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第一部 一章「辺境の呪い星」

「知らない少年は知っている」

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 ――これはほんの数時間前のこと。
 木々のきしむ音が森の中でこだまする。
 枝から枝へ、軽やかに跳躍するのは赤いジャケットを着た少年だ。
 その手には物騒な銃を持ち、ときおり地面に向けて発砲をした。
 的がないと思われたが、地面を這う黒い影が少年の後を追ってきている。彼の狙いはその影だった。
 放たれた弾が影に命中すると影は動きを止め、ドブッ、と飛沫をあげる。
 混沌とした液体のような影は澱んだ顔を出し木の上を見上げた。

「しつこいな。ここ数日間付きまとってきているが、この俺になんの用だ?」

 優々と少年は木の枝にぶら下がり不気味なそれを見下す。
 影は唸りをあげ、低く響く声で言葉を発する。

『オマエ、シッテル、ナ……』

「知能があるとは思ってなかったが、言葉くらいはできるのか」

『アノ、オンナト、ハナシテイルノヲ……、ミタ。……キイタッ』

「……あの女、もう少し周りを気にしろよなっ。二度と会うかあんな奴……」

『ミタ……、ミタ……ッ! キイタ、キイタ! オマエ、シッテル。サガシテイル。……アノソンザイヲ。――ヤクサイノ、ムスメ、ヲ!』

 呆然と聞いていた少年はキョトンと瞬きをする。
 そしてその直後、口角をつり上げて不適な笑みを浮かべた。

「……じゃあ、お前もが目当てってことか」

 再び、銃口が影にへと向けられる。

「邪魔なモノは排除するのが一番だ。――は俺のモノだ!」

   ◆

 ――私にはひと月ほど前の記憶がありません。

「マーサ。引き取るのは勝手だが……」

「大丈夫です。なにも覚えてなくて不安なだけですから」

 町外れで倒れていた私を最初に見つけてくれたのがマーサさんでした。
 見つけられた時の私は汚れた少々高貴な身なりをしていたらしい。容姿からとある人はどこかの貴族の娘ではないかとも言っていた。
 だが確証もなく記憶もない。そういった過去の経歴などはすぐに置き去りとされていく。
 それどころか、私が他の人から毛嫌いされるように見られていたのにはちゃんとした理由もあった。
 当時の私は人の視線になぜか怯え、接触を避け、とても陰気なものを漂わせていた。
 他の人にはそんな私が気味悪く見えたらしい。
 怖がりながら暗闇に引きこもり、あの瞳を向けてしまう。
 すると、目が合った人は誰しも目を背けようとする。
 私の瞳は、通常とは異なっていたから……。

「そうだろうが、その目……。少し不気味というか」

「そうですか? とても綺麗な瞳だと私は思いますよ。ねぇ、ちゃん」

「……エ、リー?」

「持っていたハンカチに名前があったんだけど、焦げてて全部読みきれなくて。呼ぶ名前があったほうがいいと思うの。……嫌、かしら?」
 
 この時には私の所持品などは全く残っていない。服も使い物にならず、マーサさんの子供の頃のを借りていた。
 わずかな所持品に私の名が付けられていたらしいが、生憎全てを読み上げることができなかったらしい。 
 だから、そっと寄り添ってくれるマーサさんは私に名前を付けてくれた。
 他人のような名前に最初は戸惑っても、心の底では嬉しかった。
 独り身のマーサさんは誰よりも積極的に私と関わってくれた。
 わからないことを教えてもくれ、そうして一緒に暮らしている間に私は明るく振る舞えるようになった。
 そうしてくれたおかげで外にも慣れ、周りともそれなりに和解でき幸せな日々を過ごせるようになった。
 記憶なんて戻らなくても、この幸せな日々があればいい。
 そう願い、自分の不安に蓋をした。

 ――だけど。そんな細やかな願いが崩れるような音が聞こえた気がした。




 目の前には冷たく思える黒い穴が突きつけられている。
 少年が向けるそれにはエリーも思い返せば見覚えがあった。
 時おり男の人が狩りに行く際に持っている銃と似ていた。猟銃よりも小さいが、それが危険なモノだということは容易に理解できる。
 混乱したエリーは少年の顔を見上げる。
 おかしなことに彼の表情には一変の曇りもない。呼吸すると同じように、彼はこの状況で平然とした表情をしていた。
 冷たい目がずっとこちらを捉えている。

「……ぁ、あの……」

「お前、利き手は?」

「え……? ……右、ですけど?」

 ちょうど少年に掴まれている方だ。

「OK。少しでも抵抗すれば撃つ。死なない程度に最初は左手から指を一本ずつ。それでも逆らうなら腕。……脚はなるべく残しておきたいな。いちいち運ぶのも面倒だ。だが逃げる脚も邪魔でしかない」

 淡々と、後にぶつぶつと。恐怖心を煽ることを呟きながら銃口は腕から脚と狙いを彷徨っている。
 脚に銃口が向けられた時、エリーは狙われた脚をほんの少し地を滑らしながら下げていく。少しでも狙いから逸らしたいという思考に体が動いてしまう。
 靴底が地を擦る。じゃりっとした音に少年はピクリと目を細めた。
 唐突に捕まれていたエリーの右腕が強引に引き上げられる。

「……ぃッ!」

「おい。俺から逃げるつもりか?」

「……っ、ま、た?」

 ――彼は、私のことを知っている?

 吊り上げられ、つま先だけが地に擦れるのみ。掴み上げる手は余計に強くなり腕が軋む。
 苦悶に表情を歪め瞼には涙をにじませた。
 
「ぃ……っ、たぃ。やめて……、くださいっ」

 だが、彼にその祈りが届くことはない。
 どこまで凍てつくような冷酷な目だけが向けられている。
 その目には嫌悪すら感じられた。
 
 ――私を知っている貴方は、私を嫌っている?

「これ以上手間をかけさせるな。でないと……」




 一瞬だった。
 銃声が上がり心臓がキュッと引き締められて頭の中が真っ白になってしまう。
 言葉を失い目を見開いたエリーは視界に映る少年を見上げていた。
 向けられていたはずの銃口が煙をあげ別の方向にへと向いている。
 少年は真後ろにへと銃を向け今の一発を放っていた。
 こちらよりもそっちにへと気を集中させた少年は掴む手を緩めエリーを下ろす。
 同じになって少年の後ろを覗き込んだ。
 見た瞬間、エリーは体を強ばらせて息を詰まらせた。
 路地の暗闇で蠢く、異形の物体がそこにはいた。
 黒々としてドロドロで、形の定まらないようなもの。悶えているように動き、次にそれはギョロリとした眼球を現しこちらを捉えた。
 生々しいそれとエリーは目が合ってしまい身をカタカタと震わせる。
 
「まだ付いてきていたか……。往生際が悪いぞ」

 そう悪態を吐く少年はいたって冷静だ。
 次の瞬間、澱みは凝縮したかと思えば一気にこちらにへと飛びかかってきた。

「……ちっ」

 唐突に少年は腕を払いエリーを壁にへと放り投げた。
 続いて飛び込んできたものを少年はかわそうとするが、余計な行動のせいで動作が遅れ広げていた左腕を澱みは絡み抜けていく。
 二の腕から指先までドロリとした粘液が纏わり付いて高熱を放つ。
 消化液のようなものらしく異臭と焼ける痛みが襲う。

「……っ、クソ野郎がっ」

 飛んでいった本体にへと銃口を向け数発放つ。
 全て当たり風穴を開けるが、しだいにそれは塞がっていく。だが痛みはあるらしい。奇声をあげて、今度は路地の隅にあった排水溝にへと逃げ込んでいく。
 更に追打ちをかけるが、止まることなくそれはズルリと気味の悪い音をたてて姿を消した。

「……逃げ足が速いな。ああいうのは追うのが難しい」

 左腕の異物を払いのけ、壁側にへと振り向く。
 捕まえていた少女は壁にへと体を打ったのかその場に倒れ込んでいた。
 
「……!」

 これまで冷静だった少年が咄嗟に血相を変えて少女にへと駆け寄る。
 注意深く体を確認し、口元にへと手を寄せた。
 息は有り、意識を失っているだけである。
 詰まっていた息を吐き一息いれてから、少年は好都合だと小さな体を抱える。

「やっと見つけた……」

 銃声のせいか、こちらに向かってくる音が聞こえてくる。
 住人に気取られれば邪魔が増えるだけだ。
 最後に天を見上げ、視界に何かを浮かべて少年は呟いた。

「条件は揃ったぞ。絶対に捕まえてやるからな……」

 それを最後にこの場から一気に駆け出した。
 抱えている少女のことなど一切考えず。眠り続ける少女の身は乱暴に揺さぶりつつ、駆け抜けていく。

   ◆


 ――暗闇の中で、誰かが泣いている気がした。

 歩き進めると、そこには自分と同じほどの少女が座り込んで泣いていた。
 止めどなく溢れる涙を拭い、嗚咽を漏らしている。
 心が痛む。自分でその悲しみをなんとかしてあげられないかとエリーは近寄った。
 
「……大丈夫? どこか痛いの?」

 尋ねてみるも、少女が泣き止む気配はない。
 どうすればいいのかわからず、それでもなんとかしようと考える。
 少女は泣きながらなにかを呟いていた。
   
『怖い……』
『誰か助けて』
『お願い……、私を――』

『――

 響いたそれは反響し周囲から聞こえてくる。左右、後方からも。まるで自分が放っているかのような言葉にゾッとし身を強ばらせた。
 その言葉の後に、周囲が揺らぎ、少女は突然激しく泣き叫んだ。

『いやぁあああぁあああッッ!!! もう、やだぁあッ!!!』
『ウソつき、ウソつきウソつきウソつきぃ!! みんなウソばっかり!!!』
『どうしてみんな私にウソばかりつくの!? どうして私を嫌うの!!?』
『私はなにも、なにもしてない! なのに、どうしてぇ……っ』

 響く声は少女からだけではなく周囲からも重なって響いてくる。
 悲しみ、絶望。……そして、恨みと怒りを宿した声に耳を塞ぐ。
 そこから先は、まるで呪いのような言葉であり酷い耳鳴りとなって襲いかかってくる。
 
「やめて……っ。頭が、痛いぃっ。もう、これ以上……」

 ――誰かを傷つけることを言わないで。

 人が傷つくところは見たくなどない。自分が傷つくよりも、それはとても辛いこととエリーは感じていた。
 彼女にとって他者には幸せであってほしいから。
 止めてほしい。この呪詛の羅列を。誰かに。
 その願いが届いたのか、一つを境に全てが掻き消された。
 そうしたのは、――一発の銃声だった。
 静まったことに耳を解放し、エリーは後ろを恐る恐る振り返る。
 そこには、男が立っていた。
 冷たい目をした少年が。
 彼の足元には赤黒いモノが付着している。その脚を歩ませ、エリーの隣を通り過ぎていった。
 ふと、彼が通ってきた道を見直す。
 見えた光景に目を疑った。
 暗闇に赤い色が鮮明に映り込み幾多の屍が転がる。まるで地獄のような光景。
 恐怖に身を震わせていると、

「――やっと、見つけた」

 そう呟かれ、振り返るといなくなったと思えたはずの少年が立っている。
 そして、また銃口をこちらに向けて睨んできた。

「お前のせいで……、俺は……っ、アイツにっ」

 恨んでいる少年。その責任を殺意とともにこちらに向けてくる。
 最後にはその銃口から光が放たれ、なにも見えなくなった。   
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