クルスの調べ

緋霧

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二章

第24話 赦し

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 執務室を出た後、誰もいない大浴場で1人ゆっくりとお風呂に入った。
 パーシヴァルはすごい。あの瞬間に、咄嗟にエレンを庇った。自分の命を懸けて。
 私にはできない。現に、目の前のワイバーンさえ放り出してただ状況を見ていることしか出来なかった。
 今回の件で責められるとすればそれは私だ。
 何をどうすればいいのかわからなかった。私が何か出来ていたら、状況は変わっただろうか?しかしあの距離だ、きっと間に合わなかった。
 …いや、そう思いたいだけだ。そうやって自分を正当化したいだけだ。
 あぁ…ダメだ、負のサイクルに入りそう。

 パーシヴァル、何で死んじゃったんだよ。生きていてほしかった。家族のために騎士になるって言ってたじゃん。家族が…泣いちゃうじゃん。
 私たちだって、悲しいよ。
 誰もいないのをいいことに、私はここで声を上げて思いっきり泣いた。

 ひとしきり泣いて落ち着いてから、私はお風呂から上がることにした。

「…う、うわっ」

 浴室から脱衣所へと出るためにドアを開けたら奥の壁際にセスがいた。
 何をするでもなく、両手をポケットに入れて、壁に寄りかかってこちらを見ている。

「えっ…ちょっ…まっ…」

 なぜセスがそんな所で佇んでいるのかとか、自分の裸をセスに見られた恥ずかしさとか、きっと泣いていたのを気付かれているだろうこととかが一気に過って慌ててタオルで体を隠す。

「……」

 セスはそんな私を見ても何も言わないし、動こうとしない。

「あー…ごめん、聞こえてたよね」

「…なにも」

「いや、嘘でしょ。聞こえてたからそこで待ってたんでしょ?」

「俺は君が1人でゆっくりと入りたいだろうと思ってここで待っていただけだよ」

 気を遣ってくれている。
 絶対私が泣いているのに気づいてそこで待っていたのだ。

「そっか、ありがとう、セス」

「……」

 セスは何も言わず、悲しそうに微笑んで私から視線を外した。
 正直、セスがこのタイミングで来る可能性を考えていなかった。そうだよね、報告が終わったら来るよね。
 ガヴェインはまだヴィクトールと話しているのだろうか。
 しかし、パーシヴァルのことで泣いてる私を、セスはどんな気持ちで待っていたのだろう。
 申し訳ないことをしてしまった。

「ねぇ、セス」

「シエル、早く服を着て戻るんだ。今の君に必要なのは、少しでも休息を取ることだ」

 私の言葉を有無を言わさず遮って、セスは私から離れたところで服を脱ぎ始めた。

「うん、わかった…」

 それを眺めるのもおかしい話だし、私もまだ裸だしで、それ以上何も言えずに私は着替えて大浴場を後にするしかなかった。

 今回は治癒術師が誰であってもパーシヴァルを助けるのは難しかった。それでもセスは自分を責めてこの任務から外してくれとヴィクトールに頼んでいたのだ。
 そのセスに最後まで3班の治癒術師でいて欲しいと頼むのは、酷なのだろうか。

 部屋に戻るとニコラは布団に入っていた。
 眠っているのか、そうじゃないのかはわからないけれど、私も布団へと入って少し休むことにした。

 それから夕食までの1時間余りを、夢も見ずに眠った。
 あんなことがあったのにちゃんと眠れるんだなと、自虐的な笑いが込み上げてくる。
 ニコラは起きていた。起きて、ただ静かに窓の外を眺めていた。

「…おはよう」

 私が起きたことに気づいて、ニコラが声をかけて来た。

「おはよう。こんな時に眠れるなんてね。びっくりしちゃうよね…」

「僕も寝たよ。疲れたよね。しょうがないと思う…」

 私の言葉に、ニコラは悲しく笑って答えた。
 そう、疲れた。何だかひどく疲れた。何も考えずにひたすら眠ってしまいたい。そして起きたら今日のことは全部夢でしたってなればいいのに。

 夕食は班長からの言付け通りみんな食堂に揃ったが、一様に食欲はないようだった。
 誰も喋らず、重々しい空気が流れている。
 今までよりも一つ数の少なくなった食事を配膳してくれた食堂の人たちもまた、悲しげな表情を浮かべていた。
 夕食が終わるとガヴェインは3班の会議室へ行くようにと指示を出して、1人どこかへと行ってしまった。きっとパーシヴァルの代わりの人を紹介するのだろう。

 ガヴェインを除いた8人で待つこの会議室には、何とも言えない暗い雰囲気が漂っている。
 先ほどの夕食時もそうだったが、その時はまだ食べるという動作で気を紛らわすこともできたが、ここには何もない。
 早くガヴェインに戻ってきてほしい。

「なぜ、今まで一度もなかったのにあの時に限って2匹同時に出て来たんでしょうか…」

 唐突にフィリオが口を開いた。
 本当に、なぜあのタイミングでだったんだろう。1日に二度出てきたことだってなかったのに。

「つがいだったのかな?」

「そうかもしれませんね…。せめて1匹だけだったらパーシヴァルは…」

「私が死ねばよかったのよ。そうしたらパーシヴァルは死なずに済んだ」

 私とフィリオの会話にエレンが割り込んできた。
 その声は、ひどく無機質だ。

「僕はそういうことを言っているんじゃないんです。パーシヴァルが助かっても貴女を失ったら意味がない」

「意味ならあるわ。だって、パーシヴァルの命の重さと私の命の重さは違うもの…。私なんか、庇う必要なかった」

 そう言うエレンは無表情だ。その瞳には光がないように見える。
 このまま壊れてしまうのではないか…そう思わせる危うさが滲み出ていた。

「エレンやめろ。パーシヴァルはお前の命の救ったんだ。お前がその命の価値を失くしてしまったら、パーシヴァルは無駄死にしたことになるんだぞ」

 アイゼンがフィリオとエレンの間に入る。
 言ってることはわかるけど、それは今のエレンに言っていい話じゃない。

「アイゼン」

「そうよ、パーシヴァルは無駄死にしたのよ!!私なんかを助けるために!!」

「お前っ…!言っていいことと悪いことがあるぞ!!」

「本当のことを言っただけよ!!」

 止めに入ろうとした私を無視して2人はヒートアップしていく。
 さすがにエレンに手を出すことはアイゼンもしないだろうけれど、そうなりそうなくらいの剣幕だ。

「エレン、俺が君を殺してあげようか?」

 この喧騒を止めるにはいささか静かすぎる声が聞こえた。
 それでもその不穏な言葉に、部屋は一瞬で静まり返った。

「セス、なにを…?」

 全員の視線が声の主、セスへと集まる。
 発せられた言葉からは想像もできないほどの無表情だ。
 人は、こんな風に感情を込めずに殺すなんて口にできるのか。

「重いだろう、パーシヴァルの命は。精神を殺してしまいたくなるだろう。だから3週間後、この任務が終わってもまだその重さに耐えられないようだったら、俺が君を殺してあげるよ」

 医者としてあるまじき言葉を無感情で吐いたセスを、皆驚きの表情で見つめている。いや、そこにはセスなりの慈悲があるのだろう。でも理解が追いついていない。
 エレンは、エレンだけはそれを聞いて、ただ静かに涙を流した。

「うっ…ふ…っ」

 エレンの嗚咽が静かな部屋に響く。
 セスの言葉はエレンにどんな影響を及ぼしたのだろうか。それが、救いになったのだろうか。

「リーゼロッテ、エレンを部屋に連れて行ってもらえるかな。君もそのまま戻ってこなくていいから、エレンの側についていてあげてほしい。ガヴェインには俺から話をしておく」

「…わかりました」

 セスの言葉にリーゼロッテは素直に頷き、エレンを連れて部屋から出て行った。

「…どうしてあんなことを?」

 出ていくなりフィリオがセスに聞いた。
 おそらく、みんな同じ疑問を抱いているだろう。
 パーシヴァルに救われた命を殺すなんて。それをしてしまったら本当にパーシヴァルの死に意味がなくなってしまうのではないのだろうか。

「パーシヴァルの命の重さを、救われた命の重さをエレンはちゃんと理解している。理解しているが故に、エレンは自身の肉体を殺せず、いずれその重さに耐えきれずに心を殺してしまう。エレンの精神が死んでしまえば、それこそパーシヴァルの死が無意味になる。だから自身で殺せないその命を、誰かが絶ってくれるという赦しを与えなければ。エレンが壊れてしまう前に」

 自分で殺せない命を誰かに殺してもらえる。それがエレンにとっての赦しだと。
 考えてもみなかった方法だ。
 それが正しいのか正しくないのか、そもそも正解があるのかないのか、私にはわからない。
 もし、私が家族を失くしたあの時に、誰かに「殺してあげる」と言われたらどうしただろうか。
 目の前でパーシヴァルに庇われて命の終わりを見届けることとなってしまったエレンとは状況が違う。自分の辛さはエレンとは比べ物にならないくらい小さいものなのだろう。それでもそれは救いとなっただろうか。
 何度も死んでしまいたいと願い、それでも自分でそうする勇気すらでなかった私が、「殺してあげる」と言われて「じゃあお願いします」なんて、きっと言えなかっただろう。
 それが言えるならきっと自分でやれている。

「3週間後、エレンが殺してくれとあなたの元に来たら、殺すのですか」

 恐る恐るといった感じで、フィリオが聞いた。

「それはもちろん、約束は果たすよ。でも、きっとエレンは来ない。そのための3週間だ」

「3週間で立ち直れると?」

「昨日までのエレンに戻れるかと言ったらそれは無理だと思うけど、俺に殺してくれと頼みに来ないくらいには立ち直ると思う」

「何を根拠に?」

 フィリオとセスの会話にベルナが口を挟む。
 確かに、セスのその確信はどこから来ているのだろうか。

「明確な根拠はない。だが、パーシヴァルのために死ねないという枷はこれでなくなった。あとは君たちがそれをエレンに強要せず、エレン個人を必要としてあげることができれば大丈夫だろう」

 つまり私たちがエレンを支えろと、そう言っているのか。
 もちろんそれについては誰も異論はないだろう。だけど私たちにエレンの命運がかかっていると言われているようなものだ。それができなければエレンは死を選んでしまうかもしれない。

「パーシヴァルに救われた命なんだから生きろ、という言葉はエレンには重すぎたってことか…」

 アイゼンが反省するように言った。
 そうだよアイゼン。気づくのが遅い。

「そうだね。パーシヴァルに救われた命だから、と言いたくなるのはわかるよ。でも君たちは"パーシヴァルに命を救われたエレン"に生きていて欲しいのではなく、"エレン"に生きていて欲しいのだろう?」

 その言葉にみんなが頷く。
 誰もパーシヴァルの代わりにエレンが死んだほうが良かったなんて思ってはいない。それをエレンが素直に受け取ってくれればいいのだけれど…。

 コンコン。
 ノックの音が響いて扉が開いた。ガヴェインと見慣れない1人の騎士が現れる。
 そうだ、私たちはガヴェインを待っていたんだ。この話の流れにそれを忘れるところだった。

「エレンとリーゼロッテは」

 2人がいないことに気づいたガヴェインが問う。

「エレンの精神状態が不安定だったから俺が部屋に戻らせた。リーゼロッテに付き添わせている。後程ベルナデットが2人に伝えればいいだろう」

「なるほど、わかった」

 セスの言葉にガヴェインは素直に頷いた。それについて特に異論はないようだ。

「レオン、さん」

 入ってきた騎士を見て、フィリオが言う。
 知り合いなのだろうか。
 ガヴェインもレオンと呼ばれた騎士もフィリオを見たが、何も言わなかった。

「まず最初に紹介しよう、3班に配属となった騎士見習いのレオンだ」

 紹介されてレオンが一歩前へと出る。
 若い。たぶんまだフィリオたちと同じくらいじゃなかろうか。フィリオと顔見知りなのは同じ学校出身とかかな?
 短くツンツンとした金髪は、同じく金髪だったパーシヴァルを彷彿とさせる。その目は深い青をしていて、色合い的にはリーゼロッテに近い。近いからと言って別にどうということもないのだけれど。

「初めまして、レオン・ヴィルソンです。よろしくお願いします」

 レオンは多くを語らずそれだけを言った。
 私たちも同様に自己紹介をする。フィリオも知り合いみたいだが、一応は形式上、自己紹介をしていた。

「さて、気づいているだろうが、レオンはフィリオと顔見知りだ。同じシスタスの武術学校出身で、フィリオの一つ上になる」

「では、パーシヴァルとも面識が…?」

「あぁ…」

 ニコラの質問に、レオンは悲しげに頷いた。
 なるほど、先輩後輩という間柄か。
 あえてそういう人物を選んだのかな。騎士見習いは何もシスタス出身者だけではないのだろうし。
 いいことなのか悪いことなのかわからないけれど、当人たちはやり辛そうな気がする。

「次にパーシヴァルの葬儀についてだが、明日の9時からこの前のところで行われる。ベルナデット、エレンとリーゼロッテにも伝えてくれ」

「承知した」

「ベルナデット、エレンの様子はどのような感じだ?先ほど不安定だと聞いたが、実務は無理そうか」

 同じ部屋だからだろうか、ガヴェインがベルナにそう聞いた。

「明日は葬儀もあるしできるのなら休ませた方がいいかと。あのままでは動きが鈍って怪我しかねない」

「そうか…わかった。ではそのようにしよう」

 任務を休むなんて騎士団の規約で認められないと言うのかと思ったけれど、さすがのガヴェインもその辺りは柔軟に考えているのだろうか。あっさりと頷いた。

「でも1人残していく方が精神的に不安定になってしまうのではないでしょうか?無理そうなら横穴にいてもらってもいいし、僕はデッドラインまで連れて行った方がいいと思うのですが」

 そう発言したのはニコラだ。
 確かに部屋に一人きりというのも余計に塞ぎ込んでしまうだろう。私もニコラの意見に同意だ。
 同意なんだけど、それをここで議論したところで当のエレンがいないのだから意味がないのではなかろうか。
 これはこちらが勝手に判断するよりか、エレンにどうするか決めてもらったほうが本人のためにもよさそうな気がするんだけど。

「僕もそう思います。気を紛らわせる、と言いますか、少しでも他に気を向けた方がいいのでは」

 フィリオもニコラと同様の意見を口にする。

「エレンに選ばせればいいのでは。エレンにとって何が一番いいのかはエレンにしかわかりません」

 アイゼンが言う。そう、それだよそれ。
 たまにはアイゼンとも気が合うようだ。

「まぁ、そうだな。だが俺ではエレンの本音は聞けん。ベルナデットかリーゼロッテか、どちらか聞いてやってくれ」

「承知した」

「最後に、今後のワイバーンの対処についてだが、ワープリンク前にそれぞれ1人ずつ前衛を置くこととする。その時に誰がワープリンク前に待機するのかは、その都度話し合って決めてくれ」

 確かに、めったに同じような状況にはならないだろうけれど、警戒しておくに越したことはない。ワイバーン自体は強い敵ではないのだから、人員は足りているわけだし。

「どうせ倒しきれないのなら、最初から全部見逃してもいいんでは…」

 アイゼンがぼそっと言った。
 気持ちはわからなくもない。わからなくもないんだけどそれここで言っちゃう!?

「言いたいことはわかる。だがそういう訳にもいかないのは理解しているだろう」

 強く諌めることはせず、ガヴェインは苦笑しつつ言った。
 討伐数の統計も取っているんだろうしな。さすがに3班だけワイバーンの討伐数が0ですなんてなったらガヴェインがヴィクトールに怒られそうだ。

「わかってます」

 アイゼンも、それ以上何か言うことはなく、素直に頷いた。
 本当に一言多いやつだな、アイゼン。

「ではこれで解散とする」
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