裏腹なリアリスト

篠原皐月

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86.会場の中心で仕事への愛を叫ぶ

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「そんな身体で、こんな所で何をやってる! さっさと帰るぞ!」
 問答無用の気配を醸し出しながら美実に手を伸ばした淳だったが、すかさず飯島がその腕を掴み、真紀が二人の間に身体を滑り込ませる。

「小早川様、それは困りますのでお引き取りを」
「美実さん、こちらに来てください」
「五月蠅い、お前らは引っ込んでろ! 邪魔する気なら、纏めて叩きのめすぞ!」
「淳、こんな所で騒ぎを起こすな!」
 背後から追い付いた秀明も一緒になって、一触即発の状態の淳と飯島を引き剥がそうとする混沌とした状況の中、美実は慌てて淳を宥めようとした。

「ちょっと待って、淳! 二人とも私の付き添いをしてくれてるのよ? 乱暴はしないで!」
 その主張に全く納得できなかった淳は、盛大に噛み付いた。

「なんだと? こいつらはどのみち誘拐犯の一味だろうが! どこに気遣う必要がある?」
「だから、どうして誘拐犯なんて言うのよ!」
「現に、お前が帰って来ないだろうが!」
「だって加積さんへの取材が、まだ終わってないんだもの!」
「そんな物はどうだって良いだろ!」
 それは淳にしてみれば当然の言い分だったのだが、美実は到底納得できなかった。

「どうでも良くないわよ、これは立派な仕事なのよ!?」
 悉く言い返され、これまで色々溜め込んでいた淳は、そこで腹立ち紛れに叫んだ。

「お前って奴は! その頭で、少しはまともに考えろ! 第一、お前は俺と仕事の、どっちが大事なんだ!?」
「そんなの仕事に決まってるじゃない!! 当たり前でしょう!?」
 完全に売り言葉に買い言葉状態で美実が絶叫した瞬間、その場に微妙な沈黙が満ちた。そして静まり返った事で我に返った美実が、恐る恐る口を開く。

「あの……、その、今のは……」
「……何だと? ふざけるなっ!!」
「……っ!?」
 淳の剣幕に、美実が目を見開いて全身を強張らせ、無意識に飯島と真紀が彼女を庇う体勢になる。そんな中、淳の怒声が続いた。

「この無神経女! 今まで俺がどれだけ、ぐあっ! ……なっ、何!?」
「美子!?」
「藤宮様!?」
 淳が憤怒の形相で美実を非難する叫び声を上げた瞬間、彼の頬にかなりの衝撃の一撃がお見舞いされた。しかもそれが拳では無く、草履の裏で殴打された為、美実を初めとしてそれを目にしたその場全員が、一人残らず絶句する。
 しかし張本人の美子は、右手に握っていた草履を床に置き、何事も無かったかのように履き直してから、淳に冷え切った視線を向けた。

「ごめんなさいね。あなた如きを殴るのに、自分の手を使うのが勿体なかったものだから」
「何が『ごめんなさい』だ! しかも手を使うのが勿体ないって、人を馬鹿にするのもいい加減に」
「あなた、自分の仕事に誇りを持って無いの?」
「いきなり何を言い出す」
 抗議の台詞を遮りながら、美子が唐突に口にした内容を聞いて、淳は取り敢えず怒りを抑え、訝しげな表情になった。すると美子が冷静に話を続ける。

「それなら分かり易く言ってあげるけど、あなたは美実と仕事のどちらが大事かと尋ねられたら、美実の方が大事だと、即答できるわけ?」
「……っ、それはっ!」
 僅かに顔色を変えて淳が口ごもると、美子は不敵に微笑んでみせた。

「良かった。底無しの馬鹿じゃなくて。これで『美実の方が大事に決まってる』とか平気でほざく、脳内がお花畑か綿菓子頭の持ち主だったら、今度は右頬を草履で叩いてやらないといけないところだったわ」
 その口調から、彼女の紛れもない本気を悟った真紀は、無意識に口走った。

「何それ……、やっぱり会長って怖い……」
「しっ! 菅沼、黙ってろ!」
 当事者達を刺激しないように、飯島が警戒を解かないまま小声で窘めていると、更に美子の声が響いた。

「無条件に美実を優先できないなんて当然よ。仮にあなたが仕事で出廷中に、美実が危篤なんて事になっても、容易に連絡は取れないし、その場で仕事を放り出す訳にもいかないわ。自分の仕事に誇りと責任を持っているなら、当然の事よ。時と場合によりけりでしょうね」
「…………」
 すこぶる冷静に指摘した美子に淳は無言だったが、ここで彼女は微妙に口調を変えた。

「それなのに、あなたはさっき美実に対して、無条件に仕事より自分を取れと言ったも同然よね? そんな自分でも一概に比較できないような事を、相手には強要するなんて」
「いや、俺は強要したつもりは!」
「それとも? あなたは自分の仕事は法律に係わる、社会的にも認められた崇高な仕事だけど、それに対して美実の仕事は、誰が見ても取るに足らない、掃いて捨てる様などうでも良い、つまらない仕事だとでも言うつもりなのかしら?」
 狼狽気味に弁解しようとした淳の台詞を遮り、美子が凄んでみせると、ここで彼女の背後で涙目になった美実が、嗚咽を漏らした。

「ふっ、……うっ、……うぇっ、……っ」
「藤宮様!? 大丈夫ですか?」
「美実さん、このハンカチを使って下さい!」
 飯島と菅沼が慌てて美実の顔を覗き込みながら声をかけ、淳と秀明も焦ったように呼びかけた。

「だから俺は、何もそこまで言ってないだろ!」
「美実ちゃん! 淳はそんな事を思っては」
「黙りなさい。まだ話は終わって無いのよ」
「…………」
 そこで美子が鋭く男達の口を封じてから、簡潔に結論を述べた。

「何かと、誰かと比較して、自分の優位性を確認したいだなんて、精神的に子供と言われても文句は言えないわよね。はっきり言わせて貰えれば、そんな人間に妹を渡すつもりは無いわ」
「おい、美子」
 さすがに秀明が淳を庇おうとしたが、美子は容赦なく言い放った。

「さっきので、顔に汚れが付いているわ。文字通り顔を洗って、ついでに頭を冷やして出直しなさい」
「…………」
 その宣言に、淳は無言のまま表情を消して美子を見返したが、彼女はそれを無視して背後を振り返った。

「あなた達は行きなさい。この人達に邪魔はさせないわ」
「はあ……、それでは失礼します」
「美実さんは、責任を持って、お屋敷まで送り届けますので」
 内心(これで良いんだろうか?)と、微動だにしない淳達を横目で窺いながら、美実を促して歩き出した飯島達だったが、数歩も行かない所で、背後から美子が声を投げかけてきた。

「そうそう。言い忘れていたけど、今後は美実に週に一度は、家に電話をかけさせるように話を通して頂戴。家族が心配しているのでね」
「ですが、それは……」
 反射的に足を止めて振り向いた飯島だったが、彼に美子が笑いかける。

「そうでないと、美樹を連れて、連日公社に押し掛けますよ? 小野塚さんがいらっしゃらない時は、他の方に美樹の相手をお願いしますね?」
 それを聞いた瞬間、飯島は深々と彼女に向かって頭を下げた。

「分かりました。加積様にきちんと話を伝えておきます」
「宜しくお願いします」
 そして満足そうに頷いた美子に背を向け、再び美実に付き添って歩き出した飯島は、かなり険しい表情でマイクを口元に寄せて囁いた。

「聞いたな? すぐに部長に報告を上げろ。小野塚部長補佐から、加積様に話を通して貰え」
「……了解」
 そして人目を引く三人がその場を離れ、忽ち興味本位な人垣が崩れて周囲に再び喧騒が戻ったところで、美子はいつの間にか当事者の片方が姿を消していた事に気が付いた。

「あなた、小早川さんは?」
「おとなしく帰った」
 それを聞いた美子が、意外そうな表情になる。

「少しは文句を言うかと思ったのに。それに、あなたは付いていなくて良いの?」
「今は一人の方が良いだろう。あいつも反省しているから、これ以上は責めるなよ?」
「分かったわ。帰るからこれを運んで頂戴」
「了解」
 夫婦でそんな風に話が纏まり、秀明が苦笑しながら足元に置かれていた膨らんだエコバッグを持ち上げ、二人は会場を後にした。


「お帰りなさい、美実さん。どう? 楽しんできた?」
 加積邸に無事戻り、美実が挨拶に出向くと、桜が笑顔で尋ねてきた。それに美実は、なんとか笑顔を取り繕って報告をする。

「はい……、ちゃんと気分転換できました。それではちょっと、部屋で休んでいますので」
「ああ、疲れが残るといけないからな」
 加積も鷹揚に頷いた為、美実は改めて付き添ってくれた二人に礼を述べた。

「飯島さん、真紀さん。今日は色々、ありがとうございました」
「いえ、何事も無くて良かったです」
「お疲れ様でした」
 そして美実が部屋に引き取ってから、桜がその場に残っていた二人に、若干険しい表情で尋ねた。

「今日は外出先で何かあったの? 何だか美実さんの表情が冴えなかったけど」
 同様の事は加積も察しており、夫婦揃って問いかける視線を向けた。対する飯島は、慎重にお伺いを立てる。

「公社の方から、こちらに連絡が来ておりませんか?」
「今日はまだ何もきていない」
「そうですか」
 それを聞いて、思わず溜め息を吐いた飯島だったが、ここで真紀が鼻息荒く訴えた。

「加積様、聞いて下さい! あの男、頭ごなしに美実さんを叱りつけて、言うに事欠いて!」
「おい、菅沼!」
 その叫びを飯島が慌てて遮ろうとしたが、真紀は憤然として言い募る。

「だって遅かれ早かれ連絡は来るんですから、今ここでぶちまけたって構わないじゃ無いですか!?」
「お前の主観が入りまくりの報告なんか、できるわけ無いだろうが!」
「それならあなたが報告してくれれば良いわよね?」
「え? ですが、それは……」
 のんびりと口を挟んできた桜に、飯島が思わず口ごもると、加積も薄笑いをしながら有無を言わせぬ口調で促した。

「そうだな。君の口から、是非詳細な報告を頼む」
「……畏まりました」
 そして飯島は、まだ怒りが収まらない後輩を恨めしげに見やってから、客観的な事実関係だけを加積達に報告した。
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