クルスの調べ

緋霧

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一章

第9話 善と悪

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 男は鎖を引き、先ほどとは違う部屋の奥にある階段を上った。
 私も後に続く。
 階段の先は廊下になっていて、その突き当りの扉から外に出る。どうやら酒場の裏手のようだ。そこには空気穴がいくつか開けられた大きい箱が3つと、それを運ぶためであろう台車があった。
 男はその箱にそれぞれ子供を入れて蓋をし、鍵をかけた。子供たちは抵抗もしないし声を出したりもしない。
 私が連れている子供も同様に箱に入れるように目で促される。子供を抱きかかえて箱にそっと入れた。軽い。この子も抵抗もしないし、何も言わない。私を見ることもない。

 私の手が、震えている。

「これをここに運んでくれ。馬車が来るからそれに箱ごと乗せろ。馬車の御者に鍵を渡し、受領書をもらってまたここへ戻ってこい。そうしたら依頼は終わりだ」

「…わかりました」

 男から住所が書かれた紙と、箱の鍵を受け取る。ここからほど近い倉庫街の一角だった。
 台車を押し、指定の場所へ向かう。
 私の他にはこの子たちだけで誰もいない。
 この子たちがこの後どこへ行き、どうなるのかはわからないけれど、おそらく明るい未来は待っていない。

 今なら、逃がせる。

 でも逃がしたところでどうなる?
 私がこの子たちの面倒を見るわけにもいかない。そもそもあの男にとって大事な商品であろう子供たちを私の独断で逃がせば、私の身が危うくなるのは確実だ。私が何者かはあの男にも、ギルドにも知れていること。
 そう、私はただ黙ってこの"荷物"を指定された場所に運ぶことしかできない。
 なぜあの男は私に"箱の中身"を見せたんだ。抵抗もしないし声も出さないこの子たちを初めから箱に入れておいてくれれば、私はただこの箱を荷物として認識できたのに。
 指定された場所への最短距離を歩く。この辺りは路地裏、という言葉がぴったりで人通りもなく、薄暗い。
 早くこの依頼を終わらせたい。そう思って少し速度を速めたその時。

 視界を一瞬何かが横切った。

 反射的にしゃがみこむ。先ほど自分の頭があった場所を、何かが通り過ぎたような音がした。
 慌てて上体を起こし、周りを見渡す。
 少し先に人が1人、立っていた。

 黒い髪に黒い犬のような耳と尻尾を持った獣人の少年。見た感じ私より少し幼いくらいだろうか。私に避けられたことでなのか、ひどく狼狽している。手には長い棒を持っていた。
 私も正直狼狽している。今の一撃を避けられたのはまさしく父との特訓の成果だろう。
 おそらく今の状況的に、この獣人の少年に奇襲をかけられたと思っていい。
 今にも再び襲いかかってきそうな雰囲気だ。

「この子たちを、助けにきたの?」

 私が聞くと少年は一瞬目を見開いて、険しい顔をした。

「そうだ、そいつらを渡してもらおうか!」

 少年の声が聞こえたのか、箱の中に入れられた子供たちが一斉に動き出した。

「兄ちゃん!兄ちゃんなの!?」

「兄ちゃん!助けて!!」

「兄ちゃん!!」

 箱は頑丈で鍵もかけられているので中から出ることはできない。
 しかしこのままこの子たちに騒がれたらやばい。

「静かにして!どうなってもいいのか!!」

 焦りから咄嗟に自分でも驚くほど下衆な言葉が出る。
 それを聞いて子供たちは静かになった。

「今からこの子たちを指定された場所へ連れて行き、馬車へ乗せる。助けたいのならその後にしてもらおうか。今僕の邪魔をするというのなら、容赦はできない」

 もう完全に悪党。
 それは自分でもわかっている。でも私だって依頼の達成を妨げられるわけにはいかない。奇襲を受けて荷物を奪われました、なんて言い訳をしたところで許されるわけもないだろうから。

「馬車には護衛もついてる。今やらなきゃもうやれないんだ!!力ずくでもやってやる!!」

 少年が棒を振りかぶってこちらへと走ってくる。速い。
 私は手を前に出し、突風を少年に向かって放つ。
 少年は風に煽られて後方へと吹き飛んだ。宙でくるりと一転して、着地する。さすが獣。

「悪党め…!弟たちを返せよ!!」

 少年が睨む。
 一瞬、逃がしてあげようか、なんて思いが頭をよぎる。
 でもこんな子供たちを悪用しようとしているやつらだ。やつらから自分の身を守れるかわからないのにそれはリスクが高すぎる。
 まだこの少年の足を止めるほうが、利口な選択だ。

「僕は僕の仕事をしているだけだ。邪魔をしないで!次は本当に容赦しないぞ!」

 箱の中の子供たちが声を殺して泣いている。
 心が痛い。
 私は保身のためにこの子たちを見捨てている。

 私の言葉を無視して少年が再び私へ向かってくる。

「地よ、礫となりて彼のものを撃て!!」

 あえて声に出した。
 いくつか岩の塊を作り上げ、少年へと放つ。
 2つ3つと岩を避けたが、避けきれなかった岩が少年の肩へと当たり、後方へと弾き飛ばされた。倒れたまま動かない。この少年はおそらく戦闘訓練を受けていないだろう。動きだけは速かったが、エルフの森に出てくるモンスターの方がまだ知的に動いていた。
 少年の側に寄って脈を確かめる。頭を打ったのか少し出血はしているが、息はある。
 心臓がバクバクとうるさいくらいに鳴っている。人を傷つけてしまった。しかもこんな子供を。自分の兄弟を助けようと命すら顧みず必死だった子供を。

 私は一体、異世界に来て何をやっているんだろう。何がやりたかったんだろう。

「兄ちゃん…!」

 箱の中の子供がすすり泣く。
 自分の中に何か黒いものが渦巻くのを感じた。

 私は少年が目を覚ます前に無心で"荷物"を指定された場所へと運び、馬車の御者に引き渡した。約束通り受領書をもらい、あの少年に会わないように道を変えて先ほどの場所へと戻る。
 酒場の男は、何も言わずに私に達成カードを渡した。
 私も、何も言わずにそれを受け取った。

 ギルドへ赴き報告する。これで160ポイント。まだまだ先は長いが、次の依頼を探す気にはならなかった。
 ふらふらと大通りへと出る。別に用があったわけではない。何となく、まだ宿に帰る気にはならなかっただけだ。
 もうすぐ日も暮れるというのに、大通りはたくさんの人や馬車が行きかっている。
 あの子たちを乗せた馬車はもう街から出たのだろうか。どこへ行き、どうなるんだろうか。
 彼らを助けようとした少年はどうなったのだろう。
 いや、考えるのはやめよう。私にできることはもうない。これ以上関わらない方がいい。
 しかし私は一体どうするべきだったのか。そもそもこんな依頼を受けなければよかったのか。
 でもギルドに掲示されている段階では詳しい内容まではわからない。もし今後、同じようなことになったとしたら…。

「はぁ…」

 もう何度目かのため息を吐く。
 
 このメイン通りには、この時間くらいから露店が多くなる。前世で言う、車の移動販売のようなものだ。
 そんな店を横目に、適当なベンチに腰を下ろした。
 ここから、私たちが入ってきた西門がよく見える。この時間でもまだ出入りは多い。
 私はただ何をするでもなく、人の流れを眺めていた。

 そんな時、私を襲ったあの少年が街を出ていくのが見えた。

 ぼんやりとしていた思考が一気に現実に返る。
 彼は馬車へ奇襲をかけるつもりなのだろうか。立ち上がり、西門に向かう。しかし門の手前まで来たところで、足を止めた。
 追いかけてどうするつもりだ?彼がもし馬車に奇襲をかければおそらく返り討ちにされるだろう。彼もそれを覚悟の上で街を出たはずだ。
 私には関係のないこと。止める権利も手伝う義理もない。余計なことに首をつっこんでもいいことはない。
 私はそれを見なかったことにして、宿へと戻ることにした。

 翌朝、西門へと向かい、ギルドカードを提示して街の外へ出た。
 父には街から出るなと言われていたこともあり、複雑な気持ちで道を辿る。
 昨日見て見ぬふりをしたというのに、しかももし彼がいるとしたらきっとそれは私が見たくないものに決まっているのに、なぜ私はここにいるのだろう。

 2時間ほど歩いただろうか。いい加減そろそろ戻ろうかと思ったところに、彼はいた。街道のすぐ側で、横たわっている。ピクリとも動かない。
 街道を歩く人は多い。しかしその誰もが一瞥するだけで特に気にも留める様子はなかった。そうであろうことは予想していた。この世界はきっとそういう世界なんだということを。
 彼の側へ寄り、跪いた。流れた血が地面に吸い込まれて乾いている。
 私はこの少年と知り合いでもなんでもない。むしろ命を狙われた被害者だ。助ける義理もない。
 私はただ依頼をこなしただけ。荷物を、奇襲から守り届けただけ。

 だから、私にはどうすることもできなかった。

 そうやって自分を慰めなければ、心を保てなかった。
 彼が街を出て行った時点でこうなることは予想していたけれど、この目で確かめなければ推測の域をでなかったというのに、私は一体何をしているんだ。わざわざ自分で自分の首を絞めている。
  
「シエル?シエルか?お前何してるんだ」

 突然声をかけられて、驚き勢いよく立ち上がり振り向いた。
 父が何かの動物にたくさんの荷物を乗せ、私を見つめていた。

「父さん…?」

 私は明らかに動揺していた。父もそれは見てわかるだろう。

「なぜここにいる?その獣人の子供はなんだ?」

 お前がやったのか、と言っているように聞こえた。
 私は何も言葉を発することができなかった。抑えきれない涙が自然と溢れる。

「シエル…ちょっと、こっちへ」

 道行く人の視線が気になったのか、父は人目を避けるように街道から外れた。外れたところで見通しはいいので、あまり意味のないことのように思える。
 私は少年をひとまずその場に残し、素直に父の後へついて行った。

「何があったのか説明してくれ」

 ある程度街道から逸れたところで、父が言う。
 隠しても仕方がないので、私は全部をありのままに伝えることにした。

「昨日、荷物運びの依頼を受けたんです。指定の場所へ行ったら、獣人の子供が3人檻に入れられていました。依頼主はその子供たちを箱に入れ、ある場所へ届けるように言いました」

 私の話を父は口を挟まず聞いている。

「運んでいる途中、路地裏で奇襲を受けました。それがあの獣人の少年です。箱の中に入れられた子供たちの、兄弟のようでした。僕は依頼が失敗になると自分の身が危うくなると思い、その場で少年を気絶させ…箱を指定場所へと届け、馬車に乗せました」

 父が遠くで横たわっている少年へと目を向ける。
 相変わらず道行く人はただ通り過ぎるだけで立ち止まりもしない。

「依頼を終わらせた後、僕はすぐに帰る気にならず大通りへと出ました。そしてそこで、街を出ていくあの少年を見つけたんです。馬車へ奇襲をかけてあの子たちを取り戻そうとしているのはわかったけれど、僕には関係のないことだと、その場を後にしました」

「じゃあなぜ、お前は今ここに?」

 ごもっともな質問だ。
 自分でも何度も自問自答した問題。

「たぶん僕は、彼がこの街道にいないという事実がほしかっただけなんです。彼はちゃんと生きていて、あわよくば残りの子供たちも助かったかもしれない。そんな淡い期待を持って、ここに彼がいないことで安心を得たかった。こうなっている可能性の方が、高いのはわかっていたのに…」

 一度は乾いたはずの涙がまた自然と流れた。
 自分でもずいぶんと涙もろいと思う。しかしこんな幼い子供が殺されたという事態に自分が大きく関わっていることが、受け止められる許容範囲をオーバーしている。

「いざ彼を見つけてしまったら、僕は自分を正当化するのに必死でした。僕はただ依頼をこなしただけ、何も悪くない。むしろ彼に襲われた被害者だ。僕には彼の行動を止める権利も、助ける義理もなかった。これは彼が自ら選んだ結果なんだと…」

「…シエル」

「あんな小さな子供たちを、それを助けに来た少年を、僕は保身のために見捨てたんです。でも他にどうすればいいのかわからなかった。ねぇ、父さん、僕はどうすればよかったんですか!?」

 私は縋るように父の胸に掴みかかった。
 父の顔は見れなかった。胸に顔を埋め、父の言葉を待つ。

「シエル、落ち着け」

 私の肩に父がそっと手を置いた。

「お前はお前のなすべきことをやった。それは間違っていない。ただ、お前はここに来てはいけなかった」

 父は私の肩をグッと押し、その体の距離を広げた。
 見上げた父の顔は悲しげだった。

「シエル、与えられた以上の情報を知ろうとするな。気負うな。これはお前にはどうしようもなかった。お前のせいじゃない」

「…父さん…」

 私はきっと、その言葉がほしくて父に聞いたんだ。
 あの少年が殺されたのは自分のせいではないと、言ってほしかった。自分の心を軽くしたかった。もしここで父に責められたら、私はこの先やっていけなかったと思う。
 あぁ、ほんと、最低だな、私。

「せめてもの弔いに、あの子を埋葬してやろう」

「…はい」

 街道から少し離れた木の麓に、穴を掘り少年を埋葬し、父と共に街へと歩き出した。

「父さん、馬車で連れられて行った子供たちは、どうなるんでしょうか」

 道すがらに聞く。
 先ほどこれ以上知ろうとするなと言われたばかりだけれども、どうしても聞かずにはいられない。

「まぁ、たぶん、奴隷として売られるんだろうな」

 父もそれについては言及することなく、すんなりと答えてくれた。
 奴隷。それは想像した通りの答えだった。

「あの子たちを助ける方法は、ないのでしょうか」

「その子供たちが正当に売買されていたのなら、誰にも助けることはできない」

 奴隷に正当性があるというのか。
 信じられない。

「では、不当なものだったら?」

「もしお前がたまたまそれを不当だと知り得ることができたとして、助けたいと思うのならば力づくでやるか、騎士団に助けを求めてみるか」

「騎士団…」

 要は警察みたいなものだろうか?
 これだけ大きな街だ、そういう機関がないとは思えない。

「なかなか難しいとは思うけどな。証拠がなければ騎士団だって簡単には動かない。確実なのは力づくでやることだが、関係者を全員皆殺しにするくらいやらないと逆にお前の身が危なくなる。見ず知らずの人間のためにそこまでのリスクを冒すか?」

「それはちょっと無理ですね…」

 そんな簡単に命のやり取りすることは私には不可能だ。

「あの子たちが正当に取引されたのだとして、売ったのは親?でしょうか…兄もいるのに弟たちだけが売られたなんて…」

「金に困って子供を売るという話はよく聞く。下の子供たちだけっていうのはまぁ、より幼い子供の方が値がつくからだな」

 きっとそれは調教できる幅が広いって意味なんだろう。
 しかしそれにしてもいくらお金に困ったからって子供を売るなんて。そうまでして親が生き延びるなんて。

「その家族にどんな事情があったかはわからないが、それをお前が考える必要はない。もしかしたら人攫いにあった可能性もあるわけだしな。なんにせよ、お前にはどうしようもないことだ」

「でももし子供を売らなければならないほどお金に困っていたのなら、誰か助けてあげられなかったんでしょうか…街の行政とか…」

「お前、何を言っている?」

 そう聞かれてハッとして父を見ると、訝しげな表情でこちらを見ていた。
 やばい、つい前世の感覚で話をしてしまった。

「行政が一個人にいちいちそんなことをするわけないだろう。自分のことは自分でなんとかするしかない。金に困って子供を売らなきゃならなくなったのなら、それは自業自得だ」

「そう、ですよね…」

 怪我や病気で働けなくなったとしても、それは自業自得なんだろうか。
 ひどく悲しい世界だな、とぼんやり思った。
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