夢見る頃を過ぎても

篠原皐月

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第60話 決壊~真澄の場合

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 自分の顔を見ながら何故か固まっている真澄に、清人は怪訝な顔をしてから、些か自信なさげに問いかけた。

「その……、うちを訪ねて来たんですよね?」
「ええ、まあ……、そんな所だけど……」
 真澄が曖昧に言葉を濁しながら頷くと、清人は通りの向こう側にある自宅マンションを見上げてから、再び真澄に視線を戻しつつ問いを重ねた。

「それならどうして中に入らないで、目の前で立ち尽くしていたんですか? 急に、忘れ物でも思い出したとか?」
「そういう事では無いんだけど……」
 そこで何となく自分の視線を避ける様に俯いた真澄に、清人は僅かに苛ついた。

(何なんだ? 戻って早々真澄さんと遭遇しただけで、かなり心臓に悪いのに。何もそんな意味不明な態度を、取らなくても良いじゃないですか)
 しかし清人は言いたい文句を密かに飲み込み、真澄を自宅へと促した。

「取り敢えず、中に入っていて下さい。詳しい話はそれからにしましょう。今、車を入れますから」
「分かったわ」
 そうして清人は再び車に乗り込み、右折で道路を横切ってマンション敷地内の駐車場に車を止めた。一方の真澄は素直に道路を横切ったものの、先にマンション内には入らず、何となく駐車場の出入り口で清人を待ち構える。すると清人がトランクからスーツケースを取り出し、ガラガラと引っ張りながら近付いてくるのを見て、意外そうに目を見張った。

「旅行に行って来たの?」
 不思議そうにそう尋ねられた清人は、僅かに顔を強張らせてから、さりげなく問い返した。
「ええ、先週はずっと出掛けていましたが。清香経由で聞いていませんでしたか?」
「別に何も聞いて無かったわ。仕事の方が、色々忙しかったし」
「そうですか……」
(何を気落ちしているんだか。真澄さんが俺の行方なんて、大して気にしないのは当たり前だろうが)
 そんな事を清人が自嘲気味に考えていると、真澄が慎重に尋ねてきた。

「先週ずっと、って……。誰とどこに行ってたの?」
 しかしその質問に清人は正直に答えず、素っ気なく切り捨てる。
「別に……、真澄さんが気にする様な事ではありませんから」
 それを聞いた真澄は、僅かに顔を引き攣らせたが、いつも通りの穏やかな口調で詫びを入れた。

「それもそうね。どうでも良い事を聞いたわ。ごめんなさい」
「いえ、構いません」
 そんなやり取りをしながら、二人でマンションの出入り口から中に入った真澄だったが、内心では密かに腹を立てていた。

(関係無いって……、へえぇ、そういう事。何日も、誰と、どこをフラフラしてたって言うのよ? 私がショックをうけてこの一週間、悶々と仕事に精を出してた時、例の若い娘を引き連れて、どこぞで遊んでたとか言うわけ? ふざけるんじゃ無いわよっ!!)
 そして清人は清人で、斜め後ろを歩いている真澄を気にしながら、小さく溜め息を吐き出す。

(まさか帰って早々に、真澄さんと顔を合わせる事になるとは、夢にも思っていなかったが……。ある意味好都合か。もう一度、落ち着いて話をしたかったし)
 そしてエントランスホールから奥に続く自動ドアの前で、清人が鍵を取り出してロックを解除している間、真澄が何気なく管理人が常駐しているスペースに目を向けると、中に座っていた人物と目が合った。
 普通であれば愛想笑いで応じるところだが、相手が清人と自分が一緒に居るのを見て、意外な物を見たかの様にこちらを凝視した上、怪訝な顔をして首を傾げたのを認め、真澄は分からない程度に顔を強張らせた。

(何か、今一瞬、変な顔をされたような……。どうして? 私と清人君が一緒にいるのが、そんなに意外とか?)
 そんな事を自問自答していた真澄と連れ立って、居住スペースに入った清人は、エレベーターに向かいながら、僅かに憂鬱そうに溜め息を漏らした。

(清香と顔を合わせたら、この一週間、断り無しに留守にして激怒されるだろうが、落ち着いて真澄さんと話をしたいし、何とか宥めて少しだけ外に出ていて貰うか……。骨が折れそうだな)
 その一方で真澄の考えは、とんでもない誤解に行き着いた。

(ひょっとして……、清香ちゃんに気付かれない様に、例の女を頻繁に家に引っ張り込んでいたとか? それで管理人さんがその女の顔を覚えていて、私がいつもの連れと違うと不審がって、あんな表情をしてたとか?)
 実はマンションの管理人は、先程訪ねて来た浩一から真澄の写真を見せられた上で、『もしこの女性が一人で佐竹家を尋ねて来たら、今留守で入口で立ち往生する筈だから、保護して自分に連絡を入れて欲しい』と頼み込まれたのだが、現れた真澄は家主の清人と同行し、当然問題無く一緒に中に入っていった為、一瞬連絡するかどうか迷った末、二人が微妙な雰囲気を醸し出していた事も相まって、特に声をかけない事にしたのだった。
 そんな誤解が重なった上で、真澄がとんでもない誤解をしているなどとはつゆ知らず、清人が些か呑気な事を考える。

(そう言えば……、どうして真澄さんはあんな中途半端な場所に立っていたんだ? いつもなら心得ている運転手が、マンションの目の前に車を停めて、真澄さんを降ろしているよな? 電車で来る筈が無いし、タクシーでも使ったのか?)
(清香ちゃんがいるから、女を家に引っ張り込む様な真似だけはしないと思ってたのに……。本当に私って人を見る目がないわね。今回のこれで、良く分かったわ)
 清人がそんな的外れな事を考えている傍らで、真澄が怒りのあまり歯軋りしたいのを必死で堪えつつ黙り込んでいるうちに、エレベーターが目的の階に到着して静かに左右に開いた。そして真澄を促して清人が廊下を進み、自宅玄関に辿り着いてドアを開ける。

「どうぞ」
「ありがとう」
 いつもの様に真澄に先を譲ってから、自分も玄関内に入った清人は、内側から鍵をかけてから奥に向き直り、少し大きめの声で呼び掛けてみた。

「清香! 今帰った。長々と留守にしていて悪かった!」
 しかしその場に沈黙が漂うのみで、帰宅早々頭ごなしに叱りつけられるのを覚悟していた清人は、些か拍子抜けして首を捻った。

「……留守なのか? ああ、真澄さん、上がって下さい」
「お邪魔します」
 そこで無言で佇んでいた真澄に気が付いた清人が声をかけると、真澄は表情を消したまま靴を脱いで上がり込んだ。そして常にそうしている様に、無言を保っている真澄からハンドバッグと脱いだコートを受け取った清人が、それをコート掛けに掛けようとしていると、いきなり膝裏に衝撃が走った。

「うわっ! え?」
 真澄に背中を向けた途端、真澄に膝の裏側を蹴りつけられ、バランスを崩した所で更に右肩を強引に引っ張られた挙げ句、床に向かって突き飛ばされた清人は、呆気なく仰向けの状態で床に転がった。さすがに余裕が無くコートとバッグを放り出したが、したたかに腰と肩をぶつけて、痛みに顔をしかめる。

「……っ!!」
 何とか後頭部を強打しなかった事を喜ぶ間もなく、何故か険しい表情の真澄が、自分の腹の上に馬乗りになって左手で胸倉を掴んできた為、清人は狼狽しながら声をかけた。

「真澄さん!? いきなり何を」
「五月蠅いわね! ふざけるんじゃ無いわよ、このスケコマシ野郎っ!!」
 そう叫ぶと同時に真澄の右手が勢い良く空を切り、激しい音を立てて清人の左頬に当たった。その痛みに加え、理不尽極まりない行為を受けたとしか思えなかった清人が、怒りを露わにして真澄を非難する。

「つっ! ……いい加減にしないと、幾ら真澄さんでも怒りますよ? 第一、どうして俺が叩かれなくちゃいけないんですか!?」
 しかし真澄は清人の話を聞いていないのか、両手でシャツの喉元を掴み上げてガクガクと揺さぶりながら、盛大に叱りつけた。

「大体ね! ちょっと顔が良くて頭が良くて稼ぎが良いからって、図に乗ってんじゃ無いわよっ!! 一体、何様のつもり!?」
「真澄さん……、俺の質問の答えになっていませんが?」
 憮然として清人が睨みつけると、真澄は清人の体を揺さぶるのを止めたが、今度は涙ぐみながら訴え始める。

「……わ、悪かったわね! 年上でお金持ちのお嬢様で、無駄に背が高くて可愛げが無くて!」
「は? ……あの、何を言ってるんですか?」
「だけどね、好きでそんな風に生まれついたわけじゃ無いわよっ!! 私のせいじゃ、無いんだからぁぁっ!」
「……真澄さん、分かりました。分かりましたから、お願いですから少し落ち着いて下さい」
 とうとうボロボロと涙を流し始めた真澄を見て、清人は真澄の両手を服から引き剥がそうとしながら宥めにかかったが、泣き出した理由が全く分からずに困惑した。

(何だ? どうして、ここでいきなり泣き出すんだ? 俺はさっき顔を合わせてから、真澄さんの気に障る様な事を言ったりしたりしてないよな?)
 一応真澄と顔を合わせてからの自分の言動を、頭の中でさらってみても、異常を認めなかった清人だったが、ここで清人の服から両手を離した真澄が、今度は清人の両肩を床に押し付ける形でのしかかり、清人の顔を上から覗き込んできた。

「だけど言っておくけど! そんな余裕綽々でいられるのも、今のうちよ!」
「どういう意味ですか?」
 訝しげに眉を寄せた清人に、真澄がまだ目に涙を浮かべながら、腹立たしげに言い聞かせてくる。

「分からないわけ? 若い娘が群がって来るのも、今のうちだけって事よ。四十過ぎたら幾ら格好付けても、二十代からみたらオッサンも良いところよ。よほど年上好みじゃないと、見向きもされなくなるんだから!」
「まあ……、確かにそうかもしれませんね」
(結局、真澄さんは、何が言いたいんだ?)
 清人にしてみれば、もう支離滅裂としか言いようのない真澄の主張だったが、ここで下手に口を挟むと絶対にこじれると経験上分かっていた清人は、曖昧に頷いてみせた。すると真澄が、更なる暴言を繰り出す。

「それに執筆業なんて、所詮水物なんだから! アイデアの泉が涸れたら忽ち書けなくなって、売れなくなって、泣かず飛ばずになって路頭に迷うんだから! そうなったら、金目当ての女も寄り付かなくなるわね、ご愁傷様!」
「……あのですね」
「ああ、それでも清香ちゃんの事は、心配要らないわよ? 家で面倒見るから、心置きなくホームレスになって頂戴」
 そこまで言われて、流石に清人も顔付きを険しくして真澄に問い質した。

「…………真澄さん。ひょっとして俺に喧嘩を売りに来たんですか?」
「そんなわけ無いでしょう! 人の話をちゃんと聞きなさいよ!!」
 その物言いに怒りを露わにし、自分の肩から真澄の手を退かせようとしながら、清人が怒りに任せて叫ぶ。

「だから! さっきから、あなたは何を言いたいんですか!?」
「だから、私と結婚しなさいって言ってるのよ! どこまで馬鹿なの? 東成大首席入学、首席卒業の肩書きが泣くわよ、この唐変木がっ!!」
「…………は?」
 予想外の事を吐き捨てる様に口にされた清人は、目を見開いて絶句した。しかしその反応が気に入らなかった真澄は、再び両手で清人の服の胸倉を掴み、盛大に揺すぶりながら叱りつける。

「なに間抜け面を晒してんのよ! 私が相手じゃそんなに不満なわけ? 人を馬鹿にするのも、いい加減にしなさいよ!?」
「いえ……、不満とか、そういう事ではなくてですね。何がどうなって、そんな結論に達したのかが……」
 呆然としながら、殆ど無意識に清人が弁解したが、それが真澄の怒りを更に煽ったらしく、延々と語り始めた。

「確かにうちは、鼻持ちならない金持ちかもしれないけどね、その分暮らすのに、不自由して無いのよ! 自慢するわけじゃ無いけど!」
「はぁ……」
「私名義のアパートや駐車場の賃貸収入だって、あなたの素行調査に注ぎ込んだって、まだお釣りがくる位なんだから!」
「素行調査って……、一体、何をしてるんですか?」
「だからこれまでどんな女と付き合ってたかなんて、全部バレバレなんですからね! 今更、誤魔化そうとしても無駄よ! それでも許してあげるって言える私は、何て寛大なの? だけどそんな事で誰も誉めてくれないから、自分で自分を誉めてあげたい位よ!」
「……寛大にも容認して頂いて、ありがとうございます」
 もう何も言えない清人は、視線を逸らしながら棒読み調子で一応礼を述べてみたが、案の定真澄は憤慨した様に言い募った。

「この期に及んで、まだふざけてるの? このろくでなしが!!」
「単に、率直に、感謝の言葉を述べただけですが……」
「ちょっと家事が得意だからって、人を馬鹿にするのもいい加減にして!」
「だから馬鹿にしてませんから」
「不動産収入の他にもね、一部上場企業の課長職に就いてるのよ? だから並みの会社員以上に、定収があるんだから!」
「それは分かっていますから」
「だから稼ぎが無い男の一人位、死ぬまで養ってあげるって言ってるのよ! 若くて可愛いだけの女なんて、金の切れ目が縁の切れ目なんですからね! 後悔するのはそっちなんだから、いい加減現実を見なさいよ!」
 勢い良く言うだけ言って息を整えている真澄を、清人は少しの間冷静に見上げてから、徐に口を開いた。

「要するに……、真澄は俺に、自分のヒモになれと、そう言っているわけか?」
 その問い掛けに、いつもの自分に対する口調と微妙に違っている事に気が付かないまま、真澄が怒りを露わにしながら吐き捨てる。

「何よ? まだ何か文句があるの!? 女に働かせて左団扇で暮らすなんて、男の夢でしょう? あんたはただ『ありがとうございます』って言って、頷けば良いのよ!」
 そんな真澄と真顔で見つめ合ってから、清人は右手で両眼を覆い、小さく笑い出した。

「……ははっ。確かにヒモ生活って言うのは、一度はやってみたい男のロマンだな。しかも真澄が俺を養ってくれるって言うのか。最高だ…………。駄目だ、最高過ぎて笑える」
 ここで何故か顔をの上半分を覆ったまま、クスクスと笑い出した清人を、真澄が怒鳴りつけた。

「何がおかしいのよ!」
 そこで清人は顔から自分の手をゆっくりと剥がし、苦笑しながら真澄を見上げた。

「……長年、つまらない事でうだうだ悩んでた自分が、相当滑稽だと思って。色々覚悟を決めて、気合いを入れて戻って来た途端これだからな。笑いが止まらないんだ……、本当に勘弁してくれ」
「勘弁してくれって、何よ。養ってもらうにしても、私が相手じゃ不満だとでも言うわけ? 失礼じゃない!?」
「違うって。この困ったお姫様は、何だってそう、曲解するんだ?」
 再び憤慨した真澄を見て、清人は幾分困った様に、しかしどこか面白がっている風情で、真澄に向かって両手を伸ばした。

「……それならここは一つ、行動で示すとするか。せっかくありがたいお言葉も頂いた事だしな」
 そう言った清人は、真澄の首の後ろと腰に回した手で、真澄の身体を勢い良く自分の方に引き寄せた。
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