裏腹なリアリスト

篠原皐月

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18.美子の愚痴

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 半月に一度定期的に訪れている、桜査警公社の広々とした一階ロビーに美子が足を踏み入れた途端、同伴してきた美樹が笑顔になってぶんぶんと勢い良く右手を振った。

「かづちゃ~ん! さくちゃ~ん!」
 その場違いな声と姿に、フロア中の人間が驚いて美子達に視線を向ける中、美樹に呼び掛けられた老夫婦が、満面の笑みで歩み寄って来る。

「おう、美樹ちゃん。今日も元気で可愛いな」
「待ってたのよ? 今日もお母さんがお仕事中は、私達と遊びましょうね?」
「うん!」
「それでは美子さん、また後で会おう」
「はい、美樹を宜しくお願いします」
「任せて頂戴。さあ、行きましょうか」
 あっさり二人に付いて上機嫌で歩き出した娘を見送った美子だったが、未だに社内で絶大な影響力を保持している元会長と元社長に子守をさせるのかと、事情を知らない社員や偶々居合わせた訪問者達の驚愕と戦慄の視線を一身に浴びてしまった美子は、小さく溜め息を吐いた。

(来る度に視線を集めるのは、何とかならないものかしら? 加積さんも桜さんも、わざわざ一階ロビーで美樹を待ち構えていなくても良いのに)
 思わず愚痴っぽく考えていた美子に、控え目に声をかけてくる人間がいた。

「それでは会長、今日も宜しくお願いします」
「分かりました」
 ひょんな事から、ここの会長職を桜から押し付けられて早三年。美子はこの間に色々達観し、恭しく出迎えに来た副社長の金田と彼の秘書の寺島に先導されて、会長としての業務をする為にエレベーターへと向かった。
 そして会長室に入った美子が、寺島の指示に従い黙々と書類と格闘する事一時間強。一般的な興信所では不可能な組織や企業の内偵調査や、国内外の要人の警護や監視移送を高額で請け負う、特殊な組織であるこの桜査警公社で、門外漢の彼女がする仕事と言えば、諸々の事項の承認に必要な署名と捺印位の物ではあるが、溜められていた書類を何とか全部捌いて、溜め息を吐きながら顔を上げた。

「ええと……、これで全て終了かしら?」
「はい、ありがとうございます。そちらの応接セットにお茶の支度をさせますので、少々お待ち下さい」
 一応確認を入れると、最後の書類を受け取った寺島が深々と頭を下げた。それに美子は頷いてから、静かに立ち上がる。

「分かりました。じゃあ加積さん達はお隣ね? 声をかけてきます」
「お願いします」
 そして美樹を同伴して出向く様になってから、彼女の遊び部屋と化してしまった絨毯敷きの隣室へと続くドアをノックをしながら、顔を出した美子だったが、室内の光景を見て呆気に取られた。

「失礼します。書類を片付けましたので、今、お茶の支度を……」
「ぽいっ! まるっ! ぽいっ! かくっ! かくっ! ぽいっ!」
 何やらしゃがみ込んだ金田が手にしている書類の山から、美樹が一部ずつ取り上げては、何やら声を上げながら加積や桜が持っている箱の中に、または床にそれを投げ捨てているのを見て、美子は戸惑いながら声をかけた。

「美樹? 何をしているの?」
 しかし美樹は、簡単に答えて作業を続行する。
「よしき、しごと! ぽいっ! まるっ! ぽいっ! かくっ! おありっ!」
「やあ、綺麗に片付いたなぁ、美樹ちゃん」
「本当、お利口さんね」
「うん!」
 誉められて嬉しそうに頷いた美樹だったが、美子には散らかした様にしか見えず、困惑した視線を夫妻に向けた。

「加積さん?」
「いや、ちょっと試しに美樹ちゃんに、仕事の仕分けをさせてみただけだ」
「仕事の仕分け……」
 呆然としながら呟いた美子に、床に落ちた書類を拾い集めながら、金田が説明を付け加える。

「この一週間で、うちに持ち込まれた依頼の分類です。優先して引き受けるべき仕事は加積様がお持ちの箱に、余裕があれば受ける仕事は桜様の箱に、うちで受けなくても他でできる仕事や、物騒過ぎる仕事は床に捨てて貰いました」
 しかしそれを聞いた美子は、本気で呆れた。

「金田さん! 美樹は適当に分けているだけよ? 口は達者でも、まだ読み書きはできませんから! 今の説明も、美樹が聞いても理解できない筈よ?」
 その美子の訴えにも、その場の面々は平然と答えた。

「はい。ですから美樹様には『○の仕事は加積様に、△の仕事は桜様に、×の仕事は床に捨てて下さい』とお願いしました」
「別の意味で、益々無茶振りだと思うんですが!?」
「美樹ちゃんは表紙を見ただけで、勘で分けている筈よ? 流石に美子さんとあの子の子供だわ。凄いわねぇ」
「勘って、桜さん!」
「これがなかなか侮れなくてな。分類されたのを軽く見ただけでも、なかなか良い線をいってるぞ?」
「加積さんまで、冗談は止めて下さい!」
「これで桜査警公社は安泰です。美樹様が中学を卒業されたら、是非こちらに。これで私も十三年後には安心して引退できます」
「美樹は今、二歳なんですが!? 青田買いにも程がありますよ!」
 とうとう悲鳴じみた声を上げた美子だったが、ここで加積達が唐突に話題を変えてきた。

「ところで『最終兵器投入』とは、何の事かな?」
「え?」
「妹さんが四人もいると、色々賑やかそうね」
「……はぁ」
 美樹の話で動揺していた為、咄嗟に誤魔化す事ができなかった美子は、僅かに顔を引き攣らせた。

(する気も無かったけど、美樹に口止めなんて無理だったわね。遊んでいる間に、何をどこまで言ったのよ?)
 夫妻の口調は穏やかながらも、うやむやに誤魔化せる空気では無かった為、美子は娘に恨めしそうな視線を向けた。そして状況を全く理解せず、にこにこしている美樹の横から、桜が楽しそうに笑いながら声をかけてくる。

「美子さん?」
 そこで美子は隠すのを完全に諦め、入ってきたドアの向こうを指し示しながら提案した。

「分かりました。それでは向こうでお茶の支度をして貰っていますから、飲みながらお話します」
「そうか。じゃあ美樹ちゃん、おやつにしよう」
「うん!」
 そして四人で移動し、ソファーで座ってお茶とオレンジジュースを飲みながら歓談に突入したが、美樹が黙々とケーキを食べている横で美子が洗いざらい美実と淳の顛末を語ると、加積は本気で感心した様な表情になった。

「それはまた……、大変だな」
「一人で産んで育てるのを決意するなんて、雄々しい妹さんね」
「はあ……」
 桜は最初から最後まで面白そうな表情を変えずに話を聞いていたが、加積は比較的真面目に美子に声をかけた。

「しかし浮かない顔だな、美子さん」
「さしずめ、振り上げた拳の下ろし所が分からないと言った所かしら?」
 桜に小さく笑われて、美子は思わず拗ねた様に顔を背ける。

「分かってらっしゃるなら、わざわざ口に出さないで下さい」
「あら、怒っちゃった?」
「……少々」
「まあ、ごめんなさいね」
(全然悪いと思っていなさそうなんですが?)
 ころころと笑っていた桜だったが、ここで加積が軽く妻を窘めた。

「桜、あまりからかうな。だが美子さんも、もう少し放置したら頃合いを見て、ちゃんと当人同士で話し合いをさせた方が良いな」
「ですが」
「年寄りの言う事は、素直に聞くものだ。特に厄介な年寄りの言う事はな。そうしないと、後が面倒だぞ?」
(そういう理由付けをして、自分を納得させろと、そういう事ですか)
 厄介な年寄りのカテゴリーで括ると、長年裏社会を陰で牛耳ってきた目の前の老人以上に厄介な年寄りには、日本中探してもそうそうお目にかかれない事は十分承知していた為、美子は苦笑いしながら小さく頷いた。

「分かりました。加積さんのご指摘に逆らうのは怖いので、頃合いを見て、きちんと当人同士で話し合わせる様にします」
「そうだな」
 加積も苦笑いで頷いてからは美樹を交えて話は盛り上がり、それなりに楽しく一時を過ごして美子と美樹は桜査警公社を後にした。
 その二人が乗り込んだタクシーを自社ビルの前で見送ってから、桜が同様に斜め後ろに佇んでいた金田を笑顔で振り返り、さり気ない口調で言い出す。

「金田? ちょっと調べて欲しい事があるのだけど」
「どういった事でございましょう?」
「あなたも給仕をしながら、会長室で聞いていたでしょう? 美子さんの妹さんと揉めた、彼氏さんの実家の事よ。温泉街の名称と小早川という名前が分かれば、調べるのは容易よね?」
「はい。それでは、どういった内容を調査すれば宜しいでしょうか?」
 旅館の名称や住所と連絡先程度ならものの十分で判明する為、それ以上の事がお知りになりたい筈と、金田が察しを付けてお伺いを立てると、桜は微笑みながら容赦の無い事を言い出した。

「所在地や連絡先は勿論の事、旅館としての評価、温泉街での経営者一家の評判、旅館の経営状態、従業員の内情、主要取引銀行、提携先の旅行会社、不動産の評価、その他諸々、そこを潰そうと思った時に必要な情報全てよ」
 すました顔で言ってのけた桜に、金田は僅かに眉根を寄せ、加積の顔色を伺いながら問い返す。

「……潰すおつもりですか?」
 しかし加積は素知らぬ顔で微笑み返し、桜は平然と言い返した。

「だって、どう考えてもすんなり纏まる気がしないんだもの。潰すまでには至らなくても、『備えあれば憂いなし』と言うものね」
「恐れながら桜様の行為は、静まり返っている池に、岩を投げ込む如き行為かと」
 一応控え目に苦言を呈してみた金田だったが、桜は全く聞いていない風情で、楽しげな笑顔を見せた。

「久しぶりに、信用調査部門の類い希なる調査能力と迅速な行動力を、実感させて頂戴ね?」
「畏まりました。少々お時間を頂きます」
 加積が止めない以上、桜にそこまで言われて拒否する事はできなかった金田は、恭しく頭を下げてビル内に戻ってから、早速部下に指示を飛ばし始めた。
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