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第六部 三章 「繋がれた少年」

「母親」

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 室内がしんと静まった時、部屋の扉が軋む音を響かせながら、ゆっくりと開いた。
 暗い部屋に光が差し込むも、それすら乏しくあった。
 クロトは静かに扉にへと向き直り、開けた人物を見上げた。
 
「……ああ、クロト」

 心の底から安堵した女性の声が、少年の名を呼んだ。
 シックなドレスを身に纏う、手入れが不十分な、少々乱れた長髪をした女性。彼女の髪色はクロトとよく似ていた。
 最初は無感情かの様な表情でいたクロトだが、しだいに笑みを浮かべる。

、どうしたのさ? なんかあった?」

 ――母さん。
 クロトは女性をそう称した。それはすなわち、彼女こそがクロトの母親であるということ。
 母親は部屋に入ると、最初に我が子を抱きしめ頬ずりをしながら瞼に水滴を浮かべた。

「ごめんね。寂しくないか心配になってしまって……。母さん、あんまり来てあげられないから。…………ごめんね」

「……べつに、寂しくないよ。母さんは頑張ってるんだろ? 使用人の人たちを雇うのやめて……、俺のために…………」

 大事そうに抱かれ、クロトは母親を安心させる。
 しかし、その言葉はどこか戸惑ったものを感じられた。
 
「だって、クロトには傷ついてほしくないんだもの。……他人にクロトを任せるなんて、母さんは不安でしかたないの。……私の大事なクロト。此処にいれば大丈夫だから、――母さんを一人にしないで」

 ――チャラン……。

 何処かで、細かな金属が擦れる音がした気がした。
 聞こえていないのか、誰も気づいていない。

「わかってるよ。母さんが俺を大事にしてくれてるの、知ってるから。…………だから」

 クロトは、数秒の間を開ける。
 
「…………だから、――心配しなくていいから。俺は母さんを一人にしないから」

 優しく返すと、母親は啜り泣きながらしばらくはそのまま。
 手放したくない。傷つけたくない。……それは【愛】しているから。
 クロトはそれを黙って受け止め続けた。





 母親が部屋を出るのにはそれなりに時間がかかったものだ。
 扉が閉まり、また暗い部屋にへと逆戻りとなった。
 完全に足音が消えてから、クロトはホッと一息入れ、後ろにへと振り返る。

「……もう出てきてもいいよ」

 その合図をずっと待っていたと、無駄に息を殺していたエリーが姿を見せる。
 クロトに引かれて突っ込まれたのはベッドの下だった。シーツなどでうまく隙間を隠すなどされ、声を出さない様に呼吸は最低限。息が詰まる思いをグッと堪えて、ようやくまともに呼吸ができると思うと胸を撫で下ろす。
 緊張感からも解放され、安堵に数秒心を落ち着かせてから言葉を返す。

「す……すみません。……その、さっきの人は……お母さんですか? クロトさんの」

 隙間から覗いていたが、とても我が子想いな母親であった。
 少し前に見た、自身の母親を思い返してしまう。
 クロトは、質問に答えを返しはしなかった。代わりに、また警戒の眼差しでエリーを見る。

「……さっきから聞いてれば、さん付けとかなんか落ち付かねーんだけど?」

「えっ」

「アンタ、いくつ?」

「え~っと、十だったかと……」

「俺、今年で九歳。……いっこ上じゃん。どんだけかしこまってるわけ?」

 なんとなくは思っていたが、やはりこの時のクロトは自分より年下なのだ。
 しかし、これまでの経験から彼をそのような目で見る事ができず、ついいつもの様に読んでしまう。
 それに嫌悪感を感じているのなら、この場だけでも直さねばならない。

「……そう言われましても。……ク、クロト……くん……?」

 ぎこちなく、エリーはなんとか合わせようと、「さん」ではなく「くん」を後ろに付けることとした。
 だが、どう考えてもそればかりはこちらが耐えられない。「やっぱり無理です!!」と叫んで、エリーは顔を真っ赤にしてベッドの下にへと再度潜り込む。
 すると、しばらくしてクロトから堪えた笑い声が聞こえてきた。

「……ぷっ、ははっ。変な奴。それに、変な目」

 初めて、クロトが笑った。
 子供らしい、無邪気な表情で。
 
「あぁ、悪い。べつにいいや、さん付けで。なんかそっちの方がアンタも無理しなくて良さそうだしな」

「……あ、ありがとう、ございます」

「こっちこそ、色々警戒して悪かった。……そういえば、質問にまだ答えてなかったな。さっきの人は、俺の母親だよ」

 笑ってから、クロトはすっかり警戒心を解き、質問に答える。
 そして、出てくるようにと手招きすらしてきた。
 ある程度の距離感を認められたのか、エリーもその誘いにはのり、ベッドから出てクロトに寄る。
 ついでに、先ほどまでなかった新たな香りに視線が引かれてしまう。
 クロトの近くには、出来立ての食事がトレーに乗って置かれていた。
 スープとパン。そしてグラスと、ガラスの器にはしばらく困らないための水が入っている。
 エリーがそれに目線を向けているも、クロトは再度本を手にして読み始めた。

「あの、お母さんの料理、食べないんですか?」

「べつに。今腹減ってねーし。……アンタ食べる?」

 構わない、と。クロトは床に置かれたトレーをエリーの方へ滑らせた。
 それをそのまま受け取るなどできず、エリーは断る。

「そ、そんなっ。だってこれは、クロトさんのためにお母さんが作られたんですし……っ」

「でも、このままじゃ冷めるし。食べておかねーと、母さんに心配かけちまう」

「だったら、なおさらクロトさんが食べてくださいっ。私は――」

 これはクロトの料理。食べるわけにはいかない。
 そう決意を決め込もうとするが、途端にエリーのお腹の虫が鳴ってしまう。 
 
「……っ!」

 まさかこの様な夢の中でも空腹の知らせが来てしまうとは……。時間の経過も現実ではあるため、もしかしたらそれが関与しているのやもしれない。
 エリーは顔が、また真っ赤になる。
 それを見て、クロトが意地の悪い笑みを浮かべた。

「どうするよ? ……喰っとく?」

「うぅ……っ。でも、クロトさんも食べてください……っ。食べないままいるのは、体に良くないので」

 ずいっ、と。エリーは積極的に迫る。
 意外な積極性にクロトも身が後ろに傾いてしまうほど。これには従う事しかできず、断念する。

「わ、わかったっ。……ちょうどパンも二枚あるしな」

 皿の上にあったパンの一つをエリーに手渡す。
 不思議と、戸惑いつつもエリーはそれを受け取る。
 クロトは、親切であり不審でしかないエリーを今は受け入れている。その姿が、やはり現実のクロトと比べると差がありすぎて、内心困惑させられてしまうのだ。
 暴言もない。他人を気遣い、好意を受け入れる。
 現実のクロトとは正反対。クロトは他人の好意を快く受け入れたりしない。他人に気遣う事をしない。なにかと暴言が多く、……いつも魔銃と共にあった。
 そして、これが以前のクロトと考えると、その差が大きく感じられる。
 クロトを大きく変えた原因。それを思い返そうとした時、エリーは目をそっと見開いて、見てしまったのだ。
 何食わぬ顔でいるクロト。その傍らから伸びていた、を。
 
 ――え……? なんで……、鎖が……?

 鎖は、クロトの片足にあった足枷にへと繋がっていた。


 ***************************

『やくまが 次回予告』

 少年は知っている。母親の愛を。
 少年は知っている。母親の行き過ぎた重苦しい愛を。
 しかし、抗う事などできなかった。

 これまで愛した母親を裏切りたくなく、壊したくなく、少年はその愛を受け続け……しだいに潰れてゆく。

 時間と愛情が少年を追い詰め、溢れそうな感情を抑え込む愛情が、少年の自由を奪う。
 愛情に苛まれた少年の日々。己の愛情で隠してしまった憎悪。
 
 ――思い出せ。これがお前の願ったものの原点であると。

【厄災の姫と魔銃使い:リメイク】第六部 四章 「愛情と言う名の鎖」
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