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第1章 わたしの師匠になってください!
お師匠様のお家に 3
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「アルト、ノイ、行ってらっしゃーい」
「おう! 行ってくるぜ」
「帰ったら、遊ぼうぜ!」
ツェツイとイェンに見送られ、双子たちは教材片手に元気よく学校へと走って行く。
そんな、彼らの背中を見つめ、にこやかに手を振っていたツェツイの表情がふと陰った。
父が他界してから、母ひとりでツェツイを育ててきた。
その母も病で倒れて亡くなり、以来、ツェツイは学校へは行っていない。
生活するために、働かなければならなかったからだ。
とはいえ、働くとはいってもまだ十歳の子ども。
たいした仕事などあるわけもなく、母の知り合いが営んでいる町の食堂で、好意で働かせてもらっているのだと、ツェツイはぽつりと語った。
ツェツイにもできる簡単な仕込みの手伝いや、皿洗い店内の清掃といった雑用がおもだ。
振っていた手を下ろし、ツェツイはふと首を傾げてイェンを見上げた。
「そういえば、お師匠様は学校には行かないのですか?」
「学校? んなもん、行くわけねえだろ」
「え! サボりですか? 進級できなくなりますよ」
「おまえなあ。俺を何歳(いくつ)だと思ってんだよ。ていうか、お師匠様はやめろって言ってんだろ。おまえの師匠になった覚えはねえぞ」
しかし、ツェツイは聞いていない。首を傾げたまま、うーんと唸った。
「お師匠様の年? えーと……十六? 十七、八とか?」
ツェツイの目から見れば、イェンはまだそのくらいの年にしか見えないらしい。
「二十二歳だっての」
「へえ、お師匠様、大人だったんですね」
「それに、学校はとっくの昔に卒業したよ。十三のときにな」
「ええ! 十三のとき! どうしてですか?」
「どうしてって〝灯〟にも顔を出さなきゃなんねえのに、いちいち学校なんか行ってられるかってね」
ツェツイはまたもやへえ、と目を丸くし、尊敬の眼差しでイェンを見つめている。
ツェツイの同級生にもずば抜けて頭のいい子は何人もいたが、実際に飛び級をして卒業したという例は聞いたことがない。
「お師匠様って、頭がいいんですね」
「それは違うな」
「違う?」
「要領がいいだけだ」
腰に手をあてイェンは得意げに笑う。アリーセや双子の弟たちが聞いたら、また調子にのって、と呆れられてしまうところだが、しかし、ツェツイは。
「要領で飛び級して卒業しちゃうなんて、やっぱりお師匠様はすごいです!」
と、興奮したように頬を紅潮させ、ますます称賛の目を向けてくる。
「おかげで、毎日することがなくて暇でしょうがねえのが悩みだな」
つまり、さっさと学校を卒業したはいいが、初級魔道士であるイェンに〝灯〟から与えられる仕事などたいしてあるわけでもなく、結局のところ毎日時間を持てあましてすることがないというのが現状であったというわけである。
ツェツイにとっては羨ましいようなそうでないような。けれど、やはりツェツイから見れば贅沢な悩みだったであろう。ふいにツェツイはあっ、と声を上げた。
「あたし、そろそろ行かなければ。お師匠様、ありがとうございます!」
ツェツイはぺこりと頭を下げた。
「あの……アリーセさんの姿が見えないようですが……」
「出かけてんじゃねえのか?」
「そうですか……お礼が言いたかったのですが。ご飯、とてもおいしかったです。それに、とても楽しかったですと、伝えていただけますか?」
「伝えておくよ」
「よろしくお願いします!」
と、言って、ツェツイは慌てて家の中へと戻って行った。
彼女が慌てる理由。それは、仕事に遅れるからだと言う。
それから、慌ただしく朝食の後片付けをすませ、身支度を整え、ものすごい勢いで家を飛び出していった。
仕事に遅れるとは十歳の子どもが言う言葉ではないなと思いながら、イェンは遠ざかっていくツェツイの背中を窓から見送った。
しんとした部屋にひとりっきり。壁時計の音がいやに耳につく。
アリーセは珍しく家事を放って、朝っぱらから買い物に行ったようだ。
いったい、何を買いに行ったのやら。ソファーに座り何を見るとはなしに、イェンは窓の外を眺めていた。
本当に何もすることがなかった。いや、する気になれなかった。
いつもなら何となく本を読み、ぼんやりと考え事をする。
気が向いたら〝灯〟に出向き、天気がよければいつもの裏庭で昼寝をする。
一生懸命なツェツイの姿を思い出すと、何だか自分が情けない人間に思えてきた。
そう思い始めると、じっとしていることが落ち着かない。
仕方ねえ〝灯〟にでも行くか。
ソファから立ち上がったところへ、アリーセが両手いっぱいの荷物を抱えて帰ってきた。
「何? その半端じゃない大荷物」
アリーセはふふふ、と上機嫌に笑い、どうこれ? と買い物袋から服を引っ張り出しテーブルに広げ始めた。
レースやリボンのついたワンピース。袖のふくらんだシャツ。
さらに帽子に靴。
弟たちのものではない。
どれもこれも、どうみても女物だ。そして、サイズ的に小さい女の子のもの。
「古着だけど可愛いのがたくさんあってね。もう、あれもこれも欲しくなって迷っちゃったわよ。荷物持ちにあんたを連れ出せばよかった。見てちょうだい! このワンピースの裾のフリル。可愛いわー。それから、これ! 襟にもこもこのついた白いケープ。これも絶対、ツェツイに似合うと思うの。靴はね、昨日ツェツイが寝ている間にこっそりサイズ調べちゃった。だから合うはずよ」
買い物の量も半端ないが、それ以上に、アリーセの浮かれ具合も半端ではなかった。
「ふーん」
「ふーん、ってちょっと何? そのどうでもいいみたいな返事。まあ、いいけど。あんたを喜ばせるために買ったんじゃないし。ところで、ツェツイはどこ? 呼んできて」
早く見せて着せてあげたい、と言わんばかりに目を輝かせ声をはずませている。
「帰ったよ。とっくにな」
一転、不機嫌さもあらわに、アリーセは目を細めた。
「帰った?」
「仕事があるってんだから仕方がねえだろ」
「戻ってくるのよね?」
「さあ」
「さあって、あんたツェツイに魔術、教えるんじゃなかったの?」
「そんな約束、した覚えねえけど」
イェンは肩をすくめ、広げられた女の子用の服や小物を一瞥する。
「朝っぱらから家のこと放り投げて、浮かれて帰ってきたかと思えばこれか」
「どういう意味?」
「同情?」
その一言に、アリーセの片眉がぴくりと動く。
さすがに今の言葉はまずかったと思ったが、すでに遅い。
一度口に出した言葉は取り消すことはできない。
つかつかと歩み寄ってきたアリーセに胸ぐらをつかまれる。
「だったら何故、あの子をうちへ連れてきた? 期待を持たせるようなことをして、それこそ残酷じゃないのかい? それに、家のこと放り投げてだって? だったら、毎日だらだら無駄に過ごしてるおまえがやりな!」
「な……」
「まったく! バカだバカだと思ってたけど、ここまで大バカ者だとは思ってなかったよ! がっかりだね」
反論しかけようとして口を開きかけ、言葉を飲む。
アリーセの凄まじい目に見据えられ、言い返せなかった。否、返す言葉が見あたらなかった。
だから、出かけると言ってアリーセから逃げたのは図星だったからだ。
魔術を教える気がなかったのなら、あの時ツェツイを家へ連れてくるべきではなかった。
それとこれとは別だと自分に何度も言い聞かせたが、大粒の涙をこぼしたツェツイのことを思い出すと、罪悪感にも似た思いに心が痛んだ。
どうしろってんだよ。あのまま放っておけばよかったってのか。
なかばやけくそ気味に、イェンは大股で大通りを歩いた。
そろそろ昼時ということもあってか、通りの両脇に並ぶ食堂からいい匂いが漂ってくる。
ふと、イェンは足を止めた。
食堂の裏口から大きなごみ箱を重そうに抱えて出てくるツェツイの姿をとらえたからだ。
ごみを所定の位置に置き、ふうと一息ついたところへ、奥から誰かに呼ばれたのだろう。
はーい、と返事をしてすぐに小走りで中へと戻っていく。
あいつ、ここで働いていたのか。
「おう! 行ってくるぜ」
「帰ったら、遊ぼうぜ!」
ツェツイとイェンに見送られ、双子たちは教材片手に元気よく学校へと走って行く。
そんな、彼らの背中を見つめ、にこやかに手を振っていたツェツイの表情がふと陰った。
父が他界してから、母ひとりでツェツイを育ててきた。
その母も病で倒れて亡くなり、以来、ツェツイは学校へは行っていない。
生活するために、働かなければならなかったからだ。
とはいえ、働くとはいってもまだ十歳の子ども。
たいした仕事などあるわけもなく、母の知り合いが営んでいる町の食堂で、好意で働かせてもらっているのだと、ツェツイはぽつりと語った。
ツェツイにもできる簡単な仕込みの手伝いや、皿洗い店内の清掃といった雑用がおもだ。
振っていた手を下ろし、ツェツイはふと首を傾げてイェンを見上げた。
「そういえば、お師匠様は学校には行かないのですか?」
「学校? んなもん、行くわけねえだろ」
「え! サボりですか? 進級できなくなりますよ」
「おまえなあ。俺を何歳(いくつ)だと思ってんだよ。ていうか、お師匠様はやめろって言ってんだろ。おまえの師匠になった覚えはねえぞ」
しかし、ツェツイは聞いていない。首を傾げたまま、うーんと唸った。
「お師匠様の年? えーと……十六? 十七、八とか?」
ツェツイの目から見れば、イェンはまだそのくらいの年にしか見えないらしい。
「二十二歳だっての」
「へえ、お師匠様、大人だったんですね」
「それに、学校はとっくの昔に卒業したよ。十三のときにな」
「ええ! 十三のとき! どうしてですか?」
「どうしてって〝灯〟にも顔を出さなきゃなんねえのに、いちいち学校なんか行ってられるかってね」
ツェツイはまたもやへえ、と目を丸くし、尊敬の眼差しでイェンを見つめている。
ツェツイの同級生にもずば抜けて頭のいい子は何人もいたが、実際に飛び級をして卒業したという例は聞いたことがない。
「お師匠様って、頭がいいんですね」
「それは違うな」
「違う?」
「要領がいいだけだ」
腰に手をあてイェンは得意げに笑う。アリーセや双子の弟たちが聞いたら、また調子にのって、と呆れられてしまうところだが、しかし、ツェツイは。
「要領で飛び級して卒業しちゃうなんて、やっぱりお師匠様はすごいです!」
と、興奮したように頬を紅潮させ、ますます称賛の目を向けてくる。
「おかげで、毎日することがなくて暇でしょうがねえのが悩みだな」
つまり、さっさと学校を卒業したはいいが、初級魔道士であるイェンに〝灯〟から与えられる仕事などたいしてあるわけでもなく、結局のところ毎日時間を持てあましてすることがないというのが現状であったというわけである。
ツェツイにとっては羨ましいようなそうでないような。けれど、やはりツェツイから見れば贅沢な悩みだったであろう。ふいにツェツイはあっ、と声を上げた。
「あたし、そろそろ行かなければ。お師匠様、ありがとうございます!」
ツェツイはぺこりと頭を下げた。
「あの……アリーセさんの姿が見えないようですが……」
「出かけてんじゃねえのか?」
「そうですか……お礼が言いたかったのですが。ご飯、とてもおいしかったです。それに、とても楽しかったですと、伝えていただけますか?」
「伝えておくよ」
「よろしくお願いします!」
と、言って、ツェツイは慌てて家の中へと戻って行った。
彼女が慌てる理由。それは、仕事に遅れるからだと言う。
それから、慌ただしく朝食の後片付けをすませ、身支度を整え、ものすごい勢いで家を飛び出していった。
仕事に遅れるとは十歳の子どもが言う言葉ではないなと思いながら、イェンは遠ざかっていくツェツイの背中を窓から見送った。
しんとした部屋にひとりっきり。壁時計の音がいやに耳につく。
アリーセは珍しく家事を放って、朝っぱらから買い物に行ったようだ。
いったい、何を買いに行ったのやら。ソファーに座り何を見るとはなしに、イェンは窓の外を眺めていた。
本当に何もすることがなかった。いや、する気になれなかった。
いつもなら何となく本を読み、ぼんやりと考え事をする。
気が向いたら〝灯〟に出向き、天気がよければいつもの裏庭で昼寝をする。
一生懸命なツェツイの姿を思い出すと、何だか自分が情けない人間に思えてきた。
そう思い始めると、じっとしていることが落ち着かない。
仕方ねえ〝灯〟にでも行くか。
ソファから立ち上がったところへ、アリーセが両手いっぱいの荷物を抱えて帰ってきた。
「何? その半端じゃない大荷物」
アリーセはふふふ、と上機嫌に笑い、どうこれ? と買い物袋から服を引っ張り出しテーブルに広げ始めた。
レースやリボンのついたワンピース。袖のふくらんだシャツ。
さらに帽子に靴。
弟たちのものではない。
どれもこれも、どうみても女物だ。そして、サイズ的に小さい女の子のもの。
「古着だけど可愛いのがたくさんあってね。もう、あれもこれも欲しくなって迷っちゃったわよ。荷物持ちにあんたを連れ出せばよかった。見てちょうだい! このワンピースの裾のフリル。可愛いわー。それから、これ! 襟にもこもこのついた白いケープ。これも絶対、ツェツイに似合うと思うの。靴はね、昨日ツェツイが寝ている間にこっそりサイズ調べちゃった。だから合うはずよ」
買い物の量も半端ないが、それ以上に、アリーセの浮かれ具合も半端ではなかった。
「ふーん」
「ふーん、ってちょっと何? そのどうでもいいみたいな返事。まあ、いいけど。あんたを喜ばせるために買ったんじゃないし。ところで、ツェツイはどこ? 呼んできて」
早く見せて着せてあげたい、と言わんばかりに目を輝かせ声をはずませている。
「帰ったよ。とっくにな」
一転、不機嫌さもあらわに、アリーセは目を細めた。
「帰った?」
「仕事があるってんだから仕方がねえだろ」
「戻ってくるのよね?」
「さあ」
「さあって、あんたツェツイに魔術、教えるんじゃなかったの?」
「そんな約束、した覚えねえけど」
イェンは肩をすくめ、広げられた女の子用の服や小物を一瞥する。
「朝っぱらから家のこと放り投げて、浮かれて帰ってきたかと思えばこれか」
「どういう意味?」
「同情?」
その一言に、アリーセの片眉がぴくりと動く。
さすがに今の言葉はまずかったと思ったが、すでに遅い。
一度口に出した言葉は取り消すことはできない。
つかつかと歩み寄ってきたアリーセに胸ぐらをつかまれる。
「だったら何故、あの子をうちへ連れてきた? 期待を持たせるようなことをして、それこそ残酷じゃないのかい? それに、家のこと放り投げてだって? だったら、毎日だらだら無駄に過ごしてるおまえがやりな!」
「な……」
「まったく! バカだバカだと思ってたけど、ここまで大バカ者だとは思ってなかったよ! がっかりだね」
反論しかけようとして口を開きかけ、言葉を飲む。
アリーセの凄まじい目に見据えられ、言い返せなかった。否、返す言葉が見あたらなかった。
だから、出かけると言ってアリーセから逃げたのは図星だったからだ。
魔術を教える気がなかったのなら、あの時ツェツイを家へ連れてくるべきではなかった。
それとこれとは別だと自分に何度も言い聞かせたが、大粒の涙をこぼしたツェツイのことを思い出すと、罪悪感にも似た思いに心が痛んだ。
どうしろってんだよ。あのまま放っておけばよかったってのか。
なかばやけくそ気味に、イェンは大股で大通りを歩いた。
そろそろ昼時ということもあってか、通りの両脇に並ぶ食堂からいい匂いが漂ってくる。
ふと、イェンは足を止めた。
食堂の裏口から大きなごみ箱を重そうに抱えて出てくるツェツイの姿をとらえたからだ。
ごみを所定の位置に置き、ふうと一息ついたところへ、奥から誰かに呼ばれたのだろう。
はーい、と返事をしてすぐに小走りで中へと戻っていく。
あいつ、ここで働いていたのか。
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