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藤原美月2
お茶会
その日から、美月には“声”が聞こえるようになった。
遠い異国の言葉のように、声が語る言葉の意味は分からない。
しかしモリサマの跡地を歩き、地面に落ちた影を見るたびに、葉擦れの音とともに語りかけてくる声があった。
足を止めると、そこに誰かが立っているように感じる。
姿は見えない。けれど、確かにそこにいるとわかるのだった。
「……誰?」
尋ねると、それに応じるように風が吹いた。
細い笛のような音を残し、そこにはないはずの茂みがざわめく。
葉が擦れる音は、やがて囁きに変わっていく。
── よく もどってきたね
声がそう言っているような気がした。目の奥がじんわりと熱くなった。理由はわからない。ただ、懐かしいと感じた。
泣きたくなるほど、懐かしくて、優しかった。
子どもの頃、マルツカのモリサマの前で祖母と一緒に手を合わせたことを思い出す。
祖母と一緒なら、あの森も怖くはなかった。
家に戻って、モリサマに供えたのと同じアブラゲメシを食べた記憶が、その味とともに蘇ってくる。
「……私は、何を忘れてたんだろう」
葉擦れの言葉は意味が分からないうえに、ひどく断片的だ。温かくはあるが、何を語りかけてきているのかをくみ取ることは簡単ではなかった。
その答えを探すために、会社に通う時間さえ惜しいと感じるようになっていった。
有給休暇では足りず、欠勤を繰り返すようになっていたため、辞職はあっさりと受け入れられた。
美月が面倒を見ていた後輩だけが、目に涙を浮かべて惜しんでくれた。
「あなたにも、仕事より大切なものが見つかるといいね」と、美月は彼女をなだめた。
六守谷の実家に戻った美月は、あらゆる場所に足を運び、人の話を聞いた。
新しい家々が建ち並んではいるが、そこに住むのは、他所から越してきた人たちばかりではない。以前からの住人も多く残っていた。
自分が何を探しているのかもわからないまま、モリサマのことを覚えているお年寄りたちの話を聞こうと決めた。
かつて町役場だった建物が、今は地域の老人たちのためのコミュニティセンターになっていた。
そこでは毎週お茶会が開かれており、美月は参加させてもらうことにした。
コミュニティセンターに充てがわれた部屋は、思いのほか広々としていた。
足を踏み入れた瞬間、ふわりと紅茶の香りが美月を包んだ。
合板の会議用テーブルとビニール張りの椅子が整然と並び、壁には手作りの貼り絵や編み物、竹細工のインテリアが飾られている。
天井からぶら下がった折り紙のくす玉が、時折窓から入るそよ風に揺れていた。
「あの、お電話させていただいた……」
「藤原さんやろ? よう来てくれたねぇ。まあまあ、座りぃ」
戸口で声をかけると、満面の笑みを浮かべた女性が美月を室内へと誘った。
北川と名乗ったその女性は、町内で長年民生委員を務めてきたという。小柄ながら、声には張りがある。
「すごく良い匂いですね」
思わずそう言うと、北川は頷いた。
「紅茶の匂いやね。ティーバッグやのうて、リーフティで淹れてるんよ。里見さんが凝り性なんやわ」
そう言って、紅茶を淹れている恰幅の良い女性を示す。
「ゆっくりしていってね」
里見と紹介されたその女性も、笑顔で応じた。
とても良い場所だな、と美月は思った。
テーブルにはティーポットのほか、個包装のチョコ菓子や焼き菓子を盛った皿が並んでいる。
それらを手に取りながら、皆それぞれの席に腰を下ろしていった。
紅茶の入ったカップは、北川と里見が手分けして配っていく。
「今日はお若い方が参加してくれてますよ」
北川が皆に声をかけた。
「藤原といいます。どうぞよろしくお願いします」
各テーブルで談笑していた人々が一斉に振り返る。どの顔にも、温かな歓迎の笑みが浮かんでいた。
「お若い方が来てるから、北川さんの妹さんかと思ってたわ」
白髪の男性が冗談めかして言うと、どっと笑いが起きた。
「あら、辰巳さん、嬉しいこと言うてくれるわね。でも、そういうのは奥様がいらっしゃらんとこでお願いね」
北川が返すと、また笑いが起きた。どうやらその男性は夫婦で参加しているらしい。
世話役の北川を含めて、参加者は二十名。
ニュータウンの集まりにしては多い方ではないだろうか。隣町から来ているという男性も何人かいた。
年齢層は七十代から八十代が中心で、皆が顔見知りのようで、どこか家族のような安心感が漂っていた。
「うちが子どもの頃はなぁ、ここ、町役場でな。手続きで怒鳴ってるおじいがおってん」
「はは、あんたの旦那も家で毎日怒鳴っとるやんか」
「いやもう、ほんまやで。年中怒っとるからな。昨日なんか、額にメガネ上げたまま、メガネがない言うて怒っとったわ」
和やかな笑いが広がる。この部屋には、時がゆっくりと流れている。
最初はバラバラにいくつかあった話の輪が、美月というゲストの登場によって、いつの間にかひとつの大きな輪になっていた。
話がひと段落したところで、美月はそっと尋ねてみた。
「あの……昔、モリサマって呼ばれてた茂みのこと、覚えていらっしゃる方はいませんか?」
遠い異国の言葉のように、声が語る言葉の意味は分からない。
しかしモリサマの跡地を歩き、地面に落ちた影を見るたびに、葉擦れの音とともに語りかけてくる声があった。
足を止めると、そこに誰かが立っているように感じる。
姿は見えない。けれど、確かにそこにいるとわかるのだった。
「……誰?」
尋ねると、それに応じるように風が吹いた。
細い笛のような音を残し、そこにはないはずの茂みがざわめく。
葉が擦れる音は、やがて囁きに変わっていく。
── よく もどってきたね
声がそう言っているような気がした。目の奥がじんわりと熱くなった。理由はわからない。ただ、懐かしいと感じた。
泣きたくなるほど、懐かしくて、優しかった。
子どもの頃、マルツカのモリサマの前で祖母と一緒に手を合わせたことを思い出す。
祖母と一緒なら、あの森も怖くはなかった。
家に戻って、モリサマに供えたのと同じアブラゲメシを食べた記憶が、その味とともに蘇ってくる。
「……私は、何を忘れてたんだろう」
葉擦れの言葉は意味が分からないうえに、ひどく断片的だ。温かくはあるが、何を語りかけてきているのかをくみ取ることは簡単ではなかった。
その答えを探すために、会社に通う時間さえ惜しいと感じるようになっていった。
有給休暇では足りず、欠勤を繰り返すようになっていたため、辞職はあっさりと受け入れられた。
美月が面倒を見ていた後輩だけが、目に涙を浮かべて惜しんでくれた。
「あなたにも、仕事より大切なものが見つかるといいね」と、美月は彼女をなだめた。
六守谷の実家に戻った美月は、あらゆる場所に足を運び、人の話を聞いた。
新しい家々が建ち並んではいるが、そこに住むのは、他所から越してきた人たちばかりではない。以前からの住人も多く残っていた。
自分が何を探しているのかもわからないまま、モリサマのことを覚えているお年寄りたちの話を聞こうと決めた。
かつて町役場だった建物が、今は地域の老人たちのためのコミュニティセンターになっていた。
そこでは毎週お茶会が開かれており、美月は参加させてもらうことにした。
コミュニティセンターに充てがわれた部屋は、思いのほか広々としていた。
足を踏み入れた瞬間、ふわりと紅茶の香りが美月を包んだ。
合板の会議用テーブルとビニール張りの椅子が整然と並び、壁には手作りの貼り絵や編み物、竹細工のインテリアが飾られている。
天井からぶら下がった折り紙のくす玉が、時折窓から入るそよ風に揺れていた。
「あの、お電話させていただいた……」
「藤原さんやろ? よう来てくれたねぇ。まあまあ、座りぃ」
戸口で声をかけると、満面の笑みを浮かべた女性が美月を室内へと誘った。
北川と名乗ったその女性は、町内で長年民生委員を務めてきたという。小柄ながら、声には張りがある。
「すごく良い匂いですね」
思わずそう言うと、北川は頷いた。
「紅茶の匂いやね。ティーバッグやのうて、リーフティで淹れてるんよ。里見さんが凝り性なんやわ」
そう言って、紅茶を淹れている恰幅の良い女性を示す。
「ゆっくりしていってね」
里見と紹介されたその女性も、笑顔で応じた。
とても良い場所だな、と美月は思った。
テーブルにはティーポットのほか、個包装のチョコ菓子や焼き菓子を盛った皿が並んでいる。
それらを手に取りながら、皆それぞれの席に腰を下ろしていった。
紅茶の入ったカップは、北川と里見が手分けして配っていく。
「今日はお若い方が参加してくれてますよ」
北川が皆に声をかけた。
「藤原といいます。どうぞよろしくお願いします」
各テーブルで談笑していた人々が一斉に振り返る。どの顔にも、温かな歓迎の笑みが浮かんでいた。
「お若い方が来てるから、北川さんの妹さんかと思ってたわ」
白髪の男性が冗談めかして言うと、どっと笑いが起きた。
「あら、辰巳さん、嬉しいこと言うてくれるわね。でも、そういうのは奥様がいらっしゃらんとこでお願いね」
北川が返すと、また笑いが起きた。どうやらその男性は夫婦で参加しているらしい。
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「はは、あんたの旦那も家で毎日怒鳴っとるやんか」
「いやもう、ほんまやで。年中怒っとるからな。昨日なんか、額にメガネ上げたまま、メガネがない言うて怒っとったわ」
和やかな笑いが広がる。この部屋には、時がゆっくりと流れている。
最初はバラバラにいくつかあった話の輪が、美月というゲストの登場によって、いつの間にかひとつの大きな輪になっていた。
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