クルスの調べ

緋霧

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五章

第79話 守りたいもの

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「…あああっ…うわあああっ!!」

 突然視界が切り替わった。
 リアルさを帯びた光景に思考が追いつかず、私は叫びながら後ずさった。

「シエル!」

 正確には、後ずさろうとしてできなかった。
 地に付いていたはずの足は付いておらず、自分の体に何かが纏わりついて思うように動けない。

「シエル落ち着け!何があったんだ」

「……っ!」

 バタバタと動かしていた腕を強く掴まれる。
 そちらの方を見ると、セスとヨハンが神妙な面持ちで私を見つめているのが目に入った。

「セス…ヨハンさん…」

 どうやらベッドに寝かされていたようだ。
 上体をゆっくり起こすと、セスが私の腕から手を離した。

「あの夢を見たことは確かなようだな」

 セスの隣に立っているヨハンが言う。

「…………」

 戻ってきてしまった。
 ミハイルを殺せないまま、私は戻ってきてしまった。

 このままでは消される。
 ガスパルたちと同じように、身近な人の手によって。

 セスの、手によって。

「戻らないと…」

「え?」

「戻らないと!早くしないと間に合わない!」

 あの場所に戻ってミハイルを殺さなければ。
 そう思ってベッド脇に備え付けられているサイドテーブルに手を伸ばす。その上には先ほどまで握っていた短剣が置かれている。

 しかしそれを察知したセスが素早い動作で短剣を振り払い、私の手が届く前に2本とも床へと落としてしまった。

「あっ…」

 硬くて重いものが落ちる、重厚な音が部屋に響いた。

「やらせないよ」

 セスの声が上から降ってくる。
 縋るように見上げたセスの顔は、険しかった。
 短剣で自分を傷つけて、再びあの場所に行こうとする私の思惑を見抜いたようだ。

「…っ!!」

 ならばと右手を突き出し手の平を自分の方へ向け、念じる。自分の体を岩の槍が貫くようにと。

 しかし。

「…な…んで…っ!」

 術は発動しなかった。

「落ち着くんだ」

 静かに降り注いだセスの言葉で、術が相殺されたんだと知る。
 再びその顔を見上げると、どこか悲しげにも見える表情で私を見下ろしていた。

「無駄なことはやめろ、シエル。こいつの前で自分を傷つけるなんてこと、できるわけねぇだろうが。暗殺のプロなんだぞ。何を慌ててるのか知らねぇが、とにかく今は落ち着け」

 ヨハンが言う。
 確かにその通りだ。一連の行動が全て見透かされた以上、私では何をどうやっても自分を傷つけられそうにはない。

「…………」

 深呼吸をして、無理矢理気持ちを落ち着かせる。

「夢の中で何があったんだ?」

 私が少し落ち着いたのを確認してからヨハンが問う。

「…………」

 あの場所で知り得たことを、この2人に話してもいいとは到底思えない。
 それこそがヨハンの探し求めていた答えだとしても、これは世界的機密事項なはずだ。知ったことによって事態が悪くなることはあっても良くなることは決してないだろう。

「…言えません。すみません」

「お前、それで俺たちが納得できるとでも思ってんのか?」

 ヨハンが責めるような口調で問う。
 当然だ。私が逆の立場でも同じことを問うだろう。

「思ってません。でも言えないんです。ごめんなさい」

「シエル、」

「じゃあ君はどうなるの?」

 ヨハンの言葉を遮ってセスが口を挟んだ。

「夢の中の出来事を俺たちに言えないのなら、それを知ってしまった君はどうなるの?」

「…………」

 私は今、どんな顔でセスを見つめているのだろうか。
 答えを知っていると言わんばかりの悲痛な声と表情に、心臓を握られたかのような息苦しさを覚えた。

「それも言えない?じゃあ質問を変えようか。夢に戻らないと何が間に合わなくなるの?」

「…………」

 質問は変わっているが、答えは変わらない。セスはそれも見越した上で聞いているように思えた。

「シエル、その沈黙は"それを知った人間は殺される"と言っているのと同じだ」

 悲しげに目を伏せてセスが言う。

「俺たちに言えない理由なんて、それしかねぇだろうしな」

 ヨハンもまた、苦しげに顔をしかめてそう言った。

「…………」

 全てが無駄な気がした。
 この2人の前では、何もかもが見透かされてしまう。
 私はきっと何をやってもこの2人には敵わないのだろう。

「…そこまで分かっているのなら、もう一度あの場所に行かせてほしい。今ならまだ、間に合う」

 そうしなければ私は死ぬと分かっているのなら、2人にはもう私を止める理由などないはずだ。

「もう一度夢の中に行けば、君は死を回避できるの?」

 セスが私から視線を外し、痛みを耐えるような表情でそう聞いた。

「やるべきことを、ちゃんとやれれば。だから短剣を頂戴」

 セスに向かって手を差し出す。
 落とされた短剣はセスの後方にある。私からは届かない。

「…………」

 静寂が訪れた。
 セスもヨハンも沈痛な面持ちで私を見つめている。ここまで来て何を迷うことがあるのだろうか。
 私はもう迷わない。自分を傷つけることも、ミハイルを殺すことも。

「…毒を使え。致死量が決まってるから管理しやすい。苦しいが、自傷する覚悟があんならできるだろ」

 長い沈黙を経て、ヨハンが静かに告げた。






 毒を飲み込んだ瞬間、喉が焼けるように痛んだ。
 その内、息を吸うだけで胸全体が痛くなった。
 私以上に苦しそうな表情のセスに縋って、このまま死んでしまうのかと思うほどの苦しみにもがいて、やがて意識は遠のいていった。



「…どうして……」

 出した声は掠れていた。
 目に映るのは見慣れた天井。そして悲しげな顔で私を見下ろしているセス。今いるのはあの白い空間ではなく、診療所の一室だ。

 セスが無言で私の胸元に手を翳した。
 淡い光に包まれて、ほんのりとした温かさを感じると共に、まだ少し残っていた胸の痛みが和らいでいく。

「セス…僕は、あの場所に戻れなかった」

「…わかっている」

 私の言葉に、セスはそれだけを返した。
 私があの場所に行っている間は何の反応もなくなるようなので、セスたちもそれで判断できるのだろう。

 ヨハンはいない。
 ここは路地裏にあるので昼でも薄暗く今が何時なのかは分からないが、診療中なのだろうか。

 私は何故、ミハイルの元に行けなかったんだ。毒という方法がダメだったのだろうか。例えば今すぐ別の方法で自分を傷つけたら行けるのだろうか。
 それを、セスとヨハンは許可してくれるだろうか。
 後、どれくらいの時間が残されているのだろうか。

「シエル、夢の中で何があったのか教えてくれ」

 長い沈黙を破るように、セスが静かにそう言った。
 ミハイルは、天族は自死を禁止されていると言っていた。物理的にそうできないような力が働いているのか、宗教的な教えのように禁止とされているだけであってできない訳ではないのかは分からないが、理論上は私がセスの手によって殺されたとしてもセスがその後自分の命を絶つことはないということになる。
 そして、何も知らなければガスパルの関係者のように巻き添えで殺されることもないはずだ。

 だから言ってはいけない。

「…………ごめん」

「1人で抱えないで教えてくれ…何か他に突破口があるかもしれないだろ」

「……っ」

 ないよ。
 そう返そうとして、それでは相手が神であることを言っているようなものだと気付いて慌てて口を噤んだ。

「君が俺たちを巻き込みたくないと思ってくれているのは分かる。でもじゃあ俺たちは…俺は、そうやって全部1人で抱えて苦しむ君を、黙って見てろって言うのか?俺だって君を守りたい。君が抱えているものを、一緒に背負いたいんだ」

「…………」

 きっとセスは、全てを知ったら一緒に死のうと言ってくれるのだろう。 
 でも、じゃあ一緒に死んでと全てを打ち明ける勇気は、私にはない。

「違う…違うんだ。僕は、僕のせいでセスが…みんなが傷つくことが耐えられない。みんなを守りたいなんてそんな綺麗なものじゃなくて、全部自分のためなんだよ…!」

「……シエル」

「だから言いたくない…!言ってセスに背負わせたら、僕のために…僕のせいで傷ついてしまうかもしれない。そんなの僕は耐えられない…!!」

「…………」

 そう言って泣きじゃくる私に、セスは何も言わなかった。どんな表情でいるのか、見る勇気すら私にはなかった。

「セス」

 扉の向こうから控えめにセスを呼ぶヨハンの声で反射的に顔を上げると、私を悲しそうに見つめるセスと目が合った。

「…ごめん、ちょっと行ってくる」

 そう言って私からフッと視線を逸らし、そのまま振り返らずに部屋から出て行ってしまった。

「……シエル、いい?」

 一息つく間もなく、セスと入れ違いにレクシーが顔を覗かせた。
 私が自傷行為をしないようにヨハンから監視を言いつけられたのだろうか。

「どうぞ」

 涙を拭って答えると、レクシーは悲しそうな笑みを見せて躊躇いがちに部屋の中へと足を踏み入れた。

「体の調子はどう?」

 私の側まで来て、心配そうに聞く。
 毒を飲んだ時には近くにいなかったはずだが、ヨハンから聞いたのだろうか。

「大丈夫だよ。セスに治癒術をかけてもらったから」

「そっか。じゃあちょっと外に行かない?」

「……えっ?」

 この状況でそんな言葉が出てくるとは思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。

「大丈夫だよ。ヨハンに許可は取ってる。だから少し外に出て、気分を落ち着けよう?」

「レクシー…ありがとう。すぐ支度するね」

 あの2人、特にセスから逃げ出したい気分に駆られて私は素直に頷いた。






「風、気持ちいいね」

「そうだね」

 レクシーの言葉に頷きながら、眼前で無邪気に遊ぶ子供たちを眺めていた。
 ここは昨日レクシーと一緒に歩いた商店街から少し外れた場所にある、小さな公園だ。
 ブランコやシーソー、滑り台など元の世界とそう変わらない遊具が点々と置かれている。
 端の方にある2人掛けのベンチに並んで腰かけて、どれくらいの時間が経っただろうか。自分の命がもうすぐ消えるかもしれないことなど忘れてしまいそうになるほど、平穏な光景がそこにはあった。

「あたしね、10年前にヨハンのところに来たんだけど、その前はエスタでも有力な貴族の家にいたんだよね」

 沈黙を破って突然語られたレクシーの言葉に、私の思考は現実へと戻された。

「……貴族の家?」

「あたしはエラルド族っていう魔族なんだけど、エラルド族自体もう数も少なくなって、絶滅寸前なんだよね。所謂希少種ってやつ。だからその貴族に飼われてたんだ」

「飼われてたって……」

 奴隷、ということだろうか。ずいぶんとあっけらかんと話しているが、その背景は重い。
 それに地族の獣人族だと思っていたが、魔族だったとは。

「毎日毎日玩具のように扱われて、たくさんたくさん痛い目にもあって、あたしは耐えられなくなって逃げ出した。逃げられるわけないのに、逃げられても行くとこなんてないのに、わずかな隙を見つけて咄嗟に飛び出したんだ。もちろん見つかって、追いかけられて、殺されそうになって、それでも何とか追手を撒いて、闇雲に街中を走ってやがて力尽きた。もうこのまま死ぬんだと思ったけど、そこでたまたま通りかかったヨハンに拾われたんだ」

「…………」

「けど、あたしの負った傷はヨハンには助けられないものだった。だからセスが治癒術で助けてくれたんだけど、もちろんお金なんて持ってなかったし返せる見込みもないから、治療費の代わりにあそこで働くことになったんだ」

「そう、だったんだ…」

 平和に生きて来た私の言葉など全て軽々しくなってしまう気がして、何と言葉をかけていいのか分からない。

「15年だなんて…最初は酷いって思ったりもしたけど、今ならわかる。ヨハンはそうすることであたしに居場所をくれたんだって。怪我が治って"はい、さようなら"って放り出されても、子供だったあたしには生きていく術もない。だからヨハンは"これからは雑用係だ"なんて言いながら家事を教えて、言葉を教えて、勉強を教えて…。いつか1人で生きていけるようにとあたしを育ててくれたんだ。だからあたしは、ヨハンには恥ずかしくて言えないけど本当はすごい感謝してるし、家族なんだとも思ってる」

「…うん」

 きっとヨハンも同じようにレクシーを大切に思っているのだろうな。
 血の繋がりも何もなくとも、本当の家族として。

「だからシエルがセスを守りたいと思う気持ちも、セスがシエルを守りたいと思う気持ちも分かるよ。2人がお互いに思う好きと、あたしがヨハンを思う好きは違うかもしれないけど、それでも大切な人を守りたいと思う気持ちは一緒だと思うから」

「…違うんだ。僕は、」

「違わないよ。誰だって大切な人が傷つく姿なんて見たくない。それが、守りたいってことなんじゃないの?」

「……なんで」

 まるで先ほどの会話を聞いていたかのような言い方に、思わず言葉を失う。

「ごめん。エラルド族って耳と鼻がすっごい利くから、診療所の中の会話は全部聞こえちゃうんだよね。おまけに魔族だから、セスがシエルの術を相殺するのに使った覇気で危うく死ぬところだったぁ~」

「…………」

 私からの驚きの目を逸らすように、レクシーはお茶らけて言った。

「そっか…全部聞こえてたんだね。だからこんな風に、外に連れて来てくれたんだ…」

「ねぇ、シエル、あたしさ、シエルのこと好き。優しくて、料理も上手で、可愛くて、いい匂いがして、すっごい好き」

「えっ…?あ、ありがとう。僕もレクシーのこと、好きだよ」

 突然そんなことを言われてしどろもどろになってしまったが、同性としての意味だろうから素直にそう返す。
 純粋なレクシーからそう言われると、素直に嬉しい。頬も緩んでしまう。

「だからあたし、シエルに傷ついてほしくない。出会って数日のあたしがそう思うんだから、ずっと一緒だったセスは、もっともっとそう思ってるはずだよ」

「…………」

 緩んだ頬が凍りついたのが自分でも分かった。
 思わず驚愕の瞳でレクシーを見ると、驚くほど真剣に私のことを見つめていた。

「シエルだって同じようにセスに傷ついてほしくないって思ってるんでしょ?だから全部1人で抱えて閉じ込めてる。でもさ、そうやって守られてるセスは幸せなのかな?あたしだったら一緒に分け合いたい。その方がずっと幸せだよ」

「……それで、死んでしまっても?」

「うん。だってシエルが1人で苦しんで死んでしまったら、セスの体は守れるかもしれないけど、心は死んでしまうよ。だったら、体は失っても心は一緒の方がいいと思うな」

「…………」

「シエルはセスの"何を"一番に守りたいの?きっとセスはシエルの心を一番に守りたいと思ってるよ」

 抑えきれない涙が溢れた。
 遊んでいる子供たちがそんな私に気付いてチラチラとこちらを見ているが、止めることができなかった。

「今のままじゃシエルが死んじゃうってことはみんな分かってるんだよ。だけど何でなのかが分からない。分からないまま、死を回避できるかもしれないからってセスたちはシエルを毒で苦しめた。苦しめたのに結局シエルは夢の中に行けなくて、やっぱり訳が分からないまま、次はどんな方法でシエルを夢の中に行かせるか考えてる。誰が敵なのかも、いつがタイムリミットなのかも分からないまま、それでもシエルを救えるならと必死になってる。ねぇ、シエル、セスは今、どんな気持ちでいると思う?」

 先生が生徒に優しく教えているかのような言い方に、さらに涙が溢れた。

 大切なことを、見落としていた気がする。

「……ごめん。ありがとうレクシー…。帰ったら、セスには話すよ…」

「うん」

 止めどなく流れる涙を隠すように両手で顔を覆ってそう言うと、レクシーは優しく頷いて私の頭を撫でてくれた。






 私が落ち着くまでそうしてくれた後、昼食と夕飯の材料を買ってから私たちは帰路についた。
 目を覚ました時点で朝食の時間は過ぎていたらしく、もう昼に差し掛かろうとしている。パパッと作れる料理にしようということで、今日の昼食はサンドウィッチだ。

「…………」

「…レクシー?」

 診療所にだいぶ近い路地裏の一角で、隣を歩くレクシーが不意に立ち止まった。

「…血の、匂いがする」

 立ち止まったままそう呟くレクシーの顔はずいぶん蒼白だ。

「血の匂い…?重傷の患者さんかな?」

「違う、これはヨハンの、血の匂い…それともう1人……」

「……え?」

 耳を疑う言葉に私の思考は停止した。

「どういう…あっ、レクシー!?」

 レクシーが私の横をすり抜けてすごい勢いで駆け出して行く。

 嫌な予感が、した。
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