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三章
第38話 ブライトウェル商会
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「2人はブライトウェル商会を知っているか?」
ヒューイから開口一番に告げられたどこかの商会名を私は全く聞いたことがなかった。
「知りません、すみません」
「いや、謝ることじゃない。いいんだ。セスは知っているか?」
私の言葉にヒューイは笑って答えて、最初の問いに答えなかったセスにもう一度振った。
「アルセノと武器貿易を行っている商会?」
「あぁ、そうだ」
すごい、知ってるのかセス。カルナでは有名なのかな?そのブライトウェル商会。
「ブライトウェル商会が武器に手を付けたのはここ15年くらいのことだ。それよりも前は、奴隷商だった」
「15年前にベリシアは奴隷制が廃止になったからだろう?」
「その通りだ」
セスの問いにヒューイが頷いた。
「しかし裏ではまだ奴隷貿易が行われている。ブライトウェル商会はベリシアの各都市から奴隷となる人材を買い集め、数か月の時間をかけて調教してからアルセノへと送っている。おそらく今現在ベリシアでアルセノと直接奴隷貿易を行っているのは、このブライトウェル商会だけだ」
じゃあシスタスで出会ったあの獣人の子たちもそこで調教されてからアルセノへと送られるってことかな。
「ブライトウェル商会で奴隷業を主に取り仕切っているのは、ブライトウェルの腹心だと言われている魔族の男だ。武器貿易には携わっていないから表に出てくることはなく詳細はあまり掴めていないのだが、エンバイテン族だと言われている」
エンバイテン族?聞いたことがない。
というか、魔族の種族なんて詳しく知らない。
アイゼンが自己紹介の時に何とか族って言ってたけど名前が思い出せないくらいだ。
「エンバイテン…影の一族?」
「そう」
セスの問いにヒューイの隣に座っていたリィンが頷いた。
影の一族。何それちょっとかっこいい。
「エンバイテン族は文字通り、影を操る種族だよ。光あるところにある影、ね」
不思議そうな顔をしている私を見て、リィンが教えてくれた。
机の上に手を翳し、落とした影を指差している。
魔力を使って影を操る、ってことなのかな。すごい。
「今回は、ブライトウェル商会が奴隷を買い集めるために使う取引場所と、奴隷を調教するための場所を押さえたい。取引場所の目処はある程度ついているが、調教施設は騎士団では全く場所が掴めていない。ここを押さえられればアルセノに送られる前の奴隷も助け出せる。さらに言えばそのエンバイテン族の男も捕えたい。最悪、殺してもいい」
殺してもいい、という言葉が騎士であるヒューイから発せられ正直驚いた。
不正な闇取引をしている人間は騎士団として、国としてその場で殺しても構わないのだろうか。
「…それで?シエルを囮にすると言いたいのか?」
「……!」
ヒューイの話をただ聞いていただけだったので、自分が呼ばれた理由まで考えていなかった。
囮、という言葉に心臓が早鐘を打つ。
確かに、エルフはアルセノで戦闘奴隷として需要があるのだとニルヴァも言っていた。私をブライトウェル商会に売ってその場所を押さえようというのか。
「その通りだ。そしてセス、君にはリィンと共にそのエンバイテンの男を任せたい」
表情も変えず、ヒューイは頷く。
セスにその男と戦わせるということか。
というかリィンと共に、ってこんなに若い女の子を…。一体何者なんだろうリィン。
「騎士団はずいぶんと非人道的な真似をするんだな?もし囮と気づかれたらシエルはどうなる?俺がそのエンバイテンの男なら、拷問にかけてどこの手の者か聞きだし、吐いたら殺すけどね?」
セスは自分がエンバイテンの男と戦うことには触れず、いつもよりも低い声で言った。
静かで、冷たい怒りを感じる。
怖い。言っている内容も怖いし、自分がそうなるかもしれないというのも怖い。でも何より氷のように冷たい表情をするセスが怖い。
「だからシエルには受けるか受けないかの選択肢を提示している。もちろん、相応の報酬も用意している。ブライトウェル商会が奴隷として買うのは幼い獣人か年若いエルフやダークエルフ、天族や魔族の珍しい種族だ。騎士団の人員には囮として使える適材がいない」
ヒューイはセスの冷徹な態度にも怯むことなく淡々と答える。ある意味すごい。
「目処をつけている場所を張りこめば、こんなやり方をせずとも奴隷がいずれ出てくるのでは?」
「それはもう実行済みだ。だが奴隷が出てくることはなかった。闇に紛れて気づけなかったのか、それとも、何か別の移動方法があるのか…。取引場所と調教施設が同じ場所ということも考えたが、さすがにそんなリスクの高いやり方はしないだろうからな」
「……」
若干険悪な雰囲気だ。
空気がピリピリしているのを感じる。
「あの、すみません、ちょっと聞いてもいいですか?」
「ああ。疑問に感じたことは何でも聞いてくれ」
私の言葉にヒューイはすぐに頷いた。
「今回僕を囮としてブライトウェル商会に売って、取引場所から調教施設へと移動したところでその場所を騎士団が押さえたいってことですよね?」
「そうだ」
「どうやって僕の居場所を知るんですか?」
調教施設を騎士団が把握していないのなら、私がそこに行っても私の場所を知ることはできないのではないだろうか。
何かそれがわかる方法でもあるのだろうか?
私の質問に答える前に、ヒューイが懐から何かを取り出してテーブルの上に置いた。
親指の先くらいの大きさの綺麗な赤い石だった。
「これはリンフィーというモンスターが体に宿して生まれる結晶だ。リンフィーは自分が持って生まれた結晶がどこにあっても結晶の元へと帰るという習性を持っている。これを体内に埋め込んで場所を特定させるんだ」
近未来映画とかでよくあるマイクロチップを体に埋め込む的なやつか。
「そのリンフィーってモンスターはどこに?」
「今は別の場所にいる。君が取引場所へ着いてから2日くらい様子を見て、リンフィーを放す予定だ」
「なるほど」
2日、と聞くと長く感じる。
奴隷として売られたのだからその間に殺されることはないだろうが、そこに知っている人は誰もいない。不安だ。
「リンフィーの結晶を使った囮は常套《じょうとう》手段だろう。それを警戒して入念に調べられたら囮と気づかれるのではないか?」
私とヒューイの会話に割り込むようにセスが口を挟んだ。
何だかよく分からなすぎて別世界の話を聞いているようだ。
「確かに、セスの言う通りリンフィーの結晶を使った囮はよく使われている。だから、囮と気づかれてしまった場合の保険として、リィンを参加させている」
その保険としてリィンを、と言われても全く意味が分からない。
「吸血族か」
一方のセスにはピンと来たのだろう。
リィンを見てそう言った。
「その通り。私は吸血族なの。他人の血を糧とする一族ね。餌として口にした血の持ち主の居場所は離れていても分かる」
ヴァンパイアってことか。
まじか。存在するのかこの世界に。
「僕の血を吸えば離れたところから居場所を特定できるってことですか?」
「血の匂いがすれば、ね」
「囮と気づかれて傷を負わされたら、ということですか」
「まぁ、そうだね。そのための保険だから」
「…………」
血の匂いがするということは、結晶があると気づかれてそれを抉り出されることを意味しているわけだ。
正直、考えたくもない。
「シエル、これは君への報酬だ」
話を切り替えるように、ヒューイが1枚の紙を置いた。
報酬:白金貨20枚
報酬ポイント:30000
報酬の白金貨20枚というのもとんでもないが、ポイントの30000というのもとんでもない。
これはCからBへ一発でいけるポイント数だ。
1年かかるはずのCからBへ、一発で。
「……囮と気づかれることが前提としか思えない報酬だな」
その紙を横目で見たセスが顔を顰《しか》めて言った。
まるで私の気持ちを代弁したかのようだ。
「確かに、そうなる可能性を考慮した上での報酬であることに間違いはない。だが結晶の存在を悟られないよう、シエル自身にも埋め込んだ場所は分からないようにする。気づかれる可能性はそこまで高くないはずだ。万が一気づかれた場合でも、すぐにセスとリィンを行かせる。もちろん、受ける受けないはシエルの判断に任せる。無理強いをするつもりはない」
ヒューイはそんなセスを見ても、表情を変えることはなかった。
事務的に、淡々とそれを説明している。
「囮と気づかれればその場ですぐに殺されるか、拷問にかけられて口を割った後に殺されるかの二択だ。やめておくんだ。金の為にそこまでしたいか?」
私が言葉を返す前に、セスが言い聞かすように言った。
確かにその通りだ。その通りなんだけど……。
「僕が断ったら誰が囮になるんですか?」
「それは君は気にしなくていい」
ヒューイはそう言うが、おそらくまた1から見つけるのだろう。
私は断れてもセスは断れないのだ。
セスと行くなら結局次の囮が見つかるまで待たなければならない。
ブライトウェル商会が奴隷として買うのは幼い獣人か、年若いエルフやダークエルフ。それ以外の人間ではよっぽど珍しい種族でなければ囮として成り立たない。そうそう囮を引き受ける該当者も現れない気がする。
それに、私がシスタスで見捨ててしまったあの獣人の子たちがまだカルナにいるかもしれない。今ならまだ助けられるかもしれない。
「……やります」
「シエル」
セスが咎めるように私の名前を呼んだ。
「お金とか、ポイントのためじゃないんだ。これは、贖罪なんだ…」
「贖罪…?」
3人が怪訝そうな顔をしている。
「調教施設に、もしかしたら僕が前に関わった人たちがいるかもしれないんだ。もしいたとしたら今やらなきゃ他の囮を探している間にきっとアルセノに送られてしまう。だから今、僕がやりたいんだ」
「……」
セスはそれに対して何も言わなかった。
険しい表情で視線を落としている。
「では、契約成立ということでいいかな」
「はい」
ヒューイの言葉に私は頷いた。
「セス、これは君への報酬だ」
報酬:白金貨10枚
ポイントはない。セスはSランクだからこれ以上のポイントは必要ないということかな。
この報酬が多いのか少ないのかわからないけれど、私よりも少ないのは妥当なのだろうか?
「……」
セスはそれを見ても険しい表情のまま何も言わなかった。
受ける受けないの選択肢がないからだろうか。
「シエルを囮としてブライトウェル商会に引き渡す方法なのだが、ブライトウェルとの取引において信用がある人間に売らせなければならない。ブライトウェル商会に奴隷を売っているやつらは、金に困って子供を売りたい親から買うか、もしくは攫うかして奴隷を手に入れている。そして攫うために、通常のギルド依頼に奴隷にできそうな人材が現れたら依頼主から斡旋してもらっているんだ。これはカルナの南西方面で地域ぐるみで行われている。騎士団としてもこの事態を把握しているのだが、なかなか取り締まることが難しい」
「……!」
まさしく私が襲われたのはニルヴァの言った通りだったという訳か。
「だから、シエルにはカルナ南西の依頼主からの依頼を受けてもらって、奴隷として斡旋されるのを待つ。もちろんカルナ南西で依頼される依頼が全てそうとは限らないから、ヒットするまで何度も繰り返す」
「…時間がかかりそうだな」
「だがこうするしか方法がない」
セスの言葉にヒューイが視線を落として言った。
「すみません、ちょっといいですか?」
「ああ」
私の言葉にヒューイは頷いて私を見た。
「奴隷を斡旋した依頼主と、斡旋を受けた売主は取締りの対象になるんですか?」
「もちろんだ」
「では、提案があるんですがいいですか?」
「提案?」
予想外の言葉だったのかヒューイが驚きの表情を浮かべた。
「僕はデッドラインの討伐に参加する前、カルナ南西の料理屋で1ヶ月契約の依頼を受けたんです。3週間ほど経ったある日、僕はその料理屋のオーナーから、南西の城壁近くの家まで荷物を届けるように頼まれました。そして品物を届けた帰り道、背後からいきなり知らない男に襲われました」
「それはまさしく奴隷の斡旋か」
ヒューイが眉を寄せて呟いた。
「そうですね」
「それでシエルはどうしたの?その男を倒したのか?」
セスの質問に私は首を振った。
「僕は抵抗できなかった。どこかへと連れ去られようとしている途中で、たまたまシスタスからカルナまで来るときに馬車を護衛してくれていたヒューマの人が通りかかって助けてくれたんだ。そのまま連れ去られていたら、僕はブライトウェル商会に売られたのでしょう」
「そうだろうな」
頷くヒューイの瞳は揺れていた。
「そのヒューマの人も、南西の城壁辺りは裏稼業の人間が集まっていて、ヒューマ以外の種族は闇取引に利用される、オーナーも配達先の家主もグルになって僕を陥れようとしたのであろうと言っていました。だから、その人たちを利用することはできませんか。例えば僕の件を不問とする代わりに協力を仰ぐ…とか」
料理屋のオーナーと配達先の家主に話をつけ、過去の私の件を不問とする代わりに私を襲った男に囮として売らせる。
カルナ南西の依頼をヒットするまでランダムで受けるよりも効率がいいと思うのだがどうだろう。
騎士団がそれを不問としていいと判断してくれれば、の話だけど。
「…なるほど」
ヒューイはそれだけ呟くと考え込んだ。
「その料理店と配達先の場所は覚えているか?」
しばらく考えてから、ヒューイは私に聞いた。
「料理店は覚えています。配達先はもう一度行けと言われたらちょっと無理かもしれません」
「一度料理店の依頼実績を調べてみよう。もし過去に囮に出来そうな種族が依頼を受けていて、その報酬を受け取った記録がなければ証拠としては十分だ」
私はヒューイに料理屋の名前と場所をメモして渡した。
私の件だけでは証拠としては不十分か。
実際にブライトウェル商会に連れていかれた訳ではないもんな。
「明日のまた同じ時刻にここに来てくれ。それまでに過去の依頼を洗っておく」
「わかりました」
「シエル、この後に予定はある?」
セスと共に帰ろうと思ったら、唐突にリィンが言った。
「特にないですけど」
「じゃあ宿に行かせてもらっていい?餌とするために血をもらうから」
「宿に?ここじゃダメなんですか?」
血を提供するだけならここで出来そうなのだが何故なのだろう。
「動けなくなるよ?それくらい血をもらわないと餌にはならない。セスがすぐに治癒術をかけると言うならここでやってもいいけど」
うえぇ…まじでか。
そんなに吸われるの。怖いんですけど。
でも吸われた分は治癒術で回復するのか。なるほど。怪我の時にも失った血液から回復するって言ってたもんな。
「俺はどちらでもいいよ」
「宿に来てもらおう。セスだって治癒術使ったら疲れるだろうし」
セスはどちらでもいいと言ってくれているが、疲弊した状態で帰らせるのも心苦しい。
「じゃあ行きましょ。宿まで案内して」
そう言ってさっさと階段を降りて行ったリィンに私たちは続いた。
ヒューイから開口一番に告げられたどこかの商会名を私は全く聞いたことがなかった。
「知りません、すみません」
「いや、謝ることじゃない。いいんだ。セスは知っているか?」
私の言葉にヒューイは笑って答えて、最初の問いに答えなかったセスにもう一度振った。
「アルセノと武器貿易を行っている商会?」
「あぁ、そうだ」
すごい、知ってるのかセス。カルナでは有名なのかな?そのブライトウェル商会。
「ブライトウェル商会が武器に手を付けたのはここ15年くらいのことだ。それよりも前は、奴隷商だった」
「15年前にベリシアは奴隷制が廃止になったからだろう?」
「その通りだ」
セスの問いにヒューイが頷いた。
「しかし裏ではまだ奴隷貿易が行われている。ブライトウェル商会はベリシアの各都市から奴隷となる人材を買い集め、数か月の時間をかけて調教してからアルセノへと送っている。おそらく今現在ベリシアでアルセノと直接奴隷貿易を行っているのは、このブライトウェル商会だけだ」
じゃあシスタスで出会ったあの獣人の子たちもそこで調教されてからアルセノへと送られるってことかな。
「ブライトウェル商会で奴隷業を主に取り仕切っているのは、ブライトウェルの腹心だと言われている魔族の男だ。武器貿易には携わっていないから表に出てくることはなく詳細はあまり掴めていないのだが、エンバイテン族だと言われている」
エンバイテン族?聞いたことがない。
というか、魔族の種族なんて詳しく知らない。
アイゼンが自己紹介の時に何とか族って言ってたけど名前が思い出せないくらいだ。
「エンバイテン…影の一族?」
「そう」
セスの問いにヒューイの隣に座っていたリィンが頷いた。
影の一族。何それちょっとかっこいい。
「エンバイテン族は文字通り、影を操る種族だよ。光あるところにある影、ね」
不思議そうな顔をしている私を見て、リィンが教えてくれた。
机の上に手を翳し、落とした影を指差している。
魔力を使って影を操る、ってことなのかな。すごい。
「今回は、ブライトウェル商会が奴隷を買い集めるために使う取引場所と、奴隷を調教するための場所を押さえたい。取引場所の目処はある程度ついているが、調教施設は騎士団では全く場所が掴めていない。ここを押さえられればアルセノに送られる前の奴隷も助け出せる。さらに言えばそのエンバイテン族の男も捕えたい。最悪、殺してもいい」
殺してもいい、という言葉が騎士であるヒューイから発せられ正直驚いた。
不正な闇取引をしている人間は騎士団として、国としてその場で殺しても構わないのだろうか。
「…それで?シエルを囮にすると言いたいのか?」
「……!」
ヒューイの話をただ聞いていただけだったので、自分が呼ばれた理由まで考えていなかった。
囮、という言葉に心臓が早鐘を打つ。
確かに、エルフはアルセノで戦闘奴隷として需要があるのだとニルヴァも言っていた。私をブライトウェル商会に売ってその場所を押さえようというのか。
「その通りだ。そしてセス、君にはリィンと共にそのエンバイテンの男を任せたい」
表情も変えず、ヒューイは頷く。
セスにその男と戦わせるということか。
というかリィンと共に、ってこんなに若い女の子を…。一体何者なんだろうリィン。
「騎士団はずいぶんと非人道的な真似をするんだな?もし囮と気づかれたらシエルはどうなる?俺がそのエンバイテンの男なら、拷問にかけてどこの手の者か聞きだし、吐いたら殺すけどね?」
セスは自分がエンバイテンの男と戦うことには触れず、いつもよりも低い声で言った。
静かで、冷たい怒りを感じる。
怖い。言っている内容も怖いし、自分がそうなるかもしれないというのも怖い。でも何より氷のように冷たい表情をするセスが怖い。
「だからシエルには受けるか受けないかの選択肢を提示している。もちろん、相応の報酬も用意している。ブライトウェル商会が奴隷として買うのは幼い獣人か年若いエルフやダークエルフ、天族や魔族の珍しい種族だ。騎士団の人員には囮として使える適材がいない」
ヒューイはセスの冷徹な態度にも怯むことなく淡々と答える。ある意味すごい。
「目処をつけている場所を張りこめば、こんなやり方をせずとも奴隷がいずれ出てくるのでは?」
「それはもう実行済みだ。だが奴隷が出てくることはなかった。闇に紛れて気づけなかったのか、それとも、何か別の移動方法があるのか…。取引場所と調教施設が同じ場所ということも考えたが、さすがにそんなリスクの高いやり方はしないだろうからな」
「……」
若干険悪な雰囲気だ。
空気がピリピリしているのを感じる。
「あの、すみません、ちょっと聞いてもいいですか?」
「ああ。疑問に感じたことは何でも聞いてくれ」
私の言葉にヒューイはすぐに頷いた。
「今回僕を囮としてブライトウェル商会に売って、取引場所から調教施設へと移動したところでその場所を騎士団が押さえたいってことですよね?」
「そうだ」
「どうやって僕の居場所を知るんですか?」
調教施設を騎士団が把握していないのなら、私がそこに行っても私の場所を知ることはできないのではないだろうか。
何かそれがわかる方法でもあるのだろうか?
私の質問に答える前に、ヒューイが懐から何かを取り出してテーブルの上に置いた。
親指の先くらいの大きさの綺麗な赤い石だった。
「これはリンフィーというモンスターが体に宿して生まれる結晶だ。リンフィーは自分が持って生まれた結晶がどこにあっても結晶の元へと帰るという習性を持っている。これを体内に埋め込んで場所を特定させるんだ」
近未来映画とかでよくあるマイクロチップを体に埋め込む的なやつか。
「そのリンフィーってモンスターはどこに?」
「今は別の場所にいる。君が取引場所へ着いてから2日くらい様子を見て、リンフィーを放す予定だ」
「なるほど」
2日、と聞くと長く感じる。
奴隷として売られたのだからその間に殺されることはないだろうが、そこに知っている人は誰もいない。不安だ。
「リンフィーの結晶を使った囮は常套《じょうとう》手段だろう。それを警戒して入念に調べられたら囮と気づかれるのではないか?」
私とヒューイの会話に割り込むようにセスが口を挟んだ。
何だかよく分からなすぎて別世界の話を聞いているようだ。
「確かに、セスの言う通りリンフィーの結晶を使った囮はよく使われている。だから、囮と気づかれてしまった場合の保険として、リィンを参加させている」
その保険としてリィンを、と言われても全く意味が分からない。
「吸血族か」
一方のセスにはピンと来たのだろう。
リィンを見てそう言った。
「その通り。私は吸血族なの。他人の血を糧とする一族ね。餌として口にした血の持ち主の居場所は離れていても分かる」
ヴァンパイアってことか。
まじか。存在するのかこの世界に。
「僕の血を吸えば離れたところから居場所を特定できるってことですか?」
「血の匂いがすれば、ね」
「囮と気づかれて傷を負わされたら、ということですか」
「まぁ、そうだね。そのための保険だから」
「…………」
血の匂いがするということは、結晶があると気づかれてそれを抉り出されることを意味しているわけだ。
正直、考えたくもない。
「シエル、これは君への報酬だ」
話を切り替えるように、ヒューイが1枚の紙を置いた。
報酬:白金貨20枚
報酬ポイント:30000
報酬の白金貨20枚というのもとんでもないが、ポイントの30000というのもとんでもない。
これはCからBへ一発でいけるポイント数だ。
1年かかるはずのCからBへ、一発で。
「……囮と気づかれることが前提としか思えない報酬だな」
その紙を横目で見たセスが顔を顰《しか》めて言った。
まるで私の気持ちを代弁したかのようだ。
「確かに、そうなる可能性を考慮した上での報酬であることに間違いはない。だが結晶の存在を悟られないよう、シエル自身にも埋め込んだ場所は分からないようにする。気づかれる可能性はそこまで高くないはずだ。万が一気づかれた場合でも、すぐにセスとリィンを行かせる。もちろん、受ける受けないはシエルの判断に任せる。無理強いをするつもりはない」
ヒューイはそんなセスを見ても、表情を変えることはなかった。
事務的に、淡々とそれを説明している。
「囮と気づかれればその場ですぐに殺されるか、拷問にかけられて口を割った後に殺されるかの二択だ。やめておくんだ。金の為にそこまでしたいか?」
私が言葉を返す前に、セスが言い聞かすように言った。
確かにその通りだ。その通りなんだけど……。
「僕が断ったら誰が囮になるんですか?」
「それは君は気にしなくていい」
ヒューイはそう言うが、おそらくまた1から見つけるのだろう。
私は断れてもセスは断れないのだ。
セスと行くなら結局次の囮が見つかるまで待たなければならない。
ブライトウェル商会が奴隷として買うのは幼い獣人か、年若いエルフやダークエルフ。それ以外の人間ではよっぽど珍しい種族でなければ囮として成り立たない。そうそう囮を引き受ける該当者も現れない気がする。
それに、私がシスタスで見捨ててしまったあの獣人の子たちがまだカルナにいるかもしれない。今ならまだ助けられるかもしれない。
「……やります」
「シエル」
セスが咎めるように私の名前を呼んだ。
「お金とか、ポイントのためじゃないんだ。これは、贖罪なんだ…」
「贖罪…?」
3人が怪訝そうな顔をしている。
「調教施設に、もしかしたら僕が前に関わった人たちがいるかもしれないんだ。もしいたとしたら今やらなきゃ他の囮を探している間にきっとアルセノに送られてしまう。だから今、僕がやりたいんだ」
「……」
セスはそれに対して何も言わなかった。
険しい表情で視線を落としている。
「では、契約成立ということでいいかな」
「はい」
ヒューイの言葉に私は頷いた。
「セス、これは君への報酬だ」
報酬:白金貨10枚
ポイントはない。セスはSランクだからこれ以上のポイントは必要ないということかな。
この報酬が多いのか少ないのかわからないけれど、私よりも少ないのは妥当なのだろうか?
「……」
セスはそれを見ても険しい表情のまま何も言わなかった。
受ける受けないの選択肢がないからだろうか。
「シエルを囮としてブライトウェル商会に引き渡す方法なのだが、ブライトウェルとの取引において信用がある人間に売らせなければならない。ブライトウェル商会に奴隷を売っているやつらは、金に困って子供を売りたい親から買うか、もしくは攫うかして奴隷を手に入れている。そして攫うために、通常のギルド依頼に奴隷にできそうな人材が現れたら依頼主から斡旋してもらっているんだ。これはカルナの南西方面で地域ぐるみで行われている。騎士団としてもこの事態を把握しているのだが、なかなか取り締まることが難しい」
「……!」
まさしく私が襲われたのはニルヴァの言った通りだったという訳か。
「だから、シエルにはカルナ南西の依頼主からの依頼を受けてもらって、奴隷として斡旋されるのを待つ。もちろんカルナ南西で依頼される依頼が全てそうとは限らないから、ヒットするまで何度も繰り返す」
「…時間がかかりそうだな」
「だがこうするしか方法がない」
セスの言葉にヒューイが視線を落として言った。
「すみません、ちょっといいですか?」
「ああ」
私の言葉にヒューイは頷いて私を見た。
「奴隷を斡旋した依頼主と、斡旋を受けた売主は取締りの対象になるんですか?」
「もちろんだ」
「では、提案があるんですがいいですか?」
「提案?」
予想外の言葉だったのかヒューイが驚きの表情を浮かべた。
「僕はデッドラインの討伐に参加する前、カルナ南西の料理屋で1ヶ月契約の依頼を受けたんです。3週間ほど経ったある日、僕はその料理屋のオーナーから、南西の城壁近くの家まで荷物を届けるように頼まれました。そして品物を届けた帰り道、背後からいきなり知らない男に襲われました」
「それはまさしく奴隷の斡旋か」
ヒューイが眉を寄せて呟いた。
「そうですね」
「それでシエルはどうしたの?その男を倒したのか?」
セスの質問に私は首を振った。
「僕は抵抗できなかった。どこかへと連れ去られようとしている途中で、たまたまシスタスからカルナまで来るときに馬車を護衛してくれていたヒューマの人が通りかかって助けてくれたんだ。そのまま連れ去られていたら、僕はブライトウェル商会に売られたのでしょう」
「そうだろうな」
頷くヒューイの瞳は揺れていた。
「そのヒューマの人も、南西の城壁辺りは裏稼業の人間が集まっていて、ヒューマ以外の種族は闇取引に利用される、オーナーも配達先の家主もグルになって僕を陥れようとしたのであろうと言っていました。だから、その人たちを利用することはできませんか。例えば僕の件を不問とする代わりに協力を仰ぐ…とか」
料理屋のオーナーと配達先の家主に話をつけ、過去の私の件を不問とする代わりに私を襲った男に囮として売らせる。
カルナ南西の依頼をヒットするまでランダムで受けるよりも効率がいいと思うのだがどうだろう。
騎士団がそれを不問としていいと判断してくれれば、の話だけど。
「…なるほど」
ヒューイはそれだけ呟くと考え込んだ。
「その料理店と配達先の場所は覚えているか?」
しばらく考えてから、ヒューイは私に聞いた。
「料理店は覚えています。配達先はもう一度行けと言われたらちょっと無理かもしれません」
「一度料理店の依頼実績を調べてみよう。もし過去に囮に出来そうな種族が依頼を受けていて、その報酬を受け取った記録がなければ証拠としては十分だ」
私はヒューイに料理屋の名前と場所をメモして渡した。
私の件だけでは証拠としては不十分か。
実際にブライトウェル商会に連れていかれた訳ではないもんな。
「明日のまた同じ時刻にここに来てくれ。それまでに過去の依頼を洗っておく」
「わかりました」
「シエル、この後に予定はある?」
セスと共に帰ろうと思ったら、唐突にリィンが言った。
「特にないですけど」
「じゃあ宿に行かせてもらっていい?餌とするために血をもらうから」
「宿に?ここじゃダメなんですか?」
血を提供するだけならここで出来そうなのだが何故なのだろう。
「動けなくなるよ?それくらい血をもらわないと餌にはならない。セスがすぐに治癒術をかけると言うならここでやってもいいけど」
うえぇ…まじでか。
そんなに吸われるの。怖いんですけど。
でも吸われた分は治癒術で回復するのか。なるほど。怪我の時にも失った血液から回復するって言ってたもんな。
「俺はどちらでもいいよ」
「宿に来てもらおう。セスだって治癒術使ったら疲れるだろうし」
セスはどちらでもいいと言ってくれているが、疲弊した状態で帰らせるのも心苦しい。
「じゃあ行きましょ。宿まで案内して」
そう言ってさっさと階段を降りて行ったリィンに私たちは続いた。
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