一千花 - 呪われた娘 -

島崎 紗都子

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第一部 過去の罪

残酷な命令

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 美夜子の夜泣きがとまらない。
 また家の者たちに小言を言われると恐れた歌子は、泣き続ける我が子を抱き上げては揺すり、あやしていた。が、それでも娘はいっこうに泣き止まなかった。
 時刻は午前三時。かれこれ一時間以上こんな状態が続いている。
「ああ、美夜子、お願いだから泣かないでちょうだい」
 祈るように呟き、歌子は言葉を理解することのできない幼子に何度も言い聞かせた。
 どうすることもできず困りはてた歌子の耳に、ぎしりと廊下の床板を踏みしめる音が聞こえた。誰かがこちらに向かってやってくる足音だ。
 美夜子の泣き声を咎めにやってきたタヱか。眠れないと文句を言いに来た夫か。嫌味を言いに来た愛人たちか。
「ああ、どうしたらいいの」
 足音は部屋の前で止まった。障子が開いた。戸口には今まで見たこともない厳しい顔をした徳重が立っていた。さらに、德重の背後に下男の姿も。
「す、すみません。すぐに泣き止ませますから」
 おろおろしながら娘をあやす歌子から視線をそらさず、德重は軽く顎をしゃくった。それを合図に下男がすいっと歌子の部屋に入ってきた。
 怯える歌子を前にして、下男は困惑した様子で德重を再び見る。
 德重はたった一言、やれ、と言い下男を促す。
 下男は申し訳なさそうに歌子の元に歩み寄ると、いまだ泣き止まない幼子を奪おうと手を伸ばしてきた。咄嗟に、歌子は我が子を庇うように抱きしめる。
「何をするの!」
 歌子の鋭い悲鳴に下男は一瞬怯んだ。しかし、当主の命令は絶対と思い直し、再び歌子の手から美夜子を奪い取ろうとした。
「申し訳ございません、歌子奥さま」
 本当に申し訳なさそうな声を落とし、下男は歌子から半ば強引に幼子を取り上げた。
「何をするの。美夜子をどうするつもり!」
 歌子は下男の手から我が子を取り返そうとする。
 歌子が悲鳴をあげたと同時に、美夜子もさらに声を張り上げて泣き出した。甲高い子どもの泣き声がきんと耳に響く。德重は不快そうに右耳に手を当てた。
「さっさと連れて行け!」
 德重の一喝に、下男は頭を下げ、逃げるように部屋から去って行った。
「待って、美夜子を返して! 美夜子、美夜子!」
 下男の後を追いかけようとした歌子は、足をもつれさせ前のめりに転ぶ。
「德重さん、これはどういうことなんですか。美夜子をどうするの?」
 床を這いつくばり、歌子は德重の足元にすがりつく。德重は冷めた目で歌子を見下ろした。泣きながら娘を返してと懇願する歌子を、德重は足で蹴って払う。
「おまえが悪い。おまえが忌むべき子を産むから」
 背を向け部屋から出て行く德重の背に、歌子は美夜子を返してと泣き叫んだ。

 この出来事を、一部始終、物陰から覗いていた人物がいた。
 德重の幼なじみで愛人の、吾妻加代だ。
 部屋にいない德重を探して屋敷を歩いていた加代は、歌子の部屋から叫び声が聞こえ、駆けつけ様子を窺っていたのだ。
「ずいぶんとおもしろいことになってるじゃない」
 加代は口の端をつり上げて笑う。
 歌子の娘が下男に連れて行かれるのを見て、加代も慌ててその後を追った。
 美夜子を抱きかかえた下男は、そのまま德重の部屋に連れてこられた。
「旦那さま……いったい」
 この子をどうするおつもりですか、と問いかけようとして慌てて口を噤む。
 この屋敷では、当主とタヱの言葉は絶対だ。自分ごとき使用人が意見を述べ、疑問を口にすることは許されない。
 腕の中にいる幼子は泣き止まず、激しく身を動かしぐずり始めた。暴れる子の扱いに戸惑いつつ、下男は上目遣いで德重の指示を待つ。
「その娘は生まれながらにして病弱で、長く生きられなかった」
 何を言われたのかわからず、下男はへえ、と間の抜けた返事をする。
 言われた意味をよく考えてから、ようやく德重の言わんとしていることを察した下男は、目を見開き口をあわあわとさせた。
「そ、そ、それは、まさか」
 腕の中で泣きながら身をよじらせる幼子と、德重を交互に見やり下男は顔を強ばらせる。 德重は美夜子を始末しろと言っているのだ。
「それだけは勘弁してくだせえ! こんな小さな子を殺すなんて俺には無理です」
 美夜子がさらに火がついたように泣きわめく。言葉を理解できなくても、本能で己の身の危険を感じているのか。
「さっさとやれ。これは命令だ」
「勘弁してくだせえ。たとえ命令でも、それだけは無理です!」
 下男は涙目になりながら、できないと首を振る。
「末期ガンの母親がいると聞いたぞ。医者から見放されたらしいじゃないか。母親が最期の時を迎えるまで穏やかに暮らせるよう、取り計らおう」
「それでも無理ですだ!」
 頑なに命令を拒む下男に、とうとう德重は切れた。
「役立たずが! ならば、おまえは必要ない。さっさと屋敷から出て行け。いいな? 村のどこへ行っても働けないようにしてやる! 娘をよこせ、俺がやる」
「ひいっ! だめです旦那さま。それだけはだめです!」
 抵抗する下男の腕から、德重はひったくるように我が子を奪いとる。幼子の細い首を両手で締め上げ、德重は高々と持ち上げた。美夜子の両手両足がぶらりと垂れ下がる。
「ふぐっふぐっ」
 美夜子の顔がみるみる真っ赤になっていく。唇からもれるのは泣き声ではなく苦しげに呻く声。口の端からよだれが垂れ落ち、目を白黒とさせていた。
「ひーっ! だ、旦那さま、なんてことを!」
 当主が我が子の首を絞めている。
 信じがたい光景に下男は腰を抜かし、その場で両足をばたばたさせた。
「由緒ある四ヶ所の家に障がいのある子は必要ない。屋敷の体面を汚してはならない。おまえは産まれてきてはいけない子だった」
 美夜子の呻き声が途切れ途切れになりかけたその時であった。
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