クルスの調べ

緋霧

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四章

第64話 選択の結果

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 場所を確認しておきたいからと私と共に一度宿を訪れて、セスは知り合いの家へと帰っていった。
 何でもその人はロッソで開業しているドワーフの医術師だそうで、よくヨハンの元に来ていたらしい。その馴染みから、ロッソに来た時はいつも厄介になっているんだとか。
 その当時を知る人物にちょっと会ってみたい。

 先ほどの狂気にまみえた時間は夢だったのかと思うほどに、店を出たセスはいつも通りだった。
 心配になって思わず胸に手をやると、先ほどセスに貰ったネックレスの宝石がその手の中で確かな存在を示していた。

「どうだったかな?」

 私が帰るなり部屋を訪ねてきたヘルムートは開口一番そう聞いた。

「僕はすべてを伝えました。セスもきっとすべてを伝えてくれた。でもそこにあったのは愛なんて綺麗なものじゃなくて…狂気を纏った醜い"何か"だった」

 その答えは要領を得ていなかったと思う。
 私がヘルムートの立場なら、何のこっちゃと思ったことだろう。

「綺麗な愛などあるものか」

 しかしヘルムートは満足そうに笑ってそう言った。

「誰かを愛するのも、誰かに愛されるのも命がけだ。綺麗に取り繕ったままで、命など懸けられるわけがない。自分の命を懸けた君と、君の命を犠牲にしたセスの間に醜い何かがあったと言うのならば、それこそが真の愛だ」

 まるで話を聞いていたかのようなことを言う。
 私はまだ、夢の続きでも見ているのだろうか。

「ともあれ、万事上手くいったというわけか。ここまで来てまだ君が迷っているようならこのまま攫うつもりでいたが、その必要はなさそうだな」

「……またまたぁ…」

 不敵に笑って紡がれたその言葉を一瞬本気にしかけて、私はぎこちない笑みを返した。

「私は本気だよシエル。すべてを曝け出す覚悟ができない君を、セスの元に返してやる義理はないからね。君は一度俺のものになったんだ。それを忘れないでもらおうか?」

「…………」

 ヘルムートは真顔だ。

 いや、待て待て。
 私を喰わせてくれればミトスまで連れて行ってあげると言っていた時には、そんなに狂気じみてなかったじゃないか。
 大切に想っている者を失くすのは辛いから、セスのためにも帰ってやったらどうだ。そんなスタンスだったじゃん。
 急にどうしたんだヘルムート。
 それともそう言っていた裏では今みたいなことを考えていたのか?そしてセスの前で、やっぱり返すのはやめたとか言って、掻っ攫っていくつもりでいたのか?
 そんなことをしてどうなる。貴方はモニカを今でも愛しているんだろう。意味がわからない。
 セスといい、ヘルムートといい、この世界の人間は全員こんな風に狂っているのか?

「そんなに警戒せずとも今の君をどうこうするつもりはない。その必要はなさそうだと言っただろう?」

 フッと表情を柔らかくしてヘルムートが言った。
 あぁ、びっくりした。
 別にこのまま攫われるなんて思ってはいなかったが、対処に困る。不必要なことは言わないでほしい。

「じゃあこれからどうするつもりなんですか?ヘルムートさんにも目的があって僕をここに連れてきたんですよね」

「……そうだな」

 私の質問に少し間を開けてヘルムートは頷いた。
 とりあえずこれ以上おかしなことを言われないようにと話題をすり替えてみたが、ヘルムートもこれ以上その話題に触れてはこなかった。

 ヘルムートは私をここに連れてきたことについて、利害の一致と言っていた。
 つまりミトスでやるべきことがあるはずだ。

「行くべきところがあるのだ。あまり時間も残されていないからな。できれば明日準備を整えて明後日には発ちたい」

「え…そんなに急にですか?」

 時間が残されていない、というのは、もうすぐ命が尽きるということだろうか。
 私を食べてからは出会った時のような具合の悪い感じは見受けられないのだが。

「君をセスの元に返す目的は達したからな。ここにいる理由はなくなった」

「どこへ、行くんですか?」

「…約束の地へ」

「約束の地…?」

 ずいぶんと抽象的だ。
 モニカを失い、ただ死を待つのみだったヘルムートに、誰かと交わした約束があるというのだろうか。

「セスを捨てて私と共に来るのなら、君も連れていってあげよう」

 私がそれで首を縦に振るわけがないと分かりきっているからこその言葉だ。
 そしてその言葉の裏に、これ以上詮索するなという意図が見える気がした。

「僕はもう、セスのものです」

「セスのもの…ね」

 ヘルムートは不敵な笑みを漏らして私の言葉を反復する。

「では、これ以上君にちょっかいを出してセスに怒られる前にそろそろ退散するとしよう。また明日ね、シエル」

「…おやすみなさい」

 冗談か本気か分からない台詞を言いながら自分の部屋へと戻っていくヘルムートを、私は素直に見送った。
 疲れた。これ以上ヘルムートと会話していては精神が消耗する。
 休もう。今日はセスと再会できたことだけでも奇跡的だったのに、色々ありすぎた。
 想いを伝えるにしてもこんな結果になるなんて思ってもみなかったし。





 次の日、約束通り朝早い時間にセスは私たちの宿へと来た。
 私たちが泊まっている部屋の近くは空いていなかったので、上の階の部屋を取り今はヘルムートと3人で朝食を摂っている。

「君の荷物だ」

 そう言って渡された私の荷物は、あの時のまますべて残されていた。
 セスは私が死んだと思っていた間も、荷物の中身を見ることはなかったらしい。
 何故なのかと聞いてみたら、"君が死んだことを受け入れられなかった"という、素直な返事が返ってきた。
 しかも、私たちがロッソを探し回っていた最初の3日間は、セスは知り合いの家から出ることもなかったらしい。
 何故なのかと聞いてみたら、それも先程の理由と同じだと教えてくれた。思っていたよりも私の死に塞ぎ込んでいたいたようだ。

「だから剣もまだ調達していないんだ」

 そう言って苦い笑みを浮かべるセスの腰には、確かに剣は下げられていない。
 セスにとって剣は大事なものだろうに。

「ごめん、セスの剣、回収しようと思ったんだけど戻ったときにはなかったんだ」

「構わないよ。別にあれにこだわっていたわけではないし。昨日買おうと思っていたんだけど途中で君たちを見つけてね。それどころじゃなかった」

「ならば、私の剣を買ってくれないかな」

 私とセスの話を黙って聞きながら朝食を食べていたヘルムートが口を挟んだ。

「え、ヘルムートさんの剣を?」

 思わずそう尋ねてしまったのは私だ。
 ヘルムートはここに至るまでモンスターとの戦闘時は剣を使用していた。これからどこかに行くとするならば必要なもののはずだ。

「何度も言うが金がなくてね。これを君が買ってくれるならその金で安い剣を買い直そうと思っている。どうかな。悪いものではないと思うのだが」

 そう言いながらヘルムートが差し出した剣を、セスは何も言わずに受け取った。
 そして鞘から抜いた剣を真剣に見つめ、またそれを鞘へと納めた。

「…いい剣ですね。これを使い慣れてしまうと他の剣を使えなくなりそうですが、買いましょう」

 見ただけで何が分かったのか私にはさっぱりなのだが、セスは財布から白金貨を10枚取り出してテーブルの上に置いた。

「……!?」

 まじか。
 一体剣の相場はどうなってるんだ。
 ちらっと覗き見た武器屋の剣はそんなに高くなかった気がするんだけど。これはあれか?相当の業物ってやつなのか?

「取引成立、だな。君のような手練れに使ってもらえるならその剣も本望だろう」

 ヘルムートもすんなり納得しているようなので、その剣はそれくらいが妥当ということか。恐ろしい。

「これで色々準備を整えて、明日発つとしよう。私は今日は別行動とさせてもらうよ。また夕食でも共にしよう」

「…そうですか。わかりました」

 今日はも何も、明日発つのなら実質お別れみたいなものだ。
 寂しく感じるが致し方ないのだろうか。ヘルムートは私が女であることも、セスと恋仲になったことも知っているのだし。

「僕たちはどうしよう?」

 朝食を食べ終わるなりさっさと宿を出て行ってしまったヘルムートを見送って、私はセスに聞いた。

「ちょっと今日は俺に付き合ってもらおうかな」

「いいけど…どこに?」

「君の剣を見繕おうと思ってね」

「剣??」





 という言葉通り、セスは私を武器屋に連れてきた。
 道中で説明を求めても実際に見た方が早いからと軽くあしらわれてしまったのでさっぱり意図が掴めなかったのだが、セスが真っ直ぐ向かった売り場で合点がいった。

「なるほど、短剣か…」

 そういえば以前訓練した時にセスが、私も短剣を持っていた方がいいと言っていたのを思い出した。

「君が使うならなるべく軽いものの方がいい。できれば双剣として売られているものがいいね」

「ふむふむ」

 あの時に短剣が2本あればよかった、と言っていたので双剣というのはそういうことなのだろう。
 売り場を眺めてみると、双剣という括りで売られているものはそう数が多くない。しかし値段はピンキリで、安いものは2本セットで金貨1枚、高いものでは白金貨10枚のものもある。

「どのあたりのがいいのかな?」

「刃物は基本的に値段と性能が比例する。高いものの方が当然扱いやすいし、手入れをすれば長くもつ。ただ、君はそれで戦うわけじゃないからね。緊急用で持っておくだけなら、そこまで高いものを持っておく必要はないと思う」

 そう言いながらセスは棚にかけられていた双剣を手に取って私に差し出した。
 金貨6枚。これがセスの中で私に持たせるのに妥当ということだろうか。そこまで高いものは必要ないと言いつつ、中々のお値段な気がするんだけどどうなのだろう。

 刃渡りは20cmくらいで、重さは2~3kgと言ったところか。一言で言うならダガー。まさしく、ゲームとかでよく見るダガーと相違ない。

「じゃあこれで」

 軽く振ってみながら私は言った。
 何だか双剣使いになったみたいでちょっと楽しい。

「じゃあ、後はベルトかな」

 セスの後について行くと、剣を下げるためのベルトが並んだコーナーだった。
 ちゃんと双剣用のものもある。

「脇に下げるものより、背に隠れるようなものがいい。君は術師だからね。武器を所持していると悟られないように、ローブの下に隠すんだ」

 セスは迷うことなく数あるベルトの中から1つを手に取り、先ほど決めた短剣2本をホルダーに括り付け私に手渡した。
 金貨1枚。しっかりとした革でできているし、そんなものだろう。
 短剣が背中側に来るように腰にベルトを巻く。背中に手を回してみると、右手で1本、左手で1本抜けるようにちょうどいい位置で収まっていた。

「いいね。それでその上にローブを着れば完璧だ」

 試しに2本同時に抜いてみた私を見てセスが言った。

「じゃあ、ローブも後で買わないと」

「買う?修繕中じゃなかったの?」

 セスはローブを修理に出していると思っていたようだ。カーダと交戦していた時から結構ボロボロだったし、成り行きを話していなかったのでそう思うのは当然だろう。

「フェリシアとの戦いでさらにボロボロになっちゃったから、ここに来た時に売ったんだ」

「なるほど、買うのならロッソじゃなくてヴェデュールに入ってからの方がいいよ。君はなくても特に困らないだろうし」

「そっか、ここ、ヴェデュールの近くなんだっけ」

 エスタには近くなった、という話は聞いた気がするが、ロッソがルーマス大陸のどこにあるのかよく把握できていない。帰ったら地図を見返してみないと。

「まぁ、その間にもう1つ国を挟むけど、ヴェデュールは4つあるどの街にも神魔術学校があるから品ぞろえがいいんだ」

「なるほど」

 術師御用達のお店が多いということか。
 それならばそこに着いてから買うことにしよう。

「じゃあとりあえずこれ、買ってくるよ」

「待って、それは俺が買う」

 奥で何か作業をしている店員の元に持って行こうとベルトを外したら、セスがそう言った。

「え?お金ならあるよ?」

「それを君に持たせたいのは俺だから。俺が買う」

「……」

 要は買ってくれるということなのだろうが、その理由がまた何とも独特だ。
 人に物をプレゼントするならもっと他に言い方があるのではなかろうか。まぁ、これは物が物だから、そういう意味合いではないのかもしれないけれど。
 多分ここで遠慮してもセスは引かないだろうから、素直にそうしてもらうことにした。

「ありがとう、大切にする」

 受け取ってお礼を言うと、セスはどういたしまして、と嬉しそうに笑った。
 不意に見せたその笑顔に思わずドキドキしてしまい、それを悟られないようにそそくさとベルトを巻いた。





 その後は昼食を食べて宿に戻り、剣の手入れのやり方などを教わって1日が終わった。
 いつの間にか帰ってきていたらしいヘルムートと共に夕食を摂り、やることもないので早めにベッドへ入る。
 横になりながら地図を広げてみると、ロッソはルーマス大陸の西に位置する街だった。ルワノフと同じように、山脈の麓にあるようだ。
 ロッソの北にはアドルドという国がある。東にはアルディナへの単独リンクがあるというヘレンシスカ、南にはロワーヌ。ここからいかようにも道はありそうだ。
 ヘルムートは一体どの方面へ行くのだろう。約束の地とは一体どこで、そこに何が待っているのだろうか。
 そんなことを考えながらいつの間にか深い眠りに落ちていった。





 私たち3人の会話は少ない。
 多分、全員元々口数が多い方ではないし、ここに来て別段話題もないというのもある。
 ヘルムートと過ごす最後の食卓なのだが、至って静かだ。

「何時くらいに発つんですか?」

 そんな静寂を打ち消すように、私は口を開いた。

「食べ終わったらすぐ行くつもりだ。やることと言ったら後は君たちと別れの挨拶くらいだよ」

「…そうですか」

 いよいよ本当にお別れだと思うと寂しい。別れは、いつだって誰とだって慣れない。
 この世界の父や母と別れる時は割とあっさり別れられたのに何だろうこれ。

「私と共に来てもいいのだよ、シエル」

「えっ!?い、いえ、大丈夫です」

 物思いに耽っていたので突然のことに対処しきれず、訳の分からない返答になってしまった。
 ヘルムートはニヤついた顔で私を見つめており、セスは何も気にした様子は見せなかった。
 完全にからかわれた。悔しい。
 でも最後の別れでしんみりしている私を元気付けてくれたのかもしれない。そう思うことにしよう。

「では2人共、元気でね」

 言葉通り本当に朝食が終わってすぐ、ヘルムートは荷物を持って私たちに別れを告げた。
 昨日は準備に1日を費やしたらしい割には、荷物の量はそう増えていない。腰に新しい剣が下げられているくらいしか変化は見当たらないほどだ。

「ありがとうございました」

 セスはただそれだけを言った。
 何ともセスらしい別れの挨拶だ。

「ヘルムートさん…貴方のお陰で僕は今ここにこうして立っている。本当に感謝しています」

「すべては選択の結果だ。君は私に出会ってから今まで、様々な選択を経てここにいる。そして、私もまた同様であり、セスもまた同様だ。我々は常に選択を迫られ、その結果が混じり合うことで世界は成り立っている。それによって選びたくとも選べないこともあるかもしれない。選びたくなくとも選ばなければならないこともあるかもしれない。それでも君は、君にとって何が一番大切か忘れてはいけないよ」

「…何が一番大切か…」

 深い。
 私とセスとヘルムート、それぞれが選択した結果が今この状況を作り出している。誰か1人でも選択を違えばまた違った結果になっていた。ということだとは思うのだが、今この場で言葉のすべてを理解することは難しい。
 でもだからこそ、何が一番大切なのかは迷わない。

「はい、僕はもう迷いません。ありがとうございます、ヘルムートさん」

「いい目だ。君たちの行く末が明るいことを祈っているよ。ではね」

「さようなら、ヘルムートさん…」

 多分、もう二度と会えることはないのだろう。
 きっとそう遠くないうちにヘルムートはモニカの元へと旅立つ気がする。背中を見送りながら私はもう一度ヘルムートに別れを告げた。

「シエル、今日はちょっと診療所の手伝いに行こうと思うんだ。数日居候させてもらったからね。夜までには戻るよ」

「あ、うん、わかった」

 感傷に浸っていた私とは裏腹に、いつも通りの口調でセスは言った。
 家に厄介になっていたという、ドワーフの人がやっている診療所か。
 そういうことなら私は1人でロッソの観光でもしてみようか。セスを見送ってから、私も街へと繰り出した。
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