クルスの調べ

緋霧

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二章

第31話 エレンの決断

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「なるほどな。今俺の目の前にいるのは俺の知らないセスだったようだ。だが、そういうお前の方がいいと思う。よかったな」

 ヴィクトールの言葉から、子供の成長を喜ぶ親のような感情が見て取れた。

「…さぁ、どうかな」

 それに反し、悲しそうにセスが笑った。
 
「今までのお前ならそんなことを思うことすらなかっただろう。ミトスの人間だって、信用に足る者はいるということを知れただけでもいいと思ってほしいものだな。…さぁ、そろそろ審判を言い渡そうか」

 急に真面目な顔になって、ヴィクトールはセスを真っ直ぐに見つめた。
 そうだ、まだどういう処分が下されるのか決まっていないんだった。

「今回の件は不問とする」

 その言葉に驚きの表情を浮かべたのは私だけだった。セスすら表情を変えることはなかった。
 あれ?みんな予想していたの?
 いや、だってあれだけみんな処分は免れないって言ってたじゃん。なんでやねん。

「主な理由としてはシエルが処罰を望んでいないことと、3班の班員や騎士団の人間からの進言によるものだ。だが、そうだとしても本来罰は科さなければならない。だからこれは"貸し"だ」

「騎士団に借りを作るくらいなら罰則を与えていただきたい」

 "貸し"という言葉にセスが眉をひそめて言った。
 まぁ、そうだよね。そう言うよね。
 
「そうだろうな。だが俺の支配下にあるお前にはこの決定に従ってもらう。この仕事が終わったらお前に頼みたい仕事があるんだ」

「…そろそろベリシアを離れるつもりなのですが」

「だが引き受けてもらう。"借り"は返してもらうぞ」

 何て強引な。
 ヴィクトールはこの件を逆に利用したわけか。

「…拒否権はない、と」

「悪いな。まぁ、内容は後々に話すとする。今は他にやるべきこともあるからな。シエル」

「は、はいっ?」

 突然名前を呼ばれて裏返った声が出た。

「こちらへ来い。治癒術師長に対して暴挙に出た審判を行う」

 …ん?
 ……んん!?

 セスがその場から離れて私のためのスペースを開けたので、よくわからないまま私はそこに歩いて行った。

 まじか。まじでか。そういう理由で私はここに呼ばれていたのか。
 そうか、リベリオに対して暴挙に出た罪を問われるのか。へぇ…そうなんだ。目上の人間だもんね。なんてどこか冷静に考えている風を装っているけど冷や汗が止まらない。
 何でそのこと誰も教えてくれなかったの。
 っていうか、それでどんな罰則を受けるんだろう。やばい、どうしよう。

「さてシエル。お前は治癒術師長であるリベリオに対して乱暴に掴みかかるなどの暴挙に出た。そうだな?」

 セスの時と同じように鋭い視線で私を射抜いてヴィクトールが言う。

「はい、間違いありません…」

 必死で目を逸らさないように耐えて私は答えた。

「この件に関しては、シェスベルの副作用で興奮状態にあったことが大きな要因であり、リベリオも処罰を望んでおらず、ガヴェイン、セス両名から寛大な処分を求める進言もあったことにより、不問とする」

「……」

 え、なにこの茶番。やる必要あったのかな?いや、あるのか。一応私に罪を問わなければならないのか。

「悪いなシエル。形式上どうしてもやらなきゃならなかったんだ」

 苦い笑みを浮かべてヴィクトールが言った。

「いえ…寛大な処置をありがとうございます…。リベリオさん、すみませんでした。班長とセスもありがとうございます」

 リベリオは私の言葉にもその表情を崩すことなくただ目を逸らした。照れているのかなんなのか。
 そしてガヴェインとセスは苦笑いを浮かべて私を労うかのような視線を送ってきた。

「それでシエル。先ほどセスに依頼した仕事だが、お前の手も借りたい」

「…え?」

 思いもよらない言葉に、素っ頓狂な声が出る。

「隊長、私はこれで失礼してもよろしいですかね」

 私が何かを言う前にリベリオがヴィクトールに声をかけた。

「あぁ、構わん。ご苦労だった」

「失礼します」

 一礼してこちらを振り返ることもなく、リベリオは部屋を出て行った。
 後でもう一度お礼を言わないと。

「自分もこれで失礼します」

 ヴィクトールの隣に立っていた副隊長も同様に部屋を出て行った。
 結局何のためにいたんだかわからなかったな。名前すらわからないし。

「シエル、それで先ほどの話だが」

「あ、はい」

「この任務が終わったら騎士団からお前に正式に依頼したい。だが危険な仕事だ。内容を聞いて無理だと思ったら断っても構わない」

「わかりました…」

 なんだろう、どんな仕事なんだろう。気になる。

「危険な仕事を子供にやらせるのか?」

 咎めるような言い方でセスが口を出した。

「シエルは冒険者登録をしている冒険者だろう。その冒険者に依頼を出すだけの話だし、受ける受けないもシエルの自由だ。それにエルフは15歳で成人だと聞いているが?」

「……」

 その言葉にセスが黙った。
 なぜセスがそういうことを言うのだろう。ただ単にこの任務と一緒で若い命を落とさせたくない、というだけの話にしてもずいぶんと"子供"にこだわっているような。そんなに子供好きという感じでもなさそうなのに。
 まぁ、知らないだけで、実はめっちゃ子供好きで小さい子供の前では豹変するとかかもしれない。もしそうならちょっと見てみたい。

「それで、どんな内容なんですか?」

 雰囲気がピリピリとしてきたのでひとまず話を振ってみることにした。
 どんな内容なのかわからないことには話のしようもないし。

「依頼内容についてはこの任務が終わってから別の者に話をさせる。今余計な情報を入れて任務に支障が出てもまずいからな」

「わかりました…」

 いや、こうやって焦らされても気になって任務に支障が出そうなんですけど。でもヴィクトールがそう言っている以上、今は聞けそうにない。

「ひとまず今日はこれで全員下がっていいぞ。時間を取らせて悪かったな」

 そうして、私たち3人はヴィクトールの執務室を後にした。

「ご苦労だったな、シエル。疲れただろう」

 建物の外に出るなり、ガヴェインが私に言った。
 確かにあの堅苦しい空気に疲れを感じていないと言えば嘘にはなるが、それはみんな同様だろう。

「いえ、大丈夫です。まさか自分も罪に問われることになるとは予想していませんでしたが…」

「騎士団という組織はそういう部分が堅苦しいんだ。すまんな」

「2人とも知っていたならせめて教えておいてほしかったです…」

 私がそう言うと2人は一様に苦い笑みを浮かべた。

「この件が不問になるであろうことはわかっていたからね。リベリオはこの件でかなりヴィクトールから絞られたらしいし、それで処罰を望むことはさすがにしないだろうと」

 セスが言う。
 そうなのか。厳重注意、という言い方だったからそこまでではないのかと思ったけれど、それなりにヴィクトールはちゃんと雷を落としたのか。

「俺は隊長から不問にすることは事前に聞いていたから言う必要もないと思ってた。すまん」

 いやいや、ガヴェイン、あるでしょ!!気が利かないな、おい!

「いえ、まぁ、事なきを得たのでよかったです…」

「事はあっただろう。騎士団の持ってくる仕事は危険だと言ったら本当に危険だから、できれば君に引き受けてほしくはないところだな」

 ヴィクトールからの依頼の件で、再びセスが難色を示す。

「聞いてから考えるよ」

 危険と言ったら本当に危険、なのか。それをセスは強制的に騎士団からやらされるわけだ。そんな仕事をセスに押し付けることになってしまったのは私の責任だ。

「でもセスは断れないんだもんね。僕のせいだ、ごめん」

「違う。そういうことを言いたいんじゃない。この件はもう終わったんだ。ただお互いがお互いのためにと取った行動が裏目に出ただけだ。自分を責めるのももう終わりにしよう。お互いに」

 悲しそうに笑ってセスが言った。
 お互いに、か。

「そうだね。僕もセスが僕のためにとやってくれて嬉しかったよ」

「そうか…」

 セスは私の言葉にただそれだけを答えて、柔らかく笑った。イケメン!!!

「班長は依頼の内容を知っているんですか?」

 危うく頬を染めそうになってしまったので、慌てて話題を切り替える。

「いや、俺は知らない。まぁ、でもシエルに頼むと言うことは、シエルでなければならない理由があるのだろう。エルフなら騎士団にもいるからな」

「エルフが騎士団にいるんですか?」

「と言っても俺は1人しか知らないが、いるにはいる」

「そうなんですね…」

 ベリシアの国民になったということだろうか。騎士団にいるエルフのことを父たちも知っているのかな。それにしても意外だ。
 というか、私でなければならないとか余計に気になる。聞かなきゃよかった。

「さて、ゆっくり休めよ。また夕食の時にな」

「はい。ありがとうございました」

 班員用の宿舎の前で、ガヴェインとセスと別れて私は部屋へと戻った。

 部屋に戻るとニコラは寝ていた。
 やることもないので私も仮眠を取ることにしよう。

「…エル、シエル!」

 誰かが私の名を呼びながら肩を叩いている。
 目を開けるとニコラが覗き込んでいた。

「ニコラ、おはよう…」

「おはよう、もうお風呂の時間だよ」

 もうそんな時間なのか。結構寝てしまったようだ。
 神経が疲れていたのかもしれない。

「起こしてくれてありがとう」

「ううん。ねぇ、どうだったの?セスの審判」

 相当気になっていたのだろう、捲し立てるようにニコラが聞いてきた。

「あぁ…不問になったよ。みんなが提出してくれた進言書のおかげだよ」

「そっかぁ、よかった!!」

 本当に嬉しそうにニコラは笑って言った。
 ニコラはリベリオの態度が気に入らないと激しく怒っていたんだっけ。それに直接私が暴れたのを見ていた分、他の人よりも成り行きを心配していたに違いない。

 お風呂に行ってフィリオとアイゼンにも報告すると、2人とも同じように笑顔でよかったと繰り返した。
 その後の依頼のことは言っていいのか悪いのか判断ができなかったので、とりあえず伏せておくことにする。



「シエルから聞いたかもしれないけど、今回のことは不問となった。君たちが進言書を提出してくれたおかげだ。ありがとう」

 夕食時、セスが開口一番にそう言った。
 初めて聞いたであろう女子たちは、フィリオたちと同じように喜びを露わにした。それは当然のことだと思うけど、さっき聞いたはずの残りの男子たちも初めて聞いたかのように喜んでいた。
 レオンはお風呂のタイミングが違うからどうなのかわからないけど、他の男子には言ったのに!

「シエルから聞いてなかったのか」

「いや、男子には言ったよ!?」

 その喜びようを見てセスが勘違いしてるので慌てて訂正する。

「喜ばしいことは何度聞いても喜ばしいからな!」

 アイゼンが何だかよくわからない理屈を言っているが、まぁいいだろう。
 その後は雑談が主だったが、セスが依頼のことを口にすることはなかったので言わなくてよかったのかもしれない。



 それから2週間。
 ついに最後の任務の日が来た。
 あれからここまで大した怪我人も出ずこの日を迎えることができた。
 今日は23時~7時。朝駐屯地に帰って任務が終わりとなる。
 明日中にここを発てばどのタイミングで出発してもいいらしい。
 数日前に全員で話し合って、帰ってきてお風呂と朝食を済ませ、仮眠を取ってから昼食を食べて帰ろう、という風に意見がまとまった。

 そして今は最後の休憩だ。
 エレンとの。

「私、生きることにした」

 休憩に入ってしばらく沈黙が続いていたが、唐突にエレンが口を開いた。
 3週間前、任務が終わってもパーシヴァルの命の重さに押しつぶされそうだったらセスに殺してもらう。エレンはそういう約束をしていた。

「そっか、よかったよ」

 セスの予想通り、というわけか。
 死ぬことにしたなんて聞きたくなかったし本当に良かった。

「私ね、貴方が死にそうになってた時に死んでほしくないって思った。セスが罪に問われると知った時、その罰が軽ければいいと思った。私が仲間をそう思うように、みんなが私のことを思ってくれていたのはわかっていたの。でもそれを素直に受け取れなかった。受け取ってしまったらパーシヴァルに悪いんじゃないかって」

「うん」

 エレンの話を私はただ相槌だけを打って聞いていた。

「でもパーシヴァルは私のために私を助けてくれた。セスがシエルを助けたように、シエルがセスのために怒って暴れたように。パーシヴァルは私のために私を守ってくれた。あの時の私にはそれが重かったけど、今ならそれを受け止められる。だからパーシヴァルが守ってくれたこの命を、私も守らなきゃ」

「うん」

 無理をしてではなく、自然とそう思ったのだろう。エレンはどこか吹っ切れたように笑みを浮かべて言った。

「最初にシエルが"いつでも泣いていい"って言ってくれたこと、嬉しかった。あの言葉があったから私は泣くことで心を保つことができた。ありがとう」

「ううん。よかったよ。本当によかったと思う」

 よかったしか言ってないけど本当にエレンがここまで立ち直ってくれてよかった。

「みんなは知ってるの?」

「ええ、もう言ったわ。セスにも。貴方が最後よ。私が全員に直接言いたいから話題には出さないでってみんなに頼んでたの。セスは…セスは私が話をしたら優しい顔で笑ってた。あんな風に笑える人なのね」

 それはきっとセスも変わったからだ。エレンのことを仲間だと思っているから、きっと心から安堵したのだろう。
 それにしても全員に直接言いたいから、か。なんともエレンらしい。

「エレンはさ、セスに殺してあげるって言われてどう思ったの?」

 今なら聞ける気がして口に出してみる。
 あの涙の意味を、最後に知りたかった。

「…嬉しかったわ。あぁ、パーシヴァルに守られて生き延びた私でも死んでもいいんだって。あの直後は本当にそうしてもらうつもりでいたもの」

「そっか…」

 エレンには本当にそれが救いになってたのか。
 すごいな。それが救いとなることも、あの時のエレンにそれが必要だとセスにわかったことも。

「シエル」

「ん?」

「ありがとう」

「僕は何もしてないよ」

 エレンが改めてお礼を言う。
 そこまでのことはしていない。できなかった。
 エレンを救ったのはセスと献身的に支えたリーゼロッテだ。
 私は成り行きを傍観していただけに過ぎない。

「いいえ。みんな私の命をパーシヴァルと同等に見てくれた。誰もいない私を」

「……」

 それを言ったら。それを言ったら私だってそうだ。私にも誰もいなかった。誰からも愛されず誰からも必要とされなかった。
 でもこの世界の父と母は親としてシエルという子供を必要としてくれた。3班のみんなもこんな私を仲間だと思ってくれた。

「…僕も、みんながこんなに心配してくれて嬉しかった。僕が死ぬんじゃないかってなった時に、みんなが必死で助けてくれて嬉しかった。エレンもありがとう。仲間っていいもんだね」

「そうね」

 頷いて笑うエレンを可愛いと思った。別に私は女なので異性として可愛いとか思っているわけではなく、この結論に達したからこそできるその笑顔が純粋に可愛かった。

 そして、最後の任務が終わった。
 下山して駐屯地に足を踏み入れた時、いつもとはやはり違って達成感に満ち溢れていた。
 みんなもそうなのだろう、どこか晴れ晴れとした顔で地を踏みしめている。
 ここで過ごす最後の時間全てが特別に感じられた。
 班長とセスは引継ぎなどで忙しいと言って朝食には来なかったが、3班のメンバーであの時はこうだった、ああだったと話に盛り上がった。これを、パーシヴァルとも一緒にできたらよかったのに…。そう思わずにはいられない。
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