ハリネズミのジレンマ

篠原 皐月

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第2話 とんでもない遭遇

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 改札口から出て来た綾乃に声をかけ、並んで歩き出した二十代後半の男を見て、柱の陰から密かに改札口付近の様子を窺っていた隆也は、思わずひとりごちた。

「やはりあの男か……」
 少し前から見当を付けていた人物が、綾乃の待ち合わせの相手だった事に隆也は満足しつつ、勝手に批評を始める。

「待ち合わせ場所で、女性を待ち受けるのは当然だな。綾乃ちゃんが先に来たなら、即刻連れ帰るつもりだったが。見た限り特段変な雰囲気を醸し出してはいないし、容姿も俺には劣るがそれなりだし、底抜けの馬鹿でも無さそうだが。……え?」
 そこで視界の端に入り込んだ一人の女性に、隆也は思わず眉を寄せた。

「何だ? あの女?」
 隆也が不審に思ったのは当然で、周囲の人間も彼女に不思議そうな視線を送っていた。

 何故なら初秋ではあるが、まだまだ寒さを感じるには余裕があるこの時期に、長袖タートルネックシャツは許容範囲内だとしても、それにドット柄のダウンベストを重ね、タイツにベストと柄を揃えたパッチワーク調のショートパンツにレッグウォーマーと言う出で立ちだったからである。とどめとばかりにごつい紐靴にチロリアンハットと来たならば、「今からどちらの山に行かれるんですか?」と問いたくなる様な、立派な山ガールスタイルだった。
 しかもコソコソと柱や壁の後ろに隠れながら移動をしており、「さあ、疑って下さい」と言わんばかりの不審さに、それを目にした隆也は最初唖然とし、次いで額を押さえてから無言でその女性の後方を歩き始めた。

 一方、周囲から密かに不審人物扱いされていた貴子は、それには気が付かないまま、祐司と綾乃の後をゆっくり歩きつつ満足そうに呟いた。
「うん、やっぱり写メールで見た通り、可愛いじゃない」
 そんな事を言いながら二人の様子を眺めていた貴子だったが、すぐに苛立たしげな表情になる。

「ちょっと! そこでさっさと手を繋ぐなり、腕を絡めたりするものじゃないの? 何をぐずぐずしてるわけ!?」
 いきなり文句を言い始めた貴子に、すれ違う通行人は驚いて避けて通って行ったが、貴子は構う事無く尾行を続けた。

「……っ、あぁ~、イライラする。何なの、あの初々しさ全開っぷり! 見てるこっちが鳥肌が立って来たわ。いっそのこと、さっさとホテルに連れ込まないかしら? 今だったら見逃してあげるわよ。全く」
 前日の発言とは百八十度異なる内容を口にしつつ、貴子は二人に怪しまれない様に横断歩道を渡り、彼らが歩いてるのとは反対側の歩道に移動した。そして緩やかな下り坂を少し歩き、喫茶スペースが併設されている洋菓子店に二人が入ったのを見届け、足を止める。

「あのお店に入ったか。確かに美味しいし雰囲気も良いけど、店内はそう広くは無いし仕切りも無いから、入ったら後をつけてるのがバレバレよね。うぅ……、あそこの極上ミルフィーユ、私も食べたい……」
 さすがに歩道に立ち止まっていると目立つ上に迷惑になると判断した貴子は、少し進んで細い路地に入る角に佇み、ウエストポーチから取り出したオペラグラスで、こっそりと斜め向かいビルの二階に入っている、問題の店を眺めた。偶々その店に入った事があった貴子が少々恨みがましく呟いていると、いきなり左肩に手が置かれ、低い声で誰何される。

「おい、お前。ここで何をしている?」
 その声に貴子は気分を害し、顔からオペラグラスを離しつつ振り返った。

「はぁ? そんなのは人の勝手でしょ? こっちは忙しいのよ。ナンパなら余所でやって頂戴」
「誰が、お前みたいな不審人物をナンパするんだ。このストーカー女」
「何ですって? 人聞き悪いわね。因縁付けるつもり? 警察を呼ぶわよ?」
 そう脅した貴子だったが、隆也は鼻で笑った。

「警察ならここに居るから、わざわざ呼ぶ必要は無い。さあ、こちらの質問に答えて貰おうか」
 そう言いながら隆也はジャケットの中に手を入れ、シャツの胸ポケットから取り出した濃い焦げ茶色の物を、貴子の目の前で上下に開いて見せた。それを目にした貴子は、顔写真と記載内容を確認して顔を顰める。

「榊隆也……。その年で警視正って事はキャリアね。もの凄く若作りなら別だけど、ねっ!」
「うっ」
 神妙に警察手帳を眺めていたと思ったら、いきなり隆也の臑を蹴りつけた貴子は、相手が怯んだ隙にその手から手帳を奪い取った。

「貰い! ……え!?」
「何をする、貴様!」
 しかし手帳に繋がっている紐がピンと伸びて隆也の身体から離れるのを阻止し、貴子が戸惑った瞬間、今度は隆也が彼女の手首を掴んで易々と捻り上げる。

「ちょっと! 痛いでしょ!? レディに対して手加減もできないわけ!?」
 自分の行為を棚に上げての抗議に、さすがに隆也も堪忍袋の緒が切れかけた。

「どこが『レディ』だ。コソ泥が厚顔な事だな。手帳を取って何をする気だった?」
「何もしないわよ! 単にあっさり盗られて間抜け面を笑ってやるつもりだったのに。何で紐なんか付けてるのよ!」
「阿呆か、お前。そうそう簡単に盗られてたまるか。私服だったら尚更だ。万一の事態に備えて紐で繋いで確保しておくのは、基本中の基本だ」
 片手で貴子を確保しながら、もう片方の手で手帳を胸ポケットに戻した隆也が呆れた口調で告げると、貴子が悔しそうに呟く。

「だって、普通に手帳だけで見せてたし」
「ピラピラ単独で見せびらかすのは、テレビドラマの中だけだ」
「ドラマじゃなくて……」
 そこで何故か貴子が口ごもると、隆也は片方の眉を軽く上げて皮肉っぽく尋ねた。

「何だ? 貴様の知り合いに、手帳に紐もつけずに見せびらかしている、危機意識の欠片も無い、職務怠慢な警官でも居るのか?」
「何でもないわ」
 憮然とした表情で黙り込んだ貴子に対し、隆也は遠慮無く先程の質問を繰り返した。

「そうか。それならさっさと答えろ。お前、目黒駅から、あそこの喫茶店に居るカップルの後を付けて来てたな?」
 しかし貴子は相手を見上げながら、恐れ気もなく逆に問い返した。

「それが分かっているなら、あんたもあの二人の後を付けてきたって事よね? 私の尾行をして来たのなら、わざわざ姿を現す筈も無いし」
「質問しているのはこちらだが?」
 段々苛立ってきた為に、無意識に手首を掴んでいる力が増したのか、そこで貴子が小さな悲鳴を上げた。

「いった! 本当に無粋な男ね! ええ、尾行してたわよ。それがどうしたって言うの!?」
「お前……、あの男の前の女か? 思った以上に趣味が悪そうだな。やはり綾乃ちゃんには道理を言い聞かせて、早く別れさせた方が良いかもしれん」
「ちょっと! 祐司は私の弟よ!」
 逆ギレ気味の貴子に思わず本音を漏らすと、貴子が盛大に抗議の声を上げた。それを聞いて隆也は意外そうな視線を向ける。

「弟? と言う事は、あの男の姉なのか?」
「当然でしょう? 陰ながら弟の恋路を見守っている健気な姉に、随分暴言を吐いてくれるじゃない」
「名前と職業は?」
「宇田川貴子、職業は料理研究家よ」
 堂々と名乗った貴子だったが、隆也には微塵も感銘を与えなかった。

「いかにも『自称』っぽいな」
「……私を知らないの?」
 今度は貴子が眉を寄せたが、隆也は小さく肩を竦めただけだった。

「知るわけ無いだろう。それにあいつの名字は『高木』だろう? 名前が違うのは既婚者だからか? それなのに弟の後を追いかけ回しているとは、とんだブラコンだな。それとも亭主に相手にされてなくて暇なのか? どちらにしても、纏わり付かれている弟に同情するな」
 それを聞いた貴子が、思わず忌々しげに舌打ちする。

「結婚なんかしていないし、色々事情が有るのよ」
「事情?」
 隆也は怪訝な顔になったが、ここで貴子が逆襲してきた。

「そんな事より、さっきから彼女の事を『綾乃ちゃん』なんて気安く言ってるあんたこそ、彼女の何なのよ? お兄さんとかだったら呼び捨てよね? 祐司の話じゃ恋愛初心者の可愛い子みたいだから、元カレのわけは無いだろうし」
「昔からの知り合いだ」
 何気なく答えた隆也だったが、貴子は何故か黙り込み、隆也を上から下までじっくりと眺めた。そして唐突に問いを発する。

「あんた何歳?」
「三十五だが。それがどうした」
「綾乃ちゃんって、今年の春に大学を卒業して就職したばかりよね?」
「だから何だ?」
 質問の意図が分からず怪訝に思いながらも一応答えた隆也に、貴子がボソッと告げた。

「……ロリコン」
 その瞬間、隆也のこめかみに青筋が浮かび、貴子の手首を握っている手に渾身の力が込められる。

「もう一回言ってみろ! この盗っ人の恥知らず女!」
「痛いって言ってるでしょ!! だって昔からの知り合いって事は、昔から狙ってたんでしょ!? その年齢差は殆ど犯罪でしょうが!! この悪徳警官!!」
「まだ言うか!!」
 本気で罪状をでっち上げて逮捕してやろうかと、隆也が不穏な事を考え始めたその時、何気なく彼から視線を逸らした貴子が、慌てた様に声を上げた。

「あ、ちょっと待って! タイム!」
「何がタイムだ。ふざけるな! 留置場にぶち込んでやるぞ、貴様!」
「真面目な話よ! あんたが絡んできた間に、あの二人、店を出ちゃったわ!」
「何?」
 思わず背後を振り返り、道路を挟んだ店の窓際の席を見ると、確かに祐司と綾乃の姿は無くなっていた。素早く周囲の歩道を見回してもそれらしい姿は無く、隆也は思わぬ失態に思わず舌打ちする。そして隆也の手を乱暴に振り払った貴子が、悪態を吐きながら路地から通りに出て歩き出した。
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