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ミスリルソード

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「じゃあ行ってくるよ」

 シルバーが言った。
 日が昇ってからまだそれほど時間が経っておらず、空気はひんやりと肌寒い。
 少しずつ冬が近づいているようだ。

 四季と呼べるようなはっきりと区別できる気候の変化ではないが、この世界のこの街にも季節の移ろいはあるらしい。
 半年前にオレが覚醒した当初は、動き回ればやや汗ばむといった程度の陽気だった。
 やがて昼は少しずつ長くなり、真昼には日差しがじりじりと肌を焼く季節が来た。
 そしていま日差しは力を失い、夜が長くなっていた。
 雨の少ない土地だからか、寒くなるのが早いように感じる。

「どれぐらいで戻ってくるんだ?」

 オレがそう訊くとシルバーはくすくすと笑った。思念でくすくす笑いを表現できるなんて器用なヤツだ。
 シルバーは狩ったロック鳥を解体するために、一度竜の郷に戻るのだという。
 他の都市へ行けば、大型の魔物の解体を専門で請け負う店もあると教えてやったのだが、竜の郷の方が良いらしい。
 解体云々よりも、狩ったロック鳥を郷に持ち帰りたいのだろうなと思い、オレはそれ以上のことは訊かなかった。

「僕がいないと寂しいのかい? クラーケン殺しの勇者様ともあろう者が」

 そう言うとシルバーはさらに盛大にクスクスと笑う。

「言ってろ」

 こいつにからかわれるのには慣れてきていた。

「カズってメンヘラ彼女みたいなところあるよね」

「ねえよ」

「逆に訊くけどさ、どれぐらいなら僕がいなくても耐えられるの?」

「別に戻ってこなくてもいいんだぞ」

「強がっちゃって。ツンデレってやつだね」

「竜の郷とやらに住んでるほうがお前にとっちゃ生きやすいんじゃないのか? 仲間も大勢いるんだろうし」

「竜の郷は飽きちゃったかな。楽しいことは楽しいんだけどね。
 竜たちは寿命がものすごく長いから、日々に変化がないというか、刺激がないんだよね。
 それに食い意地が張ってるカズといる方がいろいろ美味しいものを食べられるからね」

 こいつの言ってることが本気なのかどうかは分からない。だけど転生前の関係に縛られてオレと行動を共にしようとしているのならば、そんなのはやめたほうがいい。せっかく自我を得て、さらにとんでもない能力も持っているんだから、どこへでも行って、好きなことをやるべきだ──そんなことをオレは考えた。思念伝達テレパシーのスキルがあるのだから、シルバーはオレの考えも読んでいるだろう。
 ところがシルバーから出たのは、それとはまったく関係のないセリフだった。

「あ、そうだ、これ渡しとくよ」

 シルバーの前カゴに一振りの剣が現れた。
 短めのロングソードというべきか、長めのショートソードというべきか悩む長さの剣だ。
 動物の皮を染めて作られたらしい青い鞘に収まっていた。
 鞘の鯉口部は鍔や握りの部分と同じ青白く輝く金属でできており、青い飾り石があしらわれている。

「どうしたんだ、コレ。どこかで盗んできたのか?」

「なにバカなこと言ってるのさ。
 鍋とかを買ったあの荒物屋さんにお願いしてたのを、さっきもらってきたんだよ」

「ああ、クーニアさんとこか」

 オレは口ひげの優男の顔を思い浮かべた。
 彼ならどんな物を調達してきても不思議ではないような気がする。

「抜いてみてよ」

「ああ」

 言われるままに、オレは鞘から刀身を引き抜いた。
 どこか透明感のある青みがかった白銀の刀身だ。
 鍔と柄頭には流線型の意匠の飾りが彫り込まれており、美術品としても価値がありそうに見える。

「この金属ってもしかして」

「ああ、さすがにカズ程度でも気付くんだね。
 剣と鞘の鯉口部分には僕の爪を精錬したミスリル銀が使われてるよ。
 荒物屋さんにお願いして、腕のある鍛冶屋さんに打ってもらったんだ。
 ゲーム風にいえばミスリルソードってことになるね」

「いつの間に」

「毎日カズが料理してる間、僕はヒマだったからね」

 そういえばシルバーはいつの間にかトヨケに依頼したりもしていたのだ。
 姿が見えなくても特に気にはしていなかったのだが、街で色々動いていたのだろう。

「オレにくれるのか」

「うん、僕の爪の垢でも煎じて飲んでろってメッセージだと思ってね」

 憎まれ口を叩いてはいるが、オレが碌な剣を持っていなかったから、用意してくれたのだろう。
 剣にこだわりがなく、あまり活用する機会もなかったので、オレはこれまでずっと安物のショートソードをほとんど手入れもしないまま使っていた。
 そしてそれもシェル・クラーケンとの戦いでいよいよダメになっていた。

「ありがとう」

「人としてのレベルの低さを補うには、これぐらいの剣は持っておかないとね」

「ありがとうを撤回する」

 暴言を吐かないと死んでしまう病気にでもかかっているのではないだろうか。
 それともこれが竜という種族の特質なのか。もしそうならば、竜が人間とあまり相容れない存在であることも納得できる。
 もっとも、人間と相容れる存在なんてのは前の世界でもこの世界でもほとんどいないのだが。

「ミスリルは魔力を伝達する金属なんだ。
 魔力を込めて使うことで普通の攻撃に魔法の効果や威力を上乗せすることができるよ」

「ふーん」

「おや、反応薄いね。こういうのはすべての男の子の憧れじゃないの?」

「まあカッコイイとは思うぞ」

「そういえばカズの転生贈与ギフテッドスキルはどんなんだっけ。まだ教えてもらってなかったよね? 魔法系じゃないの?」

「ああ、オレのスキルな……。
まあつまりアレだ。非戦闘系というか日常系というかライフハック系というか」

 たしかに異世界転生した時の贈り物ギフトとして、オレも一つだけスキルを身につけていた。
 個人的にはとても優れたスキルだとは思うのだが、その良さを人に説明するのが難しいのだ。

「んー、よく分かんないな。けっきょく何ができるの?」

 隠していても仕方がない。変に期待値を高めてしまうのも悪手だし、ここはさっさと説明しておくに限る。

「小さじ一杯を正確に測るスキルだ」

「え?」

 少しの間沈黙が落ちた。
 シルバーがおずおずと口を開いた。

「ごめんね、なんて言ったかよく聞こえなかったんだけど……。
 もう一度言ってくれる?」

「だから、塩とか砂糖とか液体とかを、適当にすくっても小さじ一杯を正確にすくい取れる能力なんだよ」

「あー、そういう……」

 曖昧に消える語尾。
 そしてシルバーにしては珍しく、こちらを気遣うようにことさら明るい声で言い直した。

「便利だよねー。
 戦闘スキルなんて使う機会もそんなにないけど、小さじ一杯を計るのは毎日でも使えるもんねー」

「そんな優しさを見せないでくれ。いっそバカにされたほうがすっきりする」

 転生してきた際、漫画とかで見るような特殊な能力が自分にも備わっていることに気づいて一瞬喜んだ。だが、それが小さじ一杯を正確に測ることができる能力だと知れた時には、むしろ無能力の方が良かったと思った。

 生活する上で便利な能力ではあるのだが、それならばふつうに小さじを用意すればいいだけの話しである。
 かくし芸かなにかくらいには使えそうだが、魔力には関係のないスキルだ。

「せっかくのミスリルソードだが、宝の持ち腐れになるな」

 オレがそう言うと、シルバは首を振った。

「生きているだけで誰でも多少の魔力は持っているから、誰が使っても少しは切れ味の向上があるんだよ。
 それにミスリル自体、軽くて硬い素材だからね」

 とても珍しいことに、シルバーがどこまでも気遣いを見せている。
 逆にいえば、それだけオレが可哀そうだと思われてるってことだ。

「じゃあいただくことにする。
 せっかくのお前の爪の垢だし、ありがたく煎じて飲ませてもらうよ」

「よい心掛けだね。じゃあ、もう行くね」

 そう言うとシルバーはさっさと行ってしまった。
 しごくあっさりとしてるなと思ったが、考えてみればここにいてもシルバーにはやることがなくて暇なのだろう。
 けっきょくどれぐらいで戻ってくるのかは言っていなかったが、あいつの足なら竜の郷とやらでも数日の距離といっていたような気がする。

 とりあえずオレは、シルバーが置いていったコカトリスの肉の切り分けに取り掛かる。
 今から下味を付けておけば、晩にはしっかりと味の染みたフライドチキンが作れるだろう。
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