クルスの調べ

緋霧

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四章

第57話 ツケ

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「……ぐっ!!」

「シエル!」

 完全に疲れからくる判断力の低下だった。
 カーダが足止めのために飛ばしてくる粘着性の糸を視界に入れながら避けきれなかった。それがリッキーの足に絡まり転倒し、上にいた私も激しく地面を転がった。
 リッキーの視界に入るものなら、私が手綱を引かずともリッキーが自分で避けてくれる。しかし常にそうとは限らない。横から、時には後ろからも飛んでくる。それは私が手綱を引いてあげなければリッキーは避けられないのに反応が遅れてしまった。
 急いで上体を起こした時には、糸が絡まって起き上がれないリッキーにカーダが差し迫るところだった。

「リッキー!」

「……っ!!」

 そんなカーダをセスが倒してくれた。
 ホッとしてリッキーに絡まった糸を解こうと立ち上がろうとしたその時、フッと風が横切るような気配を感じた。

「シエル後ろ!!」

 振り返ると、いつの間にか背後に迫っていたらしいカーダが私に向かって刃を振り上げていた。

「ぐぁっ…!」

 避ける時間などなかった。
 突くように繰り出されたカーダの刃が左肩をざっくりと切り裂き、そのまま体を倒される。
 焼き付くような痛みが走ったが、そんなことを気にしている暇はない。
 これ以上の攻撃を受ける前にと、跨がるカーダめがけて至近距離からかまいたちを放ち、その体をバラバラにする。紫色の体液がびちゃびちゃと私の体に降り注ぎ、自分の体を汚した。気持ち悪い。

「シエル…っ!大丈夫か…はぁっ…はっ…ライム、降ろしてくれ…頼む」

 すぐに駆けつけてくれたらしいセスがライムにそう声をかけながら言った。横から落ちないような椅子の仕様なので、降りる時はライムが座ってくれないと降りられないのだ。
 私の傷を診るつもりなのだろう。しかしそんなことができるほど余力があるとは思えない。

「大丈夫だから…っ…セスはそこにいていい。ライム、セスを降ろさないで…お願い」

 体を起こしながら私は言う。左肩から流れる血が腕をぐっしょりと濡らしていく。だが致命傷ではない。さすがにセスも治癒術をかけたりはしないだろうが、処置するにしてもこんなところで時間を使うわけにはいかない。
 ライムは、セスと私の指示が違うことに戸惑いつつ、私の指示を優先した。セスがそんな状態ではないことを、ライムも分かっているのだろう。カデムはかなり頭がいい動物なので、こうした指示もちゃんと理解してくれる。

「ライム…!」

 セスが焦ったような声色でライムに声をかける。
 それでもライムはセスを降ろそうとはせず、リッキーに絡まった糸を解こうと立ち上がった私を気遣うようにすり寄ってきた。

「大丈夫、ありがとう、ライム…」

 ライムの顔を撫でてから地面に倒れたままもがいているリッキーの元へと向かった。

「リッキー…ごめんね。今、解いてあげるから…」

 粘着性の糸をリッキーの足から外す。
 傷がズキズキと痛むせいで時間がかかってしまったが、リッキーはずっと私を心配するかのような目で見つめながら大人しく待っていてくれた。
 そんな私を、セスがライムの上から辛そうな表情で見つめていた。



「ライム!」

 ライムに逃げるように指示を出し、カーダをかまいたちで一閃する。
 森を進むにつれ、セスの衰弱具合は一層酷くなってきていた。夜もだいぶ更けた今はもう、カーダと戦うことはほとんどできなくなっている。

「う…くっ…」

 セスは苦しそうに呻きながらも、取り落としそうになった剣を握り直した。
 この森に入ってからもしばらくはセスの神力残量をこまめに確認していたのだが、今はもうそれもやめた。
 セスの神力は計算通りに減っている。だが、神力が0になることがリミットではなくなっていた。今のセスはそれよりも先に体力が尽きる。いくら神力が残っていたとしても体力が尽きればそれは死なのだ。時間はあまり残されていない。

「セス、大丈夫?何もしなくていいよ…。僕が、全部やるから…」

 そう口にしたものの、正直私もかなりきつい。神力は半分を切ったくらいだが、疲れや肩の傷のせいで体力が想定以上にすり減っている。息を吸っても空気が入ってこないかのように呼吸も苦しい。
 私がこれだけ苦しいのだから、セスは相当苦しいはずだ。このままではいつ力尽きてしまってもおかしくない。少しでも体力を温存させなければ。

「はぁっ…はぁっ…すまない…」

 セスは自分を置いて行っていいとか、囮になるとかそういうことを言わなくなった。言ったところで私がそうするわけがないし、ライムもセスを降ろさないと悟ったのだろう。
 どういう理由であれ、セスが後ろ向きなことを言わなくなったのは純粋に嬉しい。自分の気力を奮い立たせる励みにもなった。
 そんなセスを守りながら戦うことにもだいぶ慣れてきた頃、やっと森を抜けることができた。もう日も昇り始めている。本当に時間的にギリギリになってしまった。

 森を抜けた先は草1つない岩肌の地だった。半径2~3kmはあろうかという広大な円状の地の中心に、ミトスへ還るためのリンクが煌々と聳え立っている。
 まるで隕石が落ちてきて、ここだけ生命が全て消滅したかのようだ。クレーターになっているわけじゃないので、実際には何か落ちたというわけでもないのだろうが、リンクが出現した影響で森が不自然に消滅したと考えるのが正しいように思えた。
 森の中にあれだけいたカーダの姿も全く見えない。安全地帯のようだ。

「セス、きたよ…やっとここまで…」

 息も絶え絶えに私は言った。
 正直、カーダと戦い続けて私もかなり神力を消費してしまったし、あれから小さな怪我も増えた。満身創痍だ。

「そう、だね…君のお陰だ…」

 セスがそう言葉を返したと同時に、持っていた剣が地面に落ちた。

「セス!」

 急いで近寄ると、セスは横の柵にぐったりと体を預けて荒く呼吸をしていた。良かった生きている。リンクの所まで来た安堵感で、力尽きてしまったのかと思って焦った。

「大丈夫…まだ、死なないから…大丈夫だ…。だから、帰ろう…ミトスに…」

 私が近くに来たのを見て、セスは弱弱しく口を開いた。

「うん、帰ろう…帰ろう、セス…」

 重心が偏りライムがふらついていたので、その体を後ろの背もたれにもたれかけさせながら私はセスの言葉に答えた。
 セスが諦めないでいてくれて、本当によかった。みんなを守れてよかった。ここまでセスの体が持ってよかった。安堵感に溢れ出る感情が整理できず、涙が出てきそうだ。

「もう少し、ゆっくりしてお行きなさいな」

「……っ!?」

 セスの剣を拾うためにリッキーから降りた瞬間、突然背後から声がかかり心臓が飛び跳ねた。

「お、お前は…!」

 振り向いた先にいたのは、私たちをルブラに落とした張本人の女だった。

「フェリシアよ。ぜひ覚えてね」

「……」

 焦って逃げ帰ったくせにずいぶんと余裕綽々な笑顔で立っている。それはもう腹立たしいほどに。

「本当は森の中で死んでいてほしかったのだけど、そう思い通りにはいかなかったみたいね。でも、もうだいぶお疲れなんじゃないかしら?特にそちらの天族さんは」

「……」

 セスは苦しそうに表情を歪めて荒い息を吐いている。
 フェリシアには私たちがここに来ることは分かっていた。だからあえてあの場では引いて、森で私たちが死ぬのを待っていたのか。死なずとも、これだけ弱っていれば勝てると踏んでいたのだろう。
 あの時逃がしたツケがここで回ってきたということか。
 こうして戦うことになるのなら、あそこでやっておくべきだった。私の甘さが招いた結果だ。

「ごめん、セス、先に行ってて。僕もこいつを片づけたら、すぐ行くから…」

「待って…待ってくれ…。君1人、残したく…ない…」

 すがるような目でセスが私に言った。
 あんな言い方をしたから私が死ぬつもりだと思っているのだろう。

「今の僕じゃセスを守って戦えない…。だからお願い、先に行って。大丈夫、死ぬつもりなんて、ない」

「シエル…」

「ライム!!行け!!」

 セスが何か言いかけたが、それを言わせる前に私はライムに指示を出した。
 ちゃんと意図を理解したライムが弾かれたように走り出す。
 最後に一瞬目が合ったセスは、泣きそうな顔をしているように見えた。

「リッキー!お前も行け!セスとライムを守るんだ」

 私の言葉に躊躇うような素振りを見せてから、リッキーはライムに続いて走り出した。セスとライムを守る、ということを優先してくれたのだろう。

「見事なお仲間愛だけれども、安心なさいな。2人とも仲良く餌にしてあげるから…!」

 フェリシアの言葉と同時に展開された陣から、今まで見たことのないモンスターが出てきた。
 一言で言うなら二足歩行する白い蜥蜴。右手は剣のように鋭い刃になっていて、左手はランスのように突きに特化した形になっている。それだけを見ればどことなくリザードマンのようでもあるが、体長は3mはあろうかというほど大きい。

「……!!」

 フェリシアはモンスターが完全に出てくると、次は自分の足元に陣を展開した。
 私にこいつの相手をさせて、自分は転移してセスの元へ行くつもりか。

「行かせない!!」

 瞬時にフェリシアの足元から岩の槍を出現させると、それを察知したフェリシアが舌打ちをしながら飛び退いた。
 岩の槍は当たらなかったが、陣から退かすことには成功したので良しとする。

「小賢しいわね…!いいわ。まずは貴方から仕留めて天族はミトスでゆっくりと相手してあげる!」

 白い蜥蜴が右手の刃を構えて向かってくる。図体がでかいからか、蜥蜴のくせに思ったよりそのスピードは速くない。というか、これが実は標準で、リザードマンやカーダの移動速度が異常だったのだろうか。
 しかしこいつに構っている暇はない。言葉ではああ言っているが、一刻も早くフェリシアを何とかしなければセスの元へ行かれてしまうかもしれない。

「炎よ、彼のものを飲み込み焼き付くせ!!」

 地面から広範囲にマグマを噴出させる。
 威力を上げるためにそこそこ時間をかけて発動したのだが、動きの速くない蜥蜴はその範囲から出られず炎に飲まれて一瞬で消滅した。とんだ見かけ倒しだ。

「はぁっ…はぁ…っ…」

「散々カーダを倒して消耗しているはずなのに、とんでもない神術を使うわね…!」

 フェリシアが逃げ帰ったときのように余裕のない表情を見せる。
 確かに普通のエルフがこの状態でこんな術を使えば、立っていることは難しいかもしれない。実際私だってこれだけの術を放てば消費は激しい。だが時間をかけるわけにもいかないのだ。

「下僕にやらせないで、直接来なよ…!それとも、自分では何もできないの?」

「……っ!」

 私の言葉にフェリシアが怒りを露にした。
 自分では何もできない、という言葉が癪に障ったのだろうか。何にせよ、フェリシアが直接きてくれなければいつまで経っても仕留められないので挑発に乗ってくれたのは有り難い。

「死ぬがいいわ!」

 フェリシアが私に向かって手を翳した。
 その瞬間、身の毛がよだつような嫌な気配を感じ、私は咄嗟に横へと飛び退いた。
 フェリシアの手の平から紫色の光線がまっすぐに放たれ、私がいた場所を通過する。一瞬でも判断が遅ければ当たっていた。
 何あれ。放射スピードが半端なかった。見てから避けたのでは間に合わないな。

「ちっ」

 再び私に向かってフェリシアが手の平を翳す。それと同時に私は転がるように横へと飛び退いた。また私がいた場所をまっすぐに光線が通過する。
 私もフェリシアへ向かって手を翳し、足元から岩の槍を出現させた。が、フェリシアは後方へ飛んでそれをかわした。
 またフェリシアが私に光線を放つ。私はそれを横に飛んでかわす。
 フェリシアが放つ光線は今のを含め、すべてまっすぐ向かってきている。一瞬でフェリシアの手から離れるので、途中で軌道を変えることもない。今のところ手を翳したらその前から退くことで避けられそうな感じだ。
 たぶん、召喚士的な職業であるフェリシアは普段召喚する下僕に任せているために、直接人間と戦うことに慣れていない。そんな感じがする。
 そんな感じはするのだが、回避能力は結構高い。かまいたちを放っても、岩の槍を放っても、トラップを仕掛けても相殺されるか避けられてしまう。きっと神力の流れを読まれているのだろう。

「くそっ…はぁ…はぁ…」

 このままでは消耗戦だ。そうなったら神力が回復しないこちらが負ける。
 かといって先程使ったような高威力の術では発動まで時間がかかりすぎてどうせ当たらない。
 どうするか…。

 そうこう考えているうちにフェリシアが再び光線を放ってきた。辛うじてそれを避けたが、正直疲れで体が動かない。
 おそらくフェリシアも私が避け損なうのを狙っているはずだ。それを証明するかのように連続で光線を放ってくる。

「くっ…!」

 避け損なった光線が右の二の腕を掠った。ジュッという肉が焼けるような音が聞こえて焼け焦げたような匂いが鼻を突いた。激痛が走る。
 だめだ。もう体力があまり残っていない。フェリシアが攻撃するタイミングで、こちらも仕掛けよう。フェリシアの攻撃を避けらなくて深手を負うことにはなるが致し方ない。

 フェリシアが放ってくる光線を避けつつタイミングを探る。思惑を気づかれないよう、こちらから適度に仕掛けることも忘れない。

「……!」

 今だ。
 中々私を仕留められず焦るフェリシアがイラついたような乱暴な動作で私に手を翳した。
 そのタイミングで私もフェリシアに手を翳す。

「なっ…!?」

 それを見たフェリシアは、焦ったような表情を浮かべたがもう遅い。

「ぐぁっ…!!」

「ぎゃあああぁぁぁ!!」

 フェリシアの放った光線が左の脇腹を大きく抉る。だが同時に、フェリシアも下から突き上げられた何本もの岩の槍に全身を貫かれていた。



 私は、そうやって躊躇いもなくこの手で人を殺した。遠距離から術で仕留めたので感触すら感じず、何ともあっけないものだった。
 セスの嘘つき。私にはできないなんて、一体何を根拠に言ったんだ。



「ぐっ…ぅあぁっ…!」

 体が崩れ落ちた。
 溢れ出るように流れ落ちた血が地面に血だまりを作っていく。痛い。ありえないくらいの激痛がこの身を苛んでいる。
 痛みを堪えてリンクの方向に目をやってみると、人やカデムらしきものは見えなかった。セスたちは無事にミトスに帰れたようだ。
 でも私は、もうどうやってもリンクまで歩くことはできない。おそらく致命傷だ。そう時間はかからずに出血多量で死ぬだろう。

「うっ…くぅ…」

 ルブラに来てすぐだったら、きっとここまでの深手は追わずにフェリシアを倒せた。あの時に殺せたかと言ったら多分それは無理だったと思うけど、それは最悪セスがやってくれただろう。
 野盗を殺せなかった私にセスが言ったことは正しかった。私は自分の甘さに殺されるのだ。まさかこんなすぐにそれを思い知ることになるなんて。

 悔しい。私は、セスとの約束を果たせなかった。
 自分を守るために死なれたら辛い。それはパーシヴァルに庇われたエレンを見て重々わかっていた。だから私はどうしてもセスにそれをやらせたくなかったし、私もやりたくなかった。
 やらないつもりで、本当に生きて帰るつもりで約束をした。
 セスは、私がルブラから戻ってこないと知ったらどう思うのだろう。親しき人の命と引き換えに自分が助かることの辛さを知ってくれるだろうか。自分がそれをやろうとしていたことを、悔いてくれるだろうか。

 そうであってほしいと、心から願う。
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