クルスの調べ

緋霧

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五章

第70話 裏切り

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 自分の意思ではどうにもならない恐怖がその身を支配し、体が震える。
 何か口を開いたらその剣先が自分に向けられるのではないかと疑ってしまうほどに、その人は氷のような冷たい殺気を纏い、氷のような冷たい表情で佇んでいる。
 ガレンとヴィレッタもその殺気で自分たちの手に負えるものではないと悟ったのだろう。ただ静寂だけがそこにあった。

「こないのか?まさか、そんな覚悟もないまま剣を抜いているんじゃないだろうな」

 そう言いながらセスが1歩、前に出た。

「く…くるんじゃねぇ!!」

 ガレンが1歩後ずさり、アンジェリカにグッと剣を押し付ける。

「……っ」

 アンジェリカがわずかに顔を背けた。

「……言っただろう。アンジェリカを人質に取っても無駄だと。殺したくば殺せばいい。ただし、そうなれば俺も容赦はしない」

「……」

 再び静寂が訪れた。
 それでガレンが本当にアンジェリカを殺してしまったらどうするんだ。正直甘いと言われそうではあるが、私はこの場にいる誰の死も見たくない。

「さぁ、どうする?二度と俺たちに関わらないと誓うのなら見逃してやってもいい。今すぐ剣を引いてこの場から去れ」

「くっ…くそが!!」

 ヴィレッタから取り上げるようにしてガレンがアンジェリカの胸元を掴み、乱暴に放り投げた。
 投げ出されたアンジェリカの体は幾度か地面を転がって、セスの足元で止まる。すぐには起き上がれないのかアンジェリカはわずかに顔を上げてセスの方を見た。
 その間にガレンとヴィレッタは脱兎のごとくこの場から去って行く。

「アンジェリカ!大丈夫!?」

 ようやく動いた体でアンジェリカの元に駆け寄る。
 地面を転がったせいで服は汚れているが、怪我らしい怪我はなさそうだ。

「……これは貸しだ、アンジェリカ」

 そんなアンジェリカを冷たく見下ろしてセスが言った。

「貸し、ですって…!?」

 差し出した私の手を取ることなく、アンジェリカはヨロヨロと立ち上がってセスを睨んだ。

「君の人選ミスと説明不足が招いた事態だろう。巻き込まれたのは君じゃなくて俺たちの方だ。その上で君を無傷で助けてあげたのだから、貸し以外の何物でもないはずだが?」

 アンジェリカに睨まれても怯むことなくセスは淡々と言う。
 確かに言っていることはわからないでもないが、人質に取っても無駄だの、殺しても構わないだの言っていた人が言うことではないような。それともそれはすべてアンジェリカを無傷で救い出すための演技だったとでも言うのだろうか。
 色々と言いたいことはあるが、私は何もしていないので口を出せない。

「……何が望みなの」

 観念したように吐き出されたアンジェリカの言葉に、セスの口角がわずかに上がった。






 帰りは一瞬だった。
 実はアンジェリカがアドルドまでの転移石を持っていたのだ。
 しかしこの転移石は単純に触媒としての役割しかなかったために、転移に必要な神力なり魔力なりは全て術者から消費される。

「……は…っ」

 少し息が苦しい。
 アンジェリカは3人とシリウスを転移させることは無理だというので、私がまず先にアンジェリカとシリウスを送ってみてどれくらい消費するかを確認した。
 その結果、3人とシリウスを転移しても40%くらいは神力が残りそうだという私とセスの見解により、その後すぐにセスと2人で同時に転移してきたのだ。
 そういえば結局、あの戦闘でシリウスを呼ぶことはなかった。もしいたとしても、クルヴァンの動作で生み出される風に煽られてダメだったことだろう。

 転移した先はどこか見覚えのある部屋だった。
 ちょうど目の前にクロエが立っている。おそらく、ここは私たちが泊まっている宿の一室だ。アンジェリカとクロエが借りている部屋なのだろう。ベッドが2台ある。
 シリウスはいない。窓が開いているのでそこから出て行ったのだろうか。

「…さすがですね。普通のエルフではいくら近場とは言え、この人数を転移させるなど無理だったことでしょう」

「心外だ、僕は普通のエルフだよ。ちょっと座らせて、ごめん」

 私を見るなりそう言ったクロエを横目に、私は部屋に備え付けてある椅子へと腰かけた。
 テーブルの上にアンジェリカから借りた転移術の触媒を置く。それは複雑な文様が刻まれた綺麗な琥珀色の宝石だった。

「シリウスは窓から出て行ったわ。呼べば来るのでしょう?」

「うん」

 先に来ていたアンジェリカが私に言った。
 やはりそうだったか。後でまた預けないと。

「ずいぶんと想定外の事態になったようですね」

 クロエはまだその場に立ったままのセスを真っ直ぐに見据えて言った。
 クルヴァン討伐に向かったはずの5人が3人になって、しかも転移術で帰ってきた。それはクロエにしてみたら想定外の事態だろう。
 いや、私たちにだって想定外の事態だ。

「…核はちゃんと手に入れたんだ。問題ないだろう」

 テーブルの足元に置かれているクルヴァンの核に目をやりながらセスが答える。

「ええ、ありがとうございます。お疲れ様でした」

 にこやかに笑ってクロエが返す。
 その笑顔の裏に何かあるような気はするが、私もセスも何も言わなかった。

「話は後でいいかしら?お風呂、入りたいのだけれども」

「あ、じゃあお湯溜めるよ」

 若干不機嫌そうなアンジェリカの一声で、一度解散になった。






「まさかあの2人が裏切るなんて…」

 お風呂を溜めるためにセスの部屋を訪れて私は呟いた。
 ここに至るまでセスもアンジェリカもそのことについて不自然なほどに触れてこない。まるで最初からあの2人が存在しなかったみたいだ。

「…最初からそういう兆候はあったんだ。あの2人は俺をリュシュナ族だと認識した瞬間に顔色を変えたからね」

「…えっ?」

 さも当然のようにセスは言う。
 そうだっただろうか。ヴィレッタは、リュシュナ族なら頼りになるみたいなことを明るい笑顔で言っていたような気がする。

「すぐに出発したいとアンジェリカに申し出たのは、あの2人に相談する時間を与えたくなかったからだ。まぁ、それを説明するわけにもいかないから意図が伝わらなかったけれど」

「じゃあどうして僕には教えてくれなかったの?」

 あの2時間、私とセスは2人きりだったのだ。その時からあの2人に兆候があったのなら、私にはそれを教えてくれてもよかったのではないだろうか。信頼されていないのだろうかと不安になってしまう。
 そういう気持ちから、思わず責めるような聞き方になってしまった。気を悪くしてしまっただろうかと表情を窺い見ると、セスは別段色を映すことなく私を見下ろしていた。

「では聞くが、それを知った君はあの2人と普通に接することができるのか?」

「…それは……」

 静かに問われたそれに、言葉が詰まる。

「できないだろう?君が不審がる様子を見せてしまえば、彼らは焦ってさらに危険な方法を取るかもしれない」

「……」

「だから君に言う必要はないと思った。彼らにとって一番安全なのは君を人質に取る方法だからね。それなら俺が君を守ればいいだけの話だ。まぁ、少し計算は狂ったけど」

「……」

 ぐうの音も出ない。
 確かにセスの言う通り、それを知った上で普通に接することができたかと言われれば難しい。絶対態度に出てしまっただろう。本当に、セスは私のことをよくわかっている。

「ごめん…そうとも知らずに嫌な言い方をして…」

「いや、いいよ。君の気持ちは分からないでもないしね。それに、そうやって必要とされるのは悪い気がしない」

「……っ!?」

 そう言って不意に見せた不敵な笑みに心臓が跳ねた。

「おっ…お風呂溜めるね!」

 そんなセスの顔を直視できなくて、私は逃げるようにお湯を溜めに行った。
 しかしながら、私の気持ちが分からなくもない、ということは、逆の立場だったらセスも不満に思ったということだろうか。そうだとしたら何だかとても怖い感じで迫ってきそうな気がする。






「そういえばアンジェリカに何を頼むつもりなの?」

 約束の時間より少し早く集合場所であるギルドについた私たちは、ギルド内に設置されているベンチに腰かけて賑わう人々をぼんやりと眺めていた。
 なのでアンジェリカが来る前にと、私はセスに聞いてみた。
 あの時、アンジェリカに何が望みなのかと聞かれてセスは答えなかった。それはまた後でゆっくりと、と言葉を濁したのだ。

「君の訓練に協力してもらおうと思って」

 どことなく黒い笑みを浮かべながらセスが答える。

「あぁ…なるほど…」

 そんな気はしていた。アンジェリカに協力を仰ぐにあたって、信用できるかどうか、協力してくれるかどうかというところがネックだったのだ。貸しがあるのなら協力してもらうには充分すぎる大義名分ではある。

「…でもさ、今回はアンジェリカだって被害者だよね…」

「そうだね」

 意を決して紡いだ言葉は、予想以上にあっさり同意が得られた。アンジェリカに貸しを作らせた人間がそんな簡単に頷くなんて甚だ可笑しい。

「でも彼女は俺がリュシュナ族だと分かった上で取引を持ちかけたんだ。人選を誤ったのも事実だよ」

 人選を誤った。セスはアンジェリカにもそう言っていたけれど、それはガレンとヴィレッタを選んだことについてなのかと思っていた。まさか自分を選んだのが間違いだと言いたかったとは。

「リュシュナ族に関わるとこうなるってこと?」

「極端な話だけどね」

 私の質問にセスは苦い笑みを浮かべながら答えた。

「不老をもたらすリュシュナの秘石は金になる。寿命の短いヒューマなんて自分で使いたいと思う者もいるだろう。それが周知の事実であるのに、こうなることを想定しない方が悪い」

「……」

「そもそも、アンジェリカが言葉を省いて彼らに説明したから誤解を招く結果となったんだ。ちゃんと説明しておけばおそらく彼らも違う策を取ってきただろう」

「それは、確かに」

 私たちにしたのと同じように、クロエを紹介しておけばよかったのだ。
 そうすればアンジェリカとセスは無関係だとガレンたちも分かったのに。

「まぁ、2時間程度しか相談する時間がなかったのだから、どんな策でも無駄だったとは思うけどね」

 そりゃそうだろうな。ユスカを使って入念に計画を実行した組織だって、最後は失敗に終わったわけだし。

「だからアンジェリカには自業自得と言える部分が少なからずあったというわけだ。その彼女を何の義理もない俺が助けてあげたのだから、貸しで間違ってはいないだろう?」

「いやぁ、まぁ…」

 そうは言うが、さすがに義理くらいはあるのではなかろうか。と思ったけれど口に出せなかった。

「納得できないか?でもね、シエル。あれもこれも守りたいなんてやっていたら、本当に大切なものを取りこぼしてしまうよ。1人の人間に守れるものなどそう多くはないんだ。だから取捨選択を迷ってはいけない」

「取捨選択…」

 言っていることはわかる。確かにその通りなのだとも思う。
 でももし自分がセスの立場だったら、あの時アンジェリカを見捨てられただろうか。

「シエル、俺は」

 と、言ったきり言葉を続けないセスを不思議に思って見ると、どこか遠く一点を見つめていた。その先に視線を移すとアンジェリカがこちらに向かって歩いてきているのが見える。なるほど、だから言葉を切ったのか。何を言いたかったのだろう。すごい気になる。

「お待たせしてしまったようね」

 そう言って私たちを見下ろすアンジェリカは、今まで下ろしていた長い髪を高い位置で1つに纏め、ずいぶんと大人っぽい雰囲気を醸し出していた。服装も戦闘を前提としていないからか、フリルのついた黒いドレスのようなワンピースで、まるで夜のお店で働くお嬢のようだ。決して露出が多いわけでもないのだが、タイトなワンピースのせいなのか先ほどから通りかかる冒険者の男性たちがチラチラとアンジェリカを見やっている。

「綺麗だね、アンジェリカ」

「…あら、あなたにそんな気が回せたなんて」

 私の言葉にアンジェリカは妖艶な笑みを見せた。

「失敬な…」

 まぁ、15歳の男子にそんな気が利いたことが言えるかと言ったら確かに珍しいことなのかもしれないけど。

「とりあえず、一度パーティー解除して登録し直すからカードもらえるかしら?ついでに報酬をもらってポイントもつけてくるから」

「登録し直すの?」

「ええ、あの2人を抜かなきゃいけないでしょう?」

「なるほど」

 どうやら一度解散しないと2人を抜くことはできないらしい。その辺はゲームと違って不便なのだな。

「報酬、割り切れない分はどうするのかな?」

「白金貨1枚、金貨6枚もらえばいいんじゃないかな」

「ふむふむ」

 報酬の白金貨5枚は、3人で割り切れない。そう思ってそれとなくセスに聞いてみると、そう返ってきた。
 細かい部分は切り捨て、ということらしい。






「じゃあ、これでいいかしら?」

 報酬を受け取り、ギルドから核を買い取って私たちは場所を変えた。
 今度はクロエも一緒に、商談などにも使えるような個室がある飲食店にきている。
 アドルドには白や灰色の石で造られた無機質な建物が多いが、このお店は黒いレンガを並べたおしゃれな建物だ。
 そこに白のテーブルと椅子が並べられていて、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

「核の欠片を1つ、俺にも譲ってもらいたいのだが」

 目の前に置かれた1人分の報酬、白金貨1枚と金貨6枚に手をつけずにセスは向かいに座る2人を見て言った。

「いいですよ。どれくらいのものをご所望ですか?」

 クロエはセスの言葉に微笑みながら頷いて、机の上に核を並べていく。拳くらいの大きさのものからスイカくらいの大きさのものまで様々だ。一体これを譲ってもらってどうするつもりなのだろう。

「ではこれを」

 そう言ってセスが手に取ったのは、セスが持っている転移石と同じくらいの大きさの結晶だった。

「これが"貸し"かしら?」

 その様子を見ていたアンジェリカが当て付けるように口を挟んだ。

「悪いがこれは正当な取引だ。貸しはまた別のことで返してもらう」

 アンジェリカの言葉を意に介さずセスは2人の前に金貨6枚を置く。
 それが多いのか少ないのか私にはさっぱりわからないが、2人が何も言わないのできっと適切か少し多いくらいの価格なのだろう。

「では何が望みなの?そろそろ話してくれてもいいんじゃないかしら」

「そうだな。君にシエルの神力を餌としてほしいんだ」

「私がシエルを餌に…?」

 セスの言葉にアンジェリカとクロエは揃って訝しげな様子を見せた。
 そりゃそうだろう。魔族に餌にしてほしいと申し出る人間など、そうそういるとは思えない。

「シエルの神力を一時的に減らしたい、ということですか?それに一体どのような意味が?」

 そう聞いたのはクロエだ。
 全く意図が分からない、そう言いたげな目でこちらを見ている。

「クロエ、君には分かるだろうが、シエルは常人よりも遥かに膨大な神力を有している。そのために他者の神気を感じ取ることができない。だから一時的に減らしてそれを感じ取れるようにしたいんだ」

「なるほど…」

「でもそれをするなら減らした状態を保てないとダメでしょう?カムニ族がどのような方法で神力を吸うのかご存じかしら?私では貴方たちの意図するやり方は難しいと思うのだけれど」

 クロエはその説明で納得したようだが、今度はアンジェリカが反論した。

「夢を見させている間に吸うのだろう?神力を減らしつつ意識を保つことが無理なことは承知している。だからヴェデュールの地下洞窟でやりたい。魔力濃度が高い場所なら回復にも時間がかかるだろうから、その間に気に慣れさせる」

 セスはそれにも動じることなく淡々と話している。
 自分の話なのに3人の話に全くついていけない。
 毎度思うのだが、セスは私への説明を端折りすぎじゃないだろうか。いや、アンジェリカに訓練を頼むつもりだとセスが話した際に、なるほど、だけで済ませた私がいけないのか。
 夢を見させている間に吸う?夢魔ってことかな?しかも、ヴェデュールの地下洞窟ってなに?
 誰か教えて!!(でも口は出せない)
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