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第十四話
しおりを挟む地獄とは、まさに今この空間のことだと和泉は思った。狭いリビングに、一ノ瀬と母親が向かい合って座っている。和泉はと言うと、来客だと言うのにお茶も出そうとしない母親に変わってお湯を沸かすためリビングに立っていた。
(父さんは出かけてるんだろうな……)
昔から、ゴルフが好きだった父親はよく年末年始は会社の同僚と打ちっぱなしに行くとか言って家を空けることが多かった。母親に比べると比較的父親は穏やかな性格をしている。そんな父親が家にいないのではますます母親を止めることが難しくなってくるだろう。
しーん、と張り詰めた沈黙を破ったのは和泉の母親だった。
「あなた、今仕事は何をしてるの」
「警察官をしています」
「警察……? 透、もしかして何かあったの?」
母親の顔が曇った。警察と聞いて、和泉の身に何か起きたのではないかと心配しているのだろう。これでも、もとはと言えば愛情深い人間なのだ。
「違うんだ……。実は俺、今年の十月から警察学校に通い始めてて、そこでたまたま教官だった一ノ瀬先輩に会ったんだよ」
「警察学校……? 透、貴方警察になりたかったの?」
「まあ、うん。色々あって」
「……そう。相変わらず、何も言ってくれないのね」
実家を出てから、和泉と母親は疎遠状態になっていた。大学を卒業してからの就職先も、就職して一年ほどたった後に、母親からのメールがあった時に伝えたくらいで、いちいち近況を報告してはいない。しかし、母親にとってはそれが少し寂しくもあるのだろう。
母親は、髪の毛をかき上げてため息をつき、そして、一息ついて一ノ瀬の方を向いた。
「……少し変だと思い始めたのは、透が高校に入ってからだった。部内にすごい先輩がいるっていう話を私に何度もするようになって。それが、あなただった」
一ノ瀬を見る母親の目に力が籠る。
「初めはただ尊敬してるだけだと思ってた。でも、あなたの事を話す透の顔を見て、それだけじゃないって気が付いた。あなたのしぐさや行動を照れくさそうに、幸せそうに話す透を見て、何だかおかしいと思ったのよ」
母親は、和泉が高校一年生だった時の話をしている。当時はまだ家族の仲は良かった。両親は教育にも熱心で、勉強を教えてくれたり、やりたいと言った野球をやらせてくれたりと、理解のある両親だった。例え何があったとしても絶対に自分の味方でいてくれる、当時の和泉にとって親とはそう言う存在だったのだ。
だからこそ、自分の気持ちを打ち明けることに、他の人よりも抵抗はなかったのかもしれない。けれど、それが人生を狂わせてしまうカミングアウトなのだという事に、あの時の和泉は気づかなかった。
「そんな時、透が私達にゲイだと打ち明けてきた。自分は女性を好きになることができないのだと」
今思えば、あの時のカミングアウトさえなければすべて丸く収まっていたのだろう。けれど、和泉の中で家族は何よりも大切な存在だった。
両親に隠し事をすることがあの当時は嫌だった。それに、友達が当たり前の様に女性を好きになれるのに対して、自分はまったく女性が恋愛対象にならない。自分はおかしいのかもしれないという苦しみもあって、単純に話を聞いてほしかったというのもある。自分の親ならば理解してくれると思っていた。
けれど、それは甘えだったのだと思い知らされた。
同じ部内の一ノ瀬という先輩と付き合っていると伝えた時の、母親の絶望した顔は今でも和泉の脳裏に焼き付いている。
「おかしくなってしまったと思った。男性が男性を好きになるなんて普通じゃない。いつ、どこで育て方を間違えてしまったんだろうって、何度も自分を責めた。でも、後悔したところでやり直せるわけじゃない。だから、高校を転校させて、あなたとの関りを完全に絶たせた」
母親はさっきみたいに怒鳴りつけたりすることはなかった。しかし、口から放つ言葉はまるでナイフの様に鋭く、和泉の心を抉っていく。
当時の事を思い返すと、むせ返るような苛立ちと、悲しみに襲われる。自分のカミングアウトによって、こんなにも大惨事を引き起こしてしまうなんて思いもしなかったのだ。
和泉の母親は、一ノ瀬、それから一ノ瀬の両親に一度会ってくると言ってきかなかった。そんなことになってしまえば、一ノ瀬に迷惑が掛かってしまう。今にも出て行ってしまいそうな母親に、和泉は土下座したのだ。
手を床について、深く頭を下げた。隠しておきたかった、壊してしまいたくなかった、一ノ瀬との幸せな思い出に、土足で踏みいってほしくなかった。
「私はあなたと、あなたの両親になにか一言でも言ってやらないと気が済まないとずっと思ってた。でも、透があなたの為に頭まで下げるから……。それすらも気持ちが悪くて仕方がなかった」
当時の和泉なりに、一ノ瀬を傷つけずに済む方法を考えた。このまま、転校して一ノ瀬とはもう二度と会わない、連絡も取らない。
だから、どうか一ノ瀬に会いに行くことだけはやめてくれと必死で伝えた。そして、母親は何日か考え込んだのち、和泉の案を承認したのだ。
一ノ瀬には申し訳ない事をしたと思っている、何度謝っても許してもらえないかもしれない。でもそれが、和泉が一ノ瀬を守るために唯一できたことだった。
(もう、最悪だ……)
隠していたことがすべて無駄になった。母親の鋭い言葉で一ノ瀬を傷つけたに違いない。自分の家の都合で、一ノ瀬を巻き込んでしまったという事が申し訳なくてたまらなかった。
「もういいよ母さん、もう充分だろ……」
お茶はできあがっていた。けれど、もうこれ以上一ノ瀬にここにいてもらう必要はないから、もう出す必要もない。
「先輩、母がすみませんでした。もう、大丈夫ですから」
この張り詰めた空気はとても居心地が悪い。母親も言いたい事はもう言い切っただろうし、何よりも一ノ瀬の事が心配だった。外まで一ノ瀬を見送ろうと、和泉がコートを羽織った時だった。
「私は男性ですが、恋愛対象は男性です。けれど、それが異常だと思ったことは一度もありません」
ずっと静かに和泉の母親の話を聞いていた一ノ瀬がここに来て初めて口を開いた。
「ゲイだとはいっても、思いは普通の恋人を思う気持ちと何ら変わりはありません。笑顔にしたい、側にいたい、幸せにしたい。ただ、それだけなんです」
一ノ瀬はまっすぐに母親の顔を見ていた。その慄然とした態度に、和泉の母親は少し怯んだようで、唇を噛みしめている。
「だからって……、だからってっ、あなた警察官でしょ? 責任のある仕事に就いている人がゲイってどうなのよ」
母親の言葉は完全に当てつけだ。警察官だからって、どんな立場にいる人間だって、誰を好きになるかは個人の自由だ。他人に口出しされることではない。とにかく、和泉の母親にとって、ゲイという人間は理解できなくて気持ちが悪い人種という認識しかできないのだろう。
「もうやめろよ!」
流石にもう我慢が効かなくなってきた和泉は、母親に向かって怒鳴った。
「どうしてそんなこと言えるんだよ! 母さんだって……」
「透」
和泉の言葉を遮ったのは一ノ瀬だった。それ以上は何も言うなといったように首を横に振っている。そして、再び和泉の母親と向かい合った。
「確かに、警察官として勤めるうえで、自分がゲイだという事を公表できていないことは事実です。まだ、理解がある世の中ではないので。それを公表してしまえば、仕事に差し支えることは十分に分かっています。けれど、いつか同性婚が認められるような日がくれば、公表したいと思っています。とにかく、いまお母さんに分かってもらいたいのは、ゲイも、普通の人間もただ人を愛すという事に関してはなにも変わらないという事です」
そして、一ノ瀬は一呼吸おいて続けた。
「出過ぎたことを言っているかもしれませんが、どうか息子さんの感情を異常だなんて言わないであげてください。私は、思春期に自分がゲイだという事に気づき、ずっと周りとは違う人間なんだと思い生きていましたが、そんなときに支えてくれたのが両親でした。一番身近な人が自分を理解してくれないという状況は、本人にとってもつらいはずです」
こんな時でさえ、一ノ瀬は和泉の事を気にかけてくれている。強烈な言葉を投げかける和泉の母親にでさえ、感情を荒げることはない。
「では、私はこれで失礼します。お邪魔しました」
一ノ瀬は席から立ち上がり、和泉の母親に頭を下げた。そして、和泉の肩をぽんぽんと二回叩き「見送りは結構だ」と言って部屋から出て行った。
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