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第30話 困惑と納得
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「こんにちは。悪かったわね、急に押し掛けて」
玄関を開けるなり、あまり悪いと思っていない様な笑顔で挨拶をしてきた真澄に対し、清人は咄嗟にどんな顔をしたら良いのか分からず、曖昧な笑みを返した。
「いえ、お気遣い無く」
「じゃあ早速、台所を借りるわね?」
そう言ってバッグと紙袋を持ったままスタスタと台所に向かおうとした真澄の腕を、清人は辛うじて掴まえた。
「ちょっと待って下さい。借りるって、一体何をする気ですか!?」
「何って……、スープを温めようかと思って」
血相を変えて問い質した清人に、真澄がキョトンとしながら応じる。それを聞いた清人は、疲れた様に溜め息を吐いた。
「それは俺がしますから、荷物を渡して下さい。そして準備が整うまでソファーに座って待っていること。分かりましたね?」
「分かったわよ。相変わらず過保護なんだから」
清人が強い口調で言い聞かせると、真澄はブチブチ文句を言いながらもおとなしく紙袋を渡し、リビングに向かって歩いて行った。その背中を見送った清人は、自分が手に持つ問題の物を真顔で見下ろす。
(誰がどう見ても大丈夫なら、世話なんか焼かないぞ。それに自分で『毒味してくれ』なんて言う代物、どうやって作ったんだ?)
色々真澄に尋ねたい事はあったものの、清人は取り敢えず紙袋を持って台所へ入った。そして中の容器類を取り出すと、まずパンプキンスープを鍋に移して軽く温め、ハムと卵のサンドイッチを皿に乗せ、コールスローを小皿に盛る。
そしてスプーンとフォークと一緒にトレーに乗せて食卓に運んた清人は、それらを並べてからしげしげと見下ろした。
(何か、一見まともすぎて、逆に不安だ)
真澄に聞かれたら激怒される事間違いなしの内容を頭に思い浮かべながら台所に戻り、清人はスープ皿に温まったスープをよそって再度運んで行った。
「真澄さん、お待たせしました。どうぞ」
「ありがとう。じゃあ食べましょうか」
「……そうですね」
腹を括った清人が真澄に声をかけると、ソファーで新聞を読んで時間を潰していた真澄が立ち上がり、足取りも軽くテーブルに歩いて来た。そして向かい合って座り、改めて清人が礼を述べる。
「真澄さん、それではご馳走になります」
「そんなに大した物は持って来てないから、恐縮しないで。じゃあいただきます」
「いただきます」
二人で軽く頭を下げてから、清人が用意しておいたおしぼりを取り上げて手を拭き、真澄は別に気負う事無く、清人は僅かに緊張しながら食べ始めた。そしてサンドイッチを一口食べた所で、清人の口の動きが止まる。
(至ってまともで安心したが、この味、親父が作った時の味に似ている気がする)
無表情で手の中のサンドイッチを見下ろした清人は、それを一度皿に置き、続いてコールスローとスープにも口を付けた。そして先程と同様の感想を抱いた清人は、皿を凝視しながら黙り込む。
清人のそんな一連の動作を眺めた真澄は、何気ないふりを装いながら食べていたが、密かに動揺していた。
(さすがに、おじさまに書いて貰ったレシピで作ったってバレたかしら? 別にバレても構わないけど、それを貰った過程をあまり説明したくないわ)
そんな事を考えながら黙々と食べていた真澄に目を向け、清人が静かに問い掛けた。
「真澄さん、これはどんな料理本を参考に作ったんですか?」
「どんなって……、本のタイトルまで一々覚えて無いから。取り敢えずこういう味付けの物が好きだから作ってみたんだけど、清人君の口に合わなかったかしら?」
「いえ、美味しいですよ? こういうのは俺も好きです」
「そう? 良かった」
(幾ら親父の事が好きだからって、何も味の好みまで親父の味付けに拘らなくても)
(やっぱり清人君が食べ慣れてるおじさま流の味付けだと、外す事が無いわね。取り敢えず変に突っ込まれなくて良かったわ)
一応笑顔を浮かべつつの会話だったが、二人の心境はほぼ真逆の状態だった。そして放置しておくと際限なく落ち込みそうになる、自分の気持ちを奮い立たせるが如く、清人が口を開く。
「清香から聞いたんですか? 清香が今日、小笠原家に出向く事を」
「どうしてそんな事を聞くの?」
「真澄さんが家に入って来てから今まで、清香が居るかどうか全く気にしなかったでしょう? つまり今の時間清香が留守だという事や、その行き先も把握していると考えるのが妥当です」
理路整然と理由を告げられ、真澄は小さく肩を竦めた。
「ええ、知っていたわ。ただし、情報源は清香ちゃんじゃなくて、恭子さんだけど」
「川島さんが?」
そこで怪訝な顔をした清人を、真澄が軽く睨んだ。
「由紀子さんがわざわざここに出向いて清人君を招待した後、何だか機嫌が悪くて八つ当たり気味に面倒な仕事を押し付けられたと、愚痴を零されたのよ。今度は彼女に、一体何をさせる気?」
しかし(それは柏木産業を襲撃する事で、もう終わらせました)などとは間違っても口にできない清人は、本気で頭を抱えた。
「それは……、八つ当たりでも何でも無く偶々時期が重なっただけで、あの人に招待された事とは無関係です」
幾分苦しげに弁解した清人を、真澄は疑わしげに見やった。
「そうなの?」
「ええ、そうです。それで真澄さんは、わざわざ昼食持参で俺の様子を見に来てくれたんですか? ありがとうございます」
「別に、それだけでも無いけど……」
そう言って言葉を濁した真澄を、今度は清人が訝しげに眺める。
「そうですか? それはそうと、これはどうやって作ったんですか? バレンタインの時にチョコを作りに来た時には、『家の厨房には立ち入り禁止だから、ここで作らせて欲しい』とか言ってましたよね?」
その問い掛けに、真澄は思わず憮然としながら応じた。
「覚えておく必要のない事を、いつまでも覚えているのね。勿論今でも立ち入り禁止だから、別棟の運転手の自宅で作らせて貰ったのよ」
「運転手の自宅、ですか?」
そこで怪訝な顔をした清人に、真澄は説明を加えた。
「家の敷地内に、住み込みで働く人用の家が二軒あってね。そのうちの一軒に先代の専属運転手夫婦に引き続き、同じく運転手をしている息子さん夫婦が住んでいるの」
「ああ、なるほど。十分に敷地はありますからね」
清人は納得した風情で呟いたが、真澄は些か不愉快そうに話を続けた。
「以前からお祖父様やお父様には内緒で、時々頼み込んで台所を使わせて貰っていたから、今日も久々にお願いしたのよ。そうしたら……、夫婦揃って人が作っているのを台所の入り口からずっと凝視していた挙げ句、『真澄様が、こんな事までできる様になるなんて!』って運転手の柴崎さんは感極まって泣き出すし、奥さんの美香さんは『これはお義父様とお義母様に報告しないと!』って先代夫婦にいそいそと電話をかけていたわ」
「ふっ……」
堪えきれずに小さく笑いを漏らした清人を、真澄が目を細めて睨み付ける。
「何がおかしいの?」
凄まれて、清人は何とか笑いを抑えながら、しみじみとした口調で感想を述べた。
「いえ、そのご夫婦からしたら、よほど真澄さんの成長が著しかったんだろうなと思いまして。自宅の台所の使用禁止令が出る位ですから」
「それは……、最初が最初だったから、弁解はできないけど。あれはいきなり難度の高い物に挑戦してしまった結果だもの」
そう言って拗ねた様に明後日の方を向いた真澄の顔を見て、(こういう表情も可愛いな…などと密かに思いながら、清人は話を続けた。
「因みに、最初にどんな物を作ろうとしたんですか?」
「それは……」
そこで何故か急に押し黙って俯いてしまった真澄に、何かまずい事でも聞いてしまったかと清人は慌てて言葉を継いだ。
「別に言いたく無ければ良いですよ? 誰だって失敗した事を好き好んで思い出したく無いと思いますし」
「そうね」
(だって言えないわよ。あの組み合わせだったら誰の為に作ろうとしたのか、下手したら清人君には分かってしまうもの)
そんな事を考えて思わず溜め息を吐いた真澄だったが、それを見た清人が何とか気分を盛り上げようと話を進めた。
「実は、ちょっと心配していたんですよ? 真澄さんが『毒味してくれ』なんて言ってくるから、どんな物を持って来るのか戦々恐々としていたら、普通の美味しい物で助かりました」
「あら、だって私が作った物を食べるとなったら、ある意味命懸けなんじゃない?」
「浩一とかは平気でそんな事を言うかもしれませんが、俺は言いませんよ? 真澄さんに作って貰えるなら、いつでもどんな物でも美味しく頂きます」
「相変わらず口が上手いわね」
そう言って苦笑した真澄はクスクスと笑ってからスープを口に運んだ。それを見て幾分気を緩めた清人は、話題を変えようと無意識に口を開く。
「そう言えば……、例の異動話はどうなりましたか?」
「え?」
(って! わざわざここで聞く事でも無いだろうが!?)
(ここでそれを聞くわけ。どれだけ無神経なの)
確かに密かに気になっていた内容ではあったが、それを言い終えた瞬間清人は自分自身に罵声を浴びせ、真澄は真澄で思わず顔を引き攣らせた。それを目の当たりにした清人が、半ば狼狽しながら撤回する。
「いえ、その……、滅多にしない料理なんかを急にする気になったのは、向こうで暮らす場合に備えて練習する気になったのかと。すみません、今のは聞かなかった事に」
「それはできない相談ね。頗る不愉快な事を思い出したわ……。因みにそれに関しては、今社内のゴタゴタで一時棚上げって感じだから、現時点では特に進展は無いわ」
そう言って怒りを堪える表情で食事を続ける真澄に、清人は恐る恐る尋ねてみた。
「柏木産業で、何かトラブルでも?」
その問いかけに、真澄が仏頂面で応じる。
「今週、本社ビルに白昼堂々侵入した輩がいたの。ある役員が部屋に押し入られて、半裸にされて身体に落書きされた写真を撮られた挙げ句、それを社内メールで全社員に一斉送信されてね」
「最近は、明るいうちから物騒ですね。真澄さんも気をつけて下さい」
心当たりが有り過ぎる話題だったが、当然清人はしらを切った。すると真澄は腹立たしげに話を続ける。
「しかもその時間帯、ホストコンピューターがハッキングされて、監視カメラやセキュリティーが全部無効になってて、正体不明のままなの。全員ビジネススーツ着用で胸にIDカードも付けてたから、誰にも不審に思われずに堂々と歩き回ってたらしいわ」
「随分、計画的みたいですね」
「ある部署の重要な保管ファイルがごっそり無くなって、翌日それが会社に送られてきた時にチェックしたら実は二重帳簿だったとか、担当役員同士や保安部内で情報管理課と警備課が責任の擦り付け合いとか、もう社内が騒然としてて落ち着かないったら!」
「……ご愁傷様です」
神妙に頷いてみせた清人は、猛然と食事を再開した真澄の邪魔をしない様に顔色を窺っていたが、そろそろ食べ終えようという頃に立ち上がりつつ声をかけた。
「気分直しに、紅茶でも淹れます。ダージリンとニルギリとアッサムではどれが良いですか?」
そう問われた真澄は、怒りを抑えて考え込んだ。
「そうね、ニルギリをお願い」
「分かりました。食べ終わったら食器はそのまま置いていて構いませんから、ソファーの方で少し待っていて下さい」
穏やかな笑顔で台所に足を向けた清人を、真澄は何とも言い難い目で見送った。
(何か様子が変、というか引っかかるんだけど……。関係はないと言ってたけど、やっぱりあの人絡みで何かあったんじゃ無いかしら?)
鋭く清人の異常を察したものの、見当違いの推論をしてしまった真澄は、考え込みながら食事を終わらせ、ソファーに移動して腰を下ろした。
それから大して待たされる事無く、清人がティーカップを二つ乗せたトレーを持ってリビングにやって来た。そして静かに真澄の前に片方のカップを置いてから、自身は反対側のソファーに座り、同様に目の前のローテーブルにカップを置く。それと同時に、真澄が静かに口を開いた。
「それで? あの人がここに来て、何を言ったわけ?」
その詰問口調に、清人は思わず肩を竦めた。
「本当に、招待された以外に大した事は。ああ、そう言えば、旅行中あいつが世話になったとお礼を言われました。それに真澄さんを誉めてましたよ?」
「ひょっとして、それって嫌味?」
無意識に眉をしかめた真澄に、清人は困った様に首を振った。
「いえ、本心からみたいでしたが……。外で働いた経験が無いから、自立している女性を尊敬するとかなんとか」
「…………」
難しい顔で真澄が黙り込むと、清人も変に刺激しない様に口を噤んだ。しかし紅茶を一口飲んだ真澄が、その場に満ちた沈黙を破る。
「それで? 黙って話を聞いて返しただけ? 違うわよね? 後から清香ちゃんに聞こうかとチラッと思ったけど、やっぱり本人の口から聞きたかったからわざわざ手土産持参で出向いたのよ。さっさと吐きなさい」
立て続けにそう言ってから、真澄が真正面から鋭い視線を向けると、清人は敗北感と笑いがない交ぜになった感情が、自分の奥底から込み上げてくるのを自覚した。
(全く、やっぱりこの女性には敵わないな)
そうして溜め息を吐いた清人は、微かに笑いながら真澄に言い聞かせた。
「本当に何事も無かったですよ? ただ……、わざわざ来て貰ったので、今日清香に花束を持って行って貰いましたが」
それを聞くと、真澄は興味津々と言った感じで、僅かに身を乗り出しながら尋ねた。
「花束? どんな物を?」
「ピンクの薔薇です」
「ピンクの薔薇……、ああ、あのポストカードの代わりね?」
一瞬考え込んでから口元を緩めて意味ありげに真澄が笑うと、今度は逆に清人が眉を顰める。
「あれを知っているんですか?」
「ええ。『清人君にこれで書いて貰おうと思ってるの』と説明されて、叔母様に現物を見せて貰ったわ」
「どうして止めてくれなかったんですか?」
途端に恨みがましい目と口調で責めてきた清人に、真澄が不満げに応じる。
「勿論反対したわよ? だけどあの叔母様が、そうそう意見を翻す筈が無いじゃない」
「確かにそうですが……」
そこでがっくりと項垂れた清人に、真澄が更に問い掛けた。
「その花束があのポストカードの代わりなら、当然それだけって事は無いわよね? カードか何か付けたの?」
「いえ、青いカーネーションを一輪だけ中に入れました」
それを聞いた真澄は、怪訝な顔をした。
「青いカーネーション?」
「ええ」
「どういう意味?」
「………………」
尋ねても相手がそっぽを向いて答えない為、真澄は小さく首を傾げた。
「ふぅん?」
そして真澄はソファーの端に置いておいたバッグを引き寄せ、携帯を取り出して検索を始める。すると程なくして自分が求めている情報に行き当たった。
しかしそれを認めた真澄は、無言のまま真顔で清人に顔を向ける。その清人が相変わらず心持ち横を向いて素知らぬ顔をしているのを見て、真澄は堪えきれずに小さく笑い出した。
「っ、ふふっ……、『あなたに永遠の幸福を』って事? ある意味清人君らし過ぎて、笑っちゃうわね」
そう言ってクスクスと笑い続ける真澄に、清人は苦笑する事しかできなかった。
玄関を開けるなり、あまり悪いと思っていない様な笑顔で挨拶をしてきた真澄に対し、清人は咄嗟にどんな顔をしたら良いのか分からず、曖昧な笑みを返した。
「いえ、お気遣い無く」
「じゃあ早速、台所を借りるわね?」
そう言ってバッグと紙袋を持ったままスタスタと台所に向かおうとした真澄の腕を、清人は辛うじて掴まえた。
「ちょっと待って下さい。借りるって、一体何をする気ですか!?」
「何って……、スープを温めようかと思って」
血相を変えて問い質した清人に、真澄がキョトンとしながら応じる。それを聞いた清人は、疲れた様に溜め息を吐いた。
「それは俺がしますから、荷物を渡して下さい。そして準備が整うまでソファーに座って待っていること。分かりましたね?」
「分かったわよ。相変わらず過保護なんだから」
清人が強い口調で言い聞かせると、真澄はブチブチ文句を言いながらもおとなしく紙袋を渡し、リビングに向かって歩いて行った。その背中を見送った清人は、自分が手に持つ問題の物を真顔で見下ろす。
(誰がどう見ても大丈夫なら、世話なんか焼かないぞ。それに自分で『毒味してくれ』なんて言う代物、どうやって作ったんだ?)
色々真澄に尋ねたい事はあったものの、清人は取り敢えず紙袋を持って台所へ入った。そして中の容器類を取り出すと、まずパンプキンスープを鍋に移して軽く温め、ハムと卵のサンドイッチを皿に乗せ、コールスローを小皿に盛る。
そしてスプーンとフォークと一緒にトレーに乗せて食卓に運んた清人は、それらを並べてからしげしげと見下ろした。
(何か、一見まともすぎて、逆に不安だ)
真澄に聞かれたら激怒される事間違いなしの内容を頭に思い浮かべながら台所に戻り、清人はスープ皿に温まったスープをよそって再度運んで行った。
「真澄さん、お待たせしました。どうぞ」
「ありがとう。じゃあ食べましょうか」
「……そうですね」
腹を括った清人が真澄に声をかけると、ソファーで新聞を読んで時間を潰していた真澄が立ち上がり、足取りも軽くテーブルに歩いて来た。そして向かい合って座り、改めて清人が礼を述べる。
「真澄さん、それではご馳走になります」
「そんなに大した物は持って来てないから、恐縮しないで。じゃあいただきます」
「いただきます」
二人で軽く頭を下げてから、清人が用意しておいたおしぼりを取り上げて手を拭き、真澄は別に気負う事無く、清人は僅かに緊張しながら食べ始めた。そしてサンドイッチを一口食べた所で、清人の口の動きが止まる。
(至ってまともで安心したが、この味、親父が作った時の味に似ている気がする)
無表情で手の中のサンドイッチを見下ろした清人は、それを一度皿に置き、続いてコールスローとスープにも口を付けた。そして先程と同様の感想を抱いた清人は、皿を凝視しながら黙り込む。
清人のそんな一連の動作を眺めた真澄は、何気ないふりを装いながら食べていたが、密かに動揺していた。
(さすがに、おじさまに書いて貰ったレシピで作ったってバレたかしら? 別にバレても構わないけど、それを貰った過程をあまり説明したくないわ)
そんな事を考えながら黙々と食べていた真澄に目を向け、清人が静かに問い掛けた。
「真澄さん、これはどんな料理本を参考に作ったんですか?」
「どんなって……、本のタイトルまで一々覚えて無いから。取り敢えずこういう味付けの物が好きだから作ってみたんだけど、清人君の口に合わなかったかしら?」
「いえ、美味しいですよ? こういうのは俺も好きです」
「そう? 良かった」
(幾ら親父の事が好きだからって、何も味の好みまで親父の味付けに拘らなくても)
(やっぱり清人君が食べ慣れてるおじさま流の味付けだと、外す事が無いわね。取り敢えず変に突っ込まれなくて良かったわ)
一応笑顔を浮かべつつの会話だったが、二人の心境はほぼ真逆の状態だった。そして放置しておくと際限なく落ち込みそうになる、自分の気持ちを奮い立たせるが如く、清人が口を開く。
「清香から聞いたんですか? 清香が今日、小笠原家に出向く事を」
「どうしてそんな事を聞くの?」
「真澄さんが家に入って来てから今まで、清香が居るかどうか全く気にしなかったでしょう? つまり今の時間清香が留守だという事や、その行き先も把握していると考えるのが妥当です」
理路整然と理由を告げられ、真澄は小さく肩を竦めた。
「ええ、知っていたわ。ただし、情報源は清香ちゃんじゃなくて、恭子さんだけど」
「川島さんが?」
そこで怪訝な顔をした清人を、真澄が軽く睨んだ。
「由紀子さんがわざわざここに出向いて清人君を招待した後、何だか機嫌が悪くて八つ当たり気味に面倒な仕事を押し付けられたと、愚痴を零されたのよ。今度は彼女に、一体何をさせる気?」
しかし(それは柏木産業を襲撃する事で、もう終わらせました)などとは間違っても口にできない清人は、本気で頭を抱えた。
「それは……、八つ当たりでも何でも無く偶々時期が重なっただけで、あの人に招待された事とは無関係です」
幾分苦しげに弁解した清人を、真澄は疑わしげに見やった。
「そうなの?」
「ええ、そうです。それで真澄さんは、わざわざ昼食持参で俺の様子を見に来てくれたんですか? ありがとうございます」
「別に、それだけでも無いけど……」
そう言って言葉を濁した真澄を、今度は清人が訝しげに眺める。
「そうですか? それはそうと、これはどうやって作ったんですか? バレンタインの時にチョコを作りに来た時には、『家の厨房には立ち入り禁止だから、ここで作らせて欲しい』とか言ってましたよね?」
その問い掛けに、真澄は思わず憮然としながら応じた。
「覚えておく必要のない事を、いつまでも覚えているのね。勿論今でも立ち入り禁止だから、別棟の運転手の自宅で作らせて貰ったのよ」
「運転手の自宅、ですか?」
そこで怪訝な顔をした清人に、真澄は説明を加えた。
「家の敷地内に、住み込みで働く人用の家が二軒あってね。そのうちの一軒に先代の専属運転手夫婦に引き続き、同じく運転手をしている息子さん夫婦が住んでいるの」
「ああ、なるほど。十分に敷地はありますからね」
清人は納得した風情で呟いたが、真澄は些か不愉快そうに話を続けた。
「以前からお祖父様やお父様には内緒で、時々頼み込んで台所を使わせて貰っていたから、今日も久々にお願いしたのよ。そうしたら……、夫婦揃って人が作っているのを台所の入り口からずっと凝視していた挙げ句、『真澄様が、こんな事までできる様になるなんて!』って運転手の柴崎さんは感極まって泣き出すし、奥さんの美香さんは『これはお義父様とお義母様に報告しないと!』って先代夫婦にいそいそと電話をかけていたわ」
「ふっ……」
堪えきれずに小さく笑いを漏らした清人を、真澄が目を細めて睨み付ける。
「何がおかしいの?」
凄まれて、清人は何とか笑いを抑えながら、しみじみとした口調で感想を述べた。
「いえ、そのご夫婦からしたら、よほど真澄さんの成長が著しかったんだろうなと思いまして。自宅の台所の使用禁止令が出る位ですから」
「それは……、最初が最初だったから、弁解はできないけど。あれはいきなり難度の高い物に挑戦してしまった結果だもの」
そう言って拗ねた様に明後日の方を向いた真澄の顔を見て、(こういう表情も可愛いな…などと密かに思いながら、清人は話を続けた。
「因みに、最初にどんな物を作ろうとしたんですか?」
「それは……」
そこで何故か急に押し黙って俯いてしまった真澄に、何かまずい事でも聞いてしまったかと清人は慌てて言葉を継いだ。
「別に言いたく無ければ良いですよ? 誰だって失敗した事を好き好んで思い出したく無いと思いますし」
「そうね」
(だって言えないわよ。あの組み合わせだったら誰の為に作ろうとしたのか、下手したら清人君には分かってしまうもの)
そんな事を考えて思わず溜め息を吐いた真澄だったが、それを見た清人が何とか気分を盛り上げようと話を進めた。
「実は、ちょっと心配していたんですよ? 真澄さんが『毒味してくれ』なんて言ってくるから、どんな物を持って来るのか戦々恐々としていたら、普通の美味しい物で助かりました」
「あら、だって私が作った物を食べるとなったら、ある意味命懸けなんじゃない?」
「浩一とかは平気でそんな事を言うかもしれませんが、俺は言いませんよ? 真澄さんに作って貰えるなら、いつでもどんな物でも美味しく頂きます」
「相変わらず口が上手いわね」
そう言って苦笑した真澄はクスクスと笑ってからスープを口に運んだ。それを見て幾分気を緩めた清人は、話題を変えようと無意識に口を開く。
「そう言えば……、例の異動話はどうなりましたか?」
「え?」
(って! わざわざここで聞く事でも無いだろうが!?)
(ここでそれを聞くわけ。どれだけ無神経なの)
確かに密かに気になっていた内容ではあったが、それを言い終えた瞬間清人は自分自身に罵声を浴びせ、真澄は真澄で思わず顔を引き攣らせた。それを目の当たりにした清人が、半ば狼狽しながら撤回する。
「いえ、その……、滅多にしない料理なんかを急にする気になったのは、向こうで暮らす場合に備えて練習する気になったのかと。すみません、今のは聞かなかった事に」
「それはできない相談ね。頗る不愉快な事を思い出したわ……。因みにそれに関しては、今社内のゴタゴタで一時棚上げって感じだから、現時点では特に進展は無いわ」
そう言って怒りを堪える表情で食事を続ける真澄に、清人は恐る恐る尋ねてみた。
「柏木産業で、何かトラブルでも?」
その問いかけに、真澄が仏頂面で応じる。
「今週、本社ビルに白昼堂々侵入した輩がいたの。ある役員が部屋に押し入られて、半裸にされて身体に落書きされた写真を撮られた挙げ句、それを社内メールで全社員に一斉送信されてね」
「最近は、明るいうちから物騒ですね。真澄さんも気をつけて下さい」
心当たりが有り過ぎる話題だったが、当然清人はしらを切った。すると真澄は腹立たしげに話を続ける。
「しかもその時間帯、ホストコンピューターがハッキングされて、監視カメラやセキュリティーが全部無効になってて、正体不明のままなの。全員ビジネススーツ着用で胸にIDカードも付けてたから、誰にも不審に思われずに堂々と歩き回ってたらしいわ」
「随分、計画的みたいですね」
「ある部署の重要な保管ファイルがごっそり無くなって、翌日それが会社に送られてきた時にチェックしたら実は二重帳簿だったとか、担当役員同士や保安部内で情報管理課と警備課が責任の擦り付け合いとか、もう社内が騒然としてて落ち着かないったら!」
「……ご愁傷様です」
神妙に頷いてみせた清人は、猛然と食事を再開した真澄の邪魔をしない様に顔色を窺っていたが、そろそろ食べ終えようという頃に立ち上がりつつ声をかけた。
「気分直しに、紅茶でも淹れます。ダージリンとニルギリとアッサムではどれが良いですか?」
そう問われた真澄は、怒りを抑えて考え込んだ。
「そうね、ニルギリをお願い」
「分かりました。食べ終わったら食器はそのまま置いていて構いませんから、ソファーの方で少し待っていて下さい」
穏やかな笑顔で台所に足を向けた清人を、真澄は何とも言い難い目で見送った。
(何か様子が変、というか引っかかるんだけど……。関係はないと言ってたけど、やっぱりあの人絡みで何かあったんじゃ無いかしら?)
鋭く清人の異常を察したものの、見当違いの推論をしてしまった真澄は、考え込みながら食事を終わらせ、ソファーに移動して腰を下ろした。
それから大して待たされる事無く、清人がティーカップを二つ乗せたトレーを持ってリビングにやって来た。そして静かに真澄の前に片方のカップを置いてから、自身は反対側のソファーに座り、同様に目の前のローテーブルにカップを置く。それと同時に、真澄が静かに口を開いた。
「それで? あの人がここに来て、何を言ったわけ?」
その詰問口調に、清人は思わず肩を竦めた。
「本当に、招待された以外に大した事は。ああ、そう言えば、旅行中あいつが世話になったとお礼を言われました。それに真澄さんを誉めてましたよ?」
「ひょっとして、それって嫌味?」
無意識に眉をしかめた真澄に、清人は困った様に首を振った。
「いえ、本心からみたいでしたが……。外で働いた経験が無いから、自立している女性を尊敬するとかなんとか」
「…………」
難しい顔で真澄が黙り込むと、清人も変に刺激しない様に口を噤んだ。しかし紅茶を一口飲んだ真澄が、その場に満ちた沈黙を破る。
「それで? 黙って話を聞いて返しただけ? 違うわよね? 後から清香ちゃんに聞こうかとチラッと思ったけど、やっぱり本人の口から聞きたかったからわざわざ手土産持参で出向いたのよ。さっさと吐きなさい」
立て続けにそう言ってから、真澄が真正面から鋭い視線を向けると、清人は敗北感と笑いがない交ぜになった感情が、自分の奥底から込み上げてくるのを自覚した。
(全く、やっぱりこの女性には敵わないな)
そうして溜め息を吐いた清人は、微かに笑いながら真澄に言い聞かせた。
「本当に何事も無かったですよ? ただ……、わざわざ来て貰ったので、今日清香に花束を持って行って貰いましたが」
それを聞くと、真澄は興味津々と言った感じで、僅かに身を乗り出しながら尋ねた。
「花束? どんな物を?」
「ピンクの薔薇です」
「ピンクの薔薇……、ああ、あのポストカードの代わりね?」
一瞬考え込んでから口元を緩めて意味ありげに真澄が笑うと、今度は逆に清人が眉を顰める。
「あれを知っているんですか?」
「ええ。『清人君にこれで書いて貰おうと思ってるの』と説明されて、叔母様に現物を見せて貰ったわ」
「どうして止めてくれなかったんですか?」
途端に恨みがましい目と口調で責めてきた清人に、真澄が不満げに応じる。
「勿論反対したわよ? だけどあの叔母様が、そうそう意見を翻す筈が無いじゃない」
「確かにそうですが……」
そこでがっくりと項垂れた清人に、真澄が更に問い掛けた。
「その花束があのポストカードの代わりなら、当然それだけって事は無いわよね? カードか何か付けたの?」
「いえ、青いカーネーションを一輪だけ中に入れました」
それを聞いた真澄は、怪訝な顔をした。
「青いカーネーション?」
「ええ」
「どういう意味?」
「………………」
尋ねても相手がそっぽを向いて答えない為、真澄は小さく首を傾げた。
「ふぅん?」
そして真澄はソファーの端に置いておいたバッグを引き寄せ、携帯を取り出して検索を始める。すると程なくして自分が求めている情報に行き当たった。
しかしそれを認めた真澄は、無言のまま真顔で清人に顔を向ける。その清人が相変わらず心持ち横を向いて素知らぬ顔をしているのを見て、真澄は堪えきれずに小さく笑い出した。
「っ、ふふっ……、『あなたに永遠の幸福を』って事? ある意味清人君らし過ぎて、笑っちゃうわね」
そう言ってクスクスと笑い続ける真澄に、清人は苦笑する事しかできなかった。
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