クルスの調べ

緋霧

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二章

第28話 シェスベル

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 夜にセスが持ってきてくれた食事は全然喉を通らなかった。
 いわゆる病人食で、消化がいいうどんに似た麺なのだが味は美味しいと思うのに食欲が出ない。
 それでも普通に食事ができるようになったら復帰してもいい、とリベリオが言っていたし何とか食べたくて何度か手を付けては置いてを繰り返した。

「シエル、無理に食べなくてもいい。栄養は点滴から取れているから大丈夫だ」

 そんな私を見かねてセスが声をかけてきた。

「でも、普通に食べられないと復帰できないってリベリオさんが言うから…」

「無理をして食べてもそれは"普通に食べられる"ことにはならないよ。焦らなくていいから」

 確かにそれもそうか…。
 早く復帰したいけど無理するのはやめよう。

「明日には食べられるようになるかな…」

「そう考えるのがよくない。気持ちはわかるけど焦る気持ちが余計にストレスになる。君は本当に死ぬほどの怪我を負ったんだ。ゆっくり療養して大丈夫だから」

「うん、ありがとう…」

 ストレスと言うのなら大体の原因はリベリオだ。
 本当にやつのせいで余計な事態になった。
 リベリオから言わせればセスや私が悪いということなんだろうけど。

「じゃあ、俺はこれを下げながら帰るよ。明日にはみんなも顔を出しにくるだろう」

「あ、待ってセス、さっきリベリオさんと話してた処分のことなんだけど」

「それは君が気にすることじゃない。また明日来る。おやすみシエル」

「待ってよ…待って!」

 私の静止に振り向くことすらせず、セスは部屋を出て行った。
 無視かよ!!
 1人になって部屋が静寂に包まれる。
 処分ってどんなものだろう。私のせいなのにセスが処分を受けることになるかもしれないなんて。どうしよう。
 セスはただ、私を助けようとしてくれただけだ。痛み止めを打つように4班の治癒術師に頼んでくれたのだって、私の痛みを和らげようとしてくれたからだろうし。

「シエル」

 考え込んでいると不意に声がかかった。

「あ、班長…」

 部屋の入口にガヴェインが立っていた。
 ガヴェインは私が眠っている間に何度か来てくれたらしいが、こうして話をするのはあれ以降初めてだ。

「目が覚めたとセスから聞いていたが来るのが遅くなってすまなかったな」

「いえ、僕が眠っている時に何度か来てくれたと聞きました。ありがとうございます。それと…すみませんでした」

 私を助けるためにガヴェインはリベリオに頭を下げて頼んだと聞いた。
 暴れた私を落ち着かせてくれたのもガヴェインだし、ずいぶん迷惑をかけてしまった。

「いや、命が助かって本当に良かった。あの時はお前が死ぬんじゃないかと焦ったぞ」

 ベッド横の椅子に腰掛けながらガヴェインが言った。

「すみません」

「もう謝るな。お前の気持ちもわかるしな。それにしてもお前があんな風に怒るなんて驚いた。痛み止めの影響でっていうのはセスから聞いたが、ずっと大人しいやつなんだと思っていたからな」

「痛み止めの影響じゃない、あれは僕が自分でそうしたんです。どうしてもあの言い方が許せなくて。だからセスのせいじゃないんです。この件でセスは責任を問われると聞きました。セスは悪くないって、班長からも隊長に言ってくれませんか?」

「そうか、聞いたのか…」

 ガヴェインは私にはそのことを言わないつもりだったのだろう。
 どこか諦めるような表情で小さく呟いた。

「大丈夫だ。その件に関しては心配しなくていい。俺も隊長に寛大な処分をと進言したし、フィリオたちも全員で署名をして進言書を提出したんだ。隊長も悪いようにはしないだろう」

 フィリオたちがセスのために進言書を提出したことを知って純粋に嬉しく思う。が、セスが責任を取らなければならないという事実は変わりそうにない。

「処分は、どうしても免れないんですか」

「…そうだな。それは致し方ない」

「…僕のせいなのに…僕が、後先考えずにあんなことをしたから…!」

「お前たち2人は、互いのためにと行動したのだろう。今回はたまたまそれがかみ合わなかっただけだ。仲間のためにとやったことを、隊長だってちゃんとわかってくれる。大丈夫だから気負うな」

 そう言ってガヴェインはまるで小さな子供にするように私の頭をポンポンと軽く叩いた。

「シエル、傷の調子はどうなんだ?」

 そしてガヴェインが話題を変えるように私に聞く。

「…明日になったらまた治癒術をかけてくれるみたいで、それで完治するだろうと。食事を普通に摂れるようになったら復帰してもいいらしいんですが、中々食欲が出なくて…」

「そうか、そんなに復帰は焦らなくていいからゆっくり療養してくれ。無理をして任務中に倒れたら本末転倒だからな」

「ありがとうございます」

 しかし気持ち的には「じゃあそうします」とは言い難い。
 自分がこうして復帰できないことや、セスの件でもどかしく思う気持ちでどうにかなりそうだ。

「大丈夫だ。気負うな」

 先ほどと同じことをもう一度ガヴェインが言った。
 
「…はい」

「さて、今日はこれで帰るな。また明日顔を出す」

「はい、ありがとうございます。…おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 そしてまた1人になった。
 セスのことに考えを巡らせる。
 私がこんなことをしなければ、その前にリベリオがあんなことを言わなければ、そもそもの話、私が怪我をしなければ。そんなことがグルグルと頭の中で回っていた。
 
 人の気配で目を覚ます。
 いつの間にか寝てしまっていたようだ。
 横を見るとリベリオが点滴を交換していた。

「あぁ…起こしちゃったか。ごめん」

 私が目を覚ましたことに気づいてリベリオが言った。
 あれだけ性格が悪いところを見た後にそんな普通に謝られても正直気持ちが悪い。意味がわからなすぎる。

「大丈夫です」

「痛みは?辛いなら痛み止め入れるけど」

「我慢できないほどではないので大丈夫です」

「ってことは痛いんでしょ。待ってなよ。痛み止め打つから」

 そう言い残してリベリオは部屋から出て行き、しばらくして注射器を手に戻ってきた。
 注射かぁー…。もしかしてあの痛み止めと同じやつだろうか。

「すみません、質問していいですか?」

「なに?」

「これってあの問題の痛み止めですか?連続で使えないとかいう」

 それを打ってまた興奮してしまったらどうしようと考えてしまう。

「シェスベルか。あんな強いの使わないよ。そもそも君は連続で打っちゃったから、次使うなら1週間は空けないとダメだ」

 そうなのか。連続で使えないと言っても1~2日くらい空ければいいのかと思っていた。

「あれは特別なやつだよ。死ぬくらいの怪我でも痛みを麻痺させて動けるようにするくらいのね。あの場所だから、あの薬なんだ」

 なるほど。確かにここで暴れた時あまり痛みは感じなかった。たぶん痛み止めを打ってなかったら痛すぎて動けなかったはずだ。

「デッドラインだから…ですか」

 そうしてでも動かなければならない必要性があるかもしれないから、ということなのだろう。

「そういうことだね。だからその分副作用も強いんだ。今回君に連続で打ったのはどうかしてるんだよ。確かに耐え難い痛みだっただろう。その痛みを失くしてやりたいと思うセスの気持ちもわかる。でもリスクが高すぎる。セスは君が興奮状態にあってもあんなことはしないだろうと思っていたんだろうけど、結果はこれだ。完全にセスの判断ミスだよ。僕だったら絶対に使わなかった」

 あんなことをすることになったのは誰のせいだよ、という言葉を私は辛うじて飲み込んだ。
 そんなことを口にして今リベリオと揉めることになれば、痛み止めを打たれなくても興奮して殴りかかってしまうかもしれない。

「君は僕のせいだって言いたいんだろ?確かにその要因は否めないことはわかってるよ。でもね、死の淵にある人間の痛覚を失くすことがそもそも危険なことなのに、そこからさらに興奮状態にさせることがどんなに危険かわかるかい?結果がどうであったかではなく、その行為自体が問題なんだ」

「…だから、セスは処分を受けると…?」

「当然だろ。セスは素人じゃない。ちゃんとした契約の元、ここにいるんだ。プロとして適切な判断ができなかったとなればそれはもちろん罰を受けなければならない」

「僕が処罰を望まないと進言したら?」

 処分はもう免れないという話になっている以上、私がこの行動を起こしたのはセスがシェスベルを連続投与した結果によるものとして断定されている。
 セスのしたことで直接的な影響を受けたのは私だ。まぁ、リベリオもそれによって想定以上の消耗を強いられたかもしれないが、それはひとまず置いといて、私の命がその行動によって危険に晒されたことでセスはその責任を負わなければならなくなった。
 私がそれを許すと言えば、それで済まないだろうか。

「言っただろ。結果がどうであったかではなく、その行為自体が問題だと。君がこういう行動を起こさなければ、セスはシェスベルの連続投与を表沙汰にすることすらしなかっただろう。バレなきゃ問題ない…そう思っていたはずだ。それは医術師としてあるまじきことだと思わないか?」

「……」

 もうこれは完全に私のせいだ。
 セスは私がこんなことをするなんて思ってなかった。だから連続でシェスベルを使っても問題はないと判断したんだ。私の苦痛を和らげるために。
 私が何も問題を起こさなければ、確かにセスはそのことを公にするつもりはなかったんだろう。それについてはまぁ、セスでもそんな風にやっちゃいけないことをやっちゃうことがあるんだなとか思う程度でそれ以上何かを思うことはない。そもそもそれは私のためにやってくれたわけだし。
 むしろ、なぜセスはシェスベルの連続投与を公にしてしまったのか。私が暴れたからと言っても連続投与したことを言う必要はなかった。私が勝手にやったことにしてくれればそれでよかったのに。

「…まぁ、言うだけ言ってみたら?僕は治癒術師長としてセスの判断は不適切だったと進言する必要がある。でもどうするか決めるのはヴィクトール隊長だ。君が処罰を望まないと言うのなら、その意見も判断材料にするだろう。どうせあと2週間で君たちの任務期間も終わるんだ。今さら処罰したところであまり意味もない」

 予想外の言葉だった。
 なんだろうこの"実はこの人思っているほど悪い人じゃないんじゃない?"的な言動は。やり辛くなるから正直やめてほしい。
 でもそうか。今さら処罰したところであまり意味もない、か。その言葉で少しだけ光が見えた。
 明日自由になったらヴィクトールの元へ行ってみよう。

「で、そろそろ痛み止め打ちたいんだけどいい?」

「あ、すみません。お願いします」

 そのためにリベリオがここにいることを忘れていた。
 リベリオが腕を消毒して注射を打つ。
 痛い。この世界の注射は本当に痛い。

「質問していいですか」

「また?さっきの話はもういいよ」

 痛みを紛らわせるようにリベリオに聞くと嫌そうに答えた。

「違う話です。治癒術を数回に分けるのは神力を温存するためですよね。それが1日に1回というのは決まりがあるんですか?」

 リベリオは私が暴れた直後に命の危機を脱するまで一度治癒術をかけ、その次の日、つまり今日私がまだ眠っている時にも一度治癒術をかけたと聞いた。そして残りは明日だと言う。
 リベリオに今疲労の色がなくとも、治癒術をかけるのは明日。

「規約としてそれがある訳じゃないけど僕はそう決めてる。ここは最後の砦だから。班員が下山してくる時間帯は絶対に命を救えるくらいに神力を残しておかなきゃいけない。君みたいな怪我をしてくる人のために。だから下山時に怪我人がいなかった時に1日1回だけやる。命の危険がない人の治癒は焦らない。ここは何でもかんでも限られている。人も、物もすぐに補充できる訳ではないからね」

「なるほど…それを1人でやってるんですね」

 最後の砦。
 セスもここに戻ってくれば大丈夫だと、リベリオに私を託した。
 その時にリベリオが疲弊していては救える命も救えない。そりゃそうだよね。聞くまでもなかった。
 すっごいいいことを言ってると思うんだけど、本当にやり辛い。なんだろう、リベリオには最後まで悪役キャラでいてほしいのに。

「まぁ、だから騎士見習いを何人かここで使ってるんだけどね」

 そういえばリベリオがいない時間には騎士見習いの人が誰かしらいる。
 私が眠っていた間も騎士見習いが様子を見てくれていたと聞いた。
 レオンも3班に配属される前はそういうことをやっていたのだろうか。

「もう寝なよ。じゃあね、おやすみ」

 私の返答も待たずにリベリオはそう言ってすぐに部屋を出て行ってしまった。
 痛み止めで痛みが落ち着いたからか、私も程なくして眠りについた。

 次の日の朝、下山して来た1班に怪我人がいなかったので、リベリオが治癒術をかけてくれた。

「はい、これで完治だ…。今日1日はここで過ごして、夜になったら部屋に戻っていいよ。まぁ、後でまた来るけど。点滴もまだ交換しないといけないし」

 疲労の色を濃く出しながらリベリオが言った。

「ありがとうございます」

「じゃあ僕は少し休むから、何かあったら騎士見習いに言いなよ」

 ヒラヒラと手を振ってリベリオは去って行った。

「シエル!」

 リベリオと入れ替わるようにフィリオ、アイゼン、ニコラが現れた。
 私の朝食だろうか、フィリオの手に食事が握られていた。

「みんな…」

「やっと面会が許可されたんですよ。はい、これ朝食です」

 朝食は昨日と同じ消化にいい病人食だった。

「ありがとう」

「シエル、調子はどう?」

「今しがた完治したところだよ。今日1日ここで過ごしたら夜には部屋に戻れるって」

 ニコラの質問に私は左腕をグルグルと回して答えた。
 もう何の痛みもない。

「それは良かった」

「ニコラ、ごめんね。ニコラには迷惑をかけた」

「ううん。大丈夫だよ。無事でよかった」

 笑顔を見せるフィリオとニコラとは裏腹に、アイゼンはどこか悲しそうな顔で2人の後ろから私を見ていた。
 どうしたんだろう。

「シエル」

 そんなアイゼンが私の側まで来て名前を呼んだ。

「シエルが怪我をしたのは俺のせいだ。シエルはあんな状態でも俺のせいじゃないって言ってくれたけど…俺が前衛としてシエルを守らなきゃいけなかったのに…本当にごめん」

 そう言って頭を下げる。
 まだそのことを気にしていたのか。
 それは辛い思いをさせてしまった。

「あれは僕がセスの忠告を無視してリザードマンに近づきすぎたせいだ。アイゼンのせいじゃない。だからもう顔を上げて。大丈夫だから」

「ありがとう、シエル」

 どこか泣きそうな顔でアイゼンが言った。
 ここに来るまでアイゼンも苦しかったんだろう。私の言葉が心まで届いているといいと思った。

「みんな、隊長に進言書を提出してくれたんだってね。ありがとう。今回のことはセスのせいじゃなくて僕のせいだから。僕も後で隊長のところに行って進言してくる」

「セスのせいでも、シエルのせいでもないですよ。僕たちはみんな同じ気持ちです」

「ありがと…」

 フィリオの言葉にちょっと泣きそうになってくる。

「じゃあ、僕たちはそろそろ行きますね。食事の邪魔をしてもいけないですし。食器は食堂の方が後で取りに来るみたいなので、そのままでいいと言っていました」

「そっか、ありがとう。今日は15時から任務だよね。頑張って。一緒に行けなくてごめんね」

「大丈夫だよ。ゆっくり休んでね。僕たちもゆっくり待ってるから」

「ありがとう」

 その気持ちが嬉しくて、3人が帰った後ちょっと泣いた。
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