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序章 廃された皇貴妃は毒酒を賜う
1 罠にはめられた貴妃
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「後宮の妃が侍衛と密通とは、これは陛下に対する裏切り。死罪に値する!」
御前太監の言葉に辺りがざわついた。
雪貴妃は否と首を振り、その場にひざまずく。隣には捕吏に捕らえられた男が、後ろ手に縛られ膝をついていた。
この男と私が密通?
会ったこともない男なのに。
「誤解です! 私は陛下を裏切るようなことは何もしておりません。そもそもこの者と面識もございません。信じてください陛下! 陛下!」
しんとしたこの場に、どこからかクスリと嗤う声を耳にする。
一気に血の気が引くのを覚えた。
即座に罠に嵌められたのだと悟る。
焉国皇帝陛下の寵妃である自分を陥れるための、何者かが仕掛けた罠。罠を仕掛けた者はおそらく――。
風にのり、ふわりと漂う伽羅の香りが鼻孔をかすめる。
「この後に及んで言い逃れとは、見苦しいわよ雪貴妃」
現れた人物に、殺伐としたこの場の空気がさらに緊迫する。数名の侍女と太監を従えやって来た女は、唇の端を吊り上げ笑みを刻んだ。
紅を塗った唇が毒々しい。
派手な装いに華美な装飾。きつめの化粧と伽羅の香を身にまとう妃。
身位は紅妃。
雪貴妃が皇帝陛下の寵愛を得る前まで、寵妃として後宮に君臨していた。
紅妃の父は朝廷の重臣で、実家の勢力は皇帝ですら恐れるほど。それ故、紅妃は皇帝の寵愛と実家の威光を笠に、皇后すらも押しのけ己の思うがままに後宮を支配してきた。
我が儘で横暴、残忍で強欲、浪費家。自分が後宮でのし上がるためにはどんな手でも使う。そんな紅妃を、周りは後宮の毒花と陰口を言っていた。それほど悪評高い女だ。
「陛下、私は本当に何も!」
雪貴妃はすがる思いで目の前に立つ李鶯皇帝陛下を見上げた。
そして、絶望を知る。
こちらを見下ろす陛下の目には、蔑みの色しかない。どんなに無実を訴えても、陛下の心には届かない。
16歳の時に後宮に入った雪貴妃は、見た目の可憐さに反して、凛として自分の意思を強く持った少女であった。そんな彼女を陛下は気に入り、以来彼女を寵愛した。
それから2年近く、寵妃として陛下に仕えてきた。が、こうしてひとたび寵愛を失えば、一瞬で後宮の地獄の底に突き落とされる。
後宮の女たちは、皇帝陛下の心一つで人生を左右されるのだ。
「どうか信じてください」
雪貴妃の言葉を遮り、紅妃は続けて言う。
「あきらめなさい、雪貴妃。証人がいるのよ」
ちらりと紅妃が横目で侍女を見やる。それを合図にその侍女は御前に進み出た。紅妃の側仕えの侍女、蝶児だ。
拝礼しようとする蝶児を、李鶯陛下は右手をあげとどめる。
「礼はよい。おまえが見たことを、すべて朕に話せ」
蝶児は頷き、捕吏に抑え込まれた男を指差す。
「お答えします、陛下。暁月宮の裏庭で、この者と雪貴妃さまが密会しているのを見ました」
暁月宮は雪貴妃の住まう宮殿だ。
「嘘よっ!」
雪貴妃に口を挟む隙を与えず、紅妃は侍女の言葉を促す。
「それで、二人は庭で何をしていたの」
「はい、愛を語らい……」
そこまで言い、蝶児は顔を赤らめその後の言葉を濁す。
「はっきり言いなさい」
「ふ、二人は愛を語らい、抱き合っていました」
辺りがザワついた。
「それはまことか?」
陛下の問いに蝶児は深く頷く。
「蝶児、分かっているわね。皇帝陛下に嘘をつくことがどういうことかを」
「嘘は申しておりません。二人が親密に抱き合っているのを、この目ではっきりと見ました」
捕吏に捕らえられた男は身を捩って反論する。
「嘘だ。その女は嘘をついている! 私は雪貴妃さまと言葉すら交わしたことはない!」
「ならばなぜ、暁月宮の庭で雪貴妃と二人きりでいたのかしら?」
紅妃が目を細めて問い詰める。
「暁月宮に来るよう宮女に言われた。指示された場所に行ったら、雪貴妃さまがいらっしゃった。本当に私は何も知らない!」
「ではおまえに暁月宮に行くよう言づてをした宮女は誰なの?」
「宮廷にいる宮女の名前など、いちいち覚えているわけがない!」
「そんな誰とも分からない宮女の言葉に、おまえは従ったというわけね?」
紅妃はニヤリと笑う。
禍々しい笑みであった。
「それは……だが、俺は本当に何もしていない!」
男は必死の形相で頭を振り否定する。けれど、彼の言葉も陛下の疑いを払うには至らなかった。
陛下の突き刺す眼差しが、雪貴妃を射抜く。
「陛下……」
「雪貴妃を投獄しろ。男は斬首だ」
「俺は何もしていない。本当だ。信じてくれ!」
捕らえられた男は捕吏に引きずられていく。このまま処刑所に連れられ首を刎ねられるのだ。さらに、やってきた別の捕吏が雪貴妃の両腕を取り無理矢理立たせた。
「陛下、私の話を聞いてください! あの男のことなど知りません。私は潔白です! いいえ、これは何者かが私を陥れようとした罠。陛下、陛下! 信じてください、陛下ーーーーー!」
御前太監の言葉に辺りがざわついた。
雪貴妃は否と首を振り、その場にひざまずく。隣には捕吏に捕らえられた男が、後ろ手に縛られ膝をついていた。
この男と私が密通?
会ったこともない男なのに。
「誤解です! 私は陛下を裏切るようなことは何もしておりません。そもそもこの者と面識もございません。信じてください陛下! 陛下!」
しんとしたこの場に、どこからかクスリと嗤う声を耳にする。
一気に血の気が引くのを覚えた。
即座に罠に嵌められたのだと悟る。
焉国皇帝陛下の寵妃である自分を陥れるための、何者かが仕掛けた罠。罠を仕掛けた者はおそらく――。
風にのり、ふわりと漂う伽羅の香りが鼻孔をかすめる。
「この後に及んで言い逃れとは、見苦しいわよ雪貴妃」
現れた人物に、殺伐としたこの場の空気がさらに緊迫する。数名の侍女と太監を従えやって来た女は、唇の端を吊り上げ笑みを刻んだ。
紅を塗った唇が毒々しい。
派手な装いに華美な装飾。きつめの化粧と伽羅の香を身にまとう妃。
身位は紅妃。
雪貴妃が皇帝陛下の寵愛を得る前まで、寵妃として後宮に君臨していた。
紅妃の父は朝廷の重臣で、実家の勢力は皇帝ですら恐れるほど。それ故、紅妃は皇帝の寵愛と実家の威光を笠に、皇后すらも押しのけ己の思うがままに後宮を支配してきた。
我が儘で横暴、残忍で強欲、浪費家。自分が後宮でのし上がるためにはどんな手でも使う。そんな紅妃を、周りは後宮の毒花と陰口を言っていた。それほど悪評高い女だ。
「陛下、私は本当に何も!」
雪貴妃はすがる思いで目の前に立つ李鶯皇帝陛下を見上げた。
そして、絶望を知る。
こちらを見下ろす陛下の目には、蔑みの色しかない。どんなに無実を訴えても、陛下の心には届かない。
16歳の時に後宮に入った雪貴妃は、見た目の可憐さに反して、凛として自分の意思を強く持った少女であった。そんな彼女を陛下は気に入り、以来彼女を寵愛した。
それから2年近く、寵妃として陛下に仕えてきた。が、こうしてひとたび寵愛を失えば、一瞬で後宮の地獄の底に突き落とされる。
後宮の女たちは、皇帝陛下の心一つで人生を左右されるのだ。
「どうか信じてください」
雪貴妃の言葉を遮り、紅妃は続けて言う。
「あきらめなさい、雪貴妃。証人がいるのよ」
ちらりと紅妃が横目で侍女を見やる。それを合図にその侍女は御前に進み出た。紅妃の側仕えの侍女、蝶児だ。
拝礼しようとする蝶児を、李鶯陛下は右手をあげとどめる。
「礼はよい。おまえが見たことを、すべて朕に話せ」
蝶児は頷き、捕吏に抑え込まれた男を指差す。
「お答えします、陛下。暁月宮の裏庭で、この者と雪貴妃さまが密会しているのを見ました」
暁月宮は雪貴妃の住まう宮殿だ。
「嘘よっ!」
雪貴妃に口を挟む隙を与えず、紅妃は侍女の言葉を促す。
「それで、二人は庭で何をしていたの」
「はい、愛を語らい……」
そこまで言い、蝶児は顔を赤らめその後の言葉を濁す。
「はっきり言いなさい」
「ふ、二人は愛を語らい、抱き合っていました」
辺りがザワついた。
「それはまことか?」
陛下の問いに蝶児は深く頷く。
「蝶児、分かっているわね。皇帝陛下に嘘をつくことがどういうことかを」
「嘘は申しておりません。二人が親密に抱き合っているのを、この目ではっきりと見ました」
捕吏に捕らえられた男は身を捩って反論する。
「嘘だ。その女は嘘をついている! 私は雪貴妃さまと言葉すら交わしたことはない!」
「ならばなぜ、暁月宮の庭で雪貴妃と二人きりでいたのかしら?」
紅妃が目を細めて問い詰める。
「暁月宮に来るよう宮女に言われた。指示された場所に行ったら、雪貴妃さまがいらっしゃった。本当に私は何も知らない!」
「ではおまえに暁月宮に行くよう言づてをした宮女は誰なの?」
「宮廷にいる宮女の名前など、いちいち覚えているわけがない!」
「そんな誰とも分からない宮女の言葉に、おまえは従ったというわけね?」
紅妃はニヤリと笑う。
禍々しい笑みであった。
「それは……だが、俺は本当に何もしていない!」
男は必死の形相で頭を振り否定する。けれど、彼の言葉も陛下の疑いを払うには至らなかった。
陛下の突き刺す眼差しが、雪貴妃を射抜く。
「陛下……」
「雪貴妃を投獄しろ。男は斬首だ」
「俺は何もしていない。本当だ。信じてくれ!」
捕らえられた男は捕吏に引きずられていく。このまま処刑所に連れられ首を刎ねられるのだ。さらに、やってきた別の捕吏が雪貴妃の両腕を取り無理矢理立たせた。
「陛下、私の話を聞いてください! あの男のことなど知りません。私は潔白です! いいえ、これは何者かが私を陥れようとした罠。陛下、陛下! 信じてください、陛下ーーーーー!」
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