クルスの調べ

緋霧

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二章

第30話 仲間

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 夜まで部屋で休んでから、私は夕食に向かった。
 4班のみんなは怪我をした私を横穴で直接見ていたこともあり、回復を心から喜んでくれた。
 この班の治癒術師はエレノーラという女性で、やはり私にシェスベルを打った時は連続投与であったことは知らなかったらしい。
 ただ痛みに悶えていた私の様子からセスの気持ちもわかるということで、エレノーラの方からも寛大な処分を求めると言ってくれた。

 夕食は4班のみんなと一緒に食べたからだろうか、ほとんど食べることができた。
 食堂の人も、明日の朝から常食に戻すと言ってくれたので、明日から復帰したいところではある。

 夜、遅くに戻ってきたみんなを出迎えるとみんなも笑顔で私の退院を喜んでくれた。
 この時に初めて臨時で入ってくれていた魔術師の騎士見習いを見たが、中々のイケメンだった。そんなイケメン魔術師はさわやかな笑顔で私の回復を喜んでくれて、中身までイケメンで少し悔しかった。



「今日から復帰します」

「ああ…わかった」

 朝食を全部平らげて言った私に、ガヴェインは呆れたように苦笑いを浮かべて返事を返した。
 みんなもそんないきなり復帰しなくても、と言っていたが、強行突破した。いや、だってもう傷跡すら綺麗になって何ともないし。
 実際、任務中も今までと変わらずに動けたと思う。

 休憩時間はガヴェインと一緒だった。

「明日のことだが」

 椅子に座るなりガヴェインが口を開いた。
 セスの処分言い渡しか。

「審判はルールに則って行われる。発言は隊長の許可がなければできない。質問も許可がなければできない。お前には少し堅苦しいかもしれないが、聞かれたことにだけ答えていればいい」

「わかりました」

 少しどころじゃなく堅苦しそうだ。

「班長も来るんですよね?」

「ああ。隊長と、副隊長、俺、リベリオ、セス、お前だ」

 副隊長。そんな人がいるのか。最初にヴィクトールから説明を受けた時に隣に誰か立っていたけどその人がそうかな?関わることもなかったし、あんまり記憶には残っていない。

「だが俺は発言を求められることはないと思う」

「そうなんですか」

「寛大な処分を求める進言はもうしてあるからな」

 それを言ったら私だってもうしてあるのに、その場でもう一度言うのはなぜだろう。それもやっぱり当事者だからなのだろうか。
 あまり想像もつかないその審判の様子をあれこれ考えつつ任務を終え、ついにその時が来た。
 任務が終わって食事とお風呂を済ませ、少しだけ仮眠をしたので眠気はそこまでない。



 昼食後、ガヴェインとセスと3人でヴィクトールの執務室へ向かった。
 それを見送るみんなの不安そうな顔が、私の不安も増幅させた。
 しかも道中は誰も話すことがなく、重々しい空気に余計緊張が増す。

「シエル、悪いな。時間を取らせて」

「いえ…」

 執務室に入るなりヴィクトールが言った。
 ヴィクトールの隣に立っている見慣れない男性が副隊長なのだろう。やはり説明の時に隣に立っていた人だった。40代くらいだろうか。
 リベリオはまだ来ていないようだ。

「シエル、座っていいぞ」

 ヴィクトールが私にだけソファーに座るように促した。
 そうやって私1人気遣われるのも気まずい。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 ヴィクトール以外の人は全員立っているのでさすがに自分だけ座るわけにもいかず、私は首を振った。
 ヴィクトールは納得したのかそれ以上何も言わなかった。

「セス、悪いがお前も立場なりの応対をしてもらえるか」

「わかっている」

 ヴィクトールの抽象的な言い方に、セスは即答した。
 審判の時には治癒術師として隊長であるヴィクトールに敬語を使えってことかな。他の治癒術師は立場的にそうしているだろうし。
 しばらく気まずい沈黙が続いていたが、やがてドアがノックされリベリオが中に入ってきた。
 私をチラリと見て、私たちがいる方とは反対側の壁際へ歩いて行く。
 
「揃ったな。始めるか。セス、こちらへ」

 ヴィクトールの一声でセスがヴィクトールの正面へと立つ。
 私とガヴェインはセスの右手側の壁際に、リベリオはセスの左手側の壁際に立っている。
 ここからよく見えるセスの表情はひどく落ち着いていて、何を考えているのか読み取ることはできない。

「さて、ではセス。今回の件について説明と弁明を聞こうか」

 浅く座って背もたれに体を預けていたヴィクトールが、深く座りなおしてセスを正面からしっかりと見据える。
 その鋭い視線に私なら怖気づいてしまいそうだが、セスの表情が変わることはなかった。

「…私はシェスベルの副作用を承知の上で苦痛を和らげるために短時間に連続で投与しました。その結果、シエルが中毒症状に陥り命の危険に晒されたことは全て私の責任によるものであり、この件についていかなる処分も受ける所存です。弁明はありません」

 感情のこもっていない声でセスが言った。
 用意されている説明文をただ淡々と読み上げているような感じだ。
 こんな状況でなければ普段とは違う話し方のセスに、もっと違う感情を持ったかもしれない。

「お前はシエルがこのような行動を起こさなかったらシェスベルを連続投与したことを表沙汰にするつもりはなかったのか?」

「はい」

「ではなぜ行動を起こした今、このように公表した?同じように内密にすることも選択肢としてはあったのではないか?」

 ヴィクトールは答えを知っているはずの質問を先程から繰り返す。それをあえて言わせることに何の意味があるのだろうか。

「シエルがこのような行動に出たのはシェスベルによる中毒症状によるものです。私がそれを公にしなければシエルの行動は全てシエルの意思ということになってしまう。それは本意ではありません」

「誰の本意ではないと?お前のか?シエルのか?」

「私のです。そしてシエルのでもあると推測します」

 違う。私は本意だ。セスにもそう言ったはずだ。言いたいけど発言が許されていないので言えない。

「ではシエル、お前に話を聞きたい」

「は、はい」

 と思ったら予想よりも早く私に発言の機会が巡ってきた。
 突然すぎて心臓が早鐘を打つ。

「セスがお前にシェスベルを連続投与したことをお前はどう思っている?」

「セスがシェスベルを連続投与したのは、僕…私の苦痛を和らげてくれようとしたためです。感謝しかありません」

 なるべく落ち着いて答える。
 セスは顔を向けず視線だけで私を見ていた。その表情はやはり変わらず何の感情も映していない。
 一見冷ややかに見えるそれを、こんな状況には不釣り合いと分かりながらも美しいと思った。

「その結果お前は興奮状態に陥り、命が危険に晒されたのだぞ」

「私があのような行動に出たのはすべて自分の意思によるものです。中毒症状になくとも私は同じことをしていました。実際には痛みでできなかったかもしれませんが、気持ちとしてはそういう気持ちです。薬が効いていたからできたというだけの話であって、連続投与自体は何の関係もありません。命が危険に晒されたのは私自身の行動の結果です」

 私の言葉にセスは目を伏せた。
 どう思ったのだろう。確かあの時も何も言わなかった。

「ではリベリオ、次はお前に聞く。セスがシェスベルを連続投与したことについて医術的観点から見解を述べよ」

「シェスベルは意識を保ちながら痛覚を麻痺させることができる強い薬です。故に強い副作用を持ち、短時間に連続して投与すれば激しい興奮状態に陥ります。死の淵に立たされている患者の痛覚を麻痺させるということ自体が生命維持の観点から言えば危険なことであり、そこからさらに興奮状態に陥らせることは自殺行為にも等しい。あの場に患者の苦痛を和らげる手段がシェスベルしかなかったとは言え、その判断は適切ではなかったと考えます」

 リベリオもまた淡々と言う。
 セスはその言葉にも眉一つ動かさず、目を伏せたままだ。
 予想通りの言葉に私は意気消沈する。

「お前から見て責任を取るべきは誰だ?」

「もちろんセスです。シエルの行動がシェスベルの中毒症状によるものか否かはこの場合重要ではありません。シェスベルを連続投与したという事実そのものに過失があります。しかも事が起きなければセスはそれを秘密裏に済ませようとしていた。これは医術師としてあるまじきことです。続けて個人的見解を述べたいのですが許可をいただけますか」

「いいだろう」

 先程からリベリオの言葉にも何の感情もこもっていない。
 何か紙を見ているわけでもないのによくそんな長文をつかえずに言えるものだと思う。

「しかしながらあの場でのシエルの苦痛は相当なものであったことは確かでしょう。その苦痛を取り除きたいと考えるのは医術師として当然のことではあります。秘密裏に済ませようとしたことは別として、連続投与の判断を下したセスの考えも理解はできます。 そして、シエルがこのような行動を起こしたのは私の不用意な発言によるものです。この件の責任の一端が私にもあることは否めません。故にこの場を借りて謝罪すると共に、寛大な処分を求めます。セス、シエル、申し訳なかった」

 その言葉に今まで感情を表に出さなかったセスが驚きの表情を浮かべてリベリオを見つめた。私もガヴェインも同様に驚きの表情を隠せない。
 なんなのリベリオ、これを貸しとして後から何か要求でもするつもりか。

「先日、ガヴェインとエレノーラからも寛大な処分を、との進言を受けた。そしてこれは3班の班員による進言書だ。同様に寛大な処分を求めるものである」

「……」

 3班の班員からの進言書、という言葉にセスの瞳が揺れた。
 みんなが進言書を提出したことは知らなかったのだろう。

「さてシエル、お前もまた先日俺に進言をしたな。それを今一度この場で述べよ。…堅苦しくしなくていい。自分の言葉で、思うままに発言するといい」

「はい」

 今度はセスが顔ごと私の方を向いた。
 どこか切ないような、悲しいような、なんとも言えない表情をしている。
 それでも私の目を真っ直ぐ見つめるその瞳を、私もまた真っ直ぐに見つめ返した。

「セスはあの時、僕を必死になって助けてくれました。シェスベルを連続投与したのだって、僕の苦痛を和らげようとしてくれたためです。その結果興奮状態にあったんだとしても僕の起こした行動は僕自身の意思によるものであり、責任は僕にあります。シェスベルを連続投与したことが罪に問われていますが、その影響を受けた僕はセスの処罰を望みません。どうか寛大な処分をお願いします」

 苦しそうに表情を歪めてセスは私から視線を外した。
 きっとセスは処罰の軽減など望んでいない。全てを覚悟の上でここに立っている。むしろ私にこれを言われることが嫌だったんだろう。
 でもそれは私も同じことだ。セス1人に責任を負わせるなんて嫌だ。

「ではセス、今の心情を聞こうか」

 ヴィクトールの口から意外な言葉が発せられた。
 心情。そんなものを今聞く必要があるのか甚だ疑問だ。
 でも私も知りたい。私が一番知りたい。

「…心情ですか。ここで私が心情を述べることが処分を決定する際に必要であると?」

 言いたくない。そんな気持ちが滲み出ている言葉だった。
 そうだろうな。何かを思っているにしろ、何も感じていないにしろ、セスとしてはその心情を悟らせたくないことだろう。

「質問は許可していない」

「……」

 ヴィクトールの有無を言わさないその言葉に、セスは諦めたように悲しい笑みを浮かべて、足元に視線を落とした。

「…皆が私の処分を軽くするよう進言してくれていたことは知りませんでした。こんな私のために皆がそこまでしてくれたことを嬉しく思っています」

 今までの感情のこもらない言い方とは違い、苦しい思いを絞り出すような言い方だった。
 演技ではない。そういうことを演技で言う人ではない。と思う。これはきっと本心だ。
 セスならこの場で偽りの言葉を口にすることだって造作もないはずなのに、何故本心を口にしたのだろうか。

「セス、お前にとって3班の班員はなんだ?お前の言葉でいいから教えてくれ」

 先程からヴィクトールは意図のよくわからない質問をしている。
 私たちはセスにとって何なのか。何なのだろう。
 その答えを持っていない私や他のみんなのために聞いてくれているのだろうか。

「…長くなる」

「構わない」

「……」

 セスが目を伏せた。
 長くなるのか。
 何かを考えているような長い沈黙に、それでもヴィクトールは何も言わず、ただその言葉を待った。

「…彼らは子供だ。別に子供だと馬鹿にしているわけではなくて、まだほんの十数年しか生きていない、これからたくさんの未来が待っている子たちだ」

 静かに話し始めたその言葉は、ヴィクトールの質問にどう繋がっているのかよくわからないものだった。
 しかしヴィクトールは真剣な表情でそれを聞いている。

「たくさんの未来の中からあえてこれを選び、命の危険を承知でここに立つ彼らを俺は守りたいと思った。最初は本当にそういう気持ちで、誰も若い命を落とさないようにとサポートに努めた」

 なんだろう。この前ヴィクトールに聞いた話とセスの言っていることは違う気がする。
 セスは誰かのための行動を取らない、誰のことも信じていない、そんな話だったのに。
 でも確かに前に横穴で、自分が主体として戦えれば助かる命もあるかもしれないと言っていた。それはすなわち誰かのための行動と言える気がする。
 最初から私たちの前にはヴィクトールが知らないセスがいたのだろうか。

「彼らは俺がリュシュナ族だと知っても損得勘定のない純粋な厚意を向けてきた。シエルなんて、俺が何の種族か聞いてすら来なかった」

 セスは私を見て呆れたように笑う。
 ということは、みんなセスがリュシュナ族って知っていたのか。
 みんなでいる時にそんな話になったこともなかったのに。

「彼らは…パーシヴァルを救えなかった俺を責めてはこなかった。それどころか俺1人に背負わせたくないだなんて強い気持ちをぶつけてきた」

 それは私のことだろうか。
 エレンを殺してあげると言ったあの時に、私はセスを追いかけてそう言った。

「最初はただ子供の未来を守りたいという義務感のようなものだったはずなのに、彼らの純粋な気持ちに自分もまた厚意を返したいと思うようになっていた。こんな気持ちを持ったのは記憶にないくらい前だから、正直戸惑ったくらいだ。シエルにシェスベルを連続投与したのも、そんな気持ちから来るものだった。目の前でひどく苦しむシエルを見ているのが辛かった。苦痛を失くしてやりたかった。これが"仲間"というものなのだろう」

 今まで誰にも吐き出すことのなかった溜め込んだ思いを少しずつ吐き出すかのような言葉に、胸が締め付けられるような感覚になった。

「シエルが俺のためにあのような行動を起こしたと知って、正直嬉しかった。ニコラも、普段からは考えられない様子で俺のために感情を荒立てて気持ちをぶつけてくれた。他のみんなも俺のために進言書を提出してくれた。そんな彼らの真剣な気持ちに、自分もまたそれを返したいと思う。子供だと思っていた彼らは立派に自分と対等な仲間だったんだ。…これが、質問の答えだ」

 セスが柔らかく笑った。
 こんな風に笑えるんだ。
 今まで悲しそうだったり、苦しそうだったり、そんな笑みは見ていたけど、純粋な喜びから来るような笑みは初めて見た。

「…どうして泣くの?」

 そんなセスが困ったように笑って私に聞く。
 発言してもいいのだろうか。
 ヴィクトールに視線を移すと発言を許可するという意味だろう、頷いてくれた。

「…嬉しいからかな?」

 自然と溢れていた涙を拭って私は答えた。
 ここに来て本当によく泣く。何でだろう。意図しているわけじゃないのに自然と涙が溢れてしまう。
 でも今まで誰のことも信じられなかったであろうセスが、私たちのことを仲間だと思ってくれて私たちのために何かをしたいと思ってくれたことが嬉しかった。
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