クルスの調べ

緋霧

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二章

第35話 記録書

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「…俺は今までたくさんの人間を殺してきた」

 長い沈黙の末に、セスが静かに口を開いた。

「子供でも…愛した人でも、必要があれば誰でも殺した。数なんて覚えていない」

 具体的な例を挙げて紡がれたその言葉に、ズキリと胸が痛んだ。
 その愛した人を殺さなければならなかった必要性とは一体何なのだろう。何であってもセスには殺すという選択肢しかなかったのだろうか。
 セスは氷のように冷たい表情で私を見つめている。
 もし私を殺そうと思ったら、セスは今と同じ表情でその息の根を止めるのだろう。
 そこにどんな理由があったとしても、きっと少しの躊躇いもない。

 セスは私から視線を外して何かを考え始めた。
 何を考えているのかおよそ見当もつかないが、私の言葉を待っている風でもないので私も考えを巡らせる。

 こんな冷たい表情を見ても、残酷な言葉を聞いても、それでもいつか自分が誰かにその命を差し出すことがあるとするならば、それはやはりセスがいいと思った。

 ここまで思うのだから、それが恋愛感情と呼ばれるものであろうことは流石に自覚している。
 今まで意識的にそう考えるのを避けて来ただけで、実際私が生死を彷徨ったあの一件くらいからそういう感情を抱いていたのは否めない。

 今まで誰か特定の異性を好きになったことはなかった。
 2次元のキャラクターにそういう感情に近いものを抱いたことはあるが、所詮は2次元の話であって現実の話ではない。
 ただ、誰かを好きになったのなら、その気持ちを伝えたいと思うのが常だろうし、ずっと一緒にいたいとか自分と同じ気持ちでいてほしいとか、そういうことを当然のように思うものだと思っていた。
 でも今私はそう思っているわけではない。
 前世で女であったことを伝えようとも思わないし、気持ちを伝えたいとも思わない。そういう気持ちを自分に向けてほしいとも思わない。
 それは自分が男として生まれて来たからということではない。この世界の恋愛観がどうなっているのかよくわからないし、セス自身どういう恋愛観を持っているか知らないが、そんなことは今はどうでもいい。
 私はおそらく、セスという人間をただ側で見ているだけで満たされるのだ。
 誰のことも必要としていないのかと思えば、誰かのためにと激しい感情を露わにする。そんなセスをただ見ているのが好きなのだ。
 2次元のキャラクターに恋をするのと何ら変わらないのかもしれない。むしろセスだって2次元のキャラクターのようなものだ。
 それを恋愛感情と呼ぶのはおこがましいのかもしれないが、それ以外に形容する言葉も見つからない。

「今まで殺すことしかしてこなかった。誰にも受け入れられなかったのは俺の方だよ。ずっと1人だったんだ」

 セスが悲しそうに笑みを浮かべて言った。
 ずいぶん長考だったな。この長い間に一体何を考えていたのかぜひとも教えてほしいくらいだ。
 
「君はそんな俺に自分を受け入れてほしいって?ははっ…俺は誰かを受け入れる方法なんて知らないよ」

 そして自嘲的に笑った。声を出して笑うところなど初めて見た。
 この人はこんなにも感情が豊かだったのか。
 
「じゃあ殺してよ」

 至極真面目な顔で私は言った。
 それで殺しに来ることはないと踏んでいるが、予想を外して殺されてもまぁいいかと思えた。
 元々、受け入れられないなら殺してほしかったのだ。

「…嫌だよ」

 セスは私の言葉に驚きを垣間見せて、再び自嘲的な笑みを浮かべて答えた。
 殺さないなら殺さないで、必要がないと言うのだと思っていた。
 嫌だなどとまるで子供のような言い方に思わず笑みがこぼれる。

「それが受け入れるってことじゃないの。ありがとうセス、僕を受け入れてくれて」

「…何なんだよ、君は。強引にも程があるだろ」

 セスが右手で両の目を覆って言う。
 今までとは違う若干乱暴な言葉遣いに、私がセスの調和を狂わせたのだと嬉しく思った。

「ごめんね」

 ごめんと口にしたもののそう思う気持ちは微塵もない。それはセスにだって伝わっていることだろう。
 酷いな。自分でも酷いと思う。

「でも僕もセスを受け入れるよ。…必要なら、ね」

 必要と言われることはないとわかっている。言われたいとも思っていない。
 事実セスはただ悲しそうに笑って私から逃げるように視線を外した。

「ずいぶんと話が逸れたね。ごめん。僕にとって有益な話を聞きたいんだけど、明日にしてもらってもいい?明日というか、今日というか、まぁ夜にでもまた。気持ちがぐちゃぐちゃなんだ。今はもう冷静に話なんてできない」

 今が何時なのかわからないけどだいぶ夜も更け込んでいる。むしろ朝に近いのではないかとすら思う。
 徹夜明けの変なテンションみたいな感じで頭がまともに働かず、自分の中に渦巻く様々な感情が整理できない。

「…いいよ。俺も気持ちが纏まらないから。俺を利用しようとする人間の考えは手に取るようにわかるのに、君みたいな奇抜な人間の考えていることはさっぱりわからない。いきなり怒りだしたかと思えば受け入れてほしいだの、殺してほしいだの、俺の思考が追いつかない。少し休みたい」

「いや、酷くない?貶してるよね、それ。しかも僕の考えていることがわからないって?あれだけこっちの考えを読んで恐怖に陥れたくせに」

「それは君の言葉から今までのことを踏まえて総合的に判断しただけだ。考えを読んだわけじゃない」

「同じことだよ。…違うか。いや、でも同じじゃない?あれ、でも違うか…。もういいや、わかんない。寝よ」

 支離滅裂になってきた。
 眠くはないはずなのに思考が覚束無い。

「シエル」

 セスが急に私の名を呼んだ。

「なに?」

 横になる気満々でベッドに入ろうとしていた私はまだ椅子に座ったままのセスを振り返った。

「一つだけ教えてほしいことがある」

「僕が?セスに?」

「君にしかわからないことだ」

 そんなことがこの世界にあるとでも。
 私自身の存在だって自分ではよくわかっていないというのに。

「なに?」

「君がリザードマンに背中を貫かれたあの時、君は自分の死を覚悟して俺に何かを言おうとしていた。あの時何を言おうとしていたの?」

 そんなことを今聞かれるとは思っていなかった。
 死の淵で最後に私がセスに言おうとしていたこと。
 それは…

「…教えてあげない」

 そんなことを今聞く方が悪い。タイミングの問題だ。
 今の私にはそれを答える気はさらさらない。

「……」

 セスは苦い笑みを浮かべて視線を落とした。
 予想通り、と言わんばかりの笑みだった。
 むしろ私が言わないことでその内容を把握してしまったかのような気さえする。

 悔しがるどころか余裕すら見て取れるその笑みに、なんだかやたらとムカついた。

 ベッドに入ってもすぐには寝付けなかった。
 セスもあの後すぐに少し離れた隣のベッドに入ったが、寝ているのか起きているのか私には判別できなかった。

 ウトウトとしてきたところで、フィリオたちが朝食を一緒に食べようと部屋の扉を叩いた。
 重い身体を起こすこともできず、半ば強制的に覚醒させられた意識の中でどうやってあの扉を開けようと考えていたが、すでに起きていたらしいセスが開けてくれた。

「どうする?シエル」

 まだ寝ているかとの問いに私は行くと答えて何とかその身体を起こした。
 フィリオたちとの時間も有限だ。

 身支度をして1階へ下りると、昨日エレンの部屋に泊まっていたベルナもいた。
 昨日のことはさっぱり覚えていないらしく、同じく寝ていて覚えていないというフィリオと共に肩を落としていた。
 誰もガヴェインが泣いた話を口に出すこともなく、他愛もない話で朝食を終えた。
 ちなみに、ここでも全ての代金をセスが支払おうとしていたのだが、それじゃ食事に誘えなくなるというフィリオの言葉に苦笑いして譲歩していた。
 これが大人の対応というやつか。見習おう。

 その後、報告のためにみんなでギルドへと向かった。
 報酬とポイントをもらい、無事にCランクへと昇格した。感慨深い。
 ここで、セスは行くところがあるからと別行動を取ると言うので一度解散となった。
 フィリオたちはカルナ観光も兼ねて物資の補給をするらしく、一緒にどうかと誘われたが正直眠すぎて倒れそうだったので辞退した。
 また夜にみんなでご飯を食べようと約束をして、私は1人宿へと戻った。

 そこから私はひたすらに寝た。
 起きてここから見える外の大時計に目をやると、16時だった。

「おはよう」

「…おはよう。寝すぎた…」

 いつの間にかセスが戻ってきていたらしい。
 奥の椅子に腰掛けて何かの本を読んでいた。

「何の本を読んでるの?」

 この世界で本という存在は珍しい。
 ルザリー先生のところで見たくらいだろうか。
 私はセスの向かいに座った。

「これは本じゃない。記録書だ」

「何の記録書?」

「医術記録書」

 そう言うとセスは記録書を閉じて机に置いた。

「見てもいい?」

「いいよ。まぁ、面白いものではないけど」

 物の試しに聞いてみるとあっさりと許可が出た。
 差し出された記録書を受け取り、開く。

 誰かの名前、症例、日付ごとにその日の治療内容が書いてある。
 割と厚い記録書のどこを見ても同様に誰かの医術記録が書かれていた。
 所々に擲り書きのようなものはあるが、とても綺麗な字だ。
 日付を追っていくと連続して2年分くらいある。どこかの診療所の医術師が書いたものだろうか。

「綺麗な字だね」

「それはどうもありがとう」

「ぇえっ!?これセスが書いたの?」

 セスの口から出た予想外の言葉に素っ頓狂な声が出た。

「そうだよ。そんなに驚くことかな?俺は一応医術師でもあるんだけど」

「いや、それは知ってるけど…これ2年分くらいあるよ?どこかの診療所で医術師として働いてたってこと?」

「ああ。20年近く医術師として働いていた。働いていたというか、無理やり働かせられていたというか…。ミトスにいる50年のうち20年をそこで過ごした。これは俺がそこで書いた記録書の内の1冊だ」

 セスの字を初めて見た。女性が書いたと思うくらい綺麗な字だ。どこまで多才な人なのだろう。
 しかしこの事実に突っ込みどころが多すぎて何から聞けばいいのかわからない。

「聞きたいことが多そうだな」

 そんな私の様子を見て、セスが苦笑いする。

「そりゃあね」

「まぁ、これは昨日の話にも関係するから続きを話してもいいんだけど…その前に風呂に入りたいんだ。悪いけどお湯を溜めてもらってもいいかな」

 そういえば昨日の朝カルナに戻ってきてお風呂に入ったきりだ。私も入りたい。

「いいよ。やってくるね」

 2人続けてお風呂に入り、席に着いた時には17時を回っていた。

「夜みんなで食べるって言ってたけど何時だっけ?」

「19時だね。場所がここではないからあまり時間もない。話は帰ってきてからにしようか」

 そんな話になっていたのか。
 正直眠くてあまり覚えていない。

「そうだね。中途半端に終わるのもあれだし。これ、もう一回見てもいい?」

「いいけどそんなに面白いものでもないだろうに」

 机の上に置かれていた記録書をもう一度開く。
 記録は専門的な用語で何の薬をどれくらい投与したとか、患者の状態がどうとか書いてある。
 その中に、見たこともない言葉が記載されている。知らない単語、というわけではなく、知らない言語、という感じだ。

「これ何?」

「これはアルディナ語だ。ミトスではあまり見聞きすることはないだろうね」

 なるほど。となると、これは前世の医者がドイツ語でカルテを書くのと同じようなことなのだろうか。

「セスはアルディナ語もできるんだね」

「それは…もちろん。アルディナ出身だからね」

 当たり前のようにセスが言う。
 むしろなぜ出来ないと思っていたのかと言わんばかりだ。

「父は近年ではアルディナとルブラの間に位置するミトスの言語で統一されてると言ってた。セスは普通にミトスの言葉を話してるし、ミトスの言語しか話さないんだと勝手に思ってたよ」

「なるほど。確かにアルディナではそういう傾向にあるね。でもアルディナ語しか話せない種族もまだまだいるし、総合的に見れば半々くらいじゃないかな。リュシュナ族は片親がアルディナ語を、もう片親がミトス語を話して子供に習得させる習わしがあるからどちらも普通に使える」

「へぇ…。すごいんだね」

 私も一応日本語とミトス語のバイリンガルなんだけど日本語なんてここで話すことはないしな。
 この世界でほかの転生者に会えたら使えるだろうか。でも日本人とも限らないか。

 記録に目を通していると、あることに気づいた。
 これには医術的な記録しか記載されていない。それが例えどんな小さな怪我でもだ。

「セスは治癒術師でもあるのに治癒術は使ってなかったの?」

「ここは医術師の診療所だから。俺がここで治癒術を使ったのは医術で手に負えないレベルの患者を助命する時だけだね。例えば君が負ったあの怪我みたいな時だ。知ってると思うけど俺はそこまで神力量が多いわけじゃないからその度に神力切れで倒れてたよ」

「なるほど…」

 治癒術師に治癒を頼むと金額的にとんでもないことになるらしいもんな。
 駐屯地では規約的にセスもリベリオもお金を要求してくることはなかったが、本来であればとんでもない治療費を払わなければならないことなのだろう。

「セスは僕が膨大な神力量を持ってるって言ってたけど、数値で表すとどれくらい?他の人と比べるとどんな感じなの?」

 神力量、という言葉で思いついた。
 セスは他人の神力量が分かると言っていた。他人と比べると自分がどうなのか知りたい。

「…数値で?面白いことを言うね。そんなこと初めて言われた」

 セスが心底意外そうに言う。
 こういう発想が出るのはゲーム脳だからだろうか。

「一般的な神術師…例えばリーゼロッテを100とすると、俺が今までに見てきた一般的なエルフは160くらい。君は300くらいある」

「そんなに違うの!?」

「違うね」

 それはセスから見れば不自然と言えるだろう。

「セスは?」

「その場合で言えば俺は40くらいだ。いかに俺が辛いか分かるだろう」

「そりゃ辛い…」

 一般的な神術師の半分以下か。それでよく治癒術師として頑張ってたもんだ。

「しかし神力量を数値で表す…か。面白い。これを思いついていればヴィクトールの依頼を断れたかもしれないな」

 それならばセスがそれを思いつかなくてよかったと思った。口には出さないけど。

「そういえば明日だったよね。依頼の説明。セス場所わかる?僕、住所見てもあんまりわからないんだけど」

「場所は知ってる。騎士団が個人に依頼する時によく使われる場所だ。ただ、あまりいい予感はしないな…」

 セスが眉を寄せて言った。

「危険って言ってるから?」

「それもあるし、騎士団が君に依頼したいと言っているからだ」

 確かにガヴェインもエルフというだけではなくて、私でなくてはならない理由があるのだろうと言っていた。

「若いエルフが必要だから?」

「ああ。若いエルフが必要になることに良い方向の理由があるとは思えない。多分危険なのは俺より君の方だ。だから俺は君には受けてほしくない」

「……」

 騎士団が危険と言ったら本当に危険、というセスの言葉を思い出して急に怖くなってきた。

「断ってもいいって言ってたし、聞いてから考えるよ…」

「ああ。その場合は俺の仕事が終わるまでカルナで待っててもらえれば。…俺と一緒に行きたいのなら、だけど」

「行きたいから待ってる」

「本当に君は物好きだな…」

 即答するとセスは苦笑いして言った。

 18時半ごろにフィリオたちが部屋に来たので出発し、夜ご飯をベルナを含めたメンバーで食べた。
 今回はベルナおすすめのお店だったのだが、肉料理がメインのお店だった。猫は肉食だもんね。

 フィリオたちは明日、騎士見習い登用の手続きをしてそのまま寮に移動するらしい。
 だからみんなでご飯を食べられるのも明日の朝が最後だとちょっとしんみりした空気になった。
 私はこれで最後だと、ベルナはエレンに抱きついて言っていた。
 この後どうするのかと聞いたら、両親と共に護衛の仕事に就くとのことだった。

 名残惜しいながらもベルナと別れ、私たちは宿へと戻ってきた。
 フィリオたちと朝食を共にしようと約束をして、私とセスは話の続きをするために再び向かい合って対峙している。
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