裏腹なリアリスト

篠原皐月

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53.交渉成立

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 人知れず美野と淳が、顔を合わせた翌日の朝。いつも通りの時間に起き、着替えて出勤の支度をしていた秀明のスマホが、着信を知らせた。

「社長、朝早くから申し訳ありません」
「どうした。わざわざ電話してくる位だから、緊急の用件だろう?」
 相手の第一声で、桜査警公社の人間だと判明した為、話を促してみると、何故か電話の向こうから困惑気味の声が聞こえてくる。

「緊急と言えば緊急ですが……。そちらの門の前に、先程から男が一人立っています」
「うちの門の前にか? 不審者なら一々俺の判断を仰がず、さっさと排除しろ」
 それ位判断できないのかと、秀明は内心で苛ついたが、次の説明で相手が対応に迷った理由が分かった。

「それが……。その男は社長のご友人で、義妹さんの元彼で、今現在小野塚部長補佐が嫌がらせをしている人物だと思うのですが……」
 それを聞いた秀明は、思わず盛大な溜め息を吐いた。

「分かった……、そいつは俺が対応する。報告ご苦労だった」
「いえ、それでは失礼します」
 そうして通話を終わらせた秀明は、さっさと片を付けるべく、部屋を出て玄関へと向かった。

「おい、淳。そんな所で、朝っぱらから何をやってるんだ?」
 玄関を出て門に到達した秀明は、門の鍵を開けながら向こうにいる筈の淳に声をかけると、姿を見せた淳は少し驚いた様に問い返した。

「どうして分かった? インターホンで呼び出したりはしていないが」
「この家は今現在、桜査警公社の会長社長夫婦の自宅だからな」
「そう言えばそうだったな」
「それで?」
 忘れていた事を思い出して苦笑いしてから、淳は真顔で申し出た。

「悪いが美子さんに話があるから、呼んできてくれないか? 電話が繋がらないから、直接出向かないと駄目だと思ったが、夜に許可無く押しかけたら、それだけで門前払いだと思ったから。朝の時間帯に誰かが出て来た時、話を通して貰おうと思ったんだ」
 それを聞いた秀明は、無意識に額を押さえて呻いた。

「何となく朝の方が、『この忙しい時に何をしに来た』と門前払いを食らいそうだが……。とにかく中に入れ。こんな所で突っ立っていたら、隣近所に何事かと思われる」
「すまん」
 渋面の秀明に促され、淳は敷地内に入り、玄関まで案内された。

「じゃあ、ここで待ってろ。美子を呼んでくる」
「頼む」
 そして淳が開け放たれた玄関の外で、待つ事数分。
 エプロンを着けた美子が、不気味な笑みを浮かべながら玄関の上がり口にやって来た。

「まあ、小早川さん、お久しぶりです」
「おはようございます。ご無沙汰しております」
「ところでこの朝の忙しい時に、一体どういったご用件でしょうか? わざわざ世迷い言を放言しに来たのなら、即刻主人に叩き出して貰いますから、そのおつもりで」
 挨拶を交わしながらも、にこやかに嫌味をぶつけられた淳は、気合いを入れて美子を見上げながら申し出た。

「いえ、くだらない話をお聞かせする為に、わざわざ朝の忙しい時間に押しかけたりはしません」
「そうですか。それではご用件をお伺いします」
「この前、美実と会った時に話した件ですが。私に子供の名前を考えさせて下さい」
「…………」
 唐突に言われた内容を聞いて、美子は無言で眉根を寄せ、一歩下がっていた秀明は、慌てて前に出ながら淳を窘めた。

「おい、淳。お前、いきなり何を厚かましい事を言ってるんだ?」
 しかし淳は、真剣な表情で美子を見据えながら言い募った。

「これは単なる俺の我が儘から出た、身勝手な要求ではありません。この間、どうすれば『子供の父親としての責務を果たす資格と力量を示す』事になるのかを考えていましたが、子供の親として最初に果たすべき義務は、どうしても自身で名前を選べない子供に、その成長を願い、喜んで貰える名前を付ける事だと思いました」
「…………」
「淳、お前……」
 美子は変わらず無表情のまま、秀明は少し驚いた様な顔付きで、淳の話に耳を傾けた。

「加えて、これまで美実との意志疎通が疎かになっていた事に対する償いとして、全面的に名前の決定を美実に任せる事も考えましたが、そうすると単なる責任の丸投げに過ぎません。ですから、必ず美実の意見や考えに合った名前を、俺自身で考えてみせますので、それで俺の父親としての資格と力量を認めて頂けないでしょうか?」
「…………」
 そう言って淳は頭を下げたが、相変わらず美子は無言のままだった。そのまま数秒経過した為、さすがに淳を不憫に思った秀明が、妻に声をかける。

「……美子?」
 すると美子は薄笑いを浮かべ、まだ頭を下げ続けている淳を見下ろしながら、冷静に言い返した。

「一応、言っておきますが、美実は結構こだわりが強いし、こうと決めたら引かない性格ですよ? あの子が気に入る名前をあなたが易々と考えつくとは、とても思えませんが」
 それを耳にした淳は、ゆっくりと上半身を起こしてから、落ち着き払って答えた。

「美実の性格については、分かっているつもりです」
「好みや人生観については、殆ど分かっていなかったみたいですけどね」
「…………」
「美子。それ位で」
 全く反論できずに黙り込んだ淳を見て、秀明は思わず口を挟んだ。しかしここで美子が、事務的に話を進める。

「良いでしょう。その条件、飲みましょう。あなたが、美実が納得する子供の名前を考える事ができたら、子供の父親と認めてあげるし、美実とも普通に会わせてあげます」
「ありがとうございます」
 何とも寛大な申し出に、淳は笑顔になって頭を下げたが、美子はすかさず釘を刺した。

「礼を言うのはまだ早いわ。それに下手な鉄砲も数打ちゃ当たる的に、手当たり次第に名前を出す様な無粋な真似はされたく無いので、毎週土曜日、男女の名前を一つずつFaxでうちに送って下さい。それの可否はこちらでお知らせしますが、期限は美実が出産するまでとします。この条件ではどうですか?」
「それで結構です。宜しくお願いします」
 淡々と話を進める美子に淳は反論する事無く、再度頭を下げる。

「それでは話は終わりですね。美実には私の方から伝えておきますので、お引き取り下さい」
「それでは失礼します。朝からお時間を頂き、ありがとうございました」
 そして淳があっさりその場を立ち去ってから、秀明がどこか納得しかねる顔つきで美子に尋ねた。

「美子。良いのか?」
 しかし彼女はそれに、機嫌良さげに応じる。
「構わないわ。本当にあの子が気に入る様な名前をあの男が考え付くか、見物だもの」

 そして不敵に笑いながら中断していた朝食の支度を再開するべく、美子は台所へと戻って行き、秀明は、(名前か……。ここで外す真似はしないでくれよ?)と、どうにも不安を拭えないまま、彼女を見送ったのだった。
 その顛末は早速朝食の席で、美子から藤宮家全員に披露される事となった。

「皆、ちょうど揃っているから聞いて頂戴。実はさっき、小早川さんが訪ねてみえたの」
「はぁ?」
「『さっき』って、いつ?」
「小早川さんが?」
「どうして?」
 さり気なく投下した爆弾発言に、秀明以外の全員が困惑した表情になったのを眺めながら、美子は如何にも楽しそうに笑いながら話を続けた。

「それがね? なかなか面白い申し出をされて……」
 そして静まり返った食堂で一通り説明した美子は、最後に美実に確認を入れた。

「……と言うわけで、これから毎週土曜日に、小早川さんが子供の名前を男女一つずつ考えてくるから、美実はそれが子供の名前に相応しいと思うかどうか判定して頂戴」
「分かったわ」
 硬い表情のまま美実が頷くと、美幸が戸惑いながら確認を入れた。

「あの……、美子姉さん? 本当にそんな事で良いの?」
「そんな事? 美幸にはこれが、そんなに簡単そうに思えるの?」
「え? だって……」
 不思議そうに切り返されて、美幸は益々困惑したが、そんな戸惑いなど美子は気にせずに、不気味な笑みを家族に向かって振り撒いた。

「小早川さんが、一体どんな名前を考えてくるのか楽しみね。早く土曜日にならないかしら」
「…………」
 満足げにそう告げてから、何事も無かったかの様に美子は食事を再開し、昌典と秀明も何か言いたげな顔をしていたものの、口には出さずに食べ続けた。一方で美実は真剣な顔で何やら考え込んでいたが、そんなカオスな空間と化した食堂内を見回しながら、美幸が隣の美野に囁く。

「なんか美子姉さんの笑顔が、黒くて怖いんだけど……」
 それについては激しく同感だった美野は、密かに淳にアドバイスした内容が間違いだったかと、若干不安になりながら囁き返した。

「本当ね。相変わらずこの件に関しては、お父さんとお義兄さんは口を出す気配は無いし、もう誰にも美子姉さんを止められないわ」
「うちのラスボスって、やっぱり美子姉さんだよね」
 そんな風にこそこそと囁き合っている二人の向かい側で、この間大人しく食事をしていた美樹が、「なまえ?」と不思議そうに小首を傾げていた。
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