クルスの調べ

緋霧

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三章

第47話 交換条件

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 夕食は、今までで一番食べることができた。
 吐き気が全くない訳ではないが、体的にもだいぶ食べることに慣れてきたように思える。食べることに慣れる、という表現も何だかおかしいけれど、本当にそんな感じなのだ。

 ただ、眠るのは怖い。眠ることを頭が拒否する。そうは言っても人間睡眠を取らなければ死んでしまうから体は勝手に眠ってしまうのだろうけれど、そうなってしまうのが怖い。
 セスに睡眠薬を打ってもらえばきっと夢も見ずに眠れるのだろうが、注射も怖い。
 それに、薬を使わなければ眠れないのでは、いつまで経ってもここから出られない。

「セス、ごめん、1人で…寝たいんだけど」

 ここで夜を過ごすつもりのセスに、私はおずおずと切り出した。
 正直、眠りたくない。限界まで起きていたい。そしてもしそれで眠ってしまって夢にうなされたとしても、薬は使いたくない。でもセスがいたらきっと無理やり睡眠薬を打たれてしまう。だからこの部屋にいてほしくない。

「俺がいたら都合が悪いの?」

 そんな私の思惑を見透かしたように、セスが抑揚もつけずに冷たく言う。
 棚の側に置かれている椅子に、足を組み、もたれかかるようにして座っている。

「…そういう、わけじゃなくて…」

 いや、そういうわけなんだけど、そうとも言いづらい。どっちにしろ、こんな態度を取っていてはそう言っているようなものではあるのだけれど。

「じゃあここにいてもいいよね」

「……」

 普段そんなに物事に執着しないくせにこういう時だけ引き下がらない。非常に厄介な人だ。

「君は眠るのも、俺に睡眠薬を打たれるのも嫌なんだろう」

「……」

 セスは感情を移していない瞳で私を見つめて言った。
 その通りすぎてぐうの音もでない。

「別にいいよ?限界まで起きていても。眠らないことなど人間には不可能なことだからね。でもね、そうやってると眠ることへの恐怖はなくなるどころか増幅される一方だよ。だったら俺は薬を使ってでも安心して眠った方がいいと思うけどね」

「でも注射も、怖い」

 痛いから嫌だ、というわけではない。いや、痛いのは確かに嫌なんだけど、これはそういう次元ではなくて注射という存在が完全にトラウマになってしまっている。

「別に薬が怖かろうと、注射が怖かろうと、そんなことはどうにでもなる。でも眠ることが怖いのは俺にはどうにもできない。君が眠らないというのなら、俺は無理やりにでも睡眠薬を打たせてもらう。君の意思は申し訳ないけれど関係ない」

「……」

 昨日も嫌だという私の言葉を聞き入れることもなく無理やり薬を打ったので、セスがそういう方針でいることはわかる。きっとそれが一番手っ取り早くていい方法なんだろうというのもわかる。そして、そういうつもりでいるなら抵抗したところで無駄なこともわかる。
 だとしても言い方!言い方ってもんがあるでしょ!!

「…じゃあ、薬、打ってください。お願いします」

 まぁ、潔く諦めよう。目を閉じて視界に入れないようにして乗り切って深く眠ろう。

「…ああ言えば君は素直に諦めると思っていた。ごめんね、酷い言い方をして」

 セスが悲しそうな笑みを浮かべてそう言った。

「酷い言い方をしたという自覚はあるんだ?」

 以前より少し進歩が見られて思わず笑みが溢れる。

「まぁ…一応は。でも俺もあまり手荒な真似はしたくないんだ」

「うん、わかってるよ」

 昨日私を押さえつけて薬を打った時、セスは酷く辛そうな顔をしていた。嫌だと泣いて暴れられたら、それは心情的にも物理的にもやりにくいだろう。

「じゃあ、準備するから嫌なら打ち終わるまで見ないで」

 そう言ってセスは立ち上がり、準備を始めた。
 うっかり注射器を目に入れてしまったら騒ぐ自信があるので素直に目を閉じる。

「飲み薬とかないの?」

 ベッドの上で体育座りをしつつ顔を膝に埋めセスに問う。
 飲み薬があれば何の苦労もないのに。

「あるけどそんなに深くも眠れないし、長くも眠れないよ」

「そうなんだ…」

 そう上手くはいかないようだ。残念。
 すぐに準備は終わったようで、私に近づいてきた気配がする。

「横になってくれる?打ったらすぐに意識がなくなるから、体を起こしていると危ない」

「そっか、ごめん」

 その言葉に私は素直に横たわった。
 セスがスッと私の腕に触れた瞬間、体が強張って心臓が早鐘を打つ。

「力を抜いて。余計に痛くなるよ」

 セスにもそれが伝わったのだろう。消毒液を腕に塗りながらそう言った。

「む、無理」

 どうしても緊張はしてしまう。嫌な汗が出てきたくらいだ。
 セスはそれ以上何も言わずに、いきなり針を刺した。

「……っ」

 痛い。もちろん我慢できない程ではないけど痛い。
 でも何より薬を打たれているということ自体が怖い。
 大丈夫だとわかっているはずなのに。これで深く眠れるとわかっているはずなのに。

「怖い…」

 思わず声に出てしまった。

「大丈夫だよ。おやすみ、シエル」

 優しい声で紡がれたその言葉を最後に、私の意識はプツリと途切れた。
 


 頭がぼんやりする。酷く眠い。
 重い瞼を開けると薄暗かったはずの部屋は明るかった。

「……」

 朝のようだ。夢は見なかった。
 眠い。瞼が自然と落ちてきてしまう。

「……」

 あぁ、ウトウトとしていた。
 危ない。このまま寝たら夢を見てしまうかもしれない。
 起きなければ。でも瞼も体も重い。
 眠い。



「シエル」

「……っ!」

 名前を呼ばれてハッと意識が覚醒した。
 セスが私を覗きこんでいる。
 寝てた。完全に眠りに落ちていた。

「大丈夫?」

 セスにそう聞かれたけど、問いの意味がわからない。

「僕、うなされてた?」

 夢を見た記憶はない。
 でもセスがそう聞くってことは夢にうなされていたのだろうか。

「いや、静かに寝てたけど、ずいぶん長く眠っていたから。睡眠薬はもう切れているはずだしちょっと心配になって。ごめんね、起こしちゃって」

 2日間の昏睡状態のことがあるから余計に心配だったのだろう。

「大丈夫…さっき一度起きたんだけどまた寝ちゃったみたいだ」

 そう言いながら体を起こす。先程までの重い感じはなかった。

「一度起きたの?」

 若干の驚きを含ませてセスが聞く。
 起きた時にセスは部屋にいなかったのだろうか。いたとしても体を動かしたわけではなかったし、気づかなかったかな。

「うん、でもすごく眠くて…起きようとは思ったんだけど起きれなかった」

「夢見た?」

「見てない、と思う」

「自分の意思で眠って、夢も見なかったのなら大きな進歩だね」

 自分の意思、と言っていいのか微妙なところだけど、そう考えると先が明るいのは確かだ。

「うん、次は薬を使わずに眠ってみようかな」

「そうだね」



 朝食はほとんど食べることができた。その結果、点滴を外してもいいとなったので、外してもらってお風呂に入った。
 これであとは普通に眠れるようになれば帰れる。

 点滴が外れたので建物内を自由に歩けるようになった。
 体をずっと動かしていなかったので運動がてら色々なところを歩いてみる。

 この建物には入院のための個室がいくつかと、手術室が3部屋も完備されていた。
 それ以外にも休憩として使える部屋だったり、仕事ができるような机と椅子が揃った部屋だったり、数人が一度に仮眠を取れるような部屋もある。
 病院、というよりは第2待機施設として使っていた詰所の規模を大きくしたものという感じがする。

「シエル」

 扉が開いている部屋を覗きながら歩いていたら、後ろから声をかけられた。
 振り返るとそこに立っていたのはヒューイだった。

「あ、ヒューイさん。すみません、扉が開いていたものだからつい中を覗いちゃって」

「別にそれは構わないが、そうやって出歩けるようになったのだな。順調に回復しているようで何よりだ」

 ヒューイは忙しかったのか、昨日転移してきてからは顔を見せることはなかった。リィンは一度だけ来てくれて、軽く雑談をしてすぐ帰って行ったのだけど。

「はい、おかげさまで。施設を使わせていただいてありがとうございます」

「いや、君がそんなに気を遣うことはない。ゆっくり療養してくれ。ところで、今時間はあるのか?」

「はい、大丈夫ですよ。常に暇人です」

「じゃあ、ちょっと来てくれ。話したいことがある」

 私の返答に苦笑いしながらヒューイは歩き出した。素直にその後へと続く。
 しばらく歩いた後、ヒューイが扉を開いたのは最初に集合して依頼の確認をした部屋だった。

「あれ、シエル。そうやって動けるようになったんだ」

 部屋の中のソファーに座って、何かの資料に目を通していたリィンが私に気づいて言った。

「うん、さっき点滴を外してもらったんだ」

「よかったね」

 屈託のない笑顔でリィンが言う。

「ちょっと茶を入れてくる。シエル、適当に座っていてくれ」

 そう言ってヒューイはすぐに部屋から出て行った。
 中佐自らお茶を入れるなんて…。
 とりあえずリィンの向かい側のソファーに腰を下ろす。

「もうそろそろ退院できそうだね」

 資料から目を離さずにリィンが言った。

「うん、もうすぐ、かな?」

 夜眠るのが怖いから薬を打ってもらっている、なんて恥ずかしくてちょっと口には出せなかった。私が言わなくてもセスから聞いて知っているかもしれないけど。

 それからはお互いに無言だった。
 何かの資料を読んでいるのでこちらからは声をかけづらいし、向こうから声をかけてくることもなかった。

 しばらくしてヒューイがお茶を手に戻ってきたが、なぜかセスも一緒だった。
 私が建物内を歩いている時間で、少し休むと言っていたのだけれど。

「暇そうだったから連れてきた」

「いや、暇じゃないんだけどね?」

 ヒューイの言葉に露骨に嫌そうな顔をしながらそう答えて、セスは私の隣へと座った。

「そろそろシエルも治療を必要としなくなるだろうから、ここで一度話をしたい」

 そんなセスの態度を気にすることもなく、ヒューイはリィンの隣に座って言った。メンタル強い。
 リィンもその言葉を聞いて、資料を伏せて置いた。

「取引場所、調教施設共に今は騎士団が押さえている。この二つの施設はブライトウェルの名義にはなっておらずブライトウェル本人を捕らえられるほどの証拠にはなり得なかった。だが、奴隷取引の実権を握っていたニルヴァが死んだことで今後の奴隷取引は実質的に不可能になった。それは君たち2人の功績だ。感謝する」

 ニルヴァがブライトウェルの腹心、というところまで騎士団は把握できているのに、その証拠がないから本人を捕らえることはできないのか。
 ニルヴァを生きて捕らえることができていたら違う結果になったのだろうか…。

「…他に、俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」

 感情を表に出さずにセスが静かに言った。
 きっとセスも同じことを考えたのだろう。

「…ない。ニルヴァを殺してもいいと言ったのは俺だ」

 ヒューイもセスが言わんとすることを理解したのだろう。目を伏せてそう言った。

「……」

 セスはほんの少し顔を歪めてヒューイから視線を外した。

「ラムズを含め、バルミンドが斡旋を受けていた依頼人たちも芋づる式に検挙できた。本作戦においての成果は期待以上のものだ。これはシエルが提案してくれた策の功労によるものが大きい。だが、そのシエルには想定以上の苦痛を負わせてしまった。本当に申し訳ない」

「…いえ」

 多分今のヒューイは私からの言葉は求めていない。ヒューイは昨日私と2人の時に真剣に頭を下げてこのことを謝罪した。それで本来終わったはずの話を今形式的に口にしているだけだ。

「これからのことは我々騎士団が引き続き追っていくことになる。よって、シエルの治療が完了した時点で、君たちとの契約は全て終了する。しかしながら、セスにシエルの治療を担当してもらっているのは契約外のことであり、本来ならば騎士団の人間が請け負うべきものだ。これについては別途報酬を支払う」

 そうだ、セスへの依頼はニルヴァのこととだけだもんな。私の治療までは契約に含まれていない。

「シエルの治療は俺が自分の意思でやったことだ。それについての報酬は必要ない。その代わりと言ってはなんだが、一つ君に頼みたいことがある」

「…頼み?」

 セスの言葉にヒューイが眉を顰めた。

「騎士団の所有する馬車を一台、譲ってほしい。代金は俺の報酬から差し引いてもらって構わない」

 セスがヒューイに頼んだことは私には全くの予想外のものだった。
 これから旅をする上であった方がいいから、ということなのだろうか。
 しかし何故騎士団が所有する馬車なのだろう。普通に買えたりしないのかな?

「馬車、か。どのようなものを必要としているんだ?」

 別段驚きを見せることもなくヒューイがセスに聞く。
 それくらいヒューイにはなんて事もないのだろうか。

「荷馬車が欲しい。小さいサイズのもので構わないから」

「なるほど、わかった。それくらいなら、今回の礼と詫びを兼ねてこちらから無償で提供させてくれ」

 まじか。荷馬車がいくらするのかわからないけど、それをこの場でポンと即決できるくらいヒューイは権限を持つ人なのか。

「いいのか?」

「ああ。早急に手配する」

「助かる」

「…俺からも一つセスに頼みがある」

 終わらない交換条件に今度はセスが眉を寄せる。

「それなら馬車の代金を正当に受け取ってほしい。騎士団の依頼をこれ以上受けるつもりはないんだ」

 セスからすればそうだろう。
 私と共に行く約束をしてくれているのだから、単独で依頼を受けることはしないはずだ。

「違う、依頼じゃない。俺個人の頼みだ。セス、俺と手合わせしてほしい」

「……は?」

 心の底からの疑問符だった。
 私もセスと同じ気持ちだ。きっとリィンもそうだろう。怪訝そうな表情でヒューイを見つめている。

「一度貴方と剣を交えてみたい。頼む」

「……」

 丁寧に言い直された言葉に、しかしセスは険しい表情を見せた。
 ヒューイの意図はよくわからないが、セスとヒューイの戦い、私は見てみたい。ヒューイもその若さでヴィクトールと同じ立場にいるのだからそれなりに実力はあるのだろうし。

「…断る、と言いたいところだが、ずいぶんと真剣なようだな。なぜ、俺と?」

「貴方の剣技の腕はヴィクトール殿から聞いている。一剣士として、純粋に貴方と剣を交えてみたいのだ」

 ヒューイ個人としての頼みだからなのか、言い方も普段とはずいぶん違う。これが立場というものを取っ払ったヒューイそのものなのだろうか。

「剣士、という人達は時にそういう不必要な手合わせを望むね。俺にはその意味がよく理解できないが…今回はまぁ、ずいぶんと本気なようだから、その申し出を受けようか」

 セスは諦めたようにそう言った。

「感謝する」

 一方のヒューイは笑顔を見せてそう言った。
 なんだか酷く対極的だ。

 自分の実力を試す的な意味で手合わせをすることはアイゼンやベルナにもあった。2人が私を誘ったのも同様の理由だ。
 それはセスとしては不必要なことであり、好んでそれをやる思考が理解できないのだろう。
 私とこの前戦ったのは私の戦い方を知るためだし、これからもそれをやるつもりでいるのは私の実力を伸ばすためだ。それはセスにとっては必要なことで、今回のこれは不必要なことなんだな。

「2人は前にも何か仕事を一緒にしたんじゃないの?ヒューイはセスの戦い方を知らないような口ぶりだけど」

「そうだな。だがそれはこちらから依頼してセス1人に実行してもらったものだから、俺は直接セスが剣を持つところを見たことはない」

 リィンの言葉に頷いてヒューイは言った。
 そうなんだ。どんな依頼だったのだろう。

「へぇ…」

 リィンは興味がないのかそれ以上何かを言うことはなかった。

「じゃあセス、頼む」

「…今?」

 そう言って立ち上がったヒューイに、セスは表情を険しくして聞いた。
 流石に今すぐとは思ってなかったのだろう。私も思ってなかった。

「今ちょうど仕事がひと段落したんだ。セスも暇だろう?」

「暇じゃないんだけどね…。まぁ、いいよ。やろうか」

 セスは渋々といった様子で立ち上がり、ヒューイの後に続いて部屋から出た。
 私も見に行こう。
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