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第28話 困惑する人々
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清人がうっかり酒に飲まれて理性と判断力を手放し、柏木会の面々に向かって暴露トークをした翌日。清香を大学に送り出した清人が仕事部屋で仕事を始めようと思っていた矢先、やる気を削ぐように携帯電話が鳴り響いた。
何気なく携帯を取り上げた清人だが、ディスプレイに表示された発信者名を目にして、思わず首を傾げる。
「鹿角先輩? こんな時間に?」
一応、掛け時計で時刻を確認してから、清人は不思議に思いながらも通話ボタンを押した。
「はい、佐竹です。先輩、どうしたんですか? そろそろ就業時間の筈ですよね?」
一般的に考えれば色々慌ただしい時間帯であり、これまで達也からこんな時間帯に電話を貰った事が無かった故の当然の疑問だったのだが、達也は何故か不自然に言葉を濁した。
「ああ、その……、ちょっと気になってな。仕事に入る前に、一応確認しておこうかと……」
「何がです?」
当惑して問い返した清人に、達也は電話越しに一瞬逡巡する気配を漂わせてから、何か腹を括った様に話し掛けてきた。
「それがだな…………、お前、今朝の体調はどうだ? 昨日随分飲んでたみたいだし、タクシーに乗せた感じでは大丈夫そうだったが」
そう尋ねられたら清人は、(ああ、その事か)と思わず笑顔を浮かべた。
「はい、特に二日酔いにもならず、調子は良いです。昨夜は先輩の家に居た筈なのに、気が付いたら自室だったので少し驚きましたが、やはりちょっと飲み過ぎたみたいですね。ひょっとして、皆さんに相当ご迷惑をおかけしたんでしょうか?」
最後は些か心配になりながら、真顔で問い掛けた清人だったが、達也は棒読み口調で応じた。
「いや、迷惑という程の迷惑では無いから気にするな」
「そうですか? それから……、今、何となく思い出したんですが、勢いで冷蔵庫の上の棚に乗せてあった、純米大吟醸を飲んでしまった様な気がするんですが……」
かなり恐縮気味に頭の中をよぎった光景を口にすると、今度は疲れた様な口調で返ってくる。
「そこら辺までは記憶があるんだな。あれはもう良い」
「いえ、そう言う訳にはいきません。銘柄を教えて頂ければ、買ってお返しします。申し訳ありませんでした」
真摯な口調で携帯を耳に当てたまま自然に頭を下げると、どこか探る様な達也の声が清人の耳に届いた。
「じゃあ銘柄は後から教えるが……。その他に昨日の事を、どの程度覚えているんだ?」
「どの程度、と言われましても……」
本気で困惑した清人に、達也が具体例を出してきた。
「柏木のアメリカ支社転勤話云々は聞いてただろうし、あの酒の事を覚えてるって事は、あれを飲んだ直後の、柏木が営業部から配置転換された経緯も覚えてるよな?」
その途端、清人の声のトーンが一気に下がる。
「先輩……、朝から不愉快な話題を出さないで頂けますか?」
「悪い! えっと、それなら、内藤支社長と親父さんが何となく似てるって話は?」
物騒な気配に慌てて達也が話題を変えたものの、それは状況を更に悪化させる結果にしかならなかった。
「先輩…………、今日一日バイトを動員して、先輩の営業三課にイタ電をかけまくらせたくなりますから、くれぐれも他人を不愉快にさせる発言は」
「すまん! 悪気は無いんだ悪気はっ! それじゃあ、お前がこの世で一番愛してるのは、お前曰わく『俺の天使』の妹さんか!?」
清人の台詞を遮りながら達也が何やら切羽詰まった叫びを上げると、清人は思わず怒りを忘れて怪訝な顔をした。
「勿論そうですが、何ですか? 俺は昨夜酔って、皆さんに清香自慢をしたんですか?」
その問い掛けに、達也が奥歯に物が挟まった様な物言いで答える。
「まあ、そんなところだ。因みに……、浴衣に関する話とかは覚えてるか?」
それを聞いた清人は、更に困惑の度を深めた。
「浴衣、ですか? さあ……、清香の浴衣姿が壮絶に可愛らしかったとでも惚気たんでしょうか? 興味があるなら今度お邪魔する時にアルバムを持参しますが、妹に変な気を起こさないで下さいよ? もう妻子持ちなんですから」
怪訝に思いながらも最後は本気で凄んだ清人に対し、達也が電話の向こうから心底うんざりした声を出した。
「変な気って何だよ。もう良い、大体分かった。邪魔したな。後から氷結山の純米大吟醸を寄越せ。それじゃあな」
言うだけ言って挨拶の言葉もそこそこに達也が電話を切ると、清人は憮然とした表情で携帯を見下ろした。
「……何なんだ? 一体」
しかし凝視していたのは僅かな時間で、清人はすぐに机に向かって携帯を自分の傍らに置き、引き出しからレポート用紙とボールペンを取り出して何やら記入を始めた。
「全く、朝から不愉快な事を思い出したぞ。どうしてくれるんだ」
ブツブツと悪態を吐きながら一心不乱にレポート用紙に書き込んでいると、出勤して来た恭子が背後から声をかけてくる。
「おはようございます」
「おはようございます。早速ですが、至急手配して貰いたい物と人員がありますので」
手からボールペンを離し、クルリと椅子ごと背後に向き直った清人に、恭子は冷静に尋ねた。
「分かりました。どういった内容でしょうか」
すると清人が手にしていたレポート用紙を、恭子に差し出しながら説明する。
「まずは、こちらの住所に《氷結山》の純米大吟醸を十本送りつけて下さい」
「畏まりました。他は何でしょうか?」
住所・氏名が書かれた後に細々と幾つか書かれた内容に恭子が首を捻ると、清人が薄く笑いながら付け加えた。
「ここの条件に該当する人員を、三日以内に確保して下さい」
サラッと言われた内容に、恭子の顔が僅かに引き攣る。
「何の為にとお聞きしても宜しいですか?」
「これが大まかな計画表です。出来れば来週にも決行したいので、打ち合わせの時間も考慮して、先程三日以内とお願いしました」
机に置かれていた二枚目に手を伸ばし、笑顔のまま再度自分に渡した清人に、恭子は精一杯釘を刺した。
「できれば……、本業に支障の無い程度でお願いします」
「俺がそれ位の事で、本業を滞らせる様なヘマをするとでも?」
如何にも心外だと言わんばかりの口調で問われ、恭子は殊勝に頷いてみせた。
「失礼しました。早速、取り掛かります。五月蝿く無いように、向こうで電話を掛けますので」
「宜しく。ああ、そうだ川島さん」
「何でしょうか?」
リビングに向かって歩き出した恭子を清人が呼び止めた。反射的に振り返った恭子に、清人が幾分戸惑い気味に話を続ける。
「その……、川島さんは真澄さんと仲が良いのは知ってますが、カラオケとかにも一緒に行くんですか?」
その質問に、恭子は殆ど無表情で応じた。
「そうですね、行く時もありますが。それが何か?」
「因みに、どんな曲を歌ってるんですか?」
「どんなって……、その時のヒットチャートとか、ポップスとかジャズとか……、その日の気分で変わりますが。それがどうかしましたか?」
怪訝な顔で問い返した恭子に、清人も困惑気味に質問を続ける。
「他に歌ったりするジャンルは無いんですか?」
「……往年の、名作アニメの主題歌とかも歌いますが」
そこでその場に微妙な緊張感が漂ったが、清人が小さく息を吐いて話を終わらせた。
「そうですか。変な事を聞いてすみません。忘れて下さい」
「はい。それでは失礼します」
そう言って一礼して恭子が部屋を出て行くと、清人は机に向き直りながらひとりごちた。
「演歌よりアニメソングと言った方が恥ずかしく無いのか? 彼女達の心理が分からないな……」
清人がそんな風に困惑していた一方で、指示を受けた恭子は本気で頭を抱えていた。
(さっきの質問は何だったのかしら? それはともかく、一体何なのよこれは? どうして先生が、柏木本社ビルの襲撃計画なんか立ててるわけ? しかもその内容が……)
計画表とやらの隅から隅まで目を通した恭子は、そのあまりの無謀さと馬鹿馬鹿しさに思わず眩暈を覚えた。しかし何とか気を取り直し、自分自身に言い聞かせる。
「取り敢えず、仕事仕事! 一々考えてたら先生の下でなんか働けないわ。さてと」
そうして自分のバッグ片手にソファーに座った恭子は、取り出した自分のアドレス帳を手早く捲り、ピックアップした複数箇所に付箋を付けてから電話をかけ始めた。
「もしもし? お久しぶりです、恭子です。…………ええ、何とか。実は今回吉野さんに、手を貸して頂きたい事ができまして……。単刀直入に言いますと、柏木物産のホストコンピューターにアタックして欲しいんです。……ええ、私のボスがまた訳の分からない事を言い出しまして。…………、本当にめんどくさい人なんですよね~」
そんな調子で愛想良く次々電話を掛けまくった恭子は、清人から貰ったリストに最後のチェック印を付けてから、満足そうに頷いた。
「さて、特殊メイク担当は予定を押さえたし、攻撃人員は確保、IDカードの偽造は人数分依頼済み。ビル内の見取り図も入手OK。お酒の配送手配も済んだ、と。……もうお昼近いじゃない」
作業に没頭していて時間を忘れていた恭子が、時計に目をやって僅かに驚いた顔をした。そして前夜に聡から受けていたメールの内容を思い出す。
「そうだ、忘れないうちに聡さんから頼まれておいた事を、真澄さんに知らせておかないと」
当初、清香経由で由紀子が自宅に清人を誘った事を真澄に伝えようと考えていた聡だったが、腹の探り合いなど不向きな清香が余計な事までバラしてしまう懸念を捨て切れず、恭子にその役を頼み込んできたのだった。それを快諾していた恭子は、聡から聞いた内容を簡単に纏め、真澄の携帯のメルアドに送信して立ち上がる。
「送信終了っと。さて、お昼ご飯の支度でもしましょうか」
そして台所に入って冷蔵庫を開け、食材を確認していたところでテーブルに置いていた携帯の着信音が鳴り響いた。
「真澄さん? お昼休みになったのかしら?」
慌てて駆け寄って発信者を確認した恭子が、そこに予想外の人物の名前を見付けて戸惑う。しかし必要以上に相手を待たせる事などできず、素早く通話ボタンを押して耳元に持って行った。
「もしも」
「ちょっと恭子さん! 昨日、由紀子さんが清人君を尋ねて来たってどういう事?」
しかし電話が繋がるなり、怒鳴りつける様に問いかけてきた真澄の声に、恭子は思わず携帯を耳から少し離した。そして真澄の声が途切れてから、耳に戻して慎重に話し始める。
「私は昨日は午後から外に出ましたので、実際にその場を見た訳では無いのですが、先生のお話では来週末の自身の誕生日祝いの席に、先生を招待しに来たそうです」
清人から説明など受けていない恭子だったが、聡から聞いたなどとは微塵も気取らせず、前日の出来事を口にした。すると真澄が疑念と困惑に満ちた口調で問い掛けてくる。
「誕生日祝い? それで? 清人君は行くって返事したの?」
「忙しいからと、丁重にお断りしたそうです。直接現場を見ていないので、実際どんなやり取りだったのかは、正確には分かりませんけど」
「……そう」
短く答えた真澄の口調からは、相手が何を考えているか恭子には把握できかねた。それで違う方向から話を続けてみる。
「ですが、清香ちゃんは行かせるからと言ったそうですね。まあ、これまでの経緯を考えても、今更先生が引き止める筈はありませんし」
「それはそうでしょうね」
「聡さんの事も、全面的に認めた訳ではありませんが、いたぶると結構面白い、位の気に入り方はしているみたいですし」
そう茶化してみると、電話の向こうから真澄が苦笑する気配が伝わってきた。
「ふっ、確かにね。高みの見物をしている分には、面白いと思うけど」
「本当にそうですね。それで? 真澄さんはどうします?」
「どうって……、別に? どうもしないわよ? まさか本人が乗り込んで来るとは思わなかったから、ちょっと驚いて電話してみただけで。本人が断ったんだから、部外者の私がどうこう言う筋合いじゃ無いでしょう?」
如何にも当然の如く真澄は言い切ったが、ここで恭子は幾分皮肉っぽい口調になって告げた。
「そうなんですけどね。ちょっと朝から先生の様子が変なので、昨日の事が原因なのかな~って思って。つい真澄さんに愚痴を零す感じで、メールを打っちゃったんですよ」
「何? 平穏無事に対面してたわけじゃ無いの? 彼、怒ってるとか機嫌が悪いとか?」
途端に口調を改めて問い質してきた真澄に、恭子はわざとらしく溜め息を吐いてから続ける。
「あからさまに怒ったりとかは……。ただ変な方向にエネルギーを向けてるみたいで、朝からろくでもない仕事を押し付けられました」
「……今度は何なの?」
一気に疲れた様な声を漏らした真澄に、恭子が恐縮気味に言葉を返す。
「すみません、一応守秘義務がありますので」
「これまでは散々愚痴ってた癖に」
「はあ、それはそうなんですが……」
(だって柏木本社の襲撃計画なんて聞かせたら、真澄さんと先生両方に激怒されるもの)
思わず遠い目をして黙り込んでしまった恭子だったが、真澄はすぐに苦笑しながら慰めの言葉をかけてきた。
「分かったわ。恭子さんも災難ね」
「もうとっくの昔に、色々諦めてます」
「どんな仕事か分からないけど、気を落とさないで頑張ってね? あと連絡ありがとう。それじゃあ失礼するわ」
「こちらこそ、お仕事中に愚痴っぽい事を聞かせてしまってすみませんでした。失礼します」
そうして通話を終わらせてから、恭子は深い溜め息を吐いた。
「はぁ……、何かさっさと落ち着く所に落ち着いて欲しいものだわね、この二人」
そんな事をブツブツ呟きながら恭子は携帯をテーブルに戻し、中断していた昼食の支度に取り掛かった。
何気なく携帯を取り上げた清人だが、ディスプレイに表示された発信者名を目にして、思わず首を傾げる。
「鹿角先輩? こんな時間に?」
一応、掛け時計で時刻を確認してから、清人は不思議に思いながらも通話ボタンを押した。
「はい、佐竹です。先輩、どうしたんですか? そろそろ就業時間の筈ですよね?」
一般的に考えれば色々慌ただしい時間帯であり、これまで達也からこんな時間帯に電話を貰った事が無かった故の当然の疑問だったのだが、達也は何故か不自然に言葉を濁した。
「ああ、その……、ちょっと気になってな。仕事に入る前に、一応確認しておこうかと……」
「何がです?」
当惑して問い返した清人に、達也は電話越しに一瞬逡巡する気配を漂わせてから、何か腹を括った様に話し掛けてきた。
「それがだな…………、お前、今朝の体調はどうだ? 昨日随分飲んでたみたいだし、タクシーに乗せた感じでは大丈夫そうだったが」
そう尋ねられたら清人は、(ああ、その事か)と思わず笑顔を浮かべた。
「はい、特に二日酔いにもならず、調子は良いです。昨夜は先輩の家に居た筈なのに、気が付いたら自室だったので少し驚きましたが、やはりちょっと飲み過ぎたみたいですね。ひょっとして、皆さんに相当ご迷惑をおかけしたんでしょうか?」
最後は些か心配になりながら、真顔で問い掛けた清人だったが、達也は棒読み口調で応じた。
「いや、迷惑という程の迷惑では無いから気にするな」
「そうですか? それから……、今、何となく思い出したんですが、勢いで冷蔵庫の上の棚に乗せてあった、純米大吟醸を飲んでしまった様な気がするんですが……」
かなり恐縮気味に頭の中をよぎった光景を口にすると、今度は疲れた様な口調で返ってくる。
「そこら辺までは記憶があるんだな。あれはもう良い」
「いえ、そう言う訳にはいきません。銘柄を教えて頂ければ、買ってお返しします。申し訳ありませんでした」
真摯な口調で携帯を耳に当てたまま自然に頭を下げると、どこか探る様な達也の声が清人の耳に届いた。
「じゃあ銘柄は後から教えるが……。その他に昨日の事を、どの程度覚えているんだ?」
「どの程度、と言われましても……」
本気で困惑した清人に、達也が具体例を出してきた。
「柏木のアメリカ支社転勤話云々は聞いてただろうし、あの酒の事を覚えてるって事は、あれを飲んだ直後の、柏木が営業部から配置転換された経緯も覚えてるよな?」
その途端、清人の声のトーンが一気に下がる。
「先輩……、朝から不愉快な話題を出さないで頂けますか?」
「悪い! えっと、それなら、内藤支社長と親父さんが何となく似てるって話は?」
物騒な気配に慌てて達也が話題を変えたものの、それは状況を更に悪化させる結果にしかならなかった。
「先輩…………、今日一日バイトを動員して、先輩の営業三課にイタ電をかけまくらせたくなりますから、くれぐれも他人を不愉快にさせる発言は」
「すまん! 悪気は無いんだ悪気はっ! それじゃあ、お前がこの世で一番愛してるのは、お前曰わく『俺の天使』の妹さんか!?」
清人の台詞を遮りながら達也が何やら切羽詰まった叫びを上げると、清人は思わず怒りを忘れて怪訝な顔をした。
「勿論そうですが、何ですか? 俺は昨夜酔って、皆さんに清香自慢をしたんですか?」
その問い掛けに、達也が奥歯に物が挟まった様な物言いで答える。
「まあ、そんなところだ。因みに……、浴衣に関する話とかは覚えてるか?」
それを聞いた清人は、更に困惑の度を深めた。
「浴衣、ですか? さあ……、清香の浴衣姿が壮絶に可愛らしかったとでも惚気たんでしょうか? 興味があるなら今度お邪魔する時にアルバムを持参しますが、妹に変な気を起こさないで下さいよ? もう妻子持ちなんですから」
怪訝に思いながらも最後は本気で凄んだ清人に対し、達也が電話の向こうから心底うんざりした声を出した。
「変な気って何だよ。もう良い、大体分かった。邪魔したな。後から氷結山の純米大吟醸を寄越せ。それじゃあな」
言うだけ言って挨拶の言葉もそこそこに達也が電話を切ると、清人は憮然とした表情で携帯を見下ろした。
「……何なんだ? 一体」
しかし凝視していたのは僅かな時間で、清人はすぐに机に向かって携帯を自分の傍らに置き、引き出しからレポート用紙とボールペンを取り出して何やら記入を始めた。
「全く、朝から不愉快な事を思い出したぞ。どうしてくれるんだ」
ブツブツと悪態を吐きながら一心不乱にレポート用紙に書き込んでいると、出勤して来た恭子が背後から声をかけてくる。
「おはようございます」
「おはようございます。早速ですが、至急手配して貰いたい物と人員がありますので」
手からボールペンを離し、クルリと椅子ごと背後に向き直った清人に、恭子は冷静に尋ねた。
「分かりました。どういった内容でしょうか」
すると清人が手にしていたレポート用紙を、恭子に差し出しながら説明する。
「まずは、こちらの住所に《氷結山》の純米大吟醸を十本送りつけて下さい」
「畏まりました。他は何でしょうか?」
住所・氏名が書かれた後に細々と幾つか書かれた内容に恭子が首を捻ると、清人が薄く笑いながら付け加えた。
「ここの条件に該当する人員を、三日以内に確保して下さい」
サラッと言われた内容に、恭子の顔が僅かに引き攣る。
「何の為にとお聞きしても宜しいですか?」
「これが大まかな計画表です。出来れば来週にも決行したいので、打ち合わせの時間も考慮して、先程三日以内とお願いしました」
机に置かれていた二枚目に手を伸ばし、笑顔のまま再度自分に渡した清人に、恭子は精一杯釘を刺した。
「できれば……、本業に支障の無い程度でお願いします」
「俺がそれ位の事で、本業を滞らせる様なヘマをするとでも?」
如何にも心外だと言わんばかりの口調で問われ、恭子は殊勝に頷いてみせた。
「失礼しました。早速、取り掛かります。五月蝿く無いように、向こうで電話を掛けますので」
「宜しく。ああ、そうだ川島さん」
「何でしょうか?」
リビングに向かって歩き出した恭子を清人が呼び止めた。反射的に振り返った恭子に、清人が幾分戸惑い気味に話を続ける。
「その……、川島さんは真澄さんと仲が良いのは知ってますが、カラオケとかにも一緒に行くんですか?」
その質問に、恭子は殆ど無表情で応じた。
「そうですね、行く時もありますが。それが何か?」
「因みに、どんな曲を歌ってるんですか?」
「どんなって……、その時のヒットチャートとか、ポップスとかジャズとか……、その日の気分で変わりますが。それがどうかしましたか?」
怪訝な顔で問い返した恭子に、清人も困惑気味に質問を続ける。
「他に歌ったりするジャンルは無いんですか?」
「……往年の、名作アニメの主題歌とかも歌いますが」
そこでその場に微妙な緊張感が漂ったが、清人が小さく息を吐いて話を終わらせた。
「そうですか。変な事を聞いてすみません。忘れて下さい」
「はい。それでは失礼します」
そう言って一礼して恭子が部屋を出て行くと、清人は机に向き直りながらひとりごちた。
「演歌よりアニメソングと言った方が恥ずかしく無いのか? 彼女達の心理が分からないな……」
清人がそんな風に困惑していた一方で、指示を受けた恭子は本気で頭を抱えていた。
(さっきの質問は何だったのかしら? それはともかく、一体何なのよこれは? どうして先生が、柏木本社ビルの襲撃計画なんか立ててるわけ? しかもその内容が……)
計画表とやらの隅から隅まで目を通した恭子は、そのあまりの無謀さと馬鹿馬鹿しさに思わず眩暈を覚えた。しかし何とか気を取り直し、自分自身に言い聞かせる。
「取り敢えず、仕事仕事! 一々考えてたら先生の下でなんか働けないわ。さてと」
そうして自分のバッグ片手にソファーに座った恭子は、取り出した自分のアドレス帳を手早く捲り、ピックアップした複数箇所に付箋を付けてから電話をかけ始めた。
「もしもし? お久しぶりです、恭子です。…………ええ、何とか。実は今回吉野さんに、手を貸して頂きたい事ができまして……。単刀直入に言いますと、柏木物産のホストコンピューターにアタックして欲しいんです。……ええ、私のボスがまた訳の分からない事を言い出しまして。…………、本当にめんどくさい人なんですよね~」
そんな調子で愛想良く次々電話を掛けまくった恭子は、清人から貰ったリストに最後のチェック印を付けてから、満足そうに頷いた。
「さて、特殊メイク担当は予定を押さえたし、攻撃人員は確保、IDカードの偽造は人数分依頼済み。ビル内の見取り図も入手OK。お酒の配送手配も済んだ、と。……もうお昼近いじゃない」
作業に没頭していて時間を忘れていた恭子が、時計に目をやって僅かに驚いた顔をした。そして前夜に聡から受けていたメールの内容を思い出す。
「そうだ、忘れないうちに聡さんから頼まれておいた事を、真澄さんに知らせておかないと」
当初、清香経由で由紀子が自宅に清人を誘った事を真澄に伝えようと考えていた聡だったが、腹の探り合いなど不向きな清香が余計な事までバラしてしまう懸念を捨て切れず、恭子にその役を頼み込んできたのだった。それを快諾していた恭子は、聡から聞いた内容を簡単に纏め、真澄の携帯のメルアドに送信して立ち上がる。
「送信終了っと。さて、お昼ご飯の支度でもしましょうか」
そして台所に入って冷蔵庫を開け、食材を確認していたところでテーブルに置いていた携帯の着信音が鳴り響いた。
「真澄さん? お昼休みになったのかしら?」
慌てて駆け寄って発信者を確認した恭子が、そこに予想外の人物の名前を見付けて戸惑う。しかし必要以上に相手を待たせる事などできず、素早く通話ボタンを押して耳元に持って行った。
「もしも」
「ちょっと恭子さん! 昨日、由紀子さんが清人君を尋ねて来たってどういう事?」
しかし電話が繋がるなり、怒鳴りつける様に問いかけてきた真澄の声に、恭子は思わず携帯を耳から少し離した。そして真澄の声が途切れてから、耳に戻して慎重に話し始める。
「私は昨日は午後から外に出ましたので、実際にその場を見た訳では無いのですが、先生のお話では来週末の自身の誕生日祝いの席に、先生を招待しに来たそうです」
清人から説明など受けていない恭子だったが、聡から聞いたなどとは微塵も気取らせず、前日の出来事を口にした。すると真澄が疑念と困惑に満ちた口調で問い掛けてくる。
「誕生日祝い? それで? 清人君は行くって返事したの?」
「忙しいからと、丁重にお断りしたそうです。直接現場を見ていないので、実際どんなやり取りだったのかは、正確には分かりませんけど」
「……そう」
短く答えた真澄の口調からは、相手が何を考えているか恭子には把握できかねた。それで違う方向から話を続けてみる。
「ですが、清香ちゃんは行かせるからと言ったそうですね。まあ、これまでの経緯を考えても、今更先生が引き止める筈はありませんし」
「それはそうでしょうね」
「聡さんの事も、全面的に認めた訳ではありませんが、いたぶると結構面白い、位の気に入り方はしているみたいですし」
そう茶化してみると、電話の向こうから真澄が苦笑する気配が伝わってきた。
「ふっ、確かにね。高みの見物をしている分には、面白いと思うけど」
「本当にそうですね。それで? 真澄さんはどうします?」
「どうって……、別に? どうもしないわよ? まさか本人が乗り込んで来るとは思わなかったから、ちょっと驚いて電話してみただけで。本人が断ったんだから、部外者の私がどうこう言う筋合いじゃ無いでしょう?」
如何にも当然の如く真澄は言い切ったが、ここで恭子は幾分皮肉っぽい口調になって告げた。
「そうなんですけどね。ちょっと朝から先生の様子が変なので、昨日の事が原因なのかな~って思って。つい真澄さんに愚痴を零す感じで、メールを打っちゃったんですよ」
「何? 平穏無事に対面してたわけじゃ無いの? 彼、怒ってるとか機嫌が悪いとか?」
途端に口調を改めて問い質してきた真澄に、恭子はわざとらしく溜め息を吐いてから続ける。
「あからさまに怒ったりとかは……。ただ変な方向にエネルギーを向けてるみたいで、朝からろくでもない仕事を押し付けられました」
「……今度は何なの?」
一気に疲れた様な声を漏らした真澄に、恭子が恐縮気味に言葉を返す。
「すみません、一応守秘義務がありますので」
「これまでは散々愚痴ってた癖に」
「はあ、それはそうなんですが……」
(だって柏木本社の襲撃計画なんて聞かせたら、真澄さんと先生両方に激怒されるもの)
思わず遠い目をして黙り込んでしまった恭子だったが、真澄はすぐに苦笑しながら慰めの言葉をかけてきた。
「分かったわ。恭子さんも災難ね」
「もうとっくの昔に、色々諦めてます」
「どんな仕事か分からないけど、気を落とさないで頑張ってね? あと連絡ありがとう。それじゃあ失礼するわ」
「こちらこそ、お仕事中に愚痴っぽい事を聞かせてしまってすみませんでした。失礼します」
そうして通話を終わらせてから、恭子は深い溜め息を吐いた。
「はぁ……、何かさっさと落ち着く所に落ち着いて欲しいものだわね、この二人」
そんな事をブツブツ呟きながら恭子は携帯をテーブルに戻し、中断していた昼食の支度に取り掛かった。
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【完】ベッドの隣は、昨日と違う人
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