クルスの調べ

緋霧

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三章

第39話 吸血族

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「リィンさん、こんな昼間に外に出て大丈夫なんですか?」

 今日は晴天だ。そんな中を普通に歩いているリィンに私は尋ねた。
 普通ヴァンパイアと言ったら昼間は外に出られないものではないのだろうか。

「え?どういう意味?」

 リィンは心底意味がわからないというような顔で尋ね返してきた。
 どうやらこの世界のヴァンパイアはそうじゃないようだ。

「あ、すみません、何でもないです忘れてください」

 余計なことを言ってしまった。
 向こうの当たり前はこちらの当たり前ではない。
 血を吸われても僕は吸血族になったりしませんよね?という質問もしようかと思ったけどやめておこう。
 まぁ、実際にヴァンパイアなんて向こうの世界ではおとぎ話なんだけど。

「リィン、君は騎士団の人間なの?」

 助け舟なのか、セスが話題を変えるようにリィンに聞いた。

「そうだよ」

「吸血族がベリシア騎士団に…?」

「別に騎士団にはヒューマしかいないわけじゃないよ。獣人だって、ドワーフだって、エルフやダークエルフだっている。魔族も。天族はいないけど」

 セスの疑問が不思議なのか、リィンが首を傾げて答えた。

「へぇ」

 聞いたくせにさして興味もなさそうにセスが呟いた。
 なんてドライ。

「リィンさんって今いくつなんですか?」

「ちょっとシエル、女の子に歳を聞くのはご法度よ。もてないわよ」

「はい、すみません」

 ということは、きっと見かけよりも長く生きているんだろうな。
 リィンは可愛らしい見た目をしている。現代で言ったらバリバリの女子高生という感じだ。ストレートの長い黒髪に、パッチリとした赤い瞳。少し背伸びした大人っぽいメイクがゴスロリの服によく似合っている。このまま原宿とかに行けそう。

「シエル、名前は呼び捨てでいいよ。敬語も使わなくていい。これから一緒に仕事をするんだから仲良くやろ」

「あ、はい…じゃなくて、わかった。よろしく」

 ぎこちなく頷いた私にリィンは笑顔を見せた。

「仲良く、ねぇ…」

 そんな私たちを見てセスが皮肉っぽく言う。

「思うところがあるのはわかってるよ。それでもこれはちゃんとした契約だよ。双方納得の上で、ね。だからこそ、ギスギスするよりは仲良くやりたいじゃない」

「…まぁね」

 リィンの言葉にセスは渋々といった感じで呟いた。

 そうこうしているうちに宿に到着して、私たちは部屋へとリィンを招き入れた。

「じゃあベッドに座って首出して」

 首から吸うのは元の世界のヴァンパイアと一緒なのか。

「痛くしないでよ」

「何言ってるの?痛いに決まってるじゃん」

「せめて善処するとか言ってよ…」

 私は諦めてベッドに腰掛け、服のボタンを外し首から肩にかけてはだけた。
 セスは奥の椅子に腰掛け、こちらを見ている。なんだか見られているのも恥ずかしいような。いや、別にやましいことをする訳じゃないんだけど何故だろう。

 リィンは私の横に膝をついて首筋に顔を寄せた。いい匂いがする。サラサラとしたリィンの髪の毛が首にかかってくすぐったい。

「いくよ」

「…っ」

 私の返事も待たずにリィンが首に牙を立てた。
 深く食い込む牙が想像以上の痛みを生んだ。
 自分の力が吸い取られていくかのように、全身から力が抜けていく。

「うぅっ…」

 痛みと力を吸い取られる何とも気持ちが悪い感覚に思わず呻き声が漏れてしまった。
 力が抜け、座っているのも辛い。そんな私をリィンは抱き抱えるように支えている。

 しばらくした後、リィンは私から離れ私の体をゆっくりベッドへと倒した。
 抗う力もなく、私はそのままベッドへ体を沈めた。

「ありがとね、シエル」

 そう言って私を見下ろすリィンは先ほどまでの可愛らしいイメージとは違ってひどく妖艶に見えた。

「…ちゃんと助けに来てよね…リィン」

「もちろんだよ。じゃあね、また明日」

 笑って頷き、踵を返して部屋を出て行った。

「……」

 いつの間にかセスが私の元へと来て見下ろしていた。
 頭がクラクラとして、セスが揺れているように見える。
 無表情でただ私を見下ろすセスからは、何を考えているのか読み取ることはできない。

「…なんだか、眠い」

「いいよ、眠っても」

 私の言葉に抑揚をつけずに言って、セスは先ほどリィンに牙を突き立てられた傷口に手を翳した。
 治癒術の暖かな光を浴びながら、私は眠りへと落ちて行った。



 目が覚めたのは18時頃だった。

「おはよう」

「おはよう…なんだか今日は寝てばかりだ…」

 奥の椅子に座っていたセスに声をかけられ、私は体を起こした。

「眠れる時に寝た方がいい。体はどう?失った血液は元に戻ったから特に変化はないと思うけど」

 セスに言われ立ち上がってみた。
 特にいつもと変わらない。

「大丈夫。ありがとね。セスこそ大丈夫?」

「ああ。俺も君が寝ている間に休んだから大丈夫だ」

「セスさ、ちゃんと寝てるの?僕ここに来てセスが寝てるとこ見たことないんだけど」

 私の睡眠時間が長いのは否めないが、私が起きている時にはいつも起きている気がする。

「寝てるよ。まぁ…あまり熟睡はしていないけど」

「なんで?」

「1人だといつでも自分の身は自分で守らなければならないからね。何かあった時のためにすぐに起きられるようにしておかないと」

「なるほど」

 常にそうやって警戒しているのか。私だったら寝不足になりそう。
 でも1人で旅をするとなったらそうしないと危険ってことか。

「シエル、お湯を溜めてほしいんだけど。風呂に入ってから夕食に行こう。」

「ああ、うん、わかった」

 セスの言葉で思考を中断して私はお風呂の準備に取り掛かった。



「それで、贖罪っていうのはどういうことなの?」

 お風呂と夕食が終わり、私たちはいつもの場所で向かい合わせに座っている。
 いや、向かい合わせというのは正しい表現ではなかった。
 セスは椅子の向きを90度回転させて、背を壁の方へ向けている。
 すらっとした足を組み、肘掛にかけるように左腕を机に置いて、顔だけ私の方へ向けてセスは口を開いた。

 聞かれると思った。
 セスは私がこの依頼を受けたことを納得していない。
 納得はしていないが、セスとしてはあれ以上止める権利もないと思って何も言わなかったのだろう。

 私はセスから視線を逸らした。

「言いたくないの?」

「…多分セスは納得しないから」

「俺を納得させる必要なんて君にはないだろう」

 セスが感情を込めずに言う。
 その通りだ。私はもうこの依頼を正式に受けてしまった。セスが納得するしないに関わらず、私がやることには変わらない。

「セス、怒ってるの?」

 セスはその表情を殺している。
 感情を露わに激昂されるよりも、こういう静かで冷たい怒りの方が恐怖を感じる。

「俺に君の選択を責める権利はない」

 そう言いながらもその声はいつもにも増して冷えている気がした。
 しかもそれは怒っているか怒っていないかの答えとしては適切ではない。

「権利がないから責めないだけであって、怒ってはいるんでしょ?」

「…そうだな。怒りの感情に近いかもしれない。俺は君に危険なことはして欲しくなかった。こんな感情を持ったのも久しいことだ」

 感情を失った主人公が仲間と触れ合い、徐々にその感情を取り戻していく感動のストーリーのようだ。
 よかったねとさえ言いたい。
 その怒りが私に向けられたものでなかったのならば。

「僕、シスタスで荷物運びの依頼を受けて、奴隷を運んだことがあるんだ。もちろん、受けた時には奴隷とは知らなかったんだけど」

「だからその時運んだ奴隷を助けたいって?ブライトウェルの調教施設にいるとも限らないのに?」

 先が読める展開に、先回りしてセスが口を出した。

「この話には続きがある。僕は奴隷を運んでいる最中、その奴隷たちを取り戻そうとする兄弟に襲われた」

「……」

「僕はその子を気絶させて奴隷を指定場所へと運んだ。依頼が失敗に終わると自分の身が危ないと思って。そしてその次の日、シスタスとカルナを結ぶ街道の途中で僕を襲った子が死んでいた。僕はその子が前日に奴隷を乗せた馬車を追いかけるのを見かけて、見なかったことにした。見捨てたんだ」

「君に彼らを助ける義理も、ないだろうに。君には他の選択肢はなかったんだ」

 予想通りの言葉だった。
 セスはきっと父と同じことを言うだろうと思っていた。
 それがこの世界の大多数の意見だとわかっていた。

「ないよ。ないけど、だからどうでもいいと思えるほど僕は死に慣れていない。今回、もしかしたらその時連れて行かれた奴隷を助けられるかもしれない機会が訪れた。僕は自分が関わった結果、あの子が命を失うことになった現実が受け止められない。だから僕は赦されたい。奴隷になってしまったその子たちを助けることで赦されたいんだ。これは自分のためなんだよ。ただの偽善だ」

「……」

 セスは何も言わずに顔もベッドの方へと向けた。
 色を移さないその横顔は美しくもあり、怖くもある。

「…君は平和な世界に慣れすぎている。だから知らないんだ。悪意に満ちた人間の怖さを。それは決して偽善で対峙していいものではない」

「……」

 私には視線も向けずセスが言った。
 きっとその通りなのだろう。危険な目に合って、そうしたら心の底から後悔するのだろう。

「もし君が囮と気づかれても、一番危ない時に誰も側にはいてやれない。リィンと俺が君を助けに行った時にはもう手遅れかもしれない。このやり方では、何をどうやったって俺たちは後手に回る。俺は…手遅れになった君を見たくない…」

 苦しそうに眉を寄せてセスが言った。
 やっと絞り出したような、少し掠れた声だった。

「ごめん…」

 何のごめんなのか自分でもよくわからないが、苦しげに言葉を紡ぐセスを見たら自然と口から出てしまった。
 そこまでは考えていなかった。
 もし手遅れになったら辛いのは自分ではない。私は死んだら終わりだが、セスはそうじゃない。私の死を目の当たりにして、そこから自分の仕事をするのだ。
 あんなに必死で助けた私の亡骸の前で。
 でも誰かが囮にならなければならない。じゃあ私じゃなくて他の誰かならいいのか、という話にもなってしまう。それを聞いて"いい"とも言われたくないので聞かないけれども。

「もし…もし囮と気づかれて拷問にかけられたとしても…絶対に助けに行くからそれまで口を割らないでくれ…。君はそういう訓練を受けていないだろうから、無理かもしれないけど…。でも、口を割ったら殺される」

 およそ現実の話とは思えない。自分がそうなることも想像できない。その覚悟もないのにこの話を受けた自分は甘いのだろうし、実際そうなった時に後悔するのも私なんだろうが、セスが何故そこまで囮と気づかれること前提で話をしているのかもわからない。

「わかった…けど、何でセスはそんなに気づかれた場合の話ばかりするの?ヒューイさんの話からは、囮と気づかれる可能性はそう高くないように思えるんだけど」

「上手くいった時の話はする必要がないんだ。だって…上手くいくんだから。そうじゃない場合の話をしておかないと、いざそうなった時に対処できない」

「そっか…それは、確かに…」

 説得力がある。
 確かに、失敗した時のためのシミュレーションを重ねておかないといざという時に最悪な結果になるかもしれない。それを避けるためには大切な話だ。
 セスだって無駄に不安を煽っていたわけではない。

「俺とリィンは絶対に君を助けに行く。それだけは何があっても忘れないでくれ」

 最後にセスはそう強く繰り返した。



「料理店ラムズ、直近3年分の依頼を調べた結果、過去に2度ほど受注者がその報酬を受け取っていない依頼があった」

 昨日と同じ時間にヒューイの元を訪れた私たちに、挨拶もそこそこヒューイが切り出した。
 リィンはここにはいない。
 料理店ラムズ、当然のことながら私が1ヶ月契約で仕事をし、奴隷として斡旋させられそうになった場所だ。

「一つは2年ほど前、受注者はダークエルフ。年齢まではわからなかったが、性別は男性。この男性はこれ以降、どこのギルドでも依頼を受けた形跡がなく冒険者としては消息を絶っている」

 ヒューイが1枚の紙を私たちの前に置いた。
 ダークエルフの男性と思われる名前、冒険者ランク、ラムズの依頼を受けた日付が書かれている。
 ランクがDであることから駆け出しの冒険者であったと思われる。

「もう一つは1年ほど前、受注者は魔族のリオニ族。この一族はリィンの話によると戦闘能力は高くなく、毒や薬の扱いに長けた種族らしい。性別は女性。この女性もまた、これ以降どのギルドでも依頼を受けた形跡はない」

 もう1枚の紙を上に重ねる。
 リオニ族の女性の冒険者ランクはC、戦闘能力が高くないことから街依頼をメインに熟していたのだろう。

「いずれも1ヶ月契約の依頼として出されている。1ヶ月の間でどういう人物かを見極めるためだろう。おそらく両名とも奴隷として斡旋され、売られたと思われる」

「戦闘能力が高くないリオニ族が戦闘奴隷としてアルセノに送られるんですか?」

「何も奴隷の種類は戦闘奴隷だけではない。幼い獣人などは従事奴隷として使われるのだろうし、珍しい種族は愛玩奴隷として貴族などに需要がある」

 私の説明にヒューイが答えてくれた。
 愛玩奴隷…何とも気持ちが悪い言葉だ。

「今回、ラムズとその斡旋先をこの件に利用するにあたって、さすがに過去2件の闇取引を不問とするわけにはいかない」

 そうだろうな。
 騎士団としては発覚した闇取引は国の威厳にかけて取り締まりたいことだろう。

「だからシエル、君の件のみを不問とすることと、協力してもらえた場合は罪を軽くすることで話をつけようと思う。構わないか?」

「僕は構いません」

 余罪が1件減ることがどれくらい変わるのかわからないが、元々その提案をしたのは私なのだし、別に構わない。

「ではラムズのオーナーに話をつけたい。協力を頼む」

「わかりました」

「斡旋先に話をつけるのは俺とリィンで行く。君にあの近辺を歩かせるのは今は得策ではないからな」

 エルフがあの辺をうろついているという噂でも流れてしまったら、囮と気づかれちゃうってことかな?
 まぁ、ヒューイとリィンがやってくれるならそれに越したことはない。



 その後、私とヒューイは2人でラムズまで出向いた。
 セスはこの件に関しては特に仕事がないので別行動だ。私たちと別れた後どうしているのかは、私にはわからない。
 店内でいきなり不穏な話をするわけにも行かないので、ひとまずヒューイを店の外に残し、私は店の中へと入った。
 1ヶ月ほぼ毎日通った店内はどこか懐かしさを感じる。
 時間は14時、ちょうど忙しい昼時が終わって落ち着く時間だ。
 オーナーは入ってきた私に気づくと、よう!と嬉しそうに手を上げた。

「久しいなシエル、討伐隊から帰ってきたのか」

「ええ、お久しぶりです。無事に帰ってきました。すみません、来て早々申し訳ないんですけど、今ちょっとお時間もらえますか。お話ししたいことがあって」

「なんだ?いきなり来たかと思えば改まって。別に今は落ち着いているから構わんけどな。またうちで仕事をしたいというのか?手は足りてないから大歓迎だぞ」

 まさか奴隷の斡旋の件で私が来ているなど思ってもいないのだろう。オーナーはにこやかに近くにあった椅子を勧めた。

「すみません、場所を変えたいんです。ここだと話しづらいので。外に出てもらっていいですか」

「…構わんが…」

 怪訝そうな顔をしているオーナーを店外へと連れ出す。
 外に待つ騎士団の装いをしたヒューイを目にした瞬間、オーナーの顔が青くなった。
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