しずめ

山程ある

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那須隼人6

不公平

 カップを手に立ち上がり、ドリンクバーの方へ向かった見学の背中を目で追いながら、隼人は今彼の言葉を反芻していた。

 ──生きてる人間の世界におらなあかんで

 単なる忠告以上の響きがあった。
 むしろ、見学自身が自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

 見学の歩き方には、あの飄々とした性格や細身の体躯に似合う軽やかさがあった。
 だが、カップを持つ手つきや、少し丸めた背中には、かすかな重さのようなものが滲んで見えた。

 隼人はカップの縁を指でなぞり、ゆっくりと息を吐く。
 思えば見学の話しぶりには、過去を避けるような節がいくつもあった。
 研究の話でも、深入りされたくない気配が漂っていた。

 やがて、コーヒーを入れたカップを持って見学が戻ってくる。
 隼人は思い切って口を開いた。

「見学さん。もしかして、あなたも誰かを亡くされたんですか?」

 見学はわずかに目を細めた。
 驚いた様子ではない。すぐに、口元を緩めて笑みをつくる。

「人間、生きとったら色んな別れがあるもんや。それは僕も例外やないよ」

「そういう意味じゃなくて──」

「まあ、僕のことはええねん。
 今のハヤト君は、そういった事には目を向けへんようにして、現実の生活を大事にすることが大事やで。
 って、大事が大事って何やねんな」

 そう言って見学はけらけらと笑った。

 不快に思っている様子はない。
 だが、言葉も表情も柔らかいのに、その奥にははっきりとした拒絶があった。

 隼人はそれ以上踏み込めなかった。

 見学はカップを口元に運び、ひと口だけ飲む。
 立ちのぼる湯気が、暖色の照明の下で薄く揺れ、静かに消えていった。

 隼人は、見学が何か続きを話すのではないかと待ったが、彼はゆっくりとカップを置いただけだった。

「すみません。変なこと聞きました」

 隼人がそう言うと、見学は横に首を振った。

「ええよ。聞きたなる気持ちはよう分かるしな」

 ただし、答える気はやはりなさそうだった。

「見学さんは、六守谷のこと、ただの研究対象として見てたわけじゃないですよね?」

 知り合って間もない相手にセンシティブな話題をぶつけた反省はあった。
 それでも、自分だけが美月について打ち明けたという不公平さが胸にわだかまっていた。

 身勝手な感傷だと分かっていても、見学から何かひとつでも引き出したいという思いがあった。

 見学はゆっくりとまぶたを閉じた。
 長くはないが、妙に深く感じられる沈黙が流れる。
 やがて目を開き、軽く笑った。

「ゼミで面倒みてくれてた助教の先生の研究テーマが、『信仰対象としての森』やってな。その一環で六森谷の調査もしてはってん。
 その手伝いをしてた影響もあって、僕も似たようなテーマ選んだけど、あちこち行くのは面倒で……、そんで六森谷にフォーカスしてん。
 だから六森谷を選んだんは、ホンマにたまたまやねん」

 説明としては自然だ。
 だが隼人には、見学が必要以上に“たまたま”を強調しているように見えた。

──いや、そもそも、“何”と比べての“たまたま”なんだ?

 さらに問いを重ねようとした瞬間、隼人はふと我に返った。
 あまりにも無遠慮すぎる。自分は何をしようとしていたのか。

 言葉を失った隼人を見て、見学は「分かってるで」というように頷き、静かに続けた。

「ハヤトくん。僕のことは……また機会が来たら話すこともあるかもしれへん。
 せやけど、何度も言うけどな。
 ほんまに気にせなあかんのは、“今ここにおる人間”のことやで」

 脅すでも、感情を押しつけるでもない。
 ただ淡々と、事実を述べる声だった。

 店内には、食器を片づける店員の足音が響いていた。
 客の数は減り、照明の明るさだけが変わらずに残っている。

 隼人はコーヒーの残りを飲み干しながら、見学の笑顔に言葉にならない“何か”がまとわりついているのを感じた。

 それが経験なのか、後悔なのか、警告なのか。
 どれもが当てはまりそうで、どれも決定的ではない。

 ただひとつだけはっきりしているのは、
 見学はこの土地について、学問としての知識では収まらない範囲まで知っている、ということだった。
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