しずめ

山程ある

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那須隼人8

カンジョの森

 まだ訪れていないのは、カンジョの森と、マルツカの森の二つだ。カンジョの森は町の南側、マルツカの森はほぼ中心地にある。少し迷ったが、経路を考え、先にカンジョの森があった場所へ向かうことにした。

 そこは今では分譲住宅が整然と並ぶ一角になっている。
 まっすぐに延びる生活道路の両側に均等な区画が並び、同じ形のカーポートが並列している。
 南へ向かってゆるやかに下る道の先に小さな交差点があり、そのあたりがかつての村の南端だったと『六守谷の信仰』には記されていた。

 本が書かれたのは十年ほど前だと見学は言っていたが、その頃と比べても建物や区画は新しくなっているに違いない。
 それでも、道筋そのものは昔の形をなぞるように残されているらしい。

 カンジョの森は横に長く、奥行きの浅い森だったという。
 常緑のシイやカシが並び、冬でも内部は暗く、道の向こうを隠していたとある。
 しかし、それは見学が町の老人から聞き取った話であり、森自体は昭和の中頃にはすでに失われている。

 むつもりヒルズ計画だけが原因ではない。
 この町はそれ以前から姿を変え続けてきたのだ。

 村の始まりの頃はどのような景色だったのだろうか。モリサマへの信仰も、村の成立とともに生まれたのだろうか。

 隼人はカメラを取り出し、レンズキャップを外して交差点へ向けた。

 ファインダーを覗いた瞬間、整然とした住宅街は消え、森が現れる。

 横に長く、奥行きはさほど深くない。せいぜい二十メートルほどだろう。
 森の中へと続く一本の道は、現実の道路とほとんど同じ位置に重なる。
 樹々の葉は厚く繁り、木立の内部は暗いが、道の奥には田畑が覗いている。村外へと続く道だ。

 森の中ほどへ進むにつれ、樹は古く大きくなっていく。
 その中でもひときわ巨大な二本のスダジイが、道を左右から挟み込むように立っていた。
 どちらの樹も、灰褐色の幹は複数の大蛇が絡み合ったようにねじれ、地表に盛り上がる根もまた圧倒的な存在感を放っている。

 その二本の間に、一本の注連縄しめなわが渡されていた。

 隼人は道の奥へと踏み出す。
 入口付近は踏み固められていた地面も、進むにつれて太い根が露出し、足元を乱す。

 縄の近くまで来て足を止め、カメラを持ち上げて見上げた。

 注連縄は二本のスダジイのとても高い位置に、横一文字に掛けられている。
 そこから幾本かの細縄が、すだれのように垂れていた。

 木に登って掛けたのだろうが、注連縄の太さは両手でようやく掴めるほどで、直径は十センチを超えているように見える。道幅いっぱいに渡されたそれを掛けるには、数人がかりの作業だったはずだ。

 細縄を数える。十二本。月の数か、干支か。整えられた形には強く明確な意図が感じられる。

 ここも異常はない。そう思ってカメラを下ろしかけたとき、かすかな音が耳に触れた。

 きゅう……

 きゅう……

 風の音かと思ったが、細縄も葉も揺れていない。耳を澄ますと、繊維が擦れるような、乾いたか細い音が断続的に続いている。

 音を追って視線を巡らせる。
 ほど近い木の低い枝から垂れ下がる一本の縄に気づいた。

 それは、丹念に撚られ、力強く張られた注連縄とは全く異なる、生活のために作られた荒い縄だった。繊維はところどころ逆立ち、毛羽立ち、撚りも均一ではない。枝に括られた結び目も粗く、急ごしらえの印象が残る。

 その縄が、わずかに揺れていた。

 きゅう……

 きゅう……

 何かの重みを預けられたような、規則的な間を伴う揺れである。

 隼人は息を詰めた。
 森は暗く、枝葉が視界を遮るため、縄の先端は見えない。
 それでも、ほとんど無意識のうちに一歩踏み出していた。道から森の中へ入り、見上げる。

 枝と枝のあいだに、白いものがある。葉に紛れて輪郭は曖昧だが、そこに確かな重みが感じられる。

 しずめではない。モリサマでもない。

 これは、この場所に刻まれた過去の記憶なのだろう。

 さらに近づくと、縄で首を括った若い女性であることが分かった。
 不思議と恐怖はなかった。美月の姿が脳裏をよぎり、隼人は思わず手を伸ばしかけたが、すぐに思い直して止めた。

 そのとき、彼女がゆっくりと顔を上げた。

 こちらを見たのではない。気づいてもいない。ただ森の奥、田畑の向こう、そのさらに先の道を見つめている。そこにあるのは怖れでも怒りでもなく、ただ透明な眼差しだった。

 不意に、『六守谷の信仰』の記述が思い起こされる。


 カンジョの森では、勧請縄掛けが行われていました。勧請縄とは、疫病や災厄などの悪いものが村に入ることを防ぐため、村境に掛けられる注連縄のことです。賽の神や道祖神の信仰と近いものと考えられます。

 実際には村外へ通じる道は複数ありましたが、嫁入りの際や、亡くなった人の遺体を墓地へ運ぶときには、この森を抜ける道を通ることが慣例とされていました。

 このように、カンジョの森は村の内と外を分ける存在であり、六守谷の人々にとって信仰の対象であると同時に、心意的な村境でもあったのです。



――村の外へ、行こうとしたのか。

 彼女が誰であったのかは分からない。ここで首を括るに至った事情も知らない。それでも、この村を出たいと願った者がいたのだ、と隼人は思った。

 カメラを下ろすと、森は消え、新築の一戸建てが目の前に建っていた。まだカーテンも掛かっていない、無人の家である。

 一瞬、手を合わせるべきかと考えたが、それも違う気がして、隼人は静かにその場を離れた。
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