とある警察官の恋愛事情

萩の椿

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第八話

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何か、ごそごそと動いている気配がする。


そう思ったのは和泉が眠ってからしばらく経っての事だった。一人部屋だし部屋に誰かいるとは考えにくいのだが……。



(あれ、そう言えば俺。鍵閉めたっけ?)


 隣の生徒に、訓練を休むと伝えるために部屋を出て、戻ってから鍵を閉めた記憶がない。もしかしたら、誰か入ってきたのかと和泉は慌てて目を開けた。


「な、なんでここにっ」


 部屋の中にいた人物を見て、和泉は飛び起きた。物音の正体は、一ノ瀬だったのだ。



「辛いか?」


 予想外の人物の登場に戸惑っている和泉をよそに、一ノ瀬は、和泉の頬に手の甲を当てた。


「38度はあるな」


 和泉は目を見開く。ただでさえ高い体温が急激に上がっていくような気がした。


「とりあえず、解熱剤をもってきた。腹に何か入れておいた方がいいだろうから、おかゆも持ってきたんだが、食べれるか?」



「え……、いや」


「どっちなんだ? 食べれるのか、食べられないのか」
「あ……、はい、いただきます……」


「今は教官として接しているわけじゃない。そんなに気を張らなくてもいい」


 和泉が姿勢を正し、正座すると一ノ瀬は小さく笑った。しかし、そうは言われても、毎日扱かれている相手に気を遣うなという方が無理な話だ。

一ノ瀬から渡された容器は、食堂のものだった。きっと、食堂の人が別メニューで作ってくれたのだろう。後日礼を言うのを忘れないようにしなければと思いつつ、ふたを開けるとほんわかと湯気が立つ。美味しそうなおかゆが入っていた。


「いただきます……」


 口の中に入れると、優しい出汁の味が広がった。朝食を抜いていたので、一口食べると段々と食欲が湧いてくる。


(でも、食べづらいな……)


 正面に座る一ノ瀬は、机に肘をついてじっと和泉の事を見つめている。こんな風に見つめられて、いつも通りに食事ができる訳がない。


「あの……、もう大丈夫ですから。その、教官のお時間を奪ってしまって申し訳ないですし……」
「心配するな、この時間、俺の授業は入ってないし、事務処理も終わらせてきてる」
「あ、そうですか……」



 そうは言っても、ずっと見つめられたままでは食べにくいし、気まずい。大体、どうして一ノ瀬は自分の元へ来たのだろうか、と和泉は首を傾げた。きっと、体調を心配してくれているのだろうけど、わざわざ教官が生徒の元へ来るものなのだろうか? 良く分からないが、とにかくこの二人だけの空間を今すぐ抜け出したくてたまらない。


「きついだろ、訓練」


 張り詰めていた沈黙を破ったのは、一ノ瀬だった。


「お前、あんまり無理すると体調崩すからな。部活の時だってそれで熱出したの憶えてるか?」


「え?」


「確か、俺が高校三年の時だったから、お前が二年生の時だ。部活の練習が一層激しくなって、丁度今みたいに熱出してた」


「どうして、そんな事憶えてるんですか?」


「どうしてって、そりゃ憶えてるだろ。普通」


 一ノ瀬の真っすぐな眼差しを見ていると、時間が巻き戻っていくような気がした。和泉が熱を出したあの頃、一ノ瀬は何度か和泉の家を訪れ、差し入れをくれたり、共働きで、帰宅が遅い両親の代わりに献身的に面倒を見てくれていた。


その記憶は確かに和泉の中に残っている。一つ懐かしい記憶を思い出してしまうと、次々と湧き水の様に当時の事が蘇ってしまう。



 一ノ瀬との記憶は、和泉にとって思い出したくない程の辛い過去だ。それでも、その中には甘酸っぱい気持ちや、青春が詰まっている。笑いあったり、時には喧嘩をしたり。思春期のあの特有のもう二度と取り戻せない時間を、一ノ瀬と共に過ごしてきたのだ。



「まあ、とりあえず薬飲め」


 一ノ瀬の声に和泉は、はっと我に返った。
 完食とまではいかないがある程度おかゆを腹に入れた。和泉は一ノ瀬から渡された薬を受け取り、水で流し込む。


「体力もでき上ってないうちから飛ばすからこんな風に体調崩すんだ」


 少し、呆れたように一ノ瀬がため息をついた。


「でも、周りの生徒は、俺よりも優秀な奴らばっかりで……。多少無理しないといつまでも追いつけません」


「他人と比べる必要はない。人それぞれペースがあるんだ。焦っても仕方がないだろ」


「それは、分かってますけど」


 それでも、皆に置いていかれるのではないかと思うと毎日不安だし、皆と同じようにできない自分が許せないのだ。和泉が俯いていると、一ノ瀬がそっと頭を撫でた。


「あんまし無理はするな。そんで、今はゆっくり休め」


 一ノ瀬によって、和泉は再びベッドに寝かされる。


「じゃあ、俺はこれで」


 そう言って部屋を出て行こうとする一ノ瀬に和泉は慌てて礼を伝えた。次の日も、まだ微熱程度の熱が残っていたので訓練を休むと、一ノ瀬が再び食事を届けてくれた。自分の為に時間を割いてもらうのは申し訳なかったが、少しだけ嬉しくもあった。寝てるだけで特に何かできる訳じゃないから暇だったし、病気で苦しいという事もあって少しさびしくもあったのかもしれない。




そして、二日後、体調が回復した和泉は通常通り訓練に復帰した。朝、いつもの様に朝礼に参加すると栗田が笑顔で駆け寄ってきた。

どうやら、熱を出した和泉に差し入れをしようとしてくれたらしいが、和泉が過ごしている男性寮に女性は入れないのでお見舞いに来ることができなかったらしい。いつも隣で弱音を吐きながらも一緒に頑張る仲間が二日間不在という事で寂しかったようだ。


病み上がりの訓練はいつも以上に苦しかったが、なんとか乗り越えた。
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