クルスの調べ

緋霧

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五章

第73話 夢

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「体が、痺れるな…。この先の行き止まりでやろうか。これ以上魔力エリアに近づいたら…俺が動けなくなりそうだ」

 目的地となる魔力濃度が高いエリアにだいぶ近づいた頃、セスが壁に手を付いて言った。
 目の前には左右に分かれる道がある。左に行けば魔力エリア、右に行けば行き止まりだ。

「そうでしょうね。ルブラに近いくらい澄んだ気をしているわ」

 魔族であるアンジェリカは逆に心地いいと言わんばかりに目を細めながら空気を吸い込んでいる。

「セス、大丈夫?」

「ああ…この辺ならまだ大丈夫だ」

 大丈夫?と聞いてはみたものの、私もかなり息苦しい。
 アンジェリカが言うように、ルブラにいた時と同じような感覚だ。
 ちなみにここに至るまでに現れたモンスターは、すべてあの毛もくじゃらの蜘蛛だった。気持ち悪いなら俺が全部倒すから何もしなくていい、もし手を出すならば加減を頼む、とセスに言われていたので私は素直にアンジェリカの後ろからそっと様子を窺っていた。
 そんな私を女王様もといアンジェリカが女々しいだの情けないだのと散々罵っていたが、事実すぎて何も返せなかった。

「じゃあこの辺に横になって」

 アンジェリカが地面を指さして言った。
 ゲームだったら宝箱の1つでも置いてありそうな行き止まりだが、現実世界の行き止まりには何もない。マッピングを目的とした学生でもない限り立ち入らないのだろう。天井、壁、床、どこを見てもネラ苔が綺麗に生え揃っている。

「わかった」

 アンジェリカに言われた通り地面に横たわると、ネラ苔のフワフワとした感触が肌に伝わってきた。気持ちいい。

「見たい夢を思い浮かべながら目を閉じているといいわ」

 そう言ってアンジェリカは私の側にしゃがみ込み、右手で私の両目を覆った。冷たくて気持ちのいい手だった。

「…どんな夢を見ているかアンジェリカにも分かっちゃうの?」

「分かるわけないでしょう。私はただ貴方が思うままの夢に導くだけよ。安心して眠りなさい」

「そっか…」

 ならどんな夢にしよう。
 女としてこの世界に生まれていた場合の妄想でもしてみようか。セスと自然に触れ合って、抱き付いてみたりとか。夢なのだ、何をしたって支障はないはず。

「俺の合図で神力を吸うのをやめなかったら殺すよ、アンジェリカ」

 そんな甘い妄想を打ち砕くような冷たいセスの声を最後に、すぅっと意識が遠のいていった。






「……」

 ここは。
 何だか見覚えがある場所に立っている。
 生垣の迷路。確か、フェリシアに傷を負わされてゲオルグに運ばれている最中に見た夢の場所だ。
 どういうことだ。これが私の見たい夢だとでも?
 セスがあまりに冷たい声色で殺すとか言うから、妄想し損ねて見たい夢が見られなかったのだろうか。

 しょうがない。ひとまず歩いてみよう。
 それにしても今までに幾度となく見てきた暗い森を彷徨う夢も、この生垣の迷路の夢もずいぶんとリアルだ。踏みしめる草の感触も、手に触れる木の感触も現実と変わりない。
 一体これは何なのだろう。何かの意味を持つ夢なのだろうか。

「……!」

 しばらく歩いていると、迷路の出口らしき場所にたどり着いた。
 しかし出口の向こう側は真っ白に光っていて全く先が見えない。ここを踏み出してしまっていいものなのかどうか悩む。
 今まで死の淵にいる時にこういう夢を見ることが多かったために、ここは三途の川的な場所なのだと思い込んでいた。だからたどり着く先は"死"なのだという先入観が消えない。
 でもきっとそうではなく、ここは何か違う意味を持った場所なのだろう。だってアンジェリカは私を殺さない。セスがそうならないように見張っている。

 だから、踏み出してみよう。

 一歩足を踏み出した瞬間、今まであった生垣の迷路は視界から消え去り、すべてが白になった。

「……」

 真っ白な空間に誰かがいる。私を見て、柔らかい笑みを浮かべている。
 黒い髪をした、少年のようだった。



 その人物に近づこうと思った瞬間、左腕に激痛が走った。






「いっ…!」

 痛い。思わずその場所に目をやった瞬間、視界が切り替わった。
 まず目に入ったのは私を覗き込むセスの姿だ。
 そして次に目に入ったのが、私の左腕に突き刺さる短剣。

 それを握っているのはセスだった。

「…え?」

 状況が理解できない。
 セスが横たわる私の側にしゃがみ込み、私の左腕に短剣を刺している。

 ここは地下洞窟だ。

「ごめん」

 そう言ってセスが短剣を引き抜いた瞬間、再び激痛が走った。

「うっ…!」

 痛みで、思わず海老のように体が丸まる。
 傷口を強く押さえた私の手をセスが無理やり引き離して、治癒術をかけ始めた。

「なに…が…」

 一体何だというのか。何故私はセスに刺されたんだ。

「貴方、今何の夢を見ていたの?」

 私の問いかけには誰にも答えず、セスの背後に立つアンジェリカが怖い顔で私を見下ろして言った。

「なん、の…?」

 治癒術のお陰で痛みは大分マシになってきたが、頭がうまく働かない。

「私が導いた夢ではない夢を見ていたでしょう。誰かに干渉されたわ」

「干…渉…?」

 意味が分からない。
 確かに自分が見たいと思った夢は見られなかったが、誰かに干渉されたというのはどういうことなのか。

「ごめん…場所を、変えたい。は…っ…息、が…」

 私とアンジェリカの会話を遮るようにセスが荒い息を吐いて言った。
 それでここが魔力濃度の高い場所であることを思い出した。痛みのせいで自分の呼吸が乱れていることに違和感を覚えなかったが、痛みが引いた今でも息が苦しい。
 そんな私よりもセスの方がよっぽど苦しいはずだ。そこでさらに治癒術なんて使ったらその負担はとんでもないだろう。
 急に思考がはっきりとしてきて私は体を起こした。

「ごめん、セス、すぐここから離れよう」

「これで地上まで送ってちょうだい。もう訓練どころじゃないわ」

 肩を貸そうとした私に、アンジェリカが小さな石を差し出した。
 転移の触媒だ。

「訓練どころじゃないって…」

 そんなに大変な事態に陥っているというのか。私が見ていた夢が何かしらの問題になっているということだけは分かるが、その内容が理解できずにもどかしい。
 だがしかし、静かに私を見下ろすアンジェリカに今ここでそれを問うても答えてはもらえないだろうし、セスの状況的にもそれどころではないのは理解している。
 ここはアンジェリカの言葉に従った方が賢明だ。そう思って私は受け取った転移の触媒を握りしめて、転移術の呪文を詠唱した。






 転移した先は見たことのない部屋だった。それもそのはず、恐らくここはクロエがエスタで取った宿の一室だろう。
 さすがにこんなに早く帰ってくるとは思っていなかっただろうクロエが、驚愕の表情でこちらを見つめている。読み物でもしていたのか壁際にある机の上には本が置かれ、座っていたと思わしき椅子は驚き立ち上がった衝撃からか大きく後ろにずれていた。

 少し、疲れた。
 クルヴァン討伐後にアドルドまで転移したほどではないが、訳の分からない状況に気が滅入って精神的に疲れている。

「シエル、貴方一体誰の夢を見させられていたの?」

 床に座り込む私とセスを見下ろしてアンジェリカが開口一番そう言った。

「…誰の…?」

 質問の意味が分からない。

「一体何があったのですか…?」

 クロエがアンジェリカの側に駆け寄る。

「遠隔から干渉されたわ。そんなこと、夢魔であるカムニ族にだってできることではない。貴方は一体誰の手の中にいるの?」

「……」

 先ほどからアンジェリカの言葉の意味が分からない。
 誰かの手の中にいるというならば、それは最後に見た黒い髪の少年のことなのだろうか。
 だとしても、記憶にある限りではその少年と面識がない。あれは誰なのかと私が聞きたいくらいだ。

「ごめん、ちょっと僕自身も状況を理解していない…。だから、順を追って最初から話をしたいんだ…」

 そう言ってヨロヨロと立ち上がった私を、アンジェリカとクロエが神妙な面持ちで見つめていた。






 幾分落ち着きを取り戻してから、私たちはそれぞれ適当な場所へと腰かけた。
 これからする話の内容的に、他の人間に聞かれない方がいいだろうということで場所は変えていない。私とセスは部屋の端にある椅子に、アンジェリカとクロエはベッドに座っている。

「私が術をかけてすぐに何か強い力によって私の術は打ち消され、貴方は誰かの夢へと導かれた」

 最初に沈黙を破ったのはアンジェリカだった。

「そんな現象を目にしたのは初めてのことだからよくわからないけど、いい影響を与えるとは思えなかったからすぐに貴方を起こそうとしたわ。でも声をかけて揺さぶったくらいでは貴方は起きなかった。だからセスが貴方を傷つけて目を覚まさせたのよ。貴方は、あの時にどんな夢を見ていたの?」

 なるほど、だからセスが私を刺したのか。無理やり起こすために。

「生垣でできた、迷路の夢だった」

 ここで話をするにあたって、私が転生者であることを明かしていいものかどうかもちろんセスと相談はできてない。それがこの話に関係するのかどうかはともかく、慎重に言葉を選んで会話しなければ。

「迷路?それで貴方はどうしたの?」

「ただ当てもなく歩いた。しばらく歩いているうちに出口らしき所にたどり着いて…僕はその先へ足を踏み入れた。そこは何もない真っ白な空間で、見覚えのない少年が1人立っていた。近づこうと思ったけれど、腕に痛みが走って気づいたら目を覚ましていたんだ」

 先ほど見た夢の内容をありのまま伝える。
 夢、というか夢とは思えないほど現実味を帯びている感覚はあったけれど。

「迷路は侵入者をそれ以上踏み込ませないための防御…と考えられるけど、干渉された側の貴方が、してきた側の迷路を歩くなんておかしな話だわ。干渉してきておいて、踏み込ませないために迷路を彷徨わせるなんて」

「……」

 アンジェリカの話が本当ならば、確かにおかしい話だ。
 あの夢が誰かの夢で、その誰かがそれ以上踏み込ませたくないと思っているのなら、そもそも何故私をそこに呼んだのだろう。

「もう一度術をかけてもらえばまた同じ夢を見られるのかな。あの少年に会って話をしてみれば」

「やめておいた方が賢明ね。その場に他のカムニ族がいたのならともかく、遠隔からそんなことをできる人間なんて私は知らないわ。この世界にもしそれができる人間がいるとするならば、魔王とか神とかそういう次元の存在よ」

 私の言葉を遮るようにアンジェリカが言った。

「魔王…?神…?」

 意味がわからない。ずいぶんとリアリティに欠ける話だ。魔王にも神にも縁などない。

「魔王や天王は、地族への干渉を禁じられているはずでは?」

 今まで黙って話を聞いていたセスが口を挟んだ。
 そうなのか。それは初耳だ。が、正直そんな話が自分に関係あるとは思えない。

「それができるだけの力を持つのは魔王や神くらいのもの、という意味で言っただけよ。先ほど干渉してきたのが魔王だったのか神だったのか、はたまた他の何かだったのかは私には分からない」

 首を振ってアンジェリカが答えた。

「あの黒い髪の少年が干渉してきた人ってこと?」

「状況的に考えればその可能性は高いけれど、それが誰なのかはおそらくここにいる人間の誰にも分からないでしょうね。私が知る限りでは少年の姿をした魔王なんていないもの」

「…どういうこと?魔王って1人じゃないの?」

 今聞くべきはそこじゃないのはわかっている。だがどうしてもそれが気になってしまった。アンジェリカの言い方はまるで魔王が複数いるかのように聞こえる。

「魔王も天王も3人ずついる。確かにそんな見た目をした魔王の話は聞いたことはないし、天王の中にもいない。が、それだけの力を持った人間なら姿形などいくらでも変えられるのではないか?」

 アンジェリカの代わりにセスが答えてくれた。
 3人ずついるのか。まじか。魔王は1人だと思い込んでいた。確実に元の世界で目にしてきたゲームや漫画の影響だ。

「だとしても先ほどの話にあったように、魔王や天王が地族に干渉することは神が禁じているはずです。別の誰かと考える方が自然なのでは?」

「そうね。でもそれが誰にしろ、普通の人間じゃないことは確かだわ」

 ここで始めて口を開いたクロエに、アンジェリカが頷きながらそう言った。
 魔王や神にも匹敵する誰か。そんな誰かからの干渉を受けている。全く意味が分からないし覚えもない。一体何がどうなっているというのだ。

「それにシエル、貴方普通のエルフとは違うのよね。ずいぶんと過剰な神力を持っているのだとクロエが言っていたけれど」

「…それは、」

「でもね、貴方が何者なのかはもう聞かないわ。貴方の背後には得体の知れない何かがいる。私たちはこれ以上、貴方に関わりたくない」

「……っ」

 鈍器か何かで殴られたような衝撃を受けた。
 アンジェリカに面と向かって拒絶されたことがショックなのか、自分が何か分からないものに巻き込まれていることがショックなのか、よく分からない。
 よく分からないが、泣きたくなった。よく分からないこの世界で、谷底に突き落とされたような気さえする。

『貴方も彼から離れた方が良いのでは?』

 追い打ちをかけるようにクロエがアルディナ語でそう言った。
 クロエは、アルディナ語で言えば私には分からないと思ったのだろう。しかしロッソからアドルドまでの道中、緊急時を除きセスにはオールアルディナ語で話してもらい、私もできる限りアルディナ語で返していた。3週間という長い期間ずっとそんなことをしていたので、日常会話くらいなら問題なくできるようになったのだ。それ故に、今の言葉が分かってしまった。
 それが、セスに向けられた言葉であることも。

「……」

 アンジェリカたちがそう思うのは当然だ。彼女たちは仲間でも何でもない。半ば脅しとも言える形で協力を取り付けた関係性に過ぎないのだから。
 そして実際、彼女たちの判断は正しい。よく分からないからこそ、関わらない方がいい。だからクロエの言葉も正論だ。セスだってそんな訳の分からない事柄には関わらない方がいいに決まっている。

 セスは…セスは何と答えるのだろう。
 怖くてセスの顔を見ることができない。

「黙れ」

 しばらくの沈黙の後に、セスはミトス語で一言そう返した。
 背筋が凍るような冷たい声だった。

「……」

 およそ普段のセスからは考えられない言葉に目を丸くしてそちらを見ると、セスは先ほどの声色と同じように酷く冷たい表情でクロエを見つめていた。
 アルディナ語の言葉が分かったのか分からなかったのか知らないが、どちらにせよクロエに向けられた凍りつくような言葉と態度が気に食わなかったのだろう、アンジェリカが酷く怖い表情でセスを睨みつけている。しかし当のクロエは全く表情を変えず、ただ静かにセスを見つめ返していた。
 どうしよう。私のためにセスが怒ってくれたのは嬉しいが、とても喜べる状況ではない。そうできるほど、感情も追いついていない。

「君たちには関係のないことなのだろう。ならば口出しをするな。行こう、シエル」

 そう言いながら立ち上がって、セスは私の方を見た。

「う、うん…」

 2人を振り返ることもせず部屋を出て行くセスに、私もただ続くしかなかった。






「このままヨハンの所に行こう。あの人は長く生きてるから何か分かるかもしれない」

「……」

 建物を出てもなお足を止めないセスに反し、私の足は動かなかった。

「……シエル?」

 付いてこなかったのが不思議だったのだろう、数歩先を行くセスが止まって振り返った。

「…さっき、セスがクロエの言葉に怒ってくれたのは正直嬉しかった。でも、セスだって…本当は僕に関わらない方がいいはずだ。あの夢を見たのは今日が初めてじゃない。もし、もしそれが悪いものであったら、いつかセスを巻き込んでしまう」

 こんな言葉、セスは望んでいない。そんなことは分かっている。分かっているのに感情が整理できずに止められなかった。
 逆の立場であったルブラの時、私はセスに何て言った?いい加減にしろと、怒って胸ぐらを掴んだのは誰だ?セスは怒るだろうか。クロエにあんな風に怒ってくれたのに、こんなことを言う私に失望するだろうか。
 セスの表情からは感情を読み取ることができない。感情の色を見せずただ静かに、私の言葉を聞いていた。

「シエル、」

「ごめん、違う!こんなことを言いたいんじゃない…!ごめん…僕、僕は…っ!」

 感情を映さないまま口を開いたセスから逃げるように捲し立てて、私は走り出した。

 続きを聞くのが怖かった。
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