美味しい珈琲と魔法の蝶

石原こま

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(幕間)先輩Aの脳内日記〜ベレヌスの森編

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「ヒッ!」

 ルバート様が体長三メートルを超える大型のケルベロスオオトカゲを素手で……、大切なことなのでもう一回言うけど、倒した時、俺は悲鳴を上げるのを抑えられなかった。
 同行していたベレヌス騎士団の騎士だって同じ思いだったと思う。ドン引きしていた。

 この人、おかしい。絶対におかしい。

 今回初めて同行することになった新一年生は、ケルベロスオオトカゲではなく、ルバート様を見て怯えている。

 思えば、ルバート様は昨日から様子がおかしかった。
 宿に着いてすぐ、アメリアの部屋に不備があったと言って、部屋を移動したりした後あたりから、ものすごく殺気立っていた。
 この人が不機嫌なのはいつものことだが、それにしたって今回の不機嫌値は異常だ。
 メーターが振り切れて、計測不能の域まで来ている。
 ベレヌス騎士団御用達の中和薬を飲む時だって、何故か俺たちには処方の最大限界量まで飲むように言った。

「死にはしないから飲め!」の一点張りだった。

 結局、俺たちはベレヌス騎士団の薬師が勧める倍の量を飲まされた。
 クロノスサバクネズミの実験で、薬の適正量を誤ると大変なことになるのは知っているはずなのにお構いなしだ。

 こっそり聞いたら、アメリアはそんなことを言われなかったらしい。
 ルバート様がアメリアを特別扱いするのはいつものことだったけれど。

 まあ、本人は完璧に隠しているつもりらしいけど、ルバート様が平民であるアメリアとの結婚を目論んでいることは研究室内では公然の秘密だったから、俺たちはそんなことで文句を言ったりはしない。
 そもそもソフィア様が研究室を去った今、この研究室の最大の機密事項がそれだ。
 今は、研究室メンバーが一丸となって、ルバート様とアメリアの恋の行方を生温かく見守っているのだ。

 研究室に入室するためには魔術への知識と興味が重要とされるというのは建前で、実際には秘密を守れる人物かどうかの方が重視されている。
 気づけば、俺もこの研究室の古参メンバーの一人になってしまったけれど、結局フェリクス様が求めているのはそういうことなんだと思う。
 ルバート様の理不尽な仕打ちに耐え、どんな秘密でも守ることができるものだけが、フェリクス様に重用されうる人物になれるということだ。
 まあ、貧乏男爵家の四男に生まれついてしまった俺としては、未来が約束されているのならば、どんな仕打ちでも耐えてみせるつもりですけれども。
 この研究室は、フェリクス様が作った小さな王国みたいなもんだ。
 フェリクス様が即位された暁には、この研究室のメンバーから側近が選ばれるとされていた。
 実際、すでに研究室を去った先輩の多くは、今はフェリクス様の直属部署で活躍している。
 中等部時代、同じ貧乏貴族仲間だと思ってたリドル先輩なんて、今やフェリクス様の片腕と言われていて、いずれフェリクス様が即位したら、さらに上の爵位を賜って宰相になるのではないかとさえ噂されている。

 俺だってあやかりたい!
 
 
 そもそも、アメリアは特別な存在だ。
 ルバート様の通称クソ文字(ミミズ文字またはナメクジ文字ともいう)が読めるというのが入室のきっかけらしいが、それ以外にも元々素養があったのだろう。
 アメリアは平民にも関わらず魔力も強いし、頭が良く、俺が大学へ入学して、この研究室に出入りするようになった時、まだ高等部生だったにも関わらず知識は俺をはるかに超えていた。
 また、ルバート様が話す「あれをこうして」という主語も述語もない文章を全て理解できるという特殊能力も持っており、アメリアだけ可聴域が違うんじゃないかと疑ったことさえある。

 先輩方から聞いた話によると、アメリアの入室直後は、アメリアの身分を馬鹿にしているような人もいたらしいが、その人たちはいつの間にか研究室から、そして王都からもいなくなっていたと言われている。
 そのことについては、恐ろしいので詳細は伏せる。
 
 まあ、実際、アメリアは本当にとてもいい子だ。
 ルバート様のことさえなければ、俺だって惚れていたかもしれない。
 貴族の娘と違って気位が高いこともなく、控え目で優しいし、ルバート様の愛情に甘んじることなく真面目に研究に取り組んでいる姿は好感度高かった。

 そして何より、淹れてくれるコーヒーがめっちゃ美味しい。
 研究が行き詰まった頃を見計らって淹れてくれるコーヒーには、本当に何度助けられたか分からない。
 毎年入室してくる新入生は、必ずと言っていいほどアメリアに惚れる。
 ただ、ルバート様の殺気が凄過ぎて、皆、すぐに諦めることになるのだが。
 今年の新一年生だって、今回の同行メンバーに選ばれて嬉しそうだったのに、もう完全に諦めただろうなと思う。
 誰だって、ケルベロスオオトカゲを素手で倒すような男に対抗しようとは思わない。


 
 そんなベレヌスの森での調査がやっと一段落ついて、片付けを終えた俺たちが宿へ戻ろうとした時、もう夜が明けかかっていた。
 霧が濃過ぎて、この道がどこに続いているのかさえ分からない。
 徹夜明けの疲れた脳に、祭りの楽しげな音だけが聞こえてくる。

 ああ、楽しそうだな~。
 少しくらい祭りを見たかったなと思った。

 宿の主人に聞いたところでは独身男女が集まる祭りらしいから、俺だって参加したかったなーなんて思いながら歩いていると、目の前にぼんやりと人影が見えた。
 こんな村はずれで一組の男女が踊っているようだった。

 リア充爆発しろよと思う。

 しかし、やたらと本格的なダンスだし、なんかどっかで見たような背格好だなと思っていると

「先輩!あれ、ルバート様とアメっ」

 新一年生が言ってはならない言葉を口にしかけた。
 俺が塞ぐより早く、二年と三年がその口を塞いでいる。
 よくできた後輩たちだ。
 これも全て、俺の指導の賜物だ。
 この新一年にも指導しなければならない。

「いいか。今、俺たちは何も見なかったし、何も気付かなかった。このことは一切他言無用だ。機密事項を守る。それが、俺たち研究員の一番大切な仕事だ。」

 そう言い聞かせて、道を変える。
 道なき道になってしまったが、まあ、あの音が聞こえる方角を目指していれば、そのうち着くだろう。
 脇道に外れてしばらくたってから、こっそり振り返った俺は、霧の中で重なる2人の影を見た。

 もちろん、俺がこれを他言することはない。
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