すべき人が身近にいるのだ。神の声が聞こえた気がした。お前が救いなさい、低い声が丁寧に命令する。
 彼女の住所は知っていた。信者の名簿を作ることがあって、私は拒否したが、彼女は名簿への掲載を望んでいた。近くだ・・・。自宅から歩いて10分程度の距離。
 私は一週間待った。次の日曜日に彼女が来なければ救済を実行しよう、と考えていた。
 彼女は来なかった。知人の女性に聞くと、病院の診察の結果では二度とベッドから出られないとのことだった。市役所の介護担当が毎日昼間は来て世話をしているが、無理があるので明後日には施設への入所が決まったということでもあった。
 条件は全て揃った。しかし、あと一日しか猶予はない。明日の夜が最後だ。
 私は救済の実行を決めた。
 次の日の深夜、彼女の自宅へ向かった。新月の夜で暗かった。神のお導きだ。庭に回って縁側の窓を触る。少し引くと動いた、鍵は掛かっていない。また神のお導きだ。私は音をたてないようにゆっくりと窓を開け、靴を脱ぎ縁側に上がり込んだ。左に進むと寝室のはずだ、直感が私に教えた。縁側から上がった左側の障子を慎重に開けると中央に敷かれた布団に一人の人間が寝ていた。暗い部屋だが、夜中に目覚めた時のために、かすかなオレンジ色を出す常夜灯(グローランプ)が点けられている。枕元には丸盆に水差しが置かれていた。起き上がることは出来ないが水は自力で飲めるくらいには体が動かせるのかも知れない。
 誰もいない。隣の部屋からも家全体からも人の気配を感じることはない。明日朝には迎えに来て施設に入る人だから介護担当者も油断したのかも知れない。ガラス戸が開いていたのも誰も夜家にいないのも、私にはこれ以上ない幸運だったが・・・。
 私はポケットに忍ばせてきたタオルを取り出した。口と鼻を覆う広さに折り畳み、老女にまたがり座って、勢いよく口元をタオルで抑える。彼女は眼を覚ましたらしい。馬乗りになり尻で抑え込んだ彼女の身体が微かに抵抗する。両手も動くが私の下半身が邪魔をして口元に持っていくことは出来ない。
 暫くすると彼女は身体の抵抗を止め、動かなくなる。
 人が死ぬのは簡単だ。寝たきりの老人だからか、あっさりと死亡した。水入れをわざと倒し、枕をずらして彼女の顔が枕に埋もれるようにする。夜中に起きた時の事故に見えるかも知れない。事故と思うのか事件になるのかどちらでも良い。警察の捜査対象にならなければ良いのだ。動機のない私が捜査対象になる危険性はまずない。家に入るとき誰にも見られなかったし、出る時も目撃されなければ大丈夫だ。
 いずれにしろ、神のおぼせだ。万が一、捜査対象になったら、私が間違った救済をしたことを意味するのだ。正しい行いは正しく導かれる。
 こうして、私は他人を救済した。
 次は私の番だ。救済が楽しみだ。
 
令和元年9月10日
 
 カトリック信者の女性を、苦しみから救って3か月が経過する。夏が過ぎて深い秋に向かうが、まだ救いはない。一方、捜査が及ぶこともない。彼女の死は新聞記事になっていたが、行政の不手際による事故だとして介護担当者に批判が集まっていた。警察は事故死と判断した。動けない人間が布団で死んだとき、誰かが殺したなどと考える人はいない。
 しかし、私に救済は訪れない。何故なのか。女性をひとり救済しただけでは不十分なのか、私は神に尋ねる。答えはない。答えがないのは肯定だ。私が間違った行動をしていれば神は罰を与えられる筈だが、それはない。だとすると、行いは正しい筈で救済がないのは、正しい行いが不足していることを意味している。
 まだなのだ。まだ足りない。次に救済する人を探さなければならない。
 私はそう考えた。それは当然の結論だ。

                  3

 読み進むうちに、このブログの人物は今まさに狂気への道を歩んでいるのではないかと僕は疑念を持った。
 少しずつ文章が独りよがりになり現実離れしている。信じている正義と論理が常軌を逸している。彼は人を殺したら自分が救われると本気で信じているのか。
 ここに書かれた殺人は事実なのか、作り話ではないのか、私は読むのをやめようかと考えたが、先の日付のブログがあり、もやもやとした感情が残り、中途で辞めることは出来なかった。

令和元年10月3日

 次の救済相手が見つかった。
 結婚もせず子供もいない私は長年ひとり暮らしである。食事は朝はコーヒーだけで済ますし、昼食は学食で食べる習慣だ。夕食は自分で調理することもあるが、多くはコンビの弁当や総菜か近くの弁当店の弁当になる。コンビニは大学からの帰りに2件あるし、弁当屋は家から5分ほどの距離にある。こちらも大学からの帰路、少々回り道をすれば良い、便利な場所に家はあるのだ。
 弁当屋は高齢女性が一人で切り盛りしている。夕方には忙しくなるのでアルバイトを二人雇っているが、暇な時間帯は経営者がひとりで受付も弁当作りもしている。その女性経営者は店舗の二階を住居にしていて一人暮らしである。すでに夫は死に別れ、子供らは独立して別に住んでいるらしい。
 先週の月曜日、私は仕事帰りに弁当屋でかつ丼を購入した。店はそれほど忙しくなかったが、弁当が出来るまでに5分ほど必要だと言われ、私は隅に置かれた長椅子に座って待っていた。
 その時、調理場の電話が鳴り、注文かと手持無沙汰で聞いていると、アルバイトの女性の、明日の夕方の予約は申し訳ありませんがお断りしています、との声が聞こえてきた。私は訝ったから、かつ丼弁当を受け取る際にアルバイトにその理由を尋ねた。常連客であったから質問におかしさはなかった。アルバイトによると、女性店主が朝方厨房で転んで足を骨折してしまったから、明日から暫く店は休みになる予定だ、というのだった。
 一人暮らしで足を骨折したらこれからが大変だと思い、70歳は過ぎている女性店主に同情した。と同時に彼女は死ぬことを希求する、救済の対象ではないかと私は考えた。そこで、私は彼女の境遇、生活状況、などを調査した。調査と言っても、疑念を持たれてはいけないし、ストーカーと思われてもいけないから、ごく普通の周囲の人との日常会話で聞き出した。
 家族は息子と娘がいるが、滅多に見かけることがなく、子供たちは母親を見捨てていると近所の人は彼女の孤独を強調した。かねがね一人暮らしが気楽でいいが、動けなくなったらあっさり死にたいが口癖だ、と周辺の人たちは口々に話した。そして、50年暮らしたこの店舗兼住宅で死にたいとも話していたらし。
 条件は満たしている。彼女は孤独で生に固執していない。ましてや足を骨折し今後は車いすか寝たきりかになる可能性が高い。救済の対象だ。
 後は実行するだけだ。仮に私の判断が間違っていれば神は実行を阻止するような妨害を置かれるだろう。妨げるものがなければ、神の意志に従った行動となる筈だ。ひとり目の救済と同じだ。それは救済への輝く道だ。
 私は深夜に弁当屋まで歩いて向かった。この夜も新月で夜道は暗かった。弁当屋に火を点けるつもりだった。弁当屋は周囲に建物のない二階建てで、隣の建物への延焼を心配することはない。まだ、生きるべき人を絶対に巻き込んではいけない。それは救済ではなく単なる殺人なのだ。
 一人暮らしであることは確認済みだ。自宅で死にたいという女性を自宅と一緒に燃やしてしまうのは合理的だった。神の贈り物でもある。ひとり棺桶で燃やされるよりも、長年住み愛着のある建物と一緒に救済されるのは喜びであろう。
 私は弁当屋の横の入り口に向かった。従業員の出入り口でもあるが、弁当の材料を運び入れる勝手口だ。ノブに手を掛ける。閉まっていれば帰ろうと考えていたが、神の思し召しに違いない、扉は開いた。最後に帰ったアルバイトがカギを掛けるのを失念したと思える。中に入ると目の前が厨房でガスレンジも食用油もあった。火は簡単につけられる。火をつければ直ぐに広がっていく。
 商品を渡すカウンターに置かれた弁当を包む紙を私は手にして、フライヤーの油を浸して火をつける。包み紙は燃え上がったがまだ火事になる程の強さはない。その燃える紙を床に置いて、その上にカウンターの包み紙を何枚も重ねて置く。火は大きくなっていく。これで火事になるのかどうかは分からないが、私はそれで外に出る。火事にならなければ神が止めたのであるし、本格的な火事になって弁当屋全体が火に包まれれば神が許した行為になるのだ。
 入ってきた扉を出て、私は建物を後にした。ゆっくりと、焦る必要はない。他人を救済するのに後ろめたさはない。暗い夜道をゆっくり私は歩く。
 自宅に帰り着くとリビングの窓から炎が勢いよく空に立ち上がっているのが見えた。私は歓喜した。これで弁当屋の主人は救われたのだ。自宅で死にたいという彼女の希望はかなえられたのだ。
 遠くで消防車のサイレンの音が聞こえていた。火事の炎は天に向かって伸びていて、まるで魂が天に昇っていくようであった。
 こうして私は二人目の救済を終えた。
 神の導きによるのか、数日後の新聞は、火事は失火の可能性が高いと報じていた。
 後は待つだけだ。自分の救済を。


                  4

 驚くべき文章だ。もし、書かれた内容が事実であればだが。日付は半年ほど前になるが、まだ作者の状況に変化はないだろう。
 作者は大学の教授である。本人は三流大学と書いているが恐らくD大学だ。調査しなければならない。書かれたことが事実かどうか、真相を聞かなければならない、
 僕はそう考えた。
 弁当屋の火事は、大きく新聞に出ていたから誰もが知っている。記事を読んだ頭のおかしな人が勝手に自分の行為だと主張している可能性もある。カトリック教会の信者の死亡に記憶はないが、ブログによると記事になったと書いてあるから、この事件も記事を見て妄想を膨らませ、自分が実行したと思い込んでいる可能性もある。他人の行為を自分の行為と思い込む精神疾患もある。ブログに書かれた女性たちの死は、殺人事件ではなく、単なる事故死の可能性も高い。事故死を自分の手柄として見る誇大妄想の人物の可能性はある。
 弁当屋の火災は当然だが場所を知っている。C市の町はずれだ。C市には郊外にD大学もあるから、ブログの内容に矛盾はない。調べて見ればブログの作者も特定できるのではないか。

                  5

 次の土曜日に僕はC市に出かけた。
 あらかじめD大学のホームページから教員名簿を検索して、年齢と住所で調べると5人に絞られた。この中の誰が該当するのか。
 僕は、C市に行って現地で弁当屋からの距離や方角でブログの作者を特定しようと考えたのだ。
 既に更地になっている弁当屋まで行って、そこを起点にして5分以内で歩ける範囲を調べることにした。勿論、年齢や体格によって歩く速度は異なるから、8分程度までの範囲に広げて探した。9分もかかるようなら5分という表現ではなく10分弱などと表現する筈だから、8分程度の距離と考えたのだ。それに相手は自分よりも高齢だ。
 結果、8分以内に住んでいるD大学の教員は2名に絞られた。そして、その内のひとりの教員紹介プロフィールにカトリックであることが記載されていた。該当する人物はひとりだけだ。
 
 大学教授の自宅はブロック塀が高く積まれていて中を覗くことは出来なかったが、背伸びをすると庭の先に、庭に面して大きな窓があることは分かった。弁当屋よりも小高い場所に建つその家の窓から弁当屋の方角を見ることが出来る筈だ。
 ブログの人物はこの家の住人に違いない。後は記載内容が妄想によるものか事実なのか確認したら、僕の願いは叶うことになる。
 夕暮れが迫っていた。僕は門扉の横のカメラ付きインターフォンのボタンを押した。数秒後に、「はい、どちら様ですか」と丁寧に対応する老人の声が聞こえた。僕は何度も反芻してきた言葉を声にした。「弁護士の川上と申します。お休みの日に突然で申し訳ありませんが、先生の専門のことで教えていただきたいことがあるのですが、少し時間をいただけないしょうか」専門的な勉強をしている人間は、自分の専門分野について尋ねられたら、断らないことが多い。弁護士の仕事での経験だ。躊躇する様子もなく、インターフォンからどうぞお入り下さい、と返事があった。
 
 玄関を開けると、想像していた人物とは異なり、柔和な顔をした初老の男が出迎えた。男はこれから出かけるかと思える格好だった。皴のないズボン、アイロンの充てられた白いワイシャツ、夕刻の姿とは見えなかった。一人暮らしの老人のだらしなさはそこには見られない。
 僕は靴を脱ぎ玄関框に置かれた緑色のスリッパに履き替えて廊下を進み、案内されたリビングに入る。リビングはフローリングの洋風でスリッパのまま案内されたソファーに腰を下ろす。心臓の鼓動が聞こえてくる。僕は緊張していた。この男が二人を殺したのか。それとも虚言壁のある人間か、或いは、妄想と現実の区別がつかない狂人なのか、直ぐにでも核心をついた質問がしたかった。焦る気持ちを抑えていた。
「一人暮らしなので、お茶しか出せませんが・・・」
 戻ってきた老人は、二人分のお茶をソファーの前の透明なガラス製のテーブルに置きながら話した。
「すみません、いきなり押しかけてきて・・・」
 湯呑に手を伸ばしながら僕は申し訳を言う。
「一人暮らしの老人に会いに来られた理由は何でしょう・・・」
 男はすぐに本題に入りたい様子だ。僕にとっても好都合だ。
「あなたのブログを読みました」
 僕は目の前の男がブログの主だと決めつけて話し始めた。
「間違いないですよね。違いますか・・・」
「えっ、何のことでしょう・・・」
 男は驚いた様子を見せながら喋った。顔の左半分が時々上下している。口元はだらしなく垂れている。
「大学の先生で、カトリックの信者で、2件の死亡事故との関連性を考えると、ブログの作者はあなただと思われるのです」
「そうですか・・・、仮に私だとしたら・・・、あなたは私を警察に突き出すということですか・・・」
「そんなことはしません。僕はただ事実が知りたくて、ここまで来たのです」
 僕は正直に話し出した。
「弁護士の仕事をしていますが、今日は仕事とは無関係に訪問しています。決して警察に連絡するようなことはしません」
 男が動揺するかと予期したが、逆に男の表情は緩んだ。どこか安心した喜びの顔に見えた。変わらず顔の左半面は動きを止めないが。
「そうですか。正直に言いましょう、あなたが読まれたのは私の書いたブログで間違いないでしょう」
「『わたしは死にたい』というタイトルのブログはあなたのもので間違いないのですね」
「そうです」
「では、お尋ねします」
 僕の言葉は焦っていただろう。先走る言葉を僕は制御できないでいた。
「あの中に二人の人物をあなたが殺害した、と書いてあったのですが、事実なのですか」
「殺害ではありません。救済です。・・・」
「殺人でも、救済でも、どちらでも結構です。ブログに書いてある通りに実行したのは間違いないですか」
「それは間違いありません。私が救済のために、タオルを使って窒息させ、弁当屋に放火しました」
「あなたは妄想しただけではないですか。事件の記事を読んで、自分が実行したのだと信じているだけではないですか。人を殺すことが簡単にできるとも思えないですが・・・」
 本人が認めてもまだ信じてはいけない。妄想癖がある人間は、妄想を事実だと信じるから病気なのだ。
 確認は慎重にしなければならない。
「あなたが信じないのは仕方ありませんが、事実は事実です。神は見ておられたでしょうが、私には証明は出来ません・・・、実行したと言うしかありません」
 男は喋りながらさらに落ち着いてきた様子だ。
「私を訪ねて来た理由は事実を確認するためですか。ブログを読んでいただければ分かりますが、警察に逮捕されないのなら、私はいくらでも事実を喋りますよ。教会の知り合いと弁当屋の主人を殺したのは間違いなく私です。疑われても仕方ないですが、事実は事実です。私の妄想ではありません」
 男は動揺することなく言葉を重ねていった。
 僕はそれを聞いて感情を抑えきれなくなった。怒りの感情を。
「本当なら許せません・・・。あなたを許すことは絶対に出来ないのです・・・。何故なら、あなたが放火して殺した弁当屋の女性は僕の母だから・・・。僕の母は焼かれて苦しんで死んだんだ・・・」
 大声で怒鳴っていた。自分の母親が、救済などと称する人間に殺されたのだ。2年経過した今でも母の焼けた死体を覚えている。苦しかっただろう、苦しくそして無念だっただろう。
「母は、死にたいなどと思った筈はない・・・。忙しくて実家になかなか帰れなかったが、母は僕に希望を持っていたはずだし、孫の成長を楽しみにしていた筈だ。勝手に他人の思いを決めつけて殺すなど・・・、それを救済と呼ぶなど・・・」
「苦しまれたとは思いません。私は神に導かれただけです・・・。神が許したからあなたのお母さんは天に召されたのです。それは神の意向です・・・」
「何を・・・、たわごとを喋っているのか・・・。僕はあなたを絶対に許さない」
「許さないのですか・・・。それでどうするのですか」
 男は興奮する僕を見て、焦ることもなく怯える様子も見せずに淡々としている。
「決まっているでしょう・・・。僕は母の復讐に来たんだ。火の不始末で火事を起こし、骨折した足のために逃げ遅れて死んだとされた母の名誉を回復するんだ。そして、母親の無念を晴らすんだ、あんたを殺す・・・」
 僕はポケットに忍ばせてきたスタンガンを右手に取った。首筋にスタンガンを当ててスイッチを入れれば男は気絶する筈。その上で首を絞めれば簡単に殺せる。今日この街に来ることは誰も知らないし、この家に入るときも誰も見られていない。男と僕の関係は誰にも知られない筈だ。犯行後、この家を出るときに慎重に行動すれば、それで僕の犯罪は永久に闇の中だ。
 僕はスタンガンをポケットから取り出し、男に突進した。男は逃げない。身をかわすこともない。首筋にスタンガンを当てる。男は床に崩れ落ちる。
 どさっ、と音がした。
 男の体に馬乗りになり、両手を首に伸ばす。手を使ったら手袋の繊維が首に残るかも知れない、と考える。駄目だ、タオルでも使うか、いや男のベルトが良いか。これで復讐できる。ブログを読んで自分の母親かも知れない、殺されたかも知れないと思い始めてから、この瞬間を僕は繰り返し想像してきた。母親の無念を晴らすのだ・・・。
 男のベルトをズボンから外して、ベルトの両端を手に巻き付けた。
 瞬間は僕の頭に疑念が浮かんだ。疑念は膨らみ僕の頭を占領する。
 「私は死にたい」の作者は死にたがっている。自殺したくても自殺できない人間が、死ぬために他人を殺したのだ。この男を殺すことで何が成し遂げられるのか・・・。この男を殺したら、男の思い通りではないのか・・・。男の希望を叶えてしまうのではないか。男が描いたストーリーを自分はまんまと演じてしまうのではないか。思うつぼではないのか。
 男の顔の半分は失神している間も動いている。ある瞬間には笑っているようにも見え、ある瞬間には泣いているようにも見える。しかし、決して怖がっている顔には見えない。

 転がった男の姿を上から見下ろしていた。
 僕は復讐を考え、それだけを胸に抱いてここに来た。母親の仇を打つのだ。それは今目の前にある。右手に絡めたベルトを両手に持ち、男の首に巻き付けて横に強く引けば実現できる。復讐は簡単に果たせるのだ。しかし・・・。
 僕は茫然としている。
 殺せば僕の気持ちは楽になるだろう。復讐を遂げた満足感を得ることだろう。・・・しかし、実行したら男の考える救済を彼にもたらしてしまう。男の思うつぼになるのだ。殺さなければ母親の無念は晴らせないし、殺せば男に救いを与える。
 どちらを選択すべきか・・・。男はもうじき目を覚ます・・・。
 僕は焦りを覚えた。
 警察に突き出すのはどうだ。しかし、ブログに書かれたことが事実なら、警察が捜査しても男の犯罪だと立証するのは難しい。検察が起訴しても有罪には出来ないのではないか。逆に、スタンガンを使い気絶させた自分が傷害罪で逮捕される可能性すらある。ベルトを取って手にした僕には殺人未遂が適用されることもあり得る。
 はっきりした具体的な証拠がないのだから、警察に通報するのは賢明な手段ではない。
 男の顔を見ると熱い怒りが湧いてくる。男が微かに右手の指先が動く。さぁ、どっちだ。どっちを選択する・・・。焦った脳で言葉が回り続け、頭は沸騰する。
「殺すんですよね・・・」
 男のうめき声の後に言葉が続いた。見ると、仰向けになった男は両手を広げて、どうぞと言わんばかりに無防備な体制をとっている。
「長いこと待っていました。どうぞ・・・。それが救いです」
 男は眼をつぶったが、顔は相変わらず痙攣していた。男のその部分だけが、抵抗しているように見える。
 僕は決めた。
 殺さない・・・。このまま帰る・・・。それで好い。母親の無念は晴らせないが、この男の目的を叶える方で余計に嫌な思いになる筈だ。殺した後の虚しさに僕は多分耐えられない。
「いいえ、あなたを殺すなんて愚かな真似はしませんよ。あなたはそれが嬉しいのでしょう。天国に行けると思って死ねるのでしょう。何故、復習したい僕があなたを喜ばせなければならないのですか・・・。それに、僕は殺人を犯した後の罰など受けたくもないですよ・・・」
 僕は男に向かって言い放った。冷たい声で、突き放すように。
「いつまでも生きてください。この世の地獄を味わってください。毎日毎日苦しみぬいてください。それがあなたには相応しい・・・」
 男は黙ったままだった。目を閉じて僕の話を聞いているのか聞いていないのかも分からなかった。
 手にしていたベルトを僕は床に落とした。

 外に出ると空気が冷たかった。花冷えだろう。夜道を満月が明るく照らしていた。桜が風に散る光景が浮かんで来た。
 母は桜が好きだった。













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