一千花 - 呪われた娘 -

島崎 紗都子

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第一部 過去の罪

子どもを取り替える

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「おーい、德重いるか? たった今そこの庭先でタヱさんが呆けた顔でぼんやり突っ立ってたぞって、ひいっ!」
 庭園の方から聞こえたと同時に、障子が開き濡れ縁から一人の男が顔を覗かせた。
「な、な、な、なにやってんだ德重!」
 現れた男は土足で部屋に上がり込み、德重の手から美夜子を奪い取った。
「美夜子ちゃんじゃねえか。おい德重、なんてことをする!」
 男はよしよしと、腕に抱いた美夜子をあやすように揺すった。美夜子は苦しげに咳をしながら、必死に肺に空気を入れようとしている。そこで、德重は我に返り、我が子を絞め殺そうとした自分の手を見つめた。
「俺は……」
 德重は脱力したように肩をおろす。
 母に唆され、娘をこの手で殺そうとした。だが、仕方がないのだ。母の命令は絶対。逆らうことは許されない。幼い頃からそうだった。母が決めたことはすべて正しく、言う通りに行動をしなければならない。四ヶ所の長男として、この屋敷の当主になるために。
 德重は震える手をきつく握りしめた。
「おい、德重大丈夫か? いったい、どうしたんだ」
 德重は改めて現れた男を見る。
 名を狭川伊介さがわいすけといい、物心ついた頃からの悪友である。
 屋敷の規律やしがらみ、村の掟、そんなことなど気にもしなかった子どもの頃は、よく二人でバカなことをやって羽目を外し、親に怒られたものだ。
 伊介は狭川家の次男坊で、頭の良い男であった。
 社交的で頭の回転も速く、実際に学校の成績はいつもトップ。何をやってもそつなくこなし、おまけに顔も整っていた。周りから神童と褒めそやされていたが、次男であったため、家を継げなかった。
 一方、伊介の兄は平々凡々な男で、ことあるごとに出来の良い弟と比べられてきた。そのため伊介は兄から疎まれ、兄弟仲は最悪だった。
 それもあってかどうかは定かではないが、伊介は十八歳で村を飛び出し、持ち前の才能を活かし事業を興した。が、どんな神童でも大人になればただの人とはよく言ったもので、起業したものの、事業は軌道に乗らず、結果一年も経たずして倒産に追い込まれ、多額の借金を抱え、やむなく実家に帰ってきた。
 村に戻ってからの伊介は、子どもの頃に見せた才覚はどこへいったのやら、どうしようもないクズ男に成り下がっていた。それでも、町の暮らしを経験したためか垢抜けていて、元々男前だということもあり、村の女たちからは人気があった。
 伊介は村でも美人と評判の女を娶り、一年前に娘を授かった。
 美夜子と同い年だ。
 それから、死んだ親の遺産を元手に村で新たな商売を始めたが、それも失敗。今では兄から金を無心し、さらに、妻の働きをあてに、毎日ギャンブルに明け暮れている。
 今日もここへやってきたのも、おおかた金のことだろう。
 昔のよしみと言ってこの男から金をせびられるのも、一度や二度ではない。
「おお、よちよち。美夜子ちゃん、もう大丈夫だよ」
 不精髭の汚い顔をだらしがなく緩め、伊介は德重の子をあやしている。
 この男の登場で美夜子を密かに亡き者にしようという気も失せた。それどころか、美夜子を殺そうとしたところを屋敷外の者に見られてしまった。
 德重は目を細め伊介に視線を据える。
「おいおい、なんて面してんだよ。何があったのかは知らないが、俺は何も見ていない。それでいいだろう。な?」
 伊介はめっぽう口が軽い。いや、軽いというよりも、思ったことをすぐ口に出してしまう単純馬鹿だ。幼い頃はそんな伊介の裏表のない性格が気に入っていたが、今思えば、ただの口が軽い軽率な男だとしか思えない。
 今日のことも、うっかり村人たちに喋りでもしたら、どうなるか。四ヶ所の当主が実の娘を殺そうとした。そんなことが知られたら体裁が悪い。
 母に何と言われるか。
 目の前の脳天気そうな伊介の顔を見て、德重は腹の底からふつふつと怒りがわいてくるのを感じた。
 見た目は男まえだが、中身は薄っぺらいただのクズ。だが、この男の妻は村でも評判の美しい女だ。村の行事で、何度か伊介の妻を見かけた。
 名を蕗子ふきこといい清楚で可憐な女だ。
 身体つきはほっそりしているのに、男たちの目を釘付けにする瓜のように胸の張った女。
 襟元からのぞく首筋の白さは吸い付きたくなるほど、しっとりとした瑞々しさがあった。
 従順で色白の美しい妻に、妻によく似た愛らしい娘。
 蕗子を自分のものにしたい。蕗子に似た娘は成長すれば、きっと美しい女になるだろう。
 そう思った次の瞬間、德重の口から伊介を仰天させるとんでもない言葉が出た。
 自分でもこんなことを言い出すとは思いもしなかった。だが、悪くない考えだ。
「伊介、おまえの娘は美夜子と同い年だったな」
「ああ、同い年だ。それがどうした?」
 伊介は体を軽く上下させ、美夜子を揺する。
 気づけば、あれだけ泣きわめいていた美夜子が、ぴたりと泣き止みおとなしくなっている。それどころか泣き疲れたのか、伊介の腕の中で目をとろんとさせ眠たそうにしていた。
「美人な妻に似た、愛らしい娘だったな」
 自慢の妻と娘を褒められ、伊介はデレた顔で鼻を膨らませた。
「まあな。うちのサツ子はそこらの子と違ってべっぴんな娘さ。あれは間違いなく母親に似た。将来は村一番の美人さ。男どもが放っておかねえ」
 こりゃ年頃になったら大変だと伊介は目尻を垂れた。しかし、德重の次の言葉に伊介の緩んだ表情が固まる。
「美夜子と、おまえの娘を交換する」
 伊介はぽかんと阿保のように口を開けた。
「は? 交換ってどういうことだ?」
「言った通りの意味だ」
 障がいを持った美夜子に対する愛情はとうにない。だが、殺すには忍びない。しかし、母の言う通り、名家である四ヶ所家に障がいを持つ子を置くのは世間体が悪い。
「いやいや德重、言ってる意味がわからねえよ。頭がおかしくなったんじゃねえのか?」
 德重は否、と首を振る。
「おまえの娘のサツ子を俺の娘、美夜子として育てる」
 娘たちはまだ幼い。顔立ちも変わっていく。ならば、取り替えても他の者にバレる可能性は低い。
 頬を引きつらせ伊介ははは、と笑う。
「珍しいな。くそ真面目なおまえが、そんな冗談を言うなんて」
 德重の顔はいたって真面目だ。
 伊介はごくりと唾を飲み込む。
「德重どうしちまったんだ? 子どもを交換するなんてバカげた話だろ」
「村で生まれた子は村のみなが面倒を見る。そう考えれば同じ事ではないか」
「だからって俺のサツ子をなんでおまえにやらなければならないんだ。冗談じゃねえ」
 冗談にしても、子どもを交換するなどおかしな話を持ち出され、不愉快だというように伊介は美夜子を德重に押し返す。
「久々におまえと飲もうかと思ったが帰るよ」
 飲もうと言っても、借金を抱えている伊介だ。出される酒を期待してやって来たのだ。
 濡れ縁から庭に降りて行こうとする伊介を、德重は呼び止める。
「借金があったな。けっこうな額の借金が。まだ返せていないんだろう?」
「ま、まあ……それはそうだが」
「俺が全額肩代わりしてやろう。それでどうだ? もちろん、サツ子も大切に育てるつもりだ。四ヶ所家の長女として。悪い話ではないだろう? おまえの娘が四ヶ所家の一族として育てられるんだ。いずれはこの家の財産だって手にする。そう、莫大な財産を」
「はは、ばかな……」
 借金を代わりに払ってくれるという思いがけない話と、自分の娘が四ヶ所美夜子として育ち、将来多額の財産を手に入れる日がくる。
 伊介の頭の中で札束が舞った。
「おまえが俺の子、美夜子をサツ子として育ててくれるなら、養育費も出そう。生活の援助も惜しまない」
 伊介の手が震えた。
 行き当たりばったりで始めた事業はうまくいかず、残ったのは多額の借金。家を継いだ兄からも、おまえはクズだろくでなしだと鼻で嗤われた。この先伊介に待ち受けているのは、ただ働き同然の小間使いとして兄の下で働き続ける一生。
 だが、娘を交換すれば、德重に借金を肩代わりしてもらえる。それどころか、生活の面倒を見てやると言われた。それに、自分の娘が村の有力者の娘として育つのだ。
 きれいな着物を着て、毎日うまい飯をたらふく食べられる。欲しいものはなんだって買い与えてくれるだろう。
 将来は家柄のいい男の元に嫁ぐ。それを考えたら悪いことではない。そして、自分にとってもこんな旨味のある話はない。
 伊介はごくりと唾を飲み込んだ。帰りかけようとして德重に背を向けていた伊介は再び相手と向き合う。
「借金を肩代わりしてくれるってのは、本当なんだな」
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