裏腹なリアリスト

篠原皐月

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85.主張と謝罪

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「すみません、凄く助かりました。まさか裏からあっさり入れて貰えるとは、思っていなかったです」
 軽く見上げながら嬉しそうに礼を述べてきた美実に、飯島は引き攣り気味の笑顔で応じた。

「はあ……、上がどことどう話を付けたのか、私共にも詳細な所は分かりませんが……」
「妊婦ですし、まさか長時間待たせられませんよ。でも今年はこの時期で良かったですね」
「そうですね。普通だと三月の下旬開催だから、それだと完全に三十六週目に入ってしまうもの。そうなると、流石に主治医の先生も、人出の多い所への外出には良い顔をしなかったと思うし」
 にこやかに語り合いながら、会場内を歩いていく女性二人の一歩後を歩いていた飯島は、密かに心の中で呻いた。

(いや、今の時点でもこういう場所に来ると分かっていたら、止めたんじゃ無いだろうか?)
 しかしそんな心中など察する気配もない真紀は、くるりと背後を振り返って、彼に声をかけた。

「飯島先輩、次はあそこです。行きますよ」
「すみません、人寄せパンダならぬ人避けパンダっぽい役割をして頂く事になって……」
「いえ……、お役に立てて光栄です」
 ただでさえ、かなりお腹の目立つ美実と、スーツ姿の真紀と飯島の組み合わせは明らかに異端であり、会場に入った直後から遠巻きにされていた。そして飯島が眼光鋭く周囲を睥睨すると、その視線を避ける様に、忽ち人垣が左右に分かれる。

(もう余計な事は考えずに、さっさと終わらせよう)
 色々諦めた飯島は、目的のスペースまでの道が開けた事を確認して、美実達を促した。

「それでは藤宮様、どうぞ」
「ありがとうございます。手早く終わらせますね」
 美実も周囲の迷惑は認識しており、すぐに次の行動に移った。その背中を眺めながら、飯島はタイピン型のイヤホンマイクに囁く。

「移動、左十時方向十メートル、確認」
「……了解。それから会長がそちらに接近中」
「は?」
 しかし型通りの報告に、予想外の報告が返って来た為、飯島は一瞬、己の耳を疑った。

「ええと……、これとこれをお願いします」
 そして目的のブースで本を選んだ美実が会計をしていると、至近距離で交わされている会話の内容が聞こえてきた。

「ねえ、さっき会場に、着物姿の女の人が居たんだけど」
「はぁ? 何よそれ」
「ここはコスプレ禁止なのを知らなかったとか?」
「でも最近、着物姿のキャラっていたっけ?」
「覚えがないわ」
 そんな内容を耳にした美実は、ある可能性を考えて、僅かに顔を強張らせた。

(着物……。美子姉さん? まさかね。だってこれまでは、普通の格好で来てたし……)
 思わず足を止めて考え込んだところで、異常を察した真紀が声をかけてくる。

「美実さん、どうしましたか? どこか具合が悪いなら」
「ううん、ごめんなさい、何でもないの。次に行きましょうか」
 そこで飯島が、控え目に声をかけてきた。

「あの……、藤宮様。あちらを……」
「え? あちらって何……、げっ!?」
 彼が指差した方向に目を向けた美実は、思わず上擦った声を上げた。
 美実達に加えて完全正装の美子まで揃っては、周囲の者達の興味を引かないわけにはいかず、徐々に人垣ができ始める。

「美子姉さん!? こんな所でそんな格好で、一体何をやってるのよ?」
「あなたを連れ戻しに来たのに、決まっているじゃない。それに荒事になるかもしれないと思ったから、きちんと勝負服を選んで来ただけよ」
(勝負服の意味について、二重三重に突っ込みを入れたい)
(まさか俺達が、会長相手に荒事に及ばないといけないのか?)
 慌てて問い質した美実だったが、周囲の人目もなんのその、美子は堂々と出向いた理由を述べた。それを聞いた真紀と飯島が、内心で色々思いながらも無言で顔を見合わせる中、その二人の前に立つ美実は、気圧されながらも美子に向かって訴えた。

「その……、美子姉さん。私、まだ色々と加積さん達に聞きたい事があって……」
「まだ、気が済まないと、そういうわけ」
「……はい」
 弱々しい口調ながらも、しっかりと意見を述べた妹に、美子は目つきを険しくしながらも、冷静に話を進めた。

「それならきちんとあなたの口から、直に聞きたかったんだけど」
「何を?」
「どうしてそんなに、加積さんの本を書きたいの? 作家として名前を売りたいため?」
 真っ正面から問われて、美実は一瞬口ごもったものの、すぐに真剣な表情で口を開いた。

「それはそうだけど……、認めて貰いたいの」
「誰に」
「淳のお母さんに」
「……帰るわよ」
 正直に美実が口にした途端、美子が吐き捨てる様に言いながら足を踏み出し、空いている手で素早く美実の腕を取った。それを見た真紀と飯島が、慌てて二人の間に身体を滑り込ませる。

「すみません、美子様」
「申し訳ありませんが、それは」
「まだ帰らないから! お母さんには私の書いた本を読んでもらう事が出来なかったから、その分も淳のお母さんには認めて貰いたいの! それに美子姉さんは、昔から私がどんなに下手でもヘマしても褒めてくれたから、本当に褒めて貰える本を書くんだから!」
 二人は美実の腕から美子の手を引き剥がそうとしたが、突然美実が大声で主張した為、驚いて動きを止めた。同様に美子も目を瞬かせたが、次の瞬間、いかにも不愉快そうな表情になって呟く。

「私が……、今の今まで義理と欲目だけで、あなたを褒めていたとでも言いたいの?」
「そうは言ってないけど! だけど!」
 自分でもどう言って良いか分からないもどかしさを感じながら、美実が尚も言い募ろうとするのを、美子は溜め息を吐きながら手振りで止めた。

「……分かったわ。護衛が二人や三人なら力づくで何とかしようかと思って、幾つか持ってみては来たけど、さすがにこの人出だから、それ以上の人間が配置されているみたいだしね。取り敢えず、気の済むまでやって来なさい」
「『力づくで』って、一体何を持って来たんですか?」
「乱闘騒ぎにならなくて良かった……」
 美子の発言を聞いて、真紀は彼女が手にしている大きめのハンドバッグの中身を想像して戦慄し、飯島は安堵の溜め息を吐いた。すると美子が、再度美実に向かって声をかける。

「だけど、それならそれで、私に直接言わないといけない事があるわよね?」
「ええと……、その……。ご心配おかけして、誠に申し訳ございません! それにこれからも、ご迷惑をおかけします!!」
「分かっているなら話は早いわ。それなら、これからあなたがしないといけない事を、私がいちいち口にしなくても良いわね?」
「……お付き合いします」
「宜しい。付いて来なさい」
「はい」
 勢い良く頭を下げた美実と、高圧的な美子との間で話がついたらしく、美実はおとなしく美子の後に付いて歩き始めた。当然、真紀と飯島もその後ろに付いて歩き出したが、前を気にしながら真紀が詳細を尋ねる。

「あの……、美実さん? どういう事ですか?」
 その問いに、美実は飯島にも聞こえる様に囁き返した。

「実は美子姉さんも、春コミ常連者なんです。夏と冬のコミケにも出向いてますけど」
「はい?」
「私とは違う作品のファンで……。これまでも良く二人で、他の家族には内緒で出向いて来てるんです」
「そうでしたか……」
「姉が妊娠中も付き添いで来ましたし、姪が産まれた後は私が家で子守をして、姉が帰って来たら入れ替わりに出向いてました」
 飯島は(それなら勝負服云々言ってないで、せめて普通の服で来て下さいよ)と心の中で泣き言を言いながら、懸念を口にした。

「それは分かりましたが、どうして美子様の後に付いて行くんですか? 美子様は先程黙認する発言をされましたが、奥様達にお伺いを立てる事態になると、少々拙いのですが……」
「このままどこか外に出るわけではありません。この間心配をかけたお詫びに、自分の欲しい同人誌を買えと言う事です」
「それなら私達的には助かりますが……。それで宜しいんですか?」
「美子姉さんが何も言わないし、宜しいんじゃないでしょうか?」
「了解しました」
 この姉妹にはもう何も言うまいと飯島は心に決め、黙って進んでいくと、すぐに美子が立ち止まった。

「さあ、美実。手始めにあそこね?」
 指さされたスペースを確認した美実だったが、それ以上動こうとしない姉に、戸惑った視線を向けた。

「ええと、それは分かったけど、どの本を買えば良いの? 選んで貰わないと」
「あら、決まってるじゃない。あそこのサークルの出品物全部、一部ずつよ」
「全部……」
 ひくっと頬を引き攣らせた美実に構わず、美子は淡々と言いつけた。

「ほら、グズグズしない。ここが終わったらここと、ここと、ここもよ?」
 いつの間にかパンフレットをバッグから取り出し、既にラインマーカーで丸を付けてある配置図を差し出して見せながら美子が指示した為、真紀が慌てて駆け出そうとした。

「分かりました! 取り敢えず、私が行って来ます! 全種類一部ずつですね!?」
「それなら、このエコバッグを持って行きなさい」
「……お借りします」
 すかさず冷静にハンドバッグから畳み込まれたエコバッグを手渡され、真紀は(確かに会長も常連者だわ)と納得した。そして真紀を見送った美実が、財布の中をのぞき込みながら、涙目で項垂れる。

「うぅ……、ぐ、軍資金が……」
「藤宮様、大丈夫ですか? あの、ここは私が立て替えておきますから」
「すみません、飯島さん」
 さすがに不憫になった飯島が申し出ると、彼の肩を軽く美子が叩いた。

「それなら、これをあなたに渡しておくわ」
「え? 何をでしょう?」
「こういう所では当然カードは使えないし、お釣りの準備も大変だから、大きなお札だと嫌がられるのよ。この封筒には千円札二十枚と五百円硬貨十枚、こっちには百円玉五十枚が入っているわ。お釣りが無いように購入。それがここでの暗黙の了解なの」
 そう説明をされながら、膨らんだ封筒を二つ差し出された飯島は、財布から一万円札を三枚取り出し、それと引き換えに封筒を受け取った。

「……ありがとうございます。こちら三万です」
「はい、確かに頂きました」
 ずしりと重い封筒を手にしながら、飯島は(そう言えば美実さんも、さっきから釣銭無しで会計を済ませていたな)と遠い目をしてしまった。
 それから指定された場所を全て回り終え、美子は満足そうに背後の三人を振り返った。

「これで全部回ったわね。美実、今日はどうもありがとう。これからは、また好きな所を回って良いわよ?」
「ええと……、それなら遠慮なく、そうさせて貰います。お父さん達に、くれぐれもよろしく」
「美実!!」
 冷や汗を流しながら美子に別れの挨拶をしていた美実だったが、その場に鋭い自分に呼びかける声が響いた為、慌てて声がした方に向き直った。すると人波を掻き分けるようにして、淳が猛然と走って来るのを認める。

「え? ……淳!?」
「あら、面倒なのが。このタイミングで来なくても良いのに」
 驚く美実の横で、美子が小さく舌打ちし、真紀と飯島は素早く彼女達の斜め前に回り込んで、不測の事態に対処するべく身構える。そんな緊迫した状況の中、会場中を走り回って来たらしい淳が、息を乱しながら彼女達の前にやって来て、足を止めて叫んだ。
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