裏腹なリアリスト

篠原皐月

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88.美実の懇願

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 同じ頃、暖かい日差しが入る座敷で、お煎餅をつまみながらお茶を飲んでいた蓮は、差し向かいで飲んでいる相手の様子を見て、声をかけた。

「美実さん、手が止まってるけど、大丈夫? 具合が悪いわけでは無いのよね?」
「あ、は、はい! 大丈夫ですよ? ちゃんと食べてますから! やっぱりお煎餅にはお茶ですよね? 茶葉も最高級品で、さすがです!」
 慌てて笑顔を振りまきつつ、湯飲みを傾けた美実を見て、蓮は小さく溜め息を吐いた。

(朝に顔を合わせた時も、いつもより食べていた位だったけど空元気に見えたし、これは重症よね。二人で早速お仕置きに行ったみたいだけど、どうなったのかしら?)
 帰ったら早速聞いてみようかと考えていると、タイミング良く廊下の方から人の気配が伝わり、加積と桜が姿を現した。

「戻ったぞ」
「ただいま。私達にもお茶を頂戴」
「加積さん、桜さん、お帰りなさい」
「どうでしたか?」
 二人に上座を譲り、笑顔で挨拶した美実の隣に移動しながら蓮が尋ねると、桜がおかしそうに笑う。

「ええ、それなりに、なかなか面白かったわ」
「そうですか」
 美実には分からないように桜が答えると、蓮も困ったように微笑んだ。そんな中、美実は一人、鬱々と考え込んでいた。
(やっぱり今度こそ、淳に呆れられたかも……。でも、ちゃんと書きたかったんだもの)
 そうして自問自答しつつ、弁解じみた事を考えていると、突如閑静な住宅街に、非常識な音量での叫び声が響き渡った。

「美実、聞いてるか!? 聞いてるよな!? ついでに、そこにいるくそジジイどもも、よ――っく聞きやがれ!!」
「え? な、何?」
 何が起こったのか、咄嗟に判断できなかった美実は、危うく湯飲みを取り落としそうになりながら、慌てて声がした方に向き直った。加積達も不思議そうに、庭の向こうに広がる塀の方に視線を向ける。

「あら?」
「どこから聞こえてきた?」
 そして屋敷内の人間の戸惑いなどは無視して、大音量の台詞が続いた。

「お前が、そこの妖怪ジジイの本を書きたいって言うのは、良――っく分かったがな!」
「これって……、まさか、淳!?」
「美実さんの男? 二人揃って面白過ぎるわね……」
 はっきりと淳の声だと認識した美実は瞬時に青ざめたが、蓮はおかしそうに笑っただけだった。

「そんなしわだらけの、棺桶に片足突っ込んだ死に損ないのジジイの事を書いて、一体何が楽しいってんだ! いいとこ、小金になるだけだろうが!? 第一それ位、俺は楽に稼げるぞ!!」
 その暴言を耳にした桜は、忽ち不快そうな顔になって、部屋の隅に控えていた笠原に声をかけた。

「……笠原、平木は何をしているの?」
「直ちに止めさせます」
「あ、あのっ! 桜さん、笠原さん!?」
 何となく、力ずくで排除するつもりだと感じた美実は、慌てて桜達の会話に割り込んだが、ここで淳が予想外の事を言い出した為、思わず絶句した。

「だいたい『仕事だったら何でも書くけど、楽しいに越した事はない』って言ってたのはお前だろ!? そんなジジイの事を書く位なら、俺の事を書け!!」
「はいぃ!? 何で!」
「……ほう?」
「何言ってるの? あの若造」
「自己顕示欲が強いのかしら?」
 加積は笑いを堪えながら、桜は機嫌が悪そうに、蓮は首を傾げて淳の話に耳を傾ける。

「確かにジジイより金は持ってないし、物騒な手下や子分や手駒なんぞは持って無いがな! 真っ当な社会的常識と、そのジジイに真っ向から刃向かう気力胆力は持ってるんだ! 大体、俺を名誉毀損で訴えるだと? ちゃんちゃらおかしいぞ。やれるもんならやってみやがれ!!」
 その破れかぶれにも聞こえる叫びを聞いて、一連の話を聞かされていなかった、美実は本気で驚いた。

「加積さん! 淳を名誉毀損で訴えるって、本当ですか!?」
「ああ、そのつもりだ。私が美実さんを監禁していると言っているからな」
「それは!?」
 落ち着き払って答えた加積に、美実は狼狽しながら弁解しようとしたが、淳の主張がその声をかき消した。

「だから美実! そんなジジイの側より、若くて顔良し頭良し型破りな俺の側にいた方が、はるかに面白い本が書けるぞ! 守秘義務に違反しない範囲で、内情話もありったけしてやる! だからさっさと出て」
「貴様! 何してる、黙れ!!」
「あぁ? 何しやがる! 離せ!」
 そして複数の男性の声が聞こえた直後、それまでの喧騒とは打って変わって元の静寂が戻り、美実は更に顔を青ざめさせた。
「え? ちょっと淳、まさか……」
 その可能性を肯定するように、桜が満足げに口にする。

「やっと平木が押さえたのね。対応が遅いんじゃない? 随分、好き放題言わせて」
「そう言うな。怪しげな車が大挙して押し寄せたのならともかく、奴は一人で来ただろうしな。取り敢えずカメラで、行動を監視していたんだろう」
「全く、ご近所迷惑じゃない。通報されていたなら、さっさと突き出して頂戴」
 怒りが収まらない様子で桜が言い捨て、加積と笠原が苦笑すると、美実が狼狽気味に叫んだ。

「あの、それは待って下さい!」
「どうしてかな? 美実さん。現に彼は私を誹謗中傷した上に、周囲の家の者にも不快な思いをさせていると思うが」
「それは……、淳も悪気があったわけでは無くて、私がここに居座って帰らないのが悪いわけで……。私が帰ったら、加積さんにご迷惑をかけないと思いますから」
 懇願する口調で述べた美実に対し、加積はここで冷静に尋ねた。

「それでは美実さんは、私の本が書けなくなっても構わないと? 今回はここに大人しく滞在する事との交換条件で、取材を許可したしな」
「はい。残念ですが、今回取材させて貰った物は全て、加積さんと桜さん立ち会いの上で破棄します。ですから、淳を訴える事は止めて下さい。お願いします。こんな事で、淳の経歴に傷を付けたくありません」
 加積の申し出に美実も無言で頷き、軽く頭を下げると、桜がいかにも興ざめだという感じで言い出す。

「あらまあ、つまらない事。自分の仕事より、あの男の仕事の方が大事だなんて、美実さんは間違っても言わないと思ってたのに」
「桜さん、それはちょっと違います。まだ期が熟していないと言うだけです」
「どういう事?」
 即座に否定の言葉を返してきた美実に、桜が怪訝な表情になる。加積と蓮も(何を言い出す気だ?)と訝しげな視線を向ける中、美実は大真面目に言葉を継いだ。

「加積さんに関しての本を書く事は、諦めていませんが、本来なら加積さんについて余すところ無く書ききる為には、今の私の力量では不十分だと思っています。今回はご本人からの申し出に、思わず甘えてしまいましたが」
「そうすると、どうする気かな?」
 冷静に尋ねた加積に、美実も真顔で応じた。

「何年かかるか分かりませんが、これから精進して、加積さんがご満足頂ける力量を持てた時に、改めて取材と執筆許可の申し入れに出向きます。ですから加積さん、あと三十年は長生きして下さい。お願いします」
 そう言って生真面目に頭を下げた美実に、蓮が加積を指差しながら声をかけた。

「美実さん、この人があと三十年生きたら、妖怪そのものになると思うけど。それでも良いの?」
「取り敢えずちゃんとお話ができれば、妖怪だろうが何だろうが構いません。幽霊になったら、さすがにお話しするのは無理だと思いますが」
 力強く頷いた美実を見て、加積と桜は呆気に取られた表情になってから、くすくすと笑い出した。

「そうか……、三十年か。それはなかなか、難儀だなぁ……」
「いやねぇ……、あと三十年も、足腰が立たなくなったこの人の面倒を見なくちゃいけないの?」
「ほら、下手に長生きすると、こいつに嫌がられそうだからな。一応約束は約束だから、帰る前に今回の取材内容は一度きちんと破棄して貰うが、美実さんだったらいつでもここに来て良いぞ?」
「え? それって、どういう……」
 夫婦揃って笑いながらの台詞に、意味を捉え損ねた美実が当惑すると、蓮が苦笑いで解説を加えた。

「だから、今回の記録は一度消して貰うけど、また改めて取材に来なさいって言ってるの。つまり、美実さんだったら、この屋敷の出入りをフリーパスにするって事よ?」
「あの、でもそれは!」
 いきなり提示された好条件に、美実がさすがに動揺したが、加積が笑いを含んだ笑顔で尋ねる。

「何か不服かな?」
「いえ、ありがとうございます!」
「よし、話は纏まったな。笠原、平木に奴をここに連れて来るように伝えろ。美実さんを帰すと言ってな」
「畏まりました」
「やれやれ、なんとか収まるところに収まりそうね。このままうちで、里帰り出産っぽくしてみたかったのに」
 そして桜も仕方がないと言った風情で肩を竦めた時、加積に頭を下げて前傾姿勢のままの美実を、不思議そうに眺めながら蓮が声をかけた。

「美実さん、どうかしたの?」
「ええと……、ちょっとお腹が痛くなってきたのかもしれません……」
 微妙に顔を引き攣らせながら、ゆっくり上半身を起こした美実を見て、尋ねた蓮以外の年長者達が揃って狼狽した。
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