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那須隼人8
マルツカの森②
森は、藤原家の敷地内にあったわけではなかった。
家の並びを右へ二軒ほど進むと、住宅のあいだに細い道が一本伸びている。
その道を奥へ回り込むと、藤原家の裏手に出る。そして道を一本挟んだ向こう側――その一帯に、森が立ち現れていた。
これまでに見たものと比べると、大きな森ではない。
それでも背の高い樹が立ち並び、よく繁った葉が森の中を見通すことを許さない。
一度ファインダーから目を離すと、隼人は振り返って藤原家の建物を見た。
道を隔てているとはいえ、家と森はとても近い。
――美月は、ここで森を身近に感じながら育ったんだろうか
自分がまったく知らなかった美月の世界を垣間見た気がして、なぜか打ちのめされたような気分になった。
もし、しずめとしてモリサマに取られたのだとしても、それはここで育った美月にとって当然の成り行きだったのだろうか。
――しかし葵さんは……
はっきりと聞いたわけではないが、彼女はこの町の出身ではなかったはずだ。
森の存在も、隼人に聞かされて初めて知ったようなものだ。
そんな葵も連れ去ったのだとすれば、モリサマはこの土地に縁の深い者を選んでいるわけではないはずだ。
――そもそも、葵さんに被害が出たのはオレのせいだ
今日この町に来てから何度もなぞった思考。
こみ上げる後悔と恐怖。
しかしこの時、隼人の心に宿った感情はそれだけではなかった。
不意に芽生えたのは激しい怒りだった。
葵を連れ去った。
自分を泥の中へと引きずり込み、命を脅かした。
美月を連れ去った。
いくらこの土地で永く信仰されてきた存在とはいえ、理不尽に奪う権利などあるはずがない。
美月も葵も、そして隼人も、何一つ森の禁忌を犯したわけではないのだ。
――こんなの、ただのわがままじゃないか
隼人は再びファインダーを覗く。
森は住宅に重なって存在している。
ドタの森跡とは違い、この場所にある家々には人が住んでいるようだった。
勝手に敷地内に入ることもできない。
したがって森の中に入っていくこともできない。
それでもじっと観察していると、森の中へ続く道があることに気が付いた。
カンジョの森にあったようなしっかりとした道ではない。
ひと一人が通れる程度の細い獣道だ。
その道を凝視する。
しずめが、あるいはモリサマが現れることを期待して。
いつの間にか、ファインダーを通して視える森は、この場所に記録された森の記憶なのだというふうに、隼人は理解していた。
先のカンジョの森で見た女も、火事の廃屋で見た燃える男も、おそらくはそうだ。
しかし、ドタの森跡で遭遇したしずめとモリサマはそうではない。
あれらは記録された記憶の中に潜む、別の存在だ。
あそこにいたのだから、この場所の記憶に潜んでいても何ら不思議ではない。
むしろ、ここに潜んでいるモリサマが美月をかどわかしたのだと考える方が自然だ。
もしも美月を連れ去ったモリサマが現れれば――
隼人はドタの森で自分の足首を掴んだ存在のことを思い浮かべる。
こみ上げるのは、高所から臨む遠い地面や、深海の底の闇などに感じるであろう、抗うことのできない根源的な恐怖と同種の感情。
しかし、ありし日の美月の笑顔を思い浮かべた隼人は、恐怖とともにこう思っていた。
――出てこい。思いっきりぶん殴ってやる……
怒りが、ほんのわずかに恐怖を上回っていた。
できるかどうかは考えていなかった。
そうしてファインダーの中の獣道を睨み続け、数分が過ぎた頃、そこに変化が訪れた。
下生えの草を揺らして、一人の総白髪の老婆が森の中から姿を見せた。
――モリサマじゃない
老婆は手に空のタッパーを持っていた。
ベージュのジャケットにダークグレーのパンツ。
フォーマルとまではいかないが、きちんとした格好が森やタッパーと不似合いだ。
高齢に見えるが、背筋は伸びている。
――これも森の記憶か
老婆の目は隼人の姿を捉えていない。
ただ厳粛な面持ちで、こちらへ向かって来る。
なぜかその顔立ちに見覚えがあるような気がして、隼人は注視を続けた。
自分のすぐ手前、一メートルほどの距離に迫ったところで、不意に思い当たる。
――美月……なのか?
たしかに面影がある。
そう思って見れば、ますます間違いないように思えてくる。
しかし、これほど歳を取っているのはどういうことか。
家の並びを右へ二軒ほど進むと、住宅のあいだに細い道が一本伸びている。
その道を奥へ回り込むと、藤原家の裏手に出る。そして道を一本挟んだ向こう側――その一帯に、森が立ち現れていた。
これまでに見たものと比べると、大きな森ではない。
それでも背の高い樹が立ち並び、よく繁った葉が森の中を見通すことを許さない。
一度ファインダーから目を離すと、隼人は振り返って藤原家の建物を見た。
道を隔てているとはいえ、家と森はとても近い。
――美月は、ここで森を身近に感じながら育ったんだろうか
自分がまったく知らなかった美月の世界を垣間見た気がして、なぜか打ちのめされたような気分になった。
もし、しずめとしてモリサマに取られたのだとしても、それはここで育った美月にとって当然の成り行きだったのだろうか。
――しかし葵さんは……
はっきりと聞いたわけではないが、彼女はこの町の出身ではなかったはずだ。
森の存在も、隼人に聞かされて初めて知ったようなものだ。
そんな葵も連れ去ったのだとすれば、モリサマはこの土地に縁の深い者を選んでいるわけではないはずだ。
――そもそも、葵さんに被害が出たのはオレのせいだ
今日この町に来てから何度もなぞった思考。
こみ上げる後悔と恐怖。
しかしこの時、隼人の心に宿った感情はそれだけではなかった。
不意に芽生えたのは激しい怒りだった。
葵を連れ去った。
自分を泥の中へと引きずり込み、命を脅かした。
美月を連れ去った。
いくらこの土地で永く信仰されてきた存在とはいえ、理不尽に奪う権利などあるはずがない。
美月も葵も、そして隼人も、何一つ森の禁忌を犯したわけではないのだ。
――こんなの、ただのわがままじゃないか
隼人は再びファインダーを覗く。
森は住宅に重なって存在している。
ドタの森跡とは違い、この場所にある家々には人が住んでいるようだった。
勝手に敷地内に入ることもできない。
したがって森の中に入っていくこともできない。
それでもじっと観察していると、森の中へ続く道があることに気が付いた。
カンジョの森にあったようなしっかりとした道ではない。
ひと一人が通れる程度の細い獣道だ。
その道を凝視する。
しずめが、あるいはモリサマが現れることを期待して。
いつの間にか、ファインダーを通して視える森は、この場所に記録された森の記憶なのだというふうに、隼人は理解していた。
先のカンジョの森で見た女も、火事の廃屋で見た燃える男も、おそらくはそうだ。
しかし、ドタの森跡で遭遇したしずめとモリサマはそうではない。
あれらは記録された記憶の中に潜む、別の存在だ。
あそこにいたのだから、この場所の記憶に潜んでいても何ら不思議ではない。
むしろ、ここに潜んでいるモリサマが美月をかどわかしたのだと考える方が自然だ。
もしも美月を連れ去ったモリサマが現れれば――
隼人はドタの森で自分の足首を掴んだ存在のことを思い浮かべる。
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しかし、ありし日の美月の笑顔を思い浮かべた隼人は、恐怖とともにこう思っていた。
――出てこい。思いっきりぶん殴ってやる……
怒りが、ほんのわずかに恐怖を上回っていた。
できるかどうかは考えていなかった。
そうしてファインダーの中の獣道を睨み続け、数分が過ぎた頃、そこに変化が訪れた。
下生えの草を揺らして、一人の総白髪の老婆が森の中から姿を見せた。
――モリサマじゃない
老婆は手に空のタッパーを持っていた。
ベージュのジャケットにダークグレーのパンツ。
フォーマルとまではいかないが、きちんとした格好が森やタッパーと不似合いだ。
高齢に見えるが、背筋は伸びている。
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老婆の目は隼人の姿を捉えていない。
ただ厳粛な面持ちで、こちらへ向かって来る。
なぜかその顔立ちに見覚えがあるような気がして、隼人は注視を続けた。
自分のすぐ手前、一メートルほどの距離に迫ったところで、不意に思い当たる。
――美月……なのか?
たしかに面影がある。
そう思って見れば、ますます間違いないように思えてくる。
しかし、これほど歳を取っているのはどういうことか。
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