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5.暗転 2
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病院のベッドの上にいた。
左腕から太い管が伸びて点滴のパックに繋がれていた。
ぱちぱちと瞬きをして見回すと、カーテンが半分ほど閉じている大きな窓が見えて、そこから暗い色の陽が射していた。どうやら時刻は夜に近いようで、寝ている部屋は個室で他に誰もいなかった。
「あら。気づかれましたか」
ちょうど入室してきた看護師が郁に気づいて声をかけた。
「血圧と脈を確認させてくださいね。気分はどうですか? 気持ち悪くないですか?」
テキパキと仕事をする看護師に、郁は答えた。
「大丈夫、です……」
「もうちょっとしたら、別の病院に移送されるそうなので、待っていてくださいね」
「え……」
「あ、重病だからではないそうですよ」
それから三十分後には迎えが来て、なぜか室見の両親の伝手があるという病院に移された。まだ茫然としていた郁は、さして理由も問わずにされるがままになっていた。
やがて医者がやって来て、郁に治療の説明をしていったが、ほとんど頭に入らなかった。避妊効果のある抑制剤を飲んでいることもあるので、胃や腸管の洗浄などは行わないとか、検査もあるので退院は明後日以降になると告げられ、授業はどうなるのか、と思い至って急に嵐のような昼間の記憶が蘇って蒼白になった。
その後、校長が病室にやってきて、昼間の状況を二、三聞かれた。その際に、理科準備室で倒れた郁と室見を見つけたのは西条で、郁は救急車で運ばれたと教えてもらった。校長は、今後のことはまた後日、と言い残して出ていった。
しんと静まり返った病室は、すっかり夜になっていた。手をつけられていない食事が、サイドテーブルにいつの間にか置かれて冷えていた。
なんてことを、してしまったのだろう。
真っ白い天井の向こうを見つめていると、昼間の記憶がフラッシュバックする。
ーー愛してる。
変声したてのまだ不安定な男声を思い出すと、ゾクリと背が震え、耳が熱くなる。この期に及んでいまだに意志に逆らう身体に失望する。
その声の主である、室見はどうしているのだろうか。
まだ幼い彼は、今日のことをどう思っているだろう。
中学二年生だ。これからたくさんの出会いがあるはずの、未来ある子供だ。
性の経験はきっと初めてだったはず。それがこんなことになって、彼の心に深刻な傷を残してしまったに違いない。アルファのヒートは、オメガのヒートによって強制的に引き起こされてしまう。室見はあそこで、郁と関係を持つことになるとは夢にも思わなかっただろう。授業後の後片付けを手伝おうと入った小部屋で、埃くさい床で、獣のように担任教諭とまぐわうことになるとは、つゆほども思わなかっただろう。
室見はいつも純粋な瞳で、恋に恋をしているような顔で、郁を見ていた。嵐のような昼間の行為さえ起きなければ、美しい思い出として、残ることができただろうに。
けれど、すべて壊れてしまった。
彼に会って、謝罪したい。
けれど、謝って何になるのだろう。
彼と交わってしまったことを覆すことなどできないというのに。
わからない。どうしたらいいのか、見当もつかない。彼のために力になれることがあるのなら、どんなことでもする。けれど、できることなど今さら何もないとしか思えなかった。
郁は濡れた顔を両手で覆い、固いベッドの上でようやく朝方に少しだけ眠った。
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病院のベッドの上にいた。
左腕から太い管が伸びて点滴のパックに繋がれていた。
ぱちぱちと瞬きをして見回すと、カーテンが半分ほど閉じている大きな窓が見えて、そこから暗い色の陽が射していた。どうやら時刻は夜に近いようで、寝ている部屋は個室で他に誰もいなかった。
「あら。気づかれましたか」
ちょうど入室してきた看護師が郁に気づいて声をかけた。
「血圧と脈を確認させてくださいね。気分はどうですか? 気持ち悪くないですか?」
テキパキと仕事をする看護師に、郁は答えた。
「大丈夫、です……」
「もうちょっとしたら、別の病院に移送されるそうなので、待っていてくださいね」
「え……」
「あ、重病だからではないそうですよ」
それから三十分後には迎えが来て、なぜか室見の両親の伝手があるという病院に移された。まだ茫然としていた郁は、さして理由も問わずにされるがままになっていた。
やがて医者がやって来て、郁に治療の説明をしていったが、ほとんど頭に入らなかった。避妊効果のある抑制剤を飲んでいることもあるので、胃や腸管の洗浄などは行わないとか、検査もあるので退院は明後日以降になると告げられ、授業はどうなるのか、と思い至って急に嵐のような昼間の記憶が蘇って蒼白になった。
その後、校長が病室にやってきて、昼間の状況を二、三聞かれた。その際に、理科準備室で倒れた郁と室見を見つけたのは西条で、郁は救急車で運ばれたと教えてもらった。校長は、今後のことはまた後日、と言い残して出ていった。
しんと静まり返った病室は、すっかり夜になっていた。手をつけられていない食事が、サイドテーブルにいつの間にか置かれて冷えていた。
なんてことを、してしまったのだろう。
真っ白い天井の向こうを見つめていると、昼間の記憶がフラッシュバックする。
ーー愛してる。
変声したてのまだ不安定な男声を思い出すと、ゾクリと背が震え、耳が熱くなる。この期に及んでいまだに意志に逆らう身体に失望する。
その声の主である、室見はどうしているのだろうか。
まだ幼い彼は、今日のことをどう思っているだろう。
中学二年生だ。これからたくさんの出会いがあるはずの、未来ある子供だ。
性の経験はきっと初めてだったはず。それがこんなことになって、彼の心に深刻な傷を残してしまったに違いない。アルファのヒートは、オメガのヒートによって強制的に引き起こされてしまう。室見はあそこで、郁と関係を持つことになるとは夢にも思わなかっただろう。授業後の後片付けを手伝おうと入った小部屋で、埃くさい床で、獣のように担任教諭とまぐわうことになるとは、つゆほども思わなかっただろう。
室見はいつも純粋な瞳で、恋に恋をしているような顔で、郁を見ていた。嵐のような昼間の行為さえ起きなければ、美しい思い出として、残ることができただろうに。
けれど、すべて壊れてしまった。
彼に会って、謝罪したい。
けれど、謝って何になるのだろう。
彼と交わってしまったことを覆すことなどできないというのに。
わからない。どうしたらいいのか、見当もつかない。彼のために力になれることがあるのなら、どんなことでもする。けれど、できることなど今さら何もないとしか思えなかった。
郁は濡れた顔を両手で覆い、固いベッドの上でようやく朝方に少しだけ眠った。
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