子兎とシープドッグ

篠原皐月

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本編

第15話 予想外の話

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 その翌日。出勤してくる社員で賑わっている、星光文具本社ビル一階正面玄関ホールに、一際鋭い声が響き渡った。

「弘樹!!」
「おう、祐司。お前、朝からどうしてそんな怖い顔をしてるんだ?」
 駆け寄ってくる友人に向かって、弘樹はのほほんと声をかけたが、相手は険悪な雰囲気を隠そうともせず、弘樹のネクタイを掴んで引き寄せながら、いつもより若干低い声で恫喝した。

「お前、いい加減にしろよ? このところほぼ連日、彼女と一緒に手作り弁当を食べやがって!!」
 予想はしていたものの、その八つ当たりに弘樹は笑い出したくなった。しかしそんな事をしてしまったら、相手を益々怒らせる事は分かり切っていた為、精一杯真面目な顔を取り繕いながら言い返した。

「別に、お前にどうこう言われる筋合いは無いぞ? 空振りしている綾乃ちゃんの心遣いを、俺がフォローしているだけだからな」
「それは昨晩、彼女から電話で聞いた!」
 そこで祐司が苛立たしげに叫んだ台詞が予想外だった為、弘樹は思わず口走った。

「ほぅ? 何だ、それなりに彼女にちょっかいは出してるんだ。一歩も進展が無い割に、頑張ってるじゃないか」
「五月蝿い! そうじゃなくて、幸恵分の弁当が余ったら俺に連絡をくれるとか、人目に付かない所で弁当を食べる位の配慮があってしかるべきだろうと言ってるんだ!!」
「だってお前、外回りかもしれないだろ? それに一緒に弁当を食べる位で綾乃ちゃんと噂になれば、密かに綾乃ちゃんラブのうちの親父にも面目が立つし」
「弘樹……」
 ギリッと歯軋りでもしそうに微妙に顔を歪めた祐司を、弘樹は苦笑気味に宥める。

「安心しろ。親父はこの噂程度で、俺がちゃんと綾乃ちゃんに言い寄っているらしいと、すっかり安心しているみたいだし。流石に綾乃ちゃんの職場に押し掛けて『うちの息子の嫁になってくれ』なんて言う程の、非常識なアホじゃないから、今すぐどうこうって事もないだろう」
 淡々とそんな事を言われた祐司は、溜め息を吐いて項垂れた。
「……何か今一瞬、お前みたいな息子を持った社長に、もの凄く同情した」
「俺に文句を言う前に、そもそもの原因に文句を言えよ。ほら、ちょうど来たぞ?」
「え?」
 祐司が振り返って弘樹が指差した方向を見やると、スーツ姿の幸恵が出社してきた所だった。そして男二人としっかり視線が合ってしまった幸恵は、微妙に視線を逸らしつつ近付き、一応直属の上司である弘樹に挨拶をする。

「……おはようございます」
「やあ、おはよう荒川」
「それでは失礼します」
 不自然な程、爽やかな笑顔で声をかけた弘樹の前を通り過ぎて行った幸恵の背中に、彼が不思議そうに声をかけた。
「おい、エレベーターに乗らないのか?」
 弘樹達が立っていた場所の、すぐ近くに有ったエレベーターの扉と彼の声を無視し、幸恵は階段を使う事にしたらしく、無言のまま奥へと進んだ。それを見やって弘樹が苦笑いする。

「……やれやれ、随分嫌われたもんだなぁ」
「俺が? お前が?」
 皮肉っぽく顔を向けられた祐司は、渋面になって尋ね返したが、今度は弘樹が顔を顰める。

「両方、と言うか、会社全体? 今回の事で、下手したら辞めるかもしれないなぁ、あいつ」
「何だ、それは?」
「ああ、うん。単なる俺の所感だから、お前は気にするな」
 そう言って話を終わらせた弘樹を見て祐司は眉を寄せ、無言のまま小走りで幸恵の後を追いかけた。そして通路の奥にある階段を急ぎ足で上って行くと、二階から三階にさしかかる辺りで幸恵の姿が見える。

「おい、荒川。ちょっと待て」
 反射的に祐司が呼び掛けたが、それは失敗だったらしく、それを合図に幸恵は勢い良く階段を駆け上がり始めた。
「こら! まさか本気で、十階まで階段で行く気じゃ無いだろうな!?」
 慌てて自身も駆け上がりながら、祐司が上方に向かって叫んだが、負けず劣らずの怒声が降ってくる。

「ほっといてよ! あんたに関係ないでしょ!?」
「ああ、確かに関係ないかもしれんがな、目の前で馬鹿な事されるとムカつくんだよ!」
「じゃあ見えない所に行って、勝手に笑ってれば良いじゃない!」
「俺はそんなに性格が悪いと思われてるのかよ!?」
「性格は悪いし頭も悪い上に、すっごく無神経よね!」
「何だと!? お前、人の事を言えた義理か!!」
 そんな風に二人で怒鳴り合いながら階段を駆け上がった為、商品開発部がある十階に辿り着いた時には、さすがに二人とも廊下に膝を付いて、へたり込んでしまった。

「……っの、無駄口、叩き、ながら、駆け上がる、からっ……、息、切れたじゃ、ねぇかっ!」
「こっちの……、勝手、でしょ! 嫌ならっ、黙って、エレベーター、使い、なさい、よ」
 階段がある場所はフロアの端に当たり、出勤してくる社員に見咎められる心配は殆ど無い為、それから少しの間、二人はへたり込んだまま乱れた息を整える事に専念した。そして何とか落ち着いた祐司が立ち上がりながら、唐突に幸恵に声をかける。

「昨日、彼女と少し電話したんだが」
「彼女って、誰の事よ」
 薄々分かっていながら、幸恵が素知らぬふりで問い返しながら立ち上がると、祐司が真顔で告げた。

「君島綾乃。彼女、お前に振られまくってても、全然こたえてないし、怒ってもいないぞ」
「だから何? 彼氏に良い顔したいだけなんじゃないの?」
「彼氏、ね……。俺はお前みたいに、彼女に熱烈に迫られた事なんて皆無なんだが……」
 ムキになって言い返した幸恵だったが、それを聞いた祐司は一瞬遠い目をした。しかしすぐに真顔になって、幸恵に言い聞かせる。
「お前さ、やりすぎたし言い過ぎたなって、もう自分では分かってるよな? でも意地っ張りだから引っ込みが付かなくなって、自分ではどうしたら良いから分からなくなって、困ってるんだろ?」
 そう言われた幸恵の顔が、僅かに引き攣った。

「何を言ってるのよ?」
「プライドの高いお前が、頭を下げて謝りたく無いって事位、分かっているつもりだ。お前にも、言い分はあると思うしな。だから納得できない事には頭を下げなくて良いし、謝罪の言葉も口にしなくて良いから、あの子の弁当を、一緒に食ってやってくれないか。頼む」
 祐司は終始冷静にそう言って、最後に軽く頭を下げたが、言われた幸恵は瞬時に頭に血を上らせた。

「ふざけないで!! 何が『だから』なのよ!?」
「彼女だったら一々口にしなくとも、お前の気持ちは分かってくれると思うから。言いたい事はそれだけだ、邪魔したな」
 そして疲れたように小さく息を吐いてから、祐司は営業部のある八階目指して階段を下りて行った。それを無言で見送った幸恵が、涙目になりながら小さく呟く。

「……何よ、勝手に自分の言いたい事だけ言って」
 しかしそんな恨み言めいた囁きを、幸恵自身の他は、誰も耳にしてはいなかった。

 その日の昼時も相も変わらず、綾乃は二人分の弁当持参で商品開発部を訪れていた。
「こんにちは、お邪魔します。お疲れさまです、幸恵さん!」
「…………」
 もうこの頃には商品開発部内では綾乃の訪問は周知の事実となっており、周囲からは場を弁えない綾乃に対する呆れ果てた感の視線や、未だに頑なな幸恵に対する非難の眼差しが降り注いでいた。しかしそんな視線を物ともせず、綾乃がすっかり恒例となった台詞を繰り返す。

「あのっ! 今日、お昼をご一緒しませんか? 今日はおかずに幸恵さんの好きな」
「これまで何度も五月蝿いしウザいって言ってるでしょ! 傍迷惑なストーカー行為はもううんざりよ、いい加減にして!!」
「きゃっ……」
「……っ!」
 にこにこと機嫌良く巾着袋からランチボックスを取り出し、幸恵の方に綾乃が軽く差し出したところで、幸恵が腹立たしげに叱りつけながら反射的にその手を叩いた。その結果、まともに片手に衝撃を受けた綾乃が手にしていたそれを取り落とし、更に悪い事に、蓋を開けて中身を幸恵に見せようとロック部分に軽く手をかけていた為、弾みで蓋が開いて床に中身が半分程零れ落ちる。
 取り落とした綾乃は勿論、その事態を引き起こしてしまった幸恵も咄嗟に次の動作に移れずに固まり、周囲の者達もどうなる事かと狼狽して互いの顔を見合わせる中、些か脳天気な声がその場に響き渡った。

「ああ、すぐに言わなくて悪かったね、綾乃ちゃん。実は今日、昼は荒川と食事をしながら、ちょっと込み入った話をする事になってたんだ。そういう訳で今日は遠慮して貰えるかな?」
 徐に椅子から立ち上がり、二人に向かって歩きながら弘樹が告げると、綾乃が彼に向かって恐縮気味に頭を下げる。

「あ、そうだったんですか? すみません、分かりました。それならどうぞ、お二人で行って来て下さい」
「ごめんね? じゃあ悪いけど、ここの片付けも任せて良い?」
「はい。こっちが勝手に持って来たんですから、責任を持って私が片付けます」
「よろしく」
 気を悪くした風情など感じさせず、綾乃が穏やかに笑って請け負うと、弘樹は釣られたように笑って、軽く綾乃の肩を叩いた。そして周囲の者に向かって呼びかける。

「すまないが、誰か彼女に掃除用具の場所を教えてやってくれないか?」
「はい、分かりました」
「えっと、君島さんだよね。これとか使って良いから」
「このビニール袋、使って良いよ?」
「ありがとうございます」
 弘樹の声で、周囲の何人かが呪縛が解けたように綾乃に声をかけつつ近寄り、早速後片付けが始まった。それを尻目に弘樹は幸恵の手首を掴み、強引に引っ張りながら歩き出す。

「ほら、荒川。ボケッとしてないで行くぞ」
「ちょっと待って下さい! 私には話なんてありません!」
「こっちには有るんだよ。付いてこないなら俵担ぎして行くが、どっちが良い?」
 廊下に出た所で弘樹に両目を細めて睨み下ろされた幸恵は、どう見ても本気で言っているとしか思えないその表情に、抵抗を諦めた。

「……歩いて行きますので、手は放してください」
「最初からそれ位、素直にしてろ」
 如何にも面白くなさそうに呟かれて幸恵は気分を害したが、言いたい文句を何とか飲み込んで弘樹の後に続いて歩き出した。
 そして社屋を出て五分程歩いた所にある鰻屋に連れ込まれた幸恵は、小上がり席に案内され、弘樹が注文を済ませるまで辛うじて大人しくしていたが、店員がその場を去った直後に声を潜めて文句を付けた。

「それでお話って何ですか? しかも六千五百円の特上を注文するなんて、何の嫌がらせですか?」
「安心しろ、ここの支払いは俺がする。取り敢えずこれを見ろ」
「何ですか、これは?」
 憮然とした表情で、弘樹がスーツの内ポケットから折り畳まれた何枚かの用紙を取り出し、幸恵に向かって差し出した。それを一応受け取りつつ幸恵が問いかけると、弘樹が皮肉っぽく口元を歪める。

「今社内で、結構な噂になってるだろ? 公子さんの裏の査定評の事」
「ええ……、そうみたいですね。一部の人間が、戦々恐々としているみたいですが」
「その中で、お前の初期新人研修時の評価分を、コピーして貰って来たのがそれだ」
「どうしてそんな物……」
 笹木公子が会長夫人であり、社長の信頼厚い、陰の査定係長でもある事が明らかになってからは、社内では大多数の者が公子に対して腫れ物に触るような扱いをしており、その査定表については幸恵も多少は気にはしていたが、最近のあれこれでどうせろくな評価は下されていないだろうと、かなりやさぐれた心境で手の中にそれを黙って見下ろした。

「興味ないか? 見て構わないぞ」
「それでは失礼します」
 声をかけられた幸恵は、今更取り繕う事も無いかと割り切り素直にページを捲ったが、すぐにその内容に軽く目を見開く事になった。

「どの項目も高評価だろ。総合も五段階評価で最高のSだしな。これ、親父に言わせると、毎年一人出るか出ないかの貴重な判定なんだそうだ。……しかも俺にはその下のAしかくれなかったのに。本当に公子さんはシビアだから」
 とっくに内容に目を通している弘樹が、頬杖を付きながら愚痴っぽく漏らし、幸恵に注意を促す。

「その最後の、総合コメント欄を見てみろ」
 言われた通り、幸恵が最後のページ下半分を占めているスペースに目を向けると、枠内をびっしり埋めるように文字の羅列が並んでいた。それを丁寧に視線で追っていると、弘樹から補足説明が入る。

「公子さんは、例え最低ランクのDの奴でも、散々欠点を並べ立てた後で必ず最後に何か誉める事を一つは書くんだよ。公子さんに言わせると『そこを伸ばさないと救いようがない』って事らしいけど」
「……それで?」
「お前に対してのコメント。誉め言葉ばっかりだろ? だけど最後に『無駄にプライドが高く、容易に自分の非や過ちを認められない』って書いてある。だからこれは『ここを改めさせれば完璧』って事なんだろうな」
「…………」
 幸恵が微妙な表情でその用紙を見下ろしていると、唐突に弘樹が苦笑混じりに言い出した。

「公子さんの話では、これを見せた時、親父が滅茶苦茶喜んだそうだ」
「は? どうして社長が喜ぶんですか?」
 意味が分からなかった幸恵が、思わず顔を上げて問い質すと、弘樹は予想外の事を口にした。

「お前、最初から商品開発部希望だっただろう? だけど勤務形態が流動的で出張や残業が多い上に男ばかりの職場だから、『そんな部署に夢乃さんの姪を入れるわけにはいかない』と、親父が当初、人事部に他の部署の配置を検討させていたらしいんだ。本人の意思丸無視だが、これもある意味、コネでの贔屓だよな」
「何ですかそれは!?」
 思わず用紙を掴んだまま空いている方の手で拳を作り、力一杯テーブルを叩いて怒鳴りつけると、弘樹は周囲を気にしながら困り顔で幸恵を宥めた。

「ちょっと落ち着け、そうなってないのは、お前が一番分かってるだろ」
「そうですね……。でもそれならどうして、私の希望が通ったんですか?」
「その動きを人事部の人間から耳打ちされた公子さんが、それを不思議に思いながら、この原本を親父に見せつつ言い放ったそうだ。『何に目を眩ませているのかは分かりませんが、適材適所が出来ないトップなど無用です。さっさと後進に社長の椅子を譲りなさい』って。おっかねぇよなぁ」
 そういってずずっと湯飲みのお茶を啜った弘樹に、幸恵が幾分放心した様子で問いかける。

「本当に社長に向かって、そんな暴言を吐いたんですか?」
「らしいな。そうしたら親父が『公子さんみたいな人が居てくれて良かった。俺は筋を曲げずに済んだし、優秀な人材を腐らせずに済んだ』と言って、その場でお前の商品開発部配属が決定して、今に至るってわけだ」
「何なんですか、それは」
 思いがけなく自分の配属に関わる裏話を聞かせられた幸恵は、精神的な疲れを覚えて、深い溜め息を吐いた。それを見た弘樹が小さく肩を竦める。

「公子さんはその後、どうして親父がお前の配属に手心を加えようとしたかずっと疑問に思っていたらしいが、今回の騒動で漸く分かったと笑ってたよ。『要するに惚れた女性にそっくりな姪に、苦労させたく無かったのね』って」
「それこそ、余計なお世話です!」
「だよなぁ。だけど公子さんにピシッと言われて、その後親父はお前に対して何も配慮らしい事はしてないから。寧ろお前の時のそれを反省して、綾乃ちゃんが入社した時には、『是非公子さんの下でビシビシ鍛えて、有能な社員に育ててくれ』と、公子さんがドン引きする勢いで迫ったらしい。それで公子さんも容赦なく、指導していたそうだけど」
「……そうですか」
 それを聞いた幸恵は、ある意味自分のせいで一癖も二癖もある人物に、現在進行形でこき使われているであろう綾乃に対し、一瞬罪悪感を覚えたが、口に出しては何も言わなかった。そこで弘樹が、微妙に話題を変える。

「だから、あっさり信じないかもしれないが、お前は実力で入社試験に受かったし、力量を認めて貰って将来を期待されて商品開発部に配属になったし、これまでの業績にも一切手心なんぞ加えられてない。あのライティシリーズでは、お前、最後まで反対していたしな」
「は? あのしょうもないシリーズが、どうしたんですか?」
 話の流れに付いていけず真顔で問い返した幸恵に、弘樹は思わず額を押さえて呻いた。

「お前、本当に正直って言うか、真っ直ぐだよなぁ……。今だから言うが、あれは試金石だったんだと。商品開発部内で、俺におもねる奴らがどれだけ居るかを調べる為の。……道理で宣伝費が通常の六分の一しか認められない筈だぜ、あの狸親父」
「すみません、係長。もう少し分かりやすく、説明をお願いします」
 何やらブツブツと聞き取りにくい声で悪態らしき言葉を吐き始めた弘樹に、眉を寄せた幸恵が解説を促すと、彼は心底嫌そうに口を開いた。

「だから……、社員令息の俺に媚びへつらう人間が多くて目に余るわ、画期的な商品開発が最近出来ていないわで、上層部で最近の商品開発部の有りようが密かに問題視されてたんだよ。それで親父がライティシリーズの原案を家で俺から聞いた時、『こんなショボい物を認めて進める気なら、力量も自ずと知れるな』と考えて、素知らぬ顔で『良いんじゃないか?』とか言いやがって、永瀬部長に注意深く部内の状況を探らせていたそうだ。勿論、上層部には損失覚悟って事を了解済みでな。全く、真面目に売り込んでた連中は、好い面の皮だぞ」
「なっ! じゃあ社長は損失覚悟で、敢えてあの馬鹿な企画を潰さなかったって言うんですか? 私はすっかり、社長のバカボン贔屓だと思い込んでましたよ!」
 思わず驚愕して叫んだ幸恵に、弘樹は溜め息で応じた。

「誰が『バカボン』だ……。だから、宣伝費がいつもより認められなかったって言っただろ? 結果、あの案をベタ誉めして開発推進して、売り込みかけた青山課長は、秋の人事異動で責任を取らされて北海道支社に異動決定。同様に杉崎主任、勝又、秋田、夕神、瀬川も他に異動で、支社とかから集めて、新しい奴と入れ替える。あ、これはまだオフレコな?」
「はぁ……」
(あのしょうもないシリーズを売り出した裏に、そんな企みが有ったわけ? 呆れて物が言えないわ)
 こんな事をやっている勤務先は大丈夫なのだろうかと、幸恵が密かに不安を覚えていると、弘樹がさらっと聞き捨てならない事を口にした。

「ああ、それで荒川。この際ついでに言っておくが」
「何ですか?」
「最後まであれの商品化に頑強に反対してたお前が、同じ秋の異動で主任昇格な」
「はぁあ!?」
「当然だろ? 十分、物を見る目を持ってるんだし」
 思わず幸恵が絶句して固まると、タイミング良く店員が長方形の盆を両手で捧げ持って声をかけてきた。

「お待たせしました。ご注文の品をお持ちしました」
「どうも」
 そして弘樹が愛想笑いで応えると、二人の前に同じ盆が置かれ、早速弘樹が容器の蓋を外して食べ始める。
「ああ、旨そうだな。ほら昇任の前祝いだ、食え」
 そうして鰻や肝吸いに手を伸ばして満足そうに食べ始めた弘樹を見て、幸恵ものろのろと手を動かし、静かに食べ始めた。しかし二口、三口食べたところで、ぼそりと呟く。

「……どうして、あんな話をしたんですか?」
 大体の理由は分かっていたが、何となく問い詰めずにはいられない心境の幸恵がそんな事を口にすると、弘樹はそっけない口調で理由を告げた。

「だってお前、この間、有象無象の奴らに叔母夫婦のコネで入社したんじゃないかとか、お前の企画が通ってたのは、社長に手心を加えられてたんだろうとか陰口叩かれて、結構気にしてただろ。このタイミングで主任昇格の話が出たらまた五月蝿いだろうから、今のうちに言っておこうかと思っただけだ。それにお前、もっと引っ込み付かなくなってるだろ、綾乃ちゃんの事」
 言われた幸恵はピクリと肩を動かしたが、弘樹は敢えてそれを見なかったふりをした。

「あの子が祐司と噂になったのも、あの場で祐司が庇ったのも面白くなくて、余計に口が滑ったんだろ? そうでなけりゃ、お前ならもう少し冷静に対処してた筈だ。別れた男に未練たらたらでいる位なら、最初から別れるなよ。ど阿呆が」
 そう言って再び黙々と弘樹が食べ始めると、少ししてから項垂れていた幸恵から、僅かに湿っぽい声が聞こえてきた。

「言われた事位、一々他人に言われなくても分かってます。と言うか、今回の事で、否応なく理解させられました」
「それなら良かったな。ほら冷めないうちに食え」
「いただきます」
「……だから、辞めるなよ?」
「はい?」
 気持ちを切り替えて食事に専念しようかと思った矢先、唐突に口にされた言葉に、幸恵は思わず箸の動きを止めて弘樹を見やった。すると弘樹が常には見られない真剣さで、幸恵を見返してくる。

「人員入れ換えで、ただでさえごたつく時に、戦力が居なくなると困るんだよ。物の分からん連中からの色眼鏡とかやっかみなんぞ、ハナから無視してろ」
 そう言い捨てて再び黙々と食べ続ける弘樹を、何気なく観察し続けた幸恵は、ふいにある事に思い至った。

(色眼鏡とかやっかみって……、親の七光りとか散々言われているこの人が、一番言われてるわよね? 実は普段結構気にしているから、私があまり気にしないように言ってくれたわけ?)
 そして何とも言い難い顔で黙り込んだ幸恵を見て、何を思ったか弘樹は不愉快そうな表情で口を開いた。

「……何だ? 言っておくが俺に惚れるなよ?」
「あ?」
「今現在、可愛い恋人達を整理して、難攻不落な女を攻略中なんだからな。仕事はともかく、プライベートでお前に構ってる暇はない」
(何ほざいてんのよ、このバカボンが! 一瞬でも見直しかけた私が馬鹿だったわ!!)
 真顔で盛大に勘違いされた事を言われた幸恵は、途端に顔を引き攣らせ、怒りまくって相手を怒鳴りつけた。

「ふざけるんじゃ無いわよ、このチャラ男!! 誰が、ショボい案しか出せないあんたになんかに惚れるか!! せめて私を唸らせる位の仕事をしてから、寝言を言いなさいよね!?」
「お前、奢って貰ってその態度は何だ!?」
「馬鹿に、阿呆呼ばわりされる筋合いは無いって言ってるのよ!」
「なんだと!?」
 その怒鳴り合いで、店側から控え目な抗議を受けてしまった後、二人は肩身の狭い思いをしながら、食事を済ませる羽目になった。
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