クルスの調べ

緋霧

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二章

第37話 境界線

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「何とか相打ちに持ち込んで、相手が先に死んで…後は俺も死を待つだけって時にヨハンに助けられた。本来なら死んでいたはずなのだから、目的なんて捨てられるだろうと強引に利用されたんだ。治癒術がなければ助からない人間は、ダークエルフであるヨハンにはどうしようもないからね」

「本当に何て強引な話だ…」

 思わず突っ込まずにはいられない。
 確かにセスも死を覚悟したのだから、それ以上に失うものはないのだろうけれど。

「明らかに無理だろうという状態の患者でも、もう呼吸が止まっているという状態の患者でもヨハンは俺に治癒術を使わせた。やるだけ無駄なのになぜやらせるのか俺には理解ができなかったし、実際それで何度も揉めた。患者の命を諦める境界線があまりに違いすぎて、これが暗殺者として生きてきた人間とそうじゃない人間の違いなのかと愕然とした。でも、そうじゃなかった。ヨハンが基準としていたのは異世界と呼ばれるところの境界線だったんだ」

 元の世界では一般人でも人工呼吸の方法を学んだりするし、AEDの機械が街中に置かれていたりもする。ヨハンの考えは現代人として、現代の医者としてなら当然のことだろうと思う。
 でもヨハンがこの世界に来たのは1000年以上前の話だ。仮に日本から来たとしたら、1000年前は平安時代。その時代の医学がどうだったのかわからないが、この世界の医術を確立できるほど医学的に進んでいたとは正直思えない。

「ヨハンさんの考え方は僕にもわかる…わかるけど、それは僕が生きていた時代の考えに近い気がする。ヨハンさんって1000年以上生きてるって言ってたよね?」

「ああ」

「ヨハンさんが向こうの世界で僕よりも1000年以上前に存在した人だとは正直思えない。一番最初に転生した人だって…2000年前の元の世界にお風呂なんて…なかったはずだ。時間軸に相当のずれがあるのかな…」

「直接会って聞いてみればいい。そのために会いに行きたいのだろう」

「うん。そうだね」

 確かにここで考えていたところで答えは出ない。
 まぁ、聞いて答え合わせをしたところで何が変わるというわけでもないけれど。

「でも、知られていないだけで僕みたいな転生者は他にもいるってことだよね…。この街にももしかしたらいるかもしれないのか…」

「いたとしてもそう公言はしないと思うよ。した人間は多分ここで普通に生活はしていない。君も、他の人間に言わない方が身のためだ」

 公言した人間は誰かに利用されている、ということか。
 セスがそういう人間でなくて本当によかった。

「でもさ、セスは僕を見て不自然だと思ったんだよね。見る人が見たら言わなくてもわかっちゃうってこと?」

「不自然だと思っても俺はそれを転生者と結びつけるには至らなかった。例えばヨハンが神属性だとして、君と同じく不自然な神力量を持っていたら気づいたかもしれないけど。実際ヨハンが膨大な魔力を持っているのかどうか俺は知らない。そもそも、転生者全てに同じ特性があるとも限らないしね」

「なるほど…転生者が利用されるとしたら、特異的な体質よりも異世界の知識を目的とされるのかな?」

「まぁ、名を残している人物はほとんどがそうだね。1人だけ…天王や魔王すら凌ぐほどの力を持っていたとされるヒューマの転生者はいたけど…」

 セスはそこで言葉を切った。

「いたけど?」

「転生者の恋人であった魔族の少女に、ある日突然命を奪われた」

「…どうして」

「理由を口にしないまま、その少女は転生者の恋人を殺した直後に泣きながら自分の命を絶った、と伝えられている」

 一体その2人に何があったというのだろう。
 理由を明かさないまま2人とも死んでしまったなら、真相はもう永遠にわからない。

「それは、いつくらいの話なの?」

「3界が融合して200年くらい経った頃だと聞いている。最初の転生者も死んで、ヨハンもまだ転生する前。その当時を知っている人間はもうほとんどいない」

「そんなに前なんだ。その当時を知っている人も、いるにはいるの?」

「魔族の中には不死体質のものもいるからね。天王や魔王だって当然その頃よりも前からいたのだろうし」

 不死なんているのか。まぁ、不老がいるくらいだから不死がいてもおかしくないか。
 そういえば不老で思い出した。セスに聞いてみたいことがあったのだ。

「セスって何歳なの?」

「200はいってないと思うけど…180か190か…数えていないから正確にはわからない」

「言うほど長く生きてないじゃん!」

 長く生きてるって言っていたから正直500歳とかなのかと思っていた。
 それならまだ父の方が長く生きている。

「君たちから比べればだいぶ長いと思うけど…君だってまだ15歳なんだろう?」

「いや、そうだけど…。あ、でも僕だって前世の年齢を入れたら36だから!」

「……」

 私の言葉にセスは突然黙った。
 15も36もセスからしたら変わらないか。若干ムキになってしまって恥ずかしい。

「…元の世界で君は、そんなに早く命を終えたのか…。ヨハンからは異世界の人間はヒューマと同じくらいの寿命だと聞いていたけど」

「ああ…うん、そうだね。事故だったんだ。ちょっと説明が難しいんだけど、まぁ、不慮の事故だよ」

「そう…」

 視線を逸らせたセスは、憐れむような目をしていた。

「いや、そんなに気にしなくても。いいんだよ、どうせ1人だったんだ。そのままずっと生き続る意味も、なかったし…」

「意味、か…」

 セスが私の言葉を反復する。
 自分の生きる意味を考えているのだろうか。

 私たちはここで話を終わりにして、ベッドへと入った。
 今日得られた情報は大きい。
 ヨハンに会ったからと言って何かが変わるわけではないけれど、今自分が会いに行ける唯一の転生者だ。
 目的もなかった自分の旅に目的が出来たこともまた大きい。



 朝が来た。
 フィリオたちと共にできる最後の朝。

「本当にこれで最後だね」

 言葉少なに朝食を食べて部屋の前まで戻って来た時に、今まであえて避けていた言葉をニコラが口にした。

「そうですね。僕たちだって別々の場所に配属されるかもしれませんし、本当にこれで最後ですね」

 フィリオも悲しげな顔をして言った。
 と言ってもこの時点ですでにアイゼンたちはいないのだが、まぁ言いたいことはわかる。

「シエル、セス、本当に感謝してる。ありがとう」

 エレンが私たちの前に立って頭を下げた。

「ううん。こちらこそ。元気でね」

「いつかまたベリシアに戻ってきた時に…立派になった君たちにまた会えることを願っているよ」

 私たちの言葉で頭を上げたエレンは柔らかい笑みを浮かべていた。

「シエル、最初に特訓に付き合ってくれてありがとね。いつかシエルくらいの術師になるよ」

「うん。いつか見せてね」

 特訓したな。懐かしい。
 しかも私、任務前にベルナの気に飛ばされて怪我したんだっけ。
 3ヶ月前のことなのにずいぶん前のことのように感じる。

「じゃあ…またね」

「…また」

 リーゼロッテの時と同じく、またと言って私たちは別れた。

「またみんなに会いたいな…」

 部屋に戻り呟く。
 全員が揃うことは多分ないのだろうけどいつか誰かに会えたらいい。

「そうだね。騎士団は冒険者に依頼を出したりしているから、そういう依頼を受ければ会える可能性もある。討伐依頼の指揮を取ったりもするからね」

「へぇ…」

「シエル、俺は少し出かけてくる。昼前には戻るから昼を食べたら依頼説明を聞きに行こう」

「わかった」

 どこに行くのだろう。
 この宿に泊まってからセスはちょこちょこと出かけたりしている。
 私に出かける用事はないので、何をしにどこへ行っているのか本当にわからない。
 そんなこと私が聞くことではないから聞かないけど。

 私は部屋に戻りベッドに入った。ゴロゴロするのは得意だ。これで漫画とかあればな…。
 暇なので、漫画ではないがセスが書いた記録書をカバンから出し開いた。
 厚い記録書をパラパラとめくっていくと、見開き1ページ分、びっしりとアルディナ語で何かが書かれているページがあった。
 箇条書きで書かれている診療記録とは明らかに違う、長文の何かだった。
 ここには、一体どんなことが書かれているのだろう。
 この前後のページを見ても特に他のページと何も変わらない診療記録が書かれている。
 ミトス語で診療記録をつけているのにわざわざアルディナ語で書くということは、ヨハンに知られたくないことなのかな。魔属性であるヨハンがアルディナ語を習得しているとは思えないし。
 それにしてもセスの言う通り、読み物として考えると決して面白いものではないので見ていると眠くなる。専門的な用語も多いし、教科書でも見ているかのようだ。

「シエル」

 名前を呼ばれた。
 いつの間にか寝てしまっていたようだ。
 セスが私を見下ろしている。

「あー寝てた…。おかえり」

「ただいま。またそれを見ていたの?何が面白いんだか」

 私の横に置いてあった記録書を見て、セスが苦い笑みを浮かべながら奥の椅子に腰かけた。
 私はベッドから起き上がり、お茶を2杯入れてテーブルに置いてから、記録書を手に自分も向かいへと座った。

「ありがとう」

「セス、言いたくなかったらいいんだけどさ、これ何が書いてあるの?」

 先ほどのアルディナ語の長文ページを開く。

「あぁ…これは…ヨハンと揉めた時に書いた自分なりの見解というか…まぁ、ヨハンの悪口だ」

 セスはそれにざっと目を通すと自嘲気味に笑って言った。

「なるほど、だからアルディナ語なんだ」

 やはりヨハンに見られたらまずいものだったか。

「これはヨハンも目を通すものだからね。見られたくないことは大体アルディナ語で書いてある。ヨハンもそれに対して何を書いてあるのか聞いてくることはなかったし。大方予想はついていたのだろうけど」

「2人は仲が悪かったの?」

「仲がいい悪いという関係性でもなかった。使う人間と使われる人間、ただそれだけだ。でも考え方の方向性に納得できなくて俺はよく刃向っていた。向こうも譲ることはないからそれで言い合いになる。大体俺が折れることになってこうやってアルディナ語で愚痴を書いていたというわけだ」

 言い争うセスがあまり想像できない。
 まぁ、でも人と物が同じだというセスと、一般的な感情を持ち合わせているであろうヨハンとじゃそれはぶつかるだろうな。 

「それは昨日言っていた命を諦める境界線の話?」

「まぁ、そうだね。やっても無駄なのに、なぜそこまでやらせられるのか理解できなかった。ヨハンは、その"やっても無駄"という考えが患者を殺しているとよく言っていた。でもどう考えても助からない患者にそこまでやる意味は何なのかと、俺は今でもわからない」

「ヨハンさんは、奇跡を起こしたかったんじゃないのかな」

 助からないかもしれないけど、諦めずに治療する。患者の生命力を信じて。
 ヨハンはそういう姿勢で常に向き合っていたのだろう。

「人間が死に至る要因は決まっている。例えばヒューマなら、血液の半分を失えば失血死する。明らかにそれ以上の失血をしていれば物理的に生存は不可能だ。出血のスピードよりも治癒術が上回れるならまた話は別だが、そこまでの出血に至る人間は大体俺の治癒術では手に負えない。助けられる可能性がわずかでもあるのなら、俺だって諦めない。でも、物理的に生存が不可能な患者に奇跡など起こるとは思えないし、実際ヨハンの元で奇跡が起こったこともない」

 理論的にはセスの言っていることも正しい。
 セスから見て、パーシヴァルは物理的に生存が不可能だったから治癒術はかけなかった。私は助けられる可能性があったから諦めなかった。それだけだ。
 今回初めてそこに、パーシヴァルの怪我が自分の手に負えなくて悔しい、私を何とか助けたいという感情を持っただけであって、パーシヴァルに奇跡が起こるとは思っていなかった。

「ヨハンさんはきっと、奇跡を目の当たりにしたことがあるんだと思うよ。だから諦めたくなかったんだ。僕も…奇跡はあると思うよ」

「……そう」

 それだけ言って、セスは目を伏せた。
 こういう言い方をしてしまったら、パーシヴァルを諦めたセスを責めるように聞こえてしまうだろうか。
 話題を変えよう。

「ねぇ、セス、ここに書いてあることって僕が知ってもいいこと?」

 話題が変わっていないかもしれないけど、私はアルディナ語で書かれたヨハンへの悪口ページをセスに向けて開いた。

「別に構わないよ。大したことは書いてないし。訳そうか」

「ううん、いい」

 訳すためにと手を差し出したセスに私は首を振った。

「お願いがある。僕にアルディナ語を教えてほしいんだ。僕はこれを自分で読んでみたい。もちろん教えてもらう対価は払うよ」

「アルディナ語を?これを読むために?」

 そんなことを言われるとは思ってなかったのだろう、驚きの表情でセスが聞き返した。

「これを読むためだけって訳じゃないよ。いつか僕はアルディナにも行ってみたい。その時に必要になるだろうから」

 これをきっかけにしてそれを思いついたのは否めないけれど。

「…なるほど、アルディナに。いいよ。時間がある時に少しずつやろう」

 セスは私の申し出に快く頷いてくれた。

「ありがとう!で、対価は?」

「別にいらないけど…でもそうだな、俺も君から異世界の言葉でも教わろうか」

 何とも意外な言葉だった。
 でもいいかもしれない。±0で。

「じゃあお互いに教え合うってことで」

 決まったところで話を切り上げて昼食を摂り、そのまま騎士団からの依頼内容を聞くために指定の場所へと向かった。
 場所はカルナの南ギルドの近くにあった。
 小さい建物だった。
 騎士団が冒険者へ個別に依頼をするために使われる場所ということだから、冒険者ギルドの近くにあるのだろう。
 建物自体は周りとそう変わらず、ゴシック調だ。ヴィクトールやガヴェインのようないかつい人たちのイメージには正直言ってあまり合わない。
 扉をノックして中へ入ると、すぐにカウンターのようなものが見えた。
 そこに騎士団の鎧を纏った若い男性が座っている。
 カウンターの奥には簡易的なキッチンがあり、そのすぐ横には階段がある。階段の左手側にはテーブルとソファーが置かれているが、そちらには誰もおらず1階にはこの騎士が1人だけのようだ。

「セスさんとシエルさんですね。どうぞ2階へ」

 私たちが来ることを当然ながら把握していたようで、その騎士はすぐ横にある階段を指し示した。
 そこのテーブルとソファーで話をするわけじゃないらしい。

「どうも」

 わかっていたと言わんばかりに、セスは階段を上がっていく。
 階段を上がった先は部屋だった。この建物には廊下がなく、1階と2階に1部屋ずつしか存在しない。
 2階の部屋はヴィクトールの執務室みたいに奥に1人用の机と椅子、手前側に面談するためのテーブルとソファーが置かれていた。
 奥の椅子に20代後半くらいの細身の騎士が1人座っており、その脇に10代後半くらいの少女が立っていた。ゴスロリチックな服装をしている。まじか。この世界にもロリータファッションがあるなんて。

「よく来てくれた」

 私たちが来たことに気づいた奥の騎士が立ち上がって言った。

「君か、ヒューイ」

 奥の騎士を見てセスが言った。知り合いか。
 セスは騎士団に知り合いが多いんだな。

「まぁ、そう嫌そうな顔をしないでくれ、セス。シエル、初めまして、俺はヒューイだ。ヒューイ・ストークス。よろしく」

 私の前までわざわざ来てヒューイが名乗った。
 マッシュヘア、と言うのだろうか。明るい茶髪の髪をおしゃれにスタイリングしている。顔も整っているのでそれが非常によく似合っていてメンズモデルのようだ。

「シエルです。よろしくお願いします」

 求められた握手に応じて私も自己紹介する。

「初めまして、リィンよ。よろしくね」

 奥の少女がその場から動かずに言った。
 およそこの場所には不釣り合いなリィンは、真っ黒の長い髪に映えるような赤い瞳をしている。
 見た目はヒューマに見えるが、ヒューマでは見ない瞳の色だ。もしかしたら魔族だろうか?色合いを見ての勘だけど。

「初めまして」

 セスが短く挨拶を返す。どうやらセスとリィンは初対面のようだ。

「初めまして、よろしくお願いします」

「座ってくれ。早速話に移りたい」

 ヒューイが勧めたソファーに私とセスは並んで腰かけた。
 向かいにヒューイと奥から来たリィンが座る。
 それと同時に1階からカウンターにいた騎士が飲み物を持ってやってきた。何という気が利くタイミング。

「どうも」

「ありがとうございます」

 私とセスがお礼を言うと、騎士は爽やかに微笑んで1階へと下りて行った。中々イケメン。
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