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第四部 二章 「潜む蛇」

「敗者のおうむ返し」

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「……ただいま、です」

「おかえりエリーちゃん。……あの馬鹿二人いた?」

 宿の部屋で待っていたネアはベッドの上でくつろぎながら振り返る。
 質問をするも、エリーからはなかなか返事がない。
 再度質問などしなくとも、エリーの浮かない表情だけで察しはついた。
 まったく見つからなかったわけではない。両者のどちらかは見つけたが、一人で戻るということはそれなりの理由があってのこと。
 この場に両者がいれば、一発拳をぶつけていたことだろう。
 怒りをおしころし、重たいため息として吐き捨ててから身を起こす。

「……ひょっとしてなんか言われた?」

「…………」

 エリーはフレズベルグとのことを内緒にすると約束した。口に手を当て、ネアから顔を逸らして首を横に振る。
 あからさまな黙秘。やはり何か言われたのだろうと、ネアは肩をすくめる。
 
「言いたくないのなら仕方ないわね。なんだったら今度はお姉さんがあの馬鹿二人を連れて来るわ。エリーちゃんは此処で待っててね」

「……でも」

 イロハはその内戻ってくるだろう。しかし、クロトはそう簡単にはいかないと、エリーは知っている。
 距離を自らとっているクロトを無理に連れ戻すことには戸惑うものだ。
 ネアを止めたくもあったが、どう説明してよいかもわからない。

「……っと、その前に」

 部屋から出ようとしたネアはくるりとUターン。一直線に窓に向かうと、それを勢いよく開け放った。
 同時に、驚いた声が外から聞こえ……。

「戻って来てんならとっとと入んなさい!!」

 窓から体を伸ばし、ネアは一気にそれを引き上げる。
 部屋にへと引きずり込まれたのはイロハだ。
 今さっきか、彼も戻ってきたのだろう。

「あ~っ、お姉さん放してよ~!」

「放すわよっ。――ふん!」

 ネアはイロハを床にへと放り込む。
 
「アンタはエリーちゃん見ててっ。私はもう一人の馬鹿を探してくるから」

「うぅ~」

「言っとくけど、勝手にエリーちゃん連れだしたら、地の果てだろうととっちめて死よりも恐ろしい恐怖を叩き込んでやるから」

「なんでそんな怖いこと言うのお姉さん!?」

 念には念をと、ネアはイロハにクギを刺しておく。
 ネアにとってイロハはまだ信頼できる仲ではないということがよく理解できた。
 呆気に取られている間に、エリーの隣をネアは通り過ぎ、気が付いた時には出ていった後だ。

「……ネアさん、大丈夫でしょうか?」

「お姉さんなら先輩も怖いと思うけどなぁ~。……ボクはお姉さん怖い」

 床で仰向けになるイロハは眉を歪め、困った様子。
 
「あ! 姫ちゃん姫ちゃん。さっきね、フレズベルグがお姉さんに内緒にしてくれたことに、……かんしゃ? してたよ!」

 それはフレズベルグとの約束を守れたということなのだろうが。エリーは素直に喜べない。
 ネアを騙しているようで腑に落ちないからだ。

「…………たぶん、ネアさんは気付かれてると思いますよ? イロハさんが妖しいこととか」

「ええ!? なんで!? ボクなんにもしてないのに……」

 自覚はなくとも、ネアなら気付くのは容易だろう。
 不安な瞳は開け放たれた窓へ。
 紅く染まり、もうじき夜の訪れる空を眺める。

   ◆

 ――お前に、会わなければよかった……。

 それはに打ちのめされた言葉だった。
 苦しそうに嗚咽を必死と耐えた声。
 これは、俺の記憶じゃない。
 俺は後悔をあの日以来したことがない。
 肉親を殺すことにすら、そんな感情は抱かなかった。
 ならばこれは……の記憶だ……。
 




 しばし、そんな訳もわからない思考の中。
 クロトの意識を呼び起こしたのは、唐突な怒鳴り声。

『ああ、くっそ! ふざけんなよ、あのクソガキ!!』

 ふと、目を覚ましたクロトは呆然とする。
 真っ先に視界に入ったのは、湿った木材の屋根。寝転ぶ背には干し草と、隣で馬の鳴き声が。
 今自分がいるのは、村の外側にある馬小屋だ。
 
『ああいうのを脅しって言うんだよ! えげつなっ。しかもあの魔女の仕組んだことかよ、一生恨んで絶対にぶっ殺す!』

「……」

『最悪だよ、クソ魔女がっ。用意周到かもしれないが、よりによってそんなん準備しとくか!? 性悪にもほどがあるだろうが!』

  脳に響くのは炎蛇の愚痴だ。
 イロハに切り札であるを見せつけられた。
 呪いと同等ならまず間違いなく、撃たれれば二度と覚めない眠りにへと落ちる。
 それは同時に、ニーズヘッグすら肉体に閉じ込めたまま。二度と外に出ることはできなくなる。
 邪魔を排除するのにうってつけな、正に最悪の切り札だ。
 それに腹を立て、炎蛇はこうして騒いでいるのだ。

『つーか、お前も実のところあの魔女に信頼されてねーのな。そこんとこ、どうなんだよ?』

「……うるさい」

 小声で返す。
 今はニーズヘッグの相手すらままならない。

『やっぱあの魔女ヤバイよな? お前で勝てない事くらい俺でも知ってんだよ。だったら俺があの魔女を焼いてやるから、いい加減俺に任せろって』

「勝手に決めんな。……自分でやる」

『どっからその威勢は出てくんだか。お前、一発でも当てれた事あんのかよ? ねーだろ!? 知ってるって、言ってるだろうが! お前にあの魔女を殺すことなんて、万に一つでもねーって!! 可能性ゼロなわけ!』

 ため息しか出ない。
 長く吐き捨てたクロトは、それと同等の量を一気に吸い込み……

「――うるっせぇって言ってんだよ、クソ蛇!!!」

 力の限り、怒鳴り散らした。
 馬たちが動揺する中、ニーズヘッグは思わず口を閉ざし黙り込む。
 クロトの意識は精神の奥へ。直にニーズヘッグを視界に入れればずかずかと迫り、更に声をあげる。

「お前が勝手にそんな勝敗決めてんじゃねーよ!! お前だってあの魔女に負けたからこういう扱い受けてんだろうが! 人のこととやかく言える立場でもねーくせに、偉そうに上から目線でいるな!! お前から殺すぞ!?」

 金の瞳を丸くさせ、ニーズヘッグは硬直。
 しばらく瞬きを繰り返し、クロトの発言に不快と睨み返して立ち上がる。

『ふ……っざけんなよクソガキ!! この俺を誰だと思っていやがる!? 俺は【炎蛇のニーズヘッグ】だぞ。お前よか魔女に勝つ自信あるわ、ボケ!!』

「つまりはお前も勝てる可能性100%じゃねーんだろうが? よくそんなんで「勝てます」って言えるな!?」

『お前にだけは言われたくねーわ!!』

 クロトが言い返せば、ニーズヘッグも言い返す。おうむ返しの繰り返し。
 
『言っとくが、まず人間如き脆弱な生きもんが、あの魔女に勝てるわけがねぇだろうが! あの魔女は名のある悪魔を刈り続けた最悪野郎だっ。俺が知る限りでも、九の王に属する【水霊鬼すいれいきのルサルカ】、十二の王に属する【強欲獣のメフィストフェレス】がやられてるっ。普通なら負けを認めて、人間らしく怖じ気づいてろよ!!』

 名のある悪魔はどれも魔王にも匹敵する者ばかり。
 クロトの追う魔女の力量は魔王と同等、もしくはそれ以上ということがわかる。
 力量を知れば、利口な者なら挑むことをやめるはず。
 だが、クロトにその理屈は通じない。

「だからなんだよ!? それであの魔女から手を引けって言われて、そう簡単に「はい、そうですか」って言えるか!! 俺にここまで不快にさせた魔女はなにがなんでもこの手で殺す!」

『……マジで、馬鹿の馬鹿かよっ。人間は、なんで身の程をわきまえねぇんだよ!! 万に一つの奇跡でも信じるって言うのかよ!? そんな神頼みで、なんでも解決できると思ってんのかよ!?』

「神なんて信じたことねーよ!! あんなもん!」

『じゃあ諦めろよ!! 厄災の力があれば、俺はあの魔女を超えられるっ。お前なんかよりも確実にあの魔女をやれるっ。それでいいだろうが!!』

 魔女をやれれば、それで全てが終わる。
 しかし、ニーズヘッグがそれを可能とできるのは……。


「……結局お前もそこらの魔族と変わらねぇな。力欲しさにアレを犠牲にしないとならねぇんだからな」
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