悪役令嬢のご令弟は歪んでいる

ササキ憲光

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序章

後編__お姉様と歪な弟

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ユークは目を覚ますと、美しい庭に佇んでいた。


(……どこも痛くない、夢か。、、っそうだ、僕、姉上に手を引っ張られて引き摺られて、何かにぶつかったんだった、)

脳震盪で朦朧としていてもかなり痛かったから、目が覚めたらきっと大きな傷になっているだろう。

(コンスタン先生を巻き込んでいないと良いけど…今考えても仕方ないな、夢は時間が経てば勝手に起きれるし、どこも痛くない今の間に休んでおこう。…………ここは)

ユークが辺りを見回していると、小鳥のさえずりのような笑い声とともにふたつのちいさな影がユークの隣を駆け抜けていった。





綺麗なブロンドの、少しふっくらした愛らしい少女。
あれは幼い頃のベアトリスだ、そしてその隣の銀髪の子供は、幼い頃のユークであった。

二人はどうやら飛んでいる蝶をつかまえようとしているらしい。






「…楽しそうなことで。」

ユークは軽やかに笑うふたりを憐れむように呟いた。この頃に戻りたいとは思えなかった。


ここからベアトリスはどんどん暗い顔をする日が増えていくのだろう、そして徐々に怒りっぽくなって、ある日左の頬を叩かれて、いつかはユークの記憶の大部分を占めるベアトリスになっていくのだろう。


ユークは金髪の少女を目に焼き付けてから、ゆっくりと目を閉じた。


彼女の先を思うと可哀想になるのと同時に、この上なく愉快であった。










~~




次にユークが目を覚ますと、右肩と左手首を筆頭にあちこちに痛みが走った。


当然不機嫌になりながらなんとか起き上がると、不安げに揺れる真紅の瞳と目が合った。




「……もし。あなた、大丈夫ですか」








「……………………は?」

ユークは思わず低い声が出た。


「、、あの、わたくしもさっき目が覚めたのだけど、あなた、ひどい怪我をしているから心配で。……本当なら人を呼ぼうと思ったのだけれど、ここがどこだかわからなくて」







「……………新手のごっこ遊びですか?」

ユークはこの時点で姉の異変に気づいていたが、認めたくなくて声のトーンをさらに低くした。すると彼女は怯えたように後退あとずさってからもう一度口を開いた。





「っ違うの、あの、お気を悪くされたならごめんなさい。わたくし、わからなくて、あなたのことも、ここがどこかも、自分が誰なのかも…………ごめんなさい。」




その言葉を聞いた瞬間、ユークは全てを認めざるを得なくなって寝台に勢いよく倒れ込んだ。


「痛゛っって、」
「やっぱり怪我がひどいのね!?、誰か、誰かいませんか…!」



本気で狼狽えるベアトリスにユークは眉根を寄せたが、最終的に深くため息をついてから口を開いた。

「……………………叫ばなくて大丈夫ですよ、人間は意外と丈夫ですから。僕、痛いの慣れてますし」





「だめよ、慣れているからといって痛いのは辛いでしょう、」


ユークはその声掛けに何も答えなかった。
取り返しのつかないことが起こってしまったことを悟ったからである。目の前の少女はもうユークの姉のベアトリスではなく、無垢で真っ新なベアトリスになってしまった。

受け入れられるかどうかの問題ではなく、のである。



「____初めまして。僕はユークと申します。」
「あら、あなたユークさんとおっしゃるのね。ユークさん、わたくしの名前がなんだかわかる?」

「あなたのお名前はベアトリス・プラージュとおっしゃいます。リヴァージュ王国という水辺の美しい国の南方公爵のご息女で、現在十三歳です。この邸はあなたが長年住んでおられた場所ですが、きっと今は僕の方が間取りに詳しいので僕が使用人を呼んで参りますね。」

体の痛みなんてどうでも良くなってしまったユークが自棄気味に立ち上がって呼び鈴を鳴らすとすぐにメイドたちが駆けつけたのであった。


ユークは次々に駆けつけてきた大人にベアトリスのことを説明せねばならず、公爵と医者が来てからはそれはそれで追い出されて結局その日は自身の部屋に軟禁されて彼女とそれ以上会話することなく終わったのである。




~~


翌日の朝、寝台の上で一睡も出来ず何も手につかずただ天井を眺めて夜を明かしたユークが朝食に呼ばれると、そこには公爵に医者にコンスタンという三人の中央にベアトリスがちょこんと座っていた。


「あぁ、ユーク!!」

昨日とは違いユークに敬称をつけなかったベアトリスに淡い期待を抱いたユークだが、駆け寄ってきて自身を優しく抱きしめた彼女にすぐさまそれを打ち砕かれる。


「会いたかったわ、昨日はありがとう。」
「いえ」

「お父様からお聞きしたのだけど、わたくし転んで頭を打って記憶がなくなってしまったのですってね…………それから、あなたがわたくしの弟だって伺ったの。」


「……ええ、そうですよ。____僕はあなたの弟でした。」

複雑な笑みを浮かべて言ったユークの返事をどう取ったのか、ベアトリスは狼狽えた。

「……その、忘れてしまってごめんなさい、」
「いえ。気にしておりませんよ。」


「そ、そう……?っそれで、あの、わたくし、ユークに一つお願いがあって、」
「…はい?」




抱擁を解いて二、三歩後退ったベアトリスは少し間を開けてから口を開く。




「わたくしのこと、あなたじゃなくて、“お姉様”って呼んで欲しいの。」


ユークはベアトリスの言葉に目を僅かに細めた。

「わたくし、あなたがわたくしの弟だって聞いたときとっても嬉しかったの。“こんなに綺麗で素敵な子が弟だなんて!”って。______あ、でも、それですっかり姉弟気分になってあなたのことを呼び捨てにしてしまったけど…お姉さんを失ったみたいになってしまっているあなたにはすごく酷なことをしてしまっているのかも、、本当にごめんなさ_____」

「謝らないでください、

俯いて吃り始めたベアトリスをふわりと抱きしめながら、ユークは奇麗に微笑んだ。身長はユークより拳二つ分、横幅はユークより三回りほど大きな体の緊張が徐々にほぐれていくのがわかる。ベアトリスの手が遠慮がちにユークの背に回されるのと同時に、頭上から「ありがとう」という柔らかい声がした。






(…はは、姉上じゃなくてお姉様か。)


ユークは目線を動かして公爵たちの方を見遣った。公爵の榛色の瞳と目が合うとにっこりと微笑まれる。


「ユーク、少し隣の部屋で話さないか」
「…はい。お姉様、少し父上とお話しして参ります」






公爵に別室に誘われたユークは、扉が閉まった瞬間に背筋を伸ばした。

(…さて、言われるだろうことは予想つくけど。)

「ユーク」
「はい」

「昨日君が教えてくれた通り、ベアトリスは記憶を無くしてしまったみたいだね」
「……はい」
「余計なことを言って混乱させないよう、発言に気をつけるように。ユークならできるよね?」
「_____はい。」

公爵から言われたことは全くの予想通りであった。一度失敗したベアトリスの教育をやり直せる機会を得たのだ、邪魔されたくないのであろう。そもそもベアトリスに直接どうこうする気のないユークは存外素直に頷いた。

「いい子だ、お前は母親に似て素直な良い子だね。……何か欲しいものはあるかい?」

「いえ……僕はが生きていてくださるだけで満足ですよ。」

ユークが微笑んで言うと、公爵は僅かに目を見開いた。

「お話は以上でよろしいでしょうか、先生とコンスタン先生とが待っておられるでしょうから早く戻りましょう。」
「……あぁ、そうだね。そうしよう。」



ダイニングルームの前まで戻ってきたユークは、部屋の中からコンスタンとベアトリスの話し声がすることに気づい
て聞き耳を立てた。数歩遅れてきた公爵も扉に耳をつけたのでユークは目をぱちくりさせる。

(…ん?、てっきりコンスタン先生が余計なことを姉上に言ってしまう前に扉を開けるものかと思ってたけど…)

「私の手違いのせいでユーク君と仲違いをさせてしまった挙句こんなことになってしまって本当に申し訳ない」
「いえ、記憶を失ってしまったのはわたくしが転んだことによる自業自得なのでしょう?だから先生のせいではなくてよ。……でも、わたくし最後にユークと喧嘩してしまっていたの?」
「ユーク君の学園行きを二人のときに言わなかった私の落ち度です。ベアトリス嬢はユーク君と離れるのが嫌で混乱してしまったのでしょう、」

(……そうか、コンスタン先生は姉上と僕の仲が良いと思っていらっしゃるのか)

「そう……ねぇ、わたくしはお勉強がどれほど抜け落ちてるかわからないから学園はひとまず保留だけれど、ユークはたったひと月で学園に行ってしまうのよね」
「そうなってしまいますね…。」

「いえ、仕方のないことだわ。それまでにユークとやりたいことがたくさんあるの、……でも、それもわたくしのわがままかしら。こんなに子供っぽいお姉様、ユークに嫌われてしまうかも」

「……おそらくですが、ユーク君はかなり大人びていますから、ベアトリス嬢が遊びに巻き込んで子供に戻してあげることも必要かと思いますよ。」
「どうでしょう、でも先生がおっしゃるならそうかもしれないわ」



ベアトリスがくすくすと笑い始めたのを合図に、ユークはそっと扉を開けるのだった。






~~



朝食を済ませたあと、ユークはベアトリスに誘われるままに邸の庭に出ていた。季節柄すっかり薔薇は散ってしまったものの、夏らしい鮮やかな色の花々と色の濃い緑の対比が美しい。

(……外に出るなんていつぶりだろう)

少なくとも石畳を踏み締めると言う感触を失ってから年単位の時間が経過していたユークはすっかり庭の外観など忘れてしまっていたのだが、なぜか既視感があった。



(…あぁ、夢の中の場所はここだったのか。夢の中と咲いている花が違っていたからぱっと見ただけじゃ気づかなかった)

夢の中で見た庭と道とパーゴラの位置関係を脳内で比較して合点がいったユークが一人で頷いていると、前を歩いていたベアトリスが振り返った。

「綺麗なお庭ね!!」
「そうですね」

「わたくし、切り花よりもこうして植っている花の方が好きだわ。生きている感じがするもの」
「……そうですか」

「ねぇ、この花とっても良い香り、ユークももっと近づいて深呼吸してみて!」
「はい、」

「ねえユーク、この花とっても綺麗だと思わない?」
「はい…」


さながら夢の中の蝶のようにあちこちの花を行ったり来たりするベアトリスに静かに付き従っていたユークだが、ユーク達の後ろでピクニック用のバスケットやカーペットを持っていたメイド達が小声で話していることに気がついて耳を傾けた。

「ベアトリス様、まるで別人みたいだわ」
「本当にね、きっと頭を打った衝撃で人格まで変わってしまわれたのよ。私は今のベアトリス様の方が好きだわ」
「私だってそうよ、多分この屋敷に雇われてる人全員がそうなんじゃない?」


(人格まで変わった…か、僕はそうは思わないけれど、はたから見るとそう見えるのかもな)

ユークからすれば今のベアトリスは記憶を無くして歪みが全て帳消しになって生来の気質が素直に顕現しただけに過ぎず、頭を打つ前も打ってからもなにぶん変わらぬ自身の姉のベアトリスであることに疑いの余地は無い。



(………だからこそ、尚更気に食わない。姉上一人だけ僕を殴っていたことを忘れてあんなに無垢になるなんて、)











「…狡いですよ、姉上。」


人知れず呟いたユークであったが、次の瞬間には遠くで呼ぶベアトリスの声が聞こえて彼女の元へと走ることとなったのであった。







~~


ベアトリスが頭を打った日から三週間と少し、いよいよ学園への入学の日が迫っている中、期限ギリギリに申仕立てさせたユークとベアトリスの制服が届いた。


早々に着替え終わったユークはベアトリスが着替えている部屋の前で彼女のことを待っている最中である。

「きゃあっユークどうしましょう、スカートが緩すぎて落ちてきちゃうわ!」
「お姉様…制服自体は仕立て直せば良いのでとりあえずベルトで凌ぎましょう」



ベアトリスは以前のような暴飲暴食をやめたおかげかこの三週間で見違えるほどに細くなった。依然として平均よりふくよかであり本人は気にしているものの、以前がはち切れんばかりの樽型体型であったことを考えると大進歩である。

また無表情のメイドを怖がったベアトリスと彼女の昔を知る人物をできるだけ彼女の周りから排除したい公爵の目論見が一致した事により、公爵邸の使用人たちは十分な退職金口止め料を支払われた後に実質的な総入れ替えとなった。新しい使用人たちは「愛らしいベアトリスお嬢様」のために日々精力的に働いている。

また教育係の面々も記憶喪失の彼女には優しいようで、またベアトリス本人も余計な記憶がなくなったせいか以前よりずっと身が入るようで学ぶ事自体が楽しいようであった。そして周囲の人間が思っていたよりも学習やマナーなどの記憶が抜けていなかったため彼女は当初の予定通りユークと同じタイミングで入学することとなったのである。

ユークは傷がすっかり治り、午前中はコンスタンの授業を受けて午後はベアトリスの遊びに付き合う平和な日々を送っていた。


 
こうしてどんどん以前の歪な彼女は皆の記憶から忘れられ、無垢で天真爛漫なベアトリスが積み上がっていくのだろう。






___歪なベアトリスに歪められた、歪なユークを置き去りにして。

(…………以前よりずっと生きやすくなったのに、こんなにも厭になるのはどうしてだろう、)

扉の向こうから聞こえるベアトリスと新しいメイドの笑い声に、ユークは下唇をぎりりと噛んだ。



「ユーク、わたくしベルトの調整でもう少し時間がかかるから、コンスタン先生の所に先に行っておいて頂戴」
「…はい」
 
 










~~

姉の指示通りコンスタンの使っている部屋の扉を叩いたユークはマホガニーの紳士に快く迎え入れられた。

「おお、学園の制服ですか。良く似合っていますね」
「ありがとうございます」


「……私が言えたことではないかも知れませんが、姉君が記憶を無くされてから、どうでしょうか」

「…慣れました。記憶を無くされても姉上は姉上ですし」

曖昧に微笑んだユークに、コンスタンは心配そうな顔をした。

「その、あまりひとりで抱え込み過ぎないで下さいね、私であればいつでも相談に乗りますし、私でなくともいいので誰かに話すように。相談でなくても姉君との思い出話でもなんでも、人に話すと少し荷が降りますよ。」

「はい…そうですね、」


それきり会話を終わらせようとしたユークだが、コンスタンが煙草を燻らせてすっかりこちらの話を聞く姿勢になっていることを察して目を瞬かせた。

(………………相談、若しくは姉上との思い出話か、、幼少期の朧げな記憶以外は殴られた話か罵倒された話ぐらいしか____あ)





「_____この間、姉上と蝶を追いかける夢を見ました。多分ほとんど覚えていないような幼い頃の記憶の断片なんですけど、」
「ほう、微笑ましい思い出ですね」
「……ええ。ただその光景を夢に見たというだけの話で、面白くもなんともないですが。」



「いえ、話してくれてありがとうございました。……お返しになるかはわかりませんが、私も他愛ない昔話を一つするとしましょうか。」

コンスタンは紫の煙を吐き出すとともに微笑みながら、聞き心地の良い低音で語り始めた。


「このパイプ、昔はもっと重いものを吸っていたのですよ。ですが昔友人に、お前の好きそうなフレーバーだからと言われて贈られたものに変えてから、ずっとそのままなんです。」 
「そうなんですね」
(煙草って重い軽いがあるのか)

「ええ、正直私は重い煙草の方が好きだったのですが、ある日彼と会ったときにその煙草を出したら、“やっぱり気に入ってくれたんだ”と彼にたいそう喜ばれましてね、それもその時だけでなく、彼に贈られた銘柄の葉を出すと毎回毎回指を指して喜ぶんですよ。それが恒例のやりとりのようになって、変えるに変えられなくなってしまったと言いますか。私も楽しくなって、彼と会うときはかならずパイプを持っていくようになりました。」
「……素敵なご友人ですね」

生まれてこの方ほとんど邸から出たことがなく同年代の友達などできたことがないユークは煙草ことも友人のこともわからなかったが、コンスタンが楽しげに話すので微笑みながら相槌を打った。


「ええ。___二年前に彼は病気で亡くなってしまったのですが、今も煙草はこのままなんですよ。特に意識していたわけではないのですが、ある日妻に指摘されてようやく気がついたんです。彼の葬式からだいぶ時間が経過して皆彼の話をしなくなった時の出来事だったので、彼は確かにこの世界に存在していて、私や周囲に影響を与えていたことを実感できてすごく嬉しかったんです。」

「…………!!」

ユークはコンスタンの言葉を聞いて目を丸くした。



(………影響を与えられた存在が、その記憶の、人物の実在の証明になる……)


脳内で反芻していると、ユークの中で何ががつながった。








(______姉上に歪められた僕は、歪な姉上の証明になる、………………歪んだ僕だけ、ひとりにならない?)
  



「…あまり面白い話ではなかったですね、長々と失礼しました。」



「_____いえ、話してくださりありがとうございました。なんとなく落としどころが見つかったと思います。」

ユークが珍しく心からの笑みを浮かべると、コンスタンは目をぱちくりさせてからにっこりと微笑んだ。

「おや。君に何か得るものがあったならなによりです」




「___ええ。」

(姉上はきっとどんどん立派な淑女の“お姉様”になっていって誰からも愛されるようになるだろう、でも、僕は、“姉上”に歪められた歪な僕は、この歪さを絶対に手放せないし、死んでも離さない。僕はで満足ですから______













______これからもの弟でいさせてくださいね。姉上が学園生活を謳歌できるよう、姉上を失わぬよう、がお守りします。)



遠くから聞こえてきた姉の声に、ユークは笑みを深くした。













………
………

ひとまず序章は完結となります、前中後編に収めようとしたら平均7000字を超えるという暴挙…!ここまで読んで下さった方は本当にありがとうございました。

ここから一度キャラクター紹介を挟んだ後に始まる本編は3000~5000字ぐらいの分量でサラッと読めるように話を細切れにして投稿する予定ですので、これから始まるユークとベアトリスの学園生活にお付き合い頂ければと思います。


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